刻綴三國史 24
待ち合わせ場所に指定した側に有る茶屋で待機し、聞き取り調査を終えて戻ってきた面々から記録した竹簡を受け取り、それを精査・分析してゆく。
怪しいと思える部分をピックアップして書き留め、それから現時点までの“発芽病”の情報を加えて、改めて精査・分析して絞り込んでゆく。
地味で時間と手間の掛かる地道な作業ではあるが。
現状では、これが最も確実な方法だと言える。
何しろ、碌に情報が無いのだから。
尚、自分達が居るのは茶屋なので、来店する御客の耳目に入らない様に奥の個室を借りています。
最初に戻って来た賈駆が合流するまでは普通に店で流琉と二人で楽しんでいましたが。
流石に仕事中の姿を見せる訳にはいきませんので。
因みに、誰かが戻ってくる際には流琉に店の前まで呼びに出て貰っています。
ええ、今も残りの二人を迎えにね。
「御待たせ~──って、うわっ、凄っ…」
「雪蓮っ、素が出てるっ」
「あっ!、ヤバッ…」
今、俺達が居る茶屋だというのに、卓上に積まれた竹簡の山を見て戻ってきた孫策が思わず声を出す。
それを途中で合流した小野寺が窘める。
賈駆の「この馬鹿っ!」という睨み付つきでな。
しかし、俺からすれば、些事でしかない。
じゃじゃ馬の教育は騎手と飼い主に任せる。
態々自分で今遣る仕事を増やす気は無い。
顔を上げて視線を向け、右手を伸ばす。
「二人共、調べてきた物を」
「あっ、はいっ、此方等です!」
大声に為らない程度で、しかし、はっきりと。
小野寺が孫策の分と一緒に竹簡を差し出す。
…言いたくはないが、どうしても考えてしまう。
此処で小野寺ではなく、孫策が二人分を差し出した場合には俺達の評価は高かったと言える。
勿論、小野寺は孫策が遣らかなさい様に考えての判断したからなんだろうが。
彼我の立場を考えたなら。
此処は小野寺よりは孫策が遣る方が正しい。
先に戻った賈駆達は誰が渡そうが構わないが。
それから俺が催促する前に差し出せない点もだ。
…まあ、先程の孫策の反応は見逃すとしても。
それに釣られて皆、意識が違う方向にズレたしな。
尤も、此方等に関しては賈駆が気付き、反省中。
後で自戒も含め、孫策達にも話が有るだろう。
疫病対策で忙しい中ではあるが。
それはそれ、これはこれだ。
今も尚、“孫呉”への審査と評価は継続中。
俺達も手は抜きはしない。
──とは言え、今のは「欲を言えば…」の話だ。
別段、大きな減点要因ではない。
そんな事を考えながらも作業は止まりはしない。
今更、この程度の雑念が有ろうと仕事に影響が出る様な生温い環境に身を置いてはいない。
何しろ、自分が示し、教えた事だからな。
それを実践している妻や皆が居るのに、その自分がサボったり、手を抜いたりは出来無い。
まあ、最初から遣るつもりは無いんだが。
孫策の反応を見たから、そんな事を考えただけ。
特に深い意味も理由も無い。
「孫策、小野寺、各々が回ってきた船の様子は?
発症者が出ている様子は有ったか?
ああ、話し方は無理に丁寧にしなくていい
普段通りで構わないからな
その方が見たままの印象が伝わる」
「判りました
俺の方は特には疑わしい体調不良を訴えていたり、それらしい様子の人は居ませんでした」
「此方も同じね、居ても二日酔いなだけよ」
「そうか…賈駆達の方も同様だった事から見ても、やはり発症者は彼等が最初と見るべきか…」
「でも、此処には入って来た可能性が高いのよね?
それだったら他の場所で出てるんじゃない?」
「雪蓮、その可能性は低いと思うよ」
「どうして?」
「以前なら兎も角、今の孫家が治める領内だったら今回みたいな事が起きてれば直ぐに報せが届くよ
確かに一部の場合、外見的な特異点が見当たらない亡くなり方をするから突然死や変死扱いさるても可笑しくはないんだけど…
普通に考えても確率的には発芽病の発症者全員が、そうなるとは考え難いからね」
「……確かに、そう考えるとそうよね
発芽病の発症者が目立たない筈無いもの」
「そういう意味でも発症者はだ
ただ、発症していない保菌者は多い
それだけに数字だけで見てしまうと足下を掬われ、備えられる物も備えられなくなる
疫病対策の一番の怖さは人間の勝手な思い込みだ」
俺が説明する手間を省く様に小野寺が孫策達に説明してくれたので、最後に一言だけ言っておく。
その言葉を噛み締める様に、孫策達は黙る。
──が、それは真剣に向き合い、事態を軽んじない様に自身を戒めようとする意識から。
だから、その沈黙は良い傾向だと言える。
それはそれとして、疫病対策は簡単ではない。
そして、絶対も有り得無い事だ。
事実、未知の疫病に対して情報も対処法も持たない人類に正しい対策が出来る訳が無い。
出来る事は、基本的且つ根本的な感染症対策と。
後は、似た過去の事例の治療薬等を試す程度で。
本当に的確・適切な事は出来無い。
未知の疫病に対するなら、時間は必要不可欠。
それを理解出来無ければ、無駄に長引くだけ。
疫病対策は、先ず知る事から漸く始まる。
そんな事を話ながらも竹簡に目を通し、集められた情報を精査・分析する手は止まらない。
直近の二週間に絞っているとは言え、入港している船の数は決して少なくはない。
特に、孫策の治める領域は陸路よりも海路・水路が主要な運輸方法だからだ。
小野寺は勿論、孫策達も力を入れている。
だから多い日には船の大中小を問わず、一日百隻が入出港を繰り返す事は珍しくもない。
ただまあ、こうして調べれば判る程度には入出港を管理し、記録されている事は高評価だな。
これが小野寺の発案だったとしても。
耳を傾け、必要性を理解して実施している。
それは孫策達の功績でも有るのだから。
──と、全ての記録を見終えたので、一息吐く。
そして、ピックアップしていた竹簡に目を向ける。
勿論、それだけで判る訳ではない。
先ずは孫家の関係者達から得た情報を組み合わせ、怪しい箇所を浮き彫りにする。
其処から経験による引っ掛かりを探す。
(………ん?、これは………確か、此方にも……)
一旦退けていた竹簡の山から幾つかを取り出す。
それらを開き、照らし合わせる様に確認して。
其処から一つの可能性を見出だす。
必要な物だけを手元に置き、残りは予備の袋へ。
残っていた御茶を飲み干し、席を立つ。
「今から幾つかの船の船員達の診察を行う
急な話で悪いが…孫策、直ぐに話を通してくれ」
「判ったわ」
茶屋を出て指定した船へと向かい、話を通す。
最初の船の診察を行っている間に二つ目、三つ目の船にも話を通し、準備をさせておく。
こういう時、武勇伝で名を広めていると楽だ。
仁徳が悪い訳ではないが、強制力が弱くなる。
日本の“民主性”は世界的にも珍しい気質だ。
しかし、それ故に政治的な強権を行使し難い。
それは普段ならば良い事なのだが。
事、疫病対策の様な事態には後手後手に回り易い。
只でさえ未知の疫病に対しては後手になるのに。
政治的にも後手に回る事は悪手でしかない。
国民の反感や不満が強まろうとも。
いざという時には、施政者達は責任を持って強権を行使して動く必要性が有る。
それが日本では国の性質上、難しい事だった。
──とは言え、独裁的な強権は間違いで。
その辺りの調整というのは実に繊細で至難な事。
ただ、日本の場合、使うべき時に強権を行使出来る施政者の覚悟さえ有れば、国民性は良い方向に働き世界でも屈指の連動性能を持っているのだが。
当の施政者達が理解しておらず、判断も鈍い。
抑、彼方等此方等に世界的な遅れを抱えている為、どうしても思考も行動も決断力に欠ける。
それは「残念だ」と言うしかない。
まあ、今となっては俺達には異世界の話だが。
目を付けた船の船員達の診察を終え、その結果等を纏めた竹簡と運航・勤務の記録を写した竹簡を並べ照らし合わせながら見る。
茶屋には迷惑だろうが、我慢して貰いたい所だ。
そして、小さいが、前進する為の確信を得る。
「これを見てくれ」
「………これは?」
「右が先程まで診察して回っていた船の運航記録で左が孫家の保菌者の一覧になる
その中で、此処と、此処と…此処だ」
竹簡を見せながら注目点を指し、三日──今日から五日前・八日前・十三日前を取り上げる。
こうして見比べると孫家内の保菌者の行動範囲と、船の運航記録が重なり合っているのが判る。
その事に気付いた孫策達は驚き、顔を見合せた。
「発芽病の拡散に船の運航が関わっている可能性は高いと見て間違い無い
それに加えて人から人への感染が殆んど無い以上、次に調べるべきなのは積み荷だ
其処で呂蒙と周泰は積み荷の内容の確認と、一部の積み荷の追跡調査を行って貰いたい」
「…一部の…っ!、という事は発生源が?!」
「いや、残念ながら、まだ確信は無い
ただ、積み荷から食材は除外して考えればいい」
「食材?……そうか!、感染経路に食材が絡むなら集団食中毒みたいに発症者は爆発的に増える筈…
そうは為っていない以上、食材は無関係な可能性が高いと考えても良いんですね」
「経口摂取が感染理由から外れるなら、空気感染の可能性も大きく下がる
勿論、消去するのは早計だが…
それでも、その可能性は朗報と言えるだろう」
「そうですね、急激な感染の拡大は起きそうにないですから…勿論、油断は出来ませんが」
「ああ、それでいい…それでだ
運航記録から見て旧・荊州方面が怪しい」
「荊州、ですか…」
「海路になる交州との往き来が流入した原因なら、沿岸部からの報告が来ている筈だ
近隣ではなく交州が発生源の可能性が高くなる為、発症者も既に出て居るのが自然だろう
それが無いなら、可能性は低くなる
南部域では物資の運搬は船が大半だからな」
「確かに…そうなると東部と南部は薄いですか?」
「何方等も感染するなら此処からだろう
現に、孫家内の保菌者には東側・南部方面の仕事に関わっている者が圧倒的に少ないからな」
「それなら数を減らすか禁止した方が良いわね」
「その前に積み荷の追跡調査だ
陸路でも流入する可能性は有るからな」
「そうね、亞莎、明命、御願いね」
「「はいっ!」」
「呂蒙、これを子璋に渡しておいてくれ」
「判りました」
葉香と凪への指示を書いた手紙と、今は不要な袋に詰めた竹簡を呂蒙に手渡す。
資料としては大事な物なので保管は必須。
孫策達が居なければ、“影”に収納するのだが。
まあ、それは流石に見せられないからな。
「他は一緒に直ぐに船で移動だ
俺達だけだからな、船は小さくて構わない
必要な物が有れば現地調達でいい
今は時間との勝負だからな
賈駆、直ぐに手配出来るか?」
「はい、御任せ下さい」
「よし、それなら直ぐに動こう」
そう言うと賈駆は船の調達に。
呂蒙と周泰は積み荷の追跡調査に向かう。
…俺達は賈駆の報せを待つだけだが。
──と、小野寺が躊躇い勝ちに訊ねてくる。
「……あの…向かうのは西側になりますよね?」
「ああ…まあ、疑うなとは言わない
ただ、アレ等の関与の可能性は低いな
少なくとも、そんな真似を遣れば自爆する」
「──っ……まあ、そうなるでしょうね…」
「だが、上流域の方が怪しいのも事実だ
ただ、水が感染経路という可能性は低い」
「水が媒介しているなら、この程度じゃ済みませんでしょうしね…」
「だからこそ、調査して一つ一つ可能性を潰す
地道だが、それが最も確実な方法だ
こういう時、焦って考えるべき軸を見失う事の方が後々に悪影響を生じさせるからな」
そう言いながら、一息吐く為に注文をする。
疲れた時には甘味だ。
気分転換にも為るからな。