刻綴三國史 23
今日は南部の名氏である陸家の出の葉香を待機させ俺達は街に出て調査を開始する。
──とは言え、先ずは孫家の重臣達の診察から。
その結果に関して言えば、予想の範疇だった。
「軍師・文官からは殆んどと言って感染者が出ず、軍将と武官、兵士の一部からは保菌者が、か…」
流琉が纏めてくれていた統計表──孫策達にとって御手本となる遣り方──を見ながら呟く。
小野寺と話していた通り、では有るのだが。
正直に言って、その偏りは好ましくはない。
保菌者の総数は九十七人。
だが、検査対象は三千人を越えている。
兵士等は全体の一部でしかないのだから。
それなのに、この時点で約3%の保菌率だ。
数字だけを見れば低いと思うかもしれない。
しかし、分母が増えれば、同じ割合でも数は増え、その桁も当然、違ってくる。
千人の3%と、百万人の3%とでは、の様にだ。
肉体的に鍛えられ、健康管理に対する意識も高い。
そんな孫策達の中での3%だ。
これを一般人の域にまで引き下げたとすれば…な。
少なくとも、無責任に「少ない」とは言えない。
そういう数字だったりする。
統計表を置き、個別に聴取した直近二週間の行動に関する内容を纏めた竹簡を取り、目を通す。
圧倒的に多いのが“巡回”となるのは仕方が無い。
軍将・武官・兵士の一番多い仕事なのだから。
問題は、その巡回をしている場所。
──なんだが…得られた情報だけでは特定するには至らなかったのが現実だ。
「確かに保菌者に共通した場所は有るが…」
「はい、其処には他の皆さんも往き来していますし日時という括りで見れば、ズレていますから…」
「感染源──汚染地ではないだろうな」
普通の疫病で考えれば、拡大する原因となる場所が少なからず一ヶ所は存在する。
勿論、感染源──病原自体が移動するなら別だが。
多くの疫病は、人から人へと感染する為に拡大し、その被害を増し、或いは変異を引き起こし厄介に。
そうさせない為にも、汚染地を特定し、封鎖・隔離するという事が最も単純で効果的となる。
つまりだ、人から人への感染が拡大する最大の要因ならば、極論、“人を動かさない”事が重要。
但し、これは軟禁・監禁とは違う。
村や町、或いは都市や地域という単位で行う事。
その封鎖・隔離の区域内では生活は自由。
要は、其処から出さない、其処には入らない。
人々の出入りを完全に遮断する事で、外に拡大する可能性を潰してしまう訳だ。
実際、曹魏では、その方法を初動対処方法として、しっかりと効果を出している。
質の悪いインフルエンザの様な流行り病にも十分に効果が期待出来るし、死亡率は圧倒的に下がった。
これは何も氣を使えるから、という訳ではない。
感染者を最小限・最小規模に抑える事で、患者への十分な治療や援助を可能にしているからだ。
感染者数が少なければ少ない程、患者一人に対する必要経費が高くても問題に為らない。
しかし、感染者数が増加すれば、患者一人に対する必要経費は高い状態を維持する事は不可能。
必ず、切り捨ての必要が生じる。
そういった状況になる前に、封鎖・隔離を行う事で感染の拡大を阻み、局所的な問題に留める。
目先の事だけではなく、中・長期的になる可能性を考慮したなら、これが最も費用対効果が良い。
だから、推奨し、実施している訳なんだが。
それは、汚染地が判ればの話。
其処を特定出来無ければ、封鎖・隔離は出来無い。
つまり、根本的に役に立たない。
──とは言え、それは普通の場合の話だ。
今回の“発芽病”は、人を感染媒体にしない。
つまり、人々の往来自体、規制をしても無駄。
ただ、その往来が運ぶ可能性は有る。
その為の、曹魏との往来の停止措置。
人から人には感染せずとも、決して、人々が要因に無関係という訳ではないからな。
その辺りを説明し、規制するのが国や施政者の務めだとすれば、理解し、厳守するのが民の務め。
何方等かだけでは不十分で、必ず穴が生じる。
両者が己の務めを果たしてこそ。
疫病との戦いに勝利する事が可能となる。
まあ、そういう意識を持てるか否かが一番の問題。
誰しもが、自分勝手になり易い状況。
それだけに、急な意識付けは難しい。
如何に、常日頃から意識して備えられるか。
事、疫病との戦いとは、感染者の有無に関わらず、常に意識し、継続し、改善されなければ無意味。
多くの疫病対策は後手であり、その場凌ぎ。
そんな薄っぺらな遣り方など、疫病は嘲笑う。
それを理解する所から、戦いは始まるのだから。
──とまあ、そんな訳でだ。
発芽病の病原を突き止めたいんだが──手詰まり。
少なくとも手元に有る情報からの絞り込みは至難。
せめて、もう少し有益な情報が欲しい所だな。
……ん?、待てよ、これは………。
「…流琉、孫策達を連れて出掛けるぞ」
「何か必要ですか?」
「聞き取りをするから書き留める用意を頼む」
「判りました」
机の上に広げた資料を手早く片付け、部屋を出る。
向かう先は言った通り、孫策達の居る場所。
氣で探せば孫策の執務室に居るのが判る。
一緒に居るのは小野寺に賈駆に……周泰と呂蒙か。
面子としては丁度良いな。
真っ直ぐに目指し、部屋の扉をノック。
孫策の返事を待ってから、扉を開ける。
「これから出掛けるが、都合の悪い者は?」
特に説明も無く、是非のみを訊ねる。
客観的に見れば、横暴にも思えるだろう。
だが、現実的な事を言えば、問答無用で同行させる訳ではないのだから、拒否権は有る。
ただ、言外に「急ぎの仕事や用事が無いなら黙って俺に付き合え」と言っているのも同然。
それを理解しているから孫策は小野寺達を一瞥し、確認をしてから、同行を了承した。
用意する物は流琉に頼んだ物だけなので、孫策達を連れて城を出た。
普段なら「何処に行くのよ?」等と。
歩きながらでも訊ねてくるだろう孫策も今は静かに俺に付いて来ている。
並びとしては俺の右隣に孫策、流琉が左。
後ろに小野寺達が並んで続く。
特に会話も無いが、雰囲気が悪い訳ではない。
単純に喋る労力と時間が惜しいからだ。
そして、特に問題も無く、目的地へと到着する。
すると、孫策が少し訝しむ様に見て、訊いてくる。
「港?…何方等に向かわれるのでしょうか?」
「いや、此処が目的地だ」
「え?」
「往来を禁止・規制はしたが、人から人への感染の可能性は無いに等しいのが現実だ
しかし、それでも、そうする必要が有る
それは人ではなく、人々の往来自体が原因となり、感染を拡大させる可能性が有るからだ」
「──っ!、船の積み荷ですかっ…」
小野寺は直ぐに俺が言いたい事を理解し息を飲み、顔を強張らせた。
まあ、基本的な知識の有無が主因だが。
俺達の会話で賈駆も察しが付いたらしく、普段より眉間の皺が倍は深く、高くなっている。
まあ、そうなるのも無理も無い話だ。
眼には見えない病原菌を取り締まる事は至難。
加えて、時代的にも細菌に関する知識は拙い。
まだまだ民間レベルで理解出来る水準ではない。
だから、取り締まったりする事は頭を抱える話で。
更には、それが余計な火種を生み兼ねない。
其処まで想像してしまえば、賈駆の反応は当然。
それ程に施政者としては厄介な話なのだから。
「先ずは手分けをして今現在、港に有る全ての船の直近二週間の入港を調べてくれ」
「…?…入港だけを、ですか?」
「此処から他に広がっているなら、孫家の関係者や住民達の間にも保菌者・発症者は多数出る筈だ
しかし、まだ現実的には調査対象が一部とは言え、割合自体は想定していたよりも下回った…
それは此処には入って来た事を示している」
『────っっ!!!!』
「陸路による感染なら、数字が桁違いになる
そうなっていない以上、感染は局所的に起きている
そう考えると、船による移動の可能性が最も高い
仮に、ハズレだったとしても可能性を一つ潰せる
それだけでも、確かな前進になるからな
俺達は此処で待つ、騒ぎ立てず、且つ迅速に頼む」
「はい、判りました」
孫策の返事を受け、流琉が五人に用意していた物を手渡し、小野寺達は停泊する船に向かって散開。
俺は流琉と近くに有った茶屋に入る。
席に付き、適当に注目をして待っていると。
対面に座る流琉が気不味そうな非情をしている。
「…あの、良いんですか?」と言う様に。
居心地が悪そうにしている。
そうなるのも流琉の性格を考えれば、当然か。
「裏では協力できても、表立っては動けない
結局の所、俺達は部外者だからな」
「…はい、判っています」
「別に聴き込みが面倒臭いから、という訳じゃない
態々孫策達を連れて来て遣らせている事もだ
孫策達に話して、命じられた武官・文官、兵士達が聴き込みをしたとして…
正直に全てを話すと思うか?」
「それは………絶対にとは言えません…」
「ああ、少なからず疚しい事は有るだろう
ただ、そんな物は何処にでも有る話だ
今回は此方等に摘発しようとする意思が無かろうとも彼方等は不都合・不利益なら誤魔化す
特に商人というのは利害に敏感だからな」
「そうですね…」
彼等が、そういった情報を自分から話しはしない。
また、そう疑念を懐かせる様な情報もだ。
「だが、孫策達が自ら聴き込みをすれば違う
何故なら、嘘を言ったり隠していると判ったなら、彼等の未来は潰える
商売云々と言っていられる状況ではなくなるからな
何処かに逃げでもしない限りは終わりだ」
「それに加えて、孫策殿達が自ら動いている…
その事実は間違い無く民の間に広まる筈ですから、支持する声は高まりますね」
「ああ、そういう事だ」
意図を理解した流琉の言葉に口角を上げる。
結果的に言えば、施政者としての判断は正しい。
そういう評価を孫策達が得る事は間違い無い。
しかし、施政者──政治家の具体的な行動は民には見え難く、理解もし難かったりするもの。
その為、普通に遣れば、評価も普通に終わる。
だが、こうして自らが聴き込みしたなら。
その事実は確実に民の間に広まる。
それは事後、孫策達の評価を上げる事に繋がる。
何しろ、疫病が拡大する可能性が有る中、率先して事態の終息に向けて行動しているんだからな。
その姿を見て、批難する馬鹿な民は居ない。
加えて、その姿を見せる事で、民が孫策達の言葉を信頼し、施策を実行した際に協力的に従い易くなるという副次効果も出てくる。
序でに言うと、聴き込みの際に圧力を掛ける意図も有ったりするからな。
「嘘を言ったり隠したりはしてないわよね?」と。
孫策達が訊ねるというだけで、言外に力を持つ。
そうする事で、欲しい情報を得易くもなる訳だ。
だから、俺達は孫策達を待っている事が役割。
決して、面倒でサボっている訳ではない。
サボりを正当化している訳でもない。
「問題は、どの程度まで拡散しているか、だな」
「…現時点では、どの様に?」
「…正直に言って、見当が付かないな
如何せん、今回の件では情報が少な過ぎる
…ただ、発症者自体が、彼等が最初だとするなら、まだ拡散し始めたばかり、とも考えられる」
「新種なのは間違い無い訳ですしね」
「ああ…それから、もう一つ
これは致死率は高いが、発症率は低い
だから、蝨潰しでも保菌者が多い場所を特定すれば発生源・病原体に辿り着ける可能性は高い
そう考えると、まだ毒性は低い訳だが…
変異すれば、それも過去の話になる
そうなる前に、ある程度は絞り込みたい」
「その為にも情報収集が大事ですね…
有益な情報を得られると良いんですけど…」
「そうだな」
有益なだけが情報の価値ではない。
情報は事実で、どう読み取るか、結び付けるか。
その扱いが肝要だからな。