刻綴三國史 22
──九月二十三日。
平穏な訪問外交から急転直下の滞在延期となって、大騒ぎに発展する事も無く、一夜が明けた。
緊急事態という事で、凪には自重無しで単独帰還し華琳への書状を届け、返事を持って来て貰った。
俺達は驚きはしないが、江水を走って渡る。
それを目の当たりにすれば、騒付きもしますか。
尤も、孫策達からすれば、「まあ、それ位は…」と納得出来る範疇の事だろうが。
一般人からしてみれば、十分に驚愕に値する。
だからまあ、仕方が無いと言える。
さて、そんな与太話は兎も角として。
意識の回復した患者達から聞き取りを行った。
──とは言え、彼等からすれば、目が覚めてみたら疫病により死に掛けていたという事実を知らされ、ただただ不安で仕方の無い事だろう。
ただ、気遣い、配慮して遣れないのも現実。
待って遣れるだけの余裕は無い。
疫病との戦いは、時間の使い方が重要だからな。
それでも子供が二人居る為、其処には配慮する。
──と言うよりは、先ずは其処から始める。
極端な話、子供達を落ち着かせて遣れば、他の者に客観視する形で気持ちの整理を促せる。
「子供達が頑張ってるんだ、大人なら…」と。
そういった意識を持たせれば、時間の節約。
無駄を省く為にも、視野を広く持つ事は大事だ。
「………これは手古摺るかもしれないな…」
聞き取りを終えた患者達には用意をしていた食事を揃って食べて貰いながら、孫策に相手をさせる。
適材適所、こういう時は彼女の人柄が活躍する。
それは兎に角、聞き取りした内容を書き留めていた竹簡を見ながら、小さく溜め息を吐く。
はっきり言って、見事に共通点が無い。
──いや、共通点としては全員が孫呉の民。
それ以外には無い、というだけの話だが。
「……そう簡単に原因は判りませんか…」
「まあ、それは初見の病なら当然の事だがな
今は絞り込みが出来無いのが痛い…
せめて、何か一つは手掛かりが欲しい所だ」
そう神妙な面持ちをしている小野寺に返す。
孫家側の代表者──対策本部の責任者といった役は知識的な意味での理解力も含め、小野寺に決定。
これに関しては一切の異議・反対は認めない。
そんな事を話し合うのは時間の無駄だからだ。
尚、孫策達への説明は小野寺に任せる。
当面は孫策に対して、だがな。
一々説明するのは面倒だから丸投げ。
頑張ってくれ。
まあ、それはそれとしてだ。
小野寺に言った通り、手掛かりが無いのが痛い。
彼方等なら、渡航歴等が有るが。
少なくとも、今の孫呉には存在していない。
曹魏に入出国の管理をしているから違うが。
それでも、それは国内に限った話。
一歩、国外に出てしまえば、全ては自己責任。
加えて、曹魏の民ではない以上、強要は出来無い。
まあ、強要しても無駄だろうからな。
「……あの…この疫病は、感染病なんですよね?」
「ああ、七人の体内から同じウイルスが出た
──とは言え、完全には一致はしていないが」
「…え?、あの、それって……っ…複数の型が?」
「それは否定が出来無いな
ただ、それは、そういう性質だからだろう」
「………えっと……つまり?」
「このウイルスは体内に入ってから変異する」
「──っ!?」
小野寺が驚くのも無理は無い。
“ウイルスの変異”というのは珍しくはない。
インフルエンザ・ウイルス等は、その代表格。
だからこそ、所謂“特効薬”が造られない。
不治とされていた病の治療方法が確立されても。
どんなに医学が発達しようとも。
変異するウイルスへの対処方法は終わらない戦い。
“鼬ごっこ”みたいなものだ。
ただ、だからこそ、常に最悪を想定し、備える事が疫病対策の基本であり、最も有効な防衛手段。
しかし、それでも変異を止める事は不可能。
世界から、あらゆる菌を一掃しでもしない限りは。
まあ、それを実現したら人間も動植物も死に絶え、文字通りの“滅菌”に為るだろう。
何故なら、生物は全て、菌と共に生きるのだから。
──といった話は置いとくとして。
ウイルスの変異自体は珍しくはない。
──が、体内に入ると必ず変異する。
そんな性質のウイルスというのは…極めて稀だ。
だから、小野寺は驚いている。
勿論、その性質を知った時には俺も驚いたからな。
「このウイルス──便宜上、“発芽病”と呼ぶが…
発芽病の特筆すべき性質は環境適合だ
種となる病原菌は無害な物だ
だが、苗床となった生物の状態により、その変異の仕方が様々に枝分かれする
──とは言え、100%悪性化する訳ではない
現に、御前や孫策の体内に有るウイルスは無害だ」
「──っ!!」
「安心しろ、それは二次感染ではない
飽く迄も、御前達も保菌している、というだけだ」
「……ですが、それが変異する可能性は?」
「その可能性は先ずは無いだろう
勿論、「絶対に無い」とは言わない
だが、そうなるには余程の起因が必要になる
御前達自身の体質を根幹から変える様な事がだ」
「…そうですか」
安堵した様に一息吐く小野寺。
ただ、実際には安堵するのは早い。
その可能性が最も有るのが──妊娠だ。
俗に「酸っぱい物が欲しくなる」等と言う様に。
妊娠した女性の身体は、性質が変化する代表例。
それ程に、妊娠状態というのは不安定になる。
だから、もしも孫策達が妊娠すれば。
保菌していても、発症する可能性は有る。
──とは言え、今は言わない。
言った所で、どうしようもないからだ。
それよりは、不特定多数の妊娠する女性達が、今後発症する可能性に備えるべきだろう。
尚、言い換えれば、男の方が発症率は低い訳だ。
一度保菌し、発症しなければ、先ず発症しない。
男は妊娠したりはしないからな。
「孫策が選抜した兵士十人の内、三人からも同様に見付かったが、他の者達の体内には見られなかった
その事から、この病原菌は既に南部域で広く拡散、保菌者は人口の三割は居ると見るべきだろう」
「──っ、そんなにも、ですか…」
「飽く迄も可能性の話だ
だが、少なく見積もるよりは多く見積もれ
疫病対策に置いては、軽んじる事が一番危険だ
だから、想定するなら悪い程が良い」
「…そうですね、油断は致命的ですから」
「ああ、疫病は戦争よりも容易く死者を増やす
戦争と違い、対処出来無ければ、防げないからな
だからこそ、“細菌兵器”という概念が生まれた
人類にとっての最大の敵とは病原菌だからだ」
歴史を繙けば、疫病が猛威を振るった事は世界中に多くの歴死として刻まれている。
それを乗り越え、人類は生き抜き、繋いできた。
それが医学や薬学、化学や科学の発展を促し。
人類は生物その物の構造に切り込む。
そういった全てが、数多の死を礎として。
多くの命を救っている。
その事を忘れてはならない。
忘れてしまえば、人類は自らの手で滅びるのみ。
それこそ、細菌兵器の様な物によってだ。
尤も、今の俺達には無関係な話だが。
未来の為には、必要な考えではあるだろう。
「肝心な事──如何にして発芽病の病原菌が人々の体内に入ったのか、それは解らない
ただ、保菌者により、型が違う
その事から考えても、発症率は高くはないだろう
油断は出来無いがな」
「飽く迄も数字の上での話、ですからね…」
「ああ…一方で、発症者の致死率は高い
あの七人は俺が居たから助かっただけだ
そうでなければ、御前達が見た通り、絶命していた
病原菌自体が原因、と言うよりは出血死でな」
「──っ!?、それでは、あの吐血は…」
「胃潰瘍や静脈瘤の破裂、といった病に近いな
悪性化した病原菌により、自己破壊が起きる
その結果、体内で出血が起きている
あの七人は偶々吐血という形だったが…
脳内出血や手足の血管の破裂、腸内出血…
はっきり言って、何処で起きるかも判らない
文字通り、人各々、千差万別だ」
「…っ……何とも厄介な疫病ですね…」
そう、発症者の生存率は極めて低くなる。
それはつまり、社会的な恐怖心を掻き立てる。
戦争の様に目に見える原因ではないから尚更にだ。
行き場の無い、遣り場の無い、置き場の無い。
どうしようもない、恐怖心と不安感。
その矛先が何処に向けられるのか。
俺や小野寺は歴史を、社会を見て、知っている。
弱い所か、責任を負う所だ。
一度、そうなってしまえば、秩序は崩壊する。
たった一人でも踏み止まる事が出来無ければ。
一粒の欠けで崩れ落ちる砂上の城の如く。
限界を超えた人々の感情は伝播し、狂乱し、暴発。
その先は言わずとも想像に難くないだろう。
「そんなに馬鹿じゃない」と笑う人々。
だが、“自由”を履き違え、勘違いした者程。
そうなる可能性が高く、意外な程に自己が脆い。
そして、軽んじる人々こそが、その筆頭。
流され、踊らされ、壊れ去る。
そうなりたくはないなら、己を戒めよ。
自らを律せぬ者が、他者を害するのだから。
「…まあ、現時点での情報の公開は無しだ
但し、既に知られている七人が命に別状は無い事、人から人に感染する可能性は殆んど無い事
この二つは賈駆達に発表させる様に指示しろ
“何も判らない”状態は要らぬ憶測を生み易い
それによる混乱は収拾が付かなくなる
曹魏に渡る事は不可能だが…
それだけに、逃げ場は限られる
そんな展開は御前達の望む所ではないだろう?」
「…はい、それは確かに困りますね」
俺が言いたい事を正しく理解し、小野寺は苦笑。
何を想像したのかは──言うまでも無いだろう。
そうなったら、なったで遣り様は幾らでも有る。
しかし、孫呉の人口の減少は避けられない。
人口の減少は短期間で起きる。
けれど、人口の増加には長期間が必要。
出生率や新生児の数が増加しようとも。
その全てが無事に育ち、成人する訳ではない。
貧困・疫病・戦争は確実に命を蝕む。
それも、幼い命をだ。
だから、人口の増加には様々な条件が伴う。
農作や畜産の様には簡単には行かない。
そして、人口の減少は国力の低下に直結する。
ロボットが居たり、魔法によるゴーレムが有るなら人類が減っても問題無いだろうが。
そういう意味でも、人口の減少は大問題。
避けられるなら避けるべき事である。
「…ですが、この状況では進展の可能性は…」
「そうだな…正直、あまり期待は出来無い
ただ、保菌者と非発症者が多いと考えれば、此処で病原菌の研究をするよりかは、フィールドワークに移行した方が進展の可能性は高まるだろう」
「…確かに、そうかもしれませんね」
「勿論、彼等への心理的な配慮は必要だ
だから、飽く迄も此処を拠点にして活動する
その上で、先ずは孫家の重臣達から確認する
役職や勤務地により保菌者の数に差や偏りが有れば多少なりとも絞り込む判断材料に出来る
後は発症者が出た場合に備えて巡回の強化だ」
「発症者が出た場合には?」
「先ずは此処に運び込め
出血を抑える為の薬なら直ぐに用意が出来る
それを配布し常備させれば生存率は上がる
加えて、文謙達の内、必ず一人を此処に残す
あの三人なら処置方法は直ぐに覚えられるからな
俺の留守中でも死亡する事は無い
──が、それは全て“生きていれば”の話だ
発見時に亡くなっていたり、発症した結果、二次的要因で別の死因が重なれば当然、数が増える
その辺りは正確に把握・分別し、管理しろ」
「数字は本当でも、事実は異なる、ですね」
「迫害や差別を生み、激化させ易いからな
情報の管理と統制は御前達の仕事だ」
「はい、判りました」
しっかりと頷く小野寺に、俺も頷き返す。
それは一歩ずつかもしれない。
もどかしいかもしれない。
だが、確実に進むなら、それで良い。




