弐
──滞在二日目。
一夜が明け、日課と朝議を終えて、会議を始める迄は皆各々の仕事を熟す。
因みに会議は昼前。
大体、十時頃の予定だ。
そして、無職な俺──否、“裏方”専門の俺は自分の執務室に居る。
母親組の四人と共に。
「…成る程、な」
四人からの“報告”を聞き椅子の背凭れに深く身体を預けて息を吐く。
“予想通り”の内容に頭が痛くなってくる。
“特効薬”が無いだけに、尚更に質が悪い。
「…子和様は何時から事の次第に御気付きで?」
「…興覇を助けた時からだ
最初は“よく有る事”だと思っていたが“根”が深い事に直ぐに気付いた
奇妙な物でな、宅の家臣は半数が“悪縁”の中に居て何かしらに関わっている
尤も、全員が“被害者”の側だがな…」
公達の言葉に目を開けて、溜め息を吐きながら四人に伏せていた事実を話す。
流石に驚いた様で、互いに顔を見合わせる。
“被害者”というだけに、複雑な問題だしな。
「この事を華琳達には?」
「言ってれば、こんな風に話してると思うか?」
「まぁ…そうでしょうね」
御義母様の言葉に肩を竦めながら答えると君理が苦笑を浮かべて納得する。
因みに御義母様にも仕事の場では口調は軽い。
「まぁ、理由としては今は“余計な事”を考えさせる事はしたくないし、知れば放置は出来ないだろう?
まだ、動くだけの“力”が無い以上は我慢する以外に選択肢が無い…
そう成った際に生じてくる皆の精神的な鬱憤や葛藤を考慮してだ
母親組は“経験”有るから大丈夫だろうし…
俺は平気な方だからな」
そう言い右手で茶杯を持ち口へ運んで喉を潤す。
間を置く為でも有るけど、四人の“生温かい”視線が居心地が悪いからだ。
「我が娘ながら本当に良い人を射止めましたね」
「宅の娘達も是非肖りたい所ですけど…ね?」
“ね?”じゃねえよ。
御義母様の“惚気”に乗る形で振ってくる子魚。
本当“女”は逞しいわ。
小さく溜め息を吐きながら話を元に戻す。
「動くには時期尚早だ
“正義感”だけで潰せる程この“闇”は容易くない
今は“力”を付ける事に、集中させる
色々大変だろうが今暫くは俺に付き合ってくれ」
『はい、御任せ下さい』
笑顔で迷わず答えてくれる四人を頼もしく思う。
早くに両親を亡くした事も有るからだろうか。
華琳達とは違って“強く”行けない自分が居る。
人間関係って複雑だな。
曹家の私邸。
基本的に侍女ですら一部の限られた者しか出入りする事が許されていない。
私室は勿論、客室も使用は特別な者しか出来無い。
その一角に有る会議室。
朝議等を行う城の謁見の間とは違う現代風の造り。
それもその筈。
私邸の書庫や個室等は全て華琳の指示で造られているけれど幾つかの部屋だけは間取りのみ。
つまり空き部屋だった。
それは俺が造る部屋の為で会議室も、その一つ。
中央に座す円卓など会議の場では先ず見ない時代だ。
加えて照明は氣を使用する仕組みの物で水晶玉が発光している感じだ。
この場に居る面子は華琳、母親組、将師(見習いも)、俺で、合計二十六人。
皆、興味津々な様で室内を見回している。
珍しいのは仕方無いな。
だが、俺が華琳を促し席に着かせると皆も続く。
皆が席に着いた事を確認し照明を落とす。
暗闇になる中、円卓の──つまりは部屋の中央に有る場所が円形に淡く輝く。
「……雷華、これは?」
「仕組み的には照明と近い物では有るが用途は違う」
驚いている華琳の質問に、悪戯が成功した様な気分で笑顔を浮かべて返す。
同時に右手の指を鳴らすと円形の光環が円柱状に伸び其処に地図が投影される。
所謂、立体映像だ。
「細かい説明は面倒なんで省くから“こういう物”と認識して置いてくれ」
そう素直に言ったら華琳の溜め息を筆頭に半数以上が同様に溜め息を吐き、残る面子は苦笑する。
気にしない、気にしない。
するだけ時間の無駄だ。
「さて、見て判る通りだがこれは漢王朝の地図だ
で、これが現在の十三州の区分になる」
地図上に赤い領界線が生じ十三に区切る。
そして各々に州名を表示。
静かに皆が感嘆している。
詳細な地図自体が貴重品な時代だからな。
そうでなくても“情報”は重要な財産だし当然か。
「この中で──」
手元の操作用の結晶盤──タッチパネルディスプレイの様な物を右手で操作し、一部を拡大する。
豫州を中心にした地域だ。
更に緑色の領界線が郡毎に区切り郡名を表示。
その一部が、青と橙の色で塗り潰される。
「青が曹家の“公式”領で橙が“従属”領になる」
「従属…まあ、そうね
冥夜と李珀が臣従したとは言っても統治下に入った訳ではないものね…」
「そういう事だな」
華琳の納得した様な呟きに相槌を打って肯定。
国取り物のSLGみたいに簡単じゃないんだよ。
「曹家の今後の方針だが、先ず豫州と揚州の江北域を完全に統治下に置く事だ」
「…子和様、揚州の江北となると今は“従属”扱いの廬江郡と淮南郡ですか?」
「そうだ
その二郡を正式に曹家の領にする事になる」
地元、という事も有ってか公瑾の反応が早い。
次いで口を開くのは公瑾の左隣に座っている仲達。
「ですが、子和様…
豫州は州牧となれば実質は統治下に置けますが揚州の領郡をどうやって?」
「なに、単純な事だ
問題点は豫州と揚州という二州に股がる事…」
「……まさか…」
公瑾と仲達が顔を強張らせ驚きを浮かべて見詰めると俺は口角を上げて答える。
「そのまさかだ
“同じ”州にしてしまえば済むだけの話だ」
「豫州に揚州の二郡を併合すると言う訳ですか?
揚州の州牧もですが朝廷がそう簡単に認めるとは…」
「大丈夫ですよ」
奉孝の尤もな指摘を遮って答えたのは笑顔の子揚。
子揚を見て“誰”かを皆が思い出しただろう。
そう“皇女”殿下だ。
「まあ、そうは言っても、“伝手”だけで出来る程に簡単な事じゃない
それに“伝手”は飽く迄も“正当な恩賞”とする為の物でしかない」
「…成る程ね
つまり、私達は“功績”を上げた結果として、領地を貰い受ける訳ね?」
パチパチと拍手して華琳の推測を肯定する。
「ですが、功績と言っても華琳様の刺史の権限が通用するのは豫州内のみ…
揚州の事となれば越権行為だと言われるのでは?」
「…いえ、だからこそ先に“御二人”を曹家の臣下に迎えた訳ですね?」
文若の疑問に奉孝が気付き視線を子魚と君理へ向け、二人が肯定する様に笑む。
文若もそれを見て理解した様で納得している。
うんうん、皆、優秀だね。
「そういう事です
私達は“太守”として事の解決に際し豫州側の協力が必須と考慮し、刺史である華琳様に“助力を要請”し協力して臨む──そういう“筋書き”です」
笑顔で君理が説明すると、俺に視線が集まる。
「巨高と公達にも、各家の伝手等を使い豫州の他郡で動いて貰っている
既に“仕込み”済み…
後は育てた“穂”の実りを待つだけだ
“収穫”の時を、な…」
「“だから”貴男が直々に出向いていた訳ね…」
呆れた様に溜め息を吐いて理解を示す華琳。
流石だねぇ。
「態々、自分から明花達に会いに行ったのは裏で動き探りながら証拠を回収し、同時に先を見越して相手の動向を監視、筋書き通りに“誘導”して行く為…
違うかしら?」
「七割、だな」
そう言うと眉を顰め拗ねた様に睨んでくる華琳。
“体裁”の為の手抜きとか嫌いだろうが。
「俺が単独で動く事により曹家との関係を覚らせず、警戒心を持たせない為…
また、民の間に然り気無く流言を流して風評を操作し曹家への信頼感を刷り込み統治へ賛同させる為…
最後に、“効率的”に動く為に必要な情報の収集
此処まで言えて十全だな」
ニヤッ…と笑って見せるとプイッ!、と外方を向いて拗ねる華琳。
“判る訳ないでしょ!?”と背中が語っている。
後ろから、思いっきり抱き締めたいなあ…。
流石に会議中なので空気を読んでしないけど。
「そんな訳で“収穫”する期間なんだが…
開始から完了まで二週間で遣って貰う」
俺の言葉に騒付く皆。
まあ、そうだろうな。
常識的に考えて出来るとは思えないな、“普通”は。
「静かにしなさい」
凛とした一声で場を鎮め、緊張感を取り戻す華琳。
“王”の風格だな。
「雷華、貴男が言う以上、可能な事なのは判るわ
でも、それは“究極的”な結果ではないわよね?」
「勿論楽ではない
だが、“最高”のみでしか出来無い事じゃない」
静かに見極める様に華琳が見詰めてくる。
だが、これはある種の誘導行為だと言える。
皆の意識を纏め、同じ方へ向かわせる為の。
故に互いに理解した上での言動である。
「話して頂戴」
「豫州の領は梁国・沛国・陳国・魯国・汝南郡に加え潁川郡の六つ…
潁川は留守居役に任せて、主戦力は全て出す
また沛国は曹家とは今でも縁が深く、現太守・都尉・県令・県尉の全てが曹家の家臣で構成されている
郡内も潁川同様に“膿”は溜まっていないから此方に合わせて動く予定だ
よって梁国・陳国・魯国・汝南郡の四郡が対象になる
先ず、陳国・梁国を落とし華琳と俺を含む隊が汝南、残りが魯国に行く
汝南に後事の人員を残して華琳が淮南、俺が廬江へ
それで“詰み”だ
細かい配置は一週間前には通達する
最後に日取りだが…」
少し、勿体振った事により皆が小さく息を飲む。
良い緊張感だ。
「華琳との祝言の三日後、十月四日とする」
これから始まる“歴史”の幕開けの時を告げる。
顔を見合せる面々。
驚くのも無理はないか。
「あの、子和様…
祝言から三日後というのは幾ら何でも急ぎ過ぎでは?
せめて、十日…早くとも、一週間は空けた方が宜しいのではありませんか?」
恐る恐る、ではないが遠慮勝ちに提案してくる子揚。
彼女自身も“結婚”に関し思う事が有るからだろう。
「まあ、そうだろうな」
「では──」
「“だから”意味が有る」
「──え?」
“考え直す”と勘違いして笑顔を浮かべた子揚が俺の言葉に目を丸くする。
予期していなかった様だ。
「抑だ、華琳の祝言の話を一部にだけ流したのは態と“人伝手”に情報が広まる様にしていた為…
だがそれは、正確な情報を与えない為の策ではなく、内輪にて“こぢんまり”と行うと“誤認”させる為
そして“その前後”は華琳と曹家の意識が内に向き、外──他への注意が散漫になると“思い込ませる”事によって油断させる為だ」
だが、説明には納得しても子揚──否、過半数が眉を顰めて不満気だ。
その様子に苦笑する。
「まあ、言いたい事は解る
形だけ見れば慶事の祝言を“隠れ蓑”にした様にしか思えないからな」
そう言って華琳を見る。
俺の言いたい事を視線から察した様で苦笑。
小さく一息吐いて皆の方へ顔を向ける。
「私自身は気にしないわ
祝言は私達の夫婦としての始まりだけれど、この策も曹家の“栄華”の始まりとなる事よ
それはそれ、これはこれ
私が雷華の立場だとしても利用出来るのなら構わずに利用するわ
それが自分の祝言でもね」
迷いの無い華琳の言葉に、漸く皆が納得する。
こういう時だけは男女での説得力の差が出るな。
…仕方無い事か。
「“隠れ蓑”に使っても、祝言に影響は無い
流石に俺でも“妻”の心を利用したり踏み躙る真似はしないよ
誰よりも“その時”を待ち望んでいた“想い”を俺は知ってるからな」
「雷華…」
「長い間待たせたからな
“荒事”なんかはさっさと済ませて過ごしたい…
一緒に紡ぎ、刻みながら、“想い”を育み──あ…」
「…ぇ?──っ!?」
つい“入って”しまったが視線に気付いて我に返る。
皆の視線が痛い。
羨望・嫉妬・憧憬…色々な感情が混ざった空間の中で真っ赤になった華琳を抱き締め苦笑する。