刻綴三國史 18
馬岱side──
朝が来て、布団から出るのが億劫になる。
そんな事、誰にだって経験が有る事だと思う。
冬の寒さに負けて外に出たくなくて。
夏の暑さに眠れず、怠くて気力が足らなくて。
春の心地好さに微睡み続けて居たくて。
秋の人恋しい寂しさに心が怯えて逃げたくて。
──なんて、理由も有るには有るんだろうけど。
正直、今日だけは全く違う意味で眠っていたい。
──と言うか、何かしら病気に為らないかな?。
数日で治る都合が良い病気が嬉しいんだけど。
………まあ、そんな事、有る訳無くて。
自分の普通に健康な身体が恨めしく思える。
勿論、健康な事で悩むだなんて罰当たり。
贅沢過ぎる事なんだけどね。
人間、誰しも、そんな風に考えてしまう事なんて、珍しくもない訳だから。
「仕方が無い事でしょ?」って言いたい。
そんな風に寝起きから悩んでしまう理由。
それは今日、曹純様との会談が有るから。
しかも、二人っきりで。
それはまあ?、別に口説かれたりする様な状況には為らないとは思うんだけどね~。
でもでも、可能性が無い訳じゃない訳で。
そう為る事を考えると、色々と悩む訳ですよ。
「んーーー……んん~~~~~……んんんん……」
寝台の上に下着と服を並べ、腕を組んで見下ろす。
流石に素っ裸で、という事は無いけどね。
それでも、薄手の夜着一枚だけ。
下着は着けていません。
だって、南部って本当に暑いし。
西涼と比べたら冬が無い様なものだもん。
だから、気付いたら下着を付けずに寝るのが普通に為ってても可笑しくないと思うんだよね~。
──って事は、どうだっていいんだけど。
曹純様とそういう雰囲気に為ったら…って。
考えたら、準備だけはして置かないとね~。
あっ、勿論、可能性の話だからね?。
飽く迄も、そう為った場合に後悔しない為だから。
別に自分から積極的に行こうとは思ってないよ?。
…………それはまあ…興味が無い訳じゃないけど。
流石に興味が有るだけで迫るには……ねぇ~…。
結婚相手なら最上級には間違い無いんだけど。
興味本意で近付いたら火傷じゃ済みませんし。
何より──曹操様が怖いですからね。
自殺願望は無いんで、命を大事にします。
──とまあ、そんな感じで悩んでるんだけど~。
彼是と考えて「どうしよっかなぁ…」と悩んでても全然決められないんだよね~。
別に優柔不断じゃないんだけど。
悩む時は悩むだけ。
──と言うか、これ、普通に悩む問題だもん。
「…………………お姉様なら、どうするかなぁ…」
ふと思い浮かんだのは今は離れている従姉の姿。
曹魏に居て、軍将で、馬一族の御姫様。
そんな人が曹純様みたいな人の傍に居て。
一族の復興を目指す立場でも有るなら。
どんなに鈍くても惹かれない理由が思い付かない。
しかも、雪蓮様達の姉妹である孫権さんを含めて、曹純様は奥さんが複数居るみたいだから。
お姉様が奥さんの一人に成っている可能性は有ると思うんだよね~。
黙ってれば、お姉様も男性に人気が有るんだし。
………あー…でも、お姉様が御洒落に気を使ってる所なんて殆んど記憶に無いんだよね~…。
うん、止め止め、お姉様は参考に為らない、と。
「馬鹿にすんなよ!、蒲公英っ!」って。
お姉様が怒鳴ってる様子は容易く思い浮かぶのに。
本当、お姉様ってば残念な青春を送ってるよね。
…まあ、今は人生の勝ち組なんだろうけど。
「……うんっ、悩んでても仕方無いしね!
下着はコレとコレで、衣装は────」
お姉様じゃないけど…少しだけ見倣って。
彼是考えるのは止めにして、自分の直感を信じる。
何にしても、あんまり時間も無いしね~。
──で、あっと言う間に曹純様との会談の時間に。
もし今、誰かに「緊張してない?」って訊かれたら絶対に「緊張しない方が頭が可笑しい」って言う。
──って言うか、よくよく考えたら曹純様とって、しっかり話すのは初めてだよね?。
自己紹介と挨拶程度はしてるけど。
ちょっとした軽い雑談とかもした記憶が無い。
寧ろ、「何でしなかったかな~っ…」って後悔。
それだけでも緊張のし具合や話し方も変わるしね。
事前に少しでも情報や関係が有れば違うし。
抑、祐哉さんから「曹純さんから蒲公英と一対一で話したいって要望が有るから」って言われた時点で準備して置くべきだったんだよね~…。
お姉様が曹魏に居るって判った時点で、私も自分の将来的な立場や立ち位置を考えるべきだったし。
馬一族の復興とかを考えれば当然な訳だし。
其処に思い到ってれば、曹純様が私と対面する理由自体も十分に想像出来たんだからさ~…。
…もうね、今更なんだけどねぇ…本当に…。
何で、気付かなかったかなぁ…。
………まあ、面倒臭いし、考えたくない事だから、なんだろうけどね、きっと。
だって、そういう気持ちが無い訳じゃないし。
今の自分や生活──日常に不満は少ないもん。
勿論、不満が無い訳無いし。
普通の人なら、大小問わず不満は有るものだしね。
だから、多少思う事は有っても妥協出来る程度。
そういう意味で、今は決して悪くはない。
──とまあ、自分なりに一区切り付いた所で、扉がノックされ、返事をすると曹純様が入って来られた。
勿論、御一人ではなく、案内役の侍女が一緒にね。
曹純様が椅子に座られ、御茶等を出したら退室。
だって、これは私と一対一の会談なんだもん。
如何に侍女や護衛でも立ち入る事は出来無いし。
──って言うか、そんな度胸有る人は居ないよね。
曹純様を、曹魏を敵に回したくはないから。
「こうして、ゆっくりと話をするのは初めてだな
まあ、孟起と話している様に思ってくれ」
「それは……え~と、流石に無理かな~…と…」
「流石に「全く同じにしろ」とは言わない
御前には御前の価値観や立場等も有る
孟起の様に「その方が楽だから助かる」みたいには出来無いだろうからな」
「あ~……お姉様なら言いそう~…」
曹純様の言葉に、その光景が容易く思い浮かんだ。
お姉様って、そういう所の遠慮や深読みとかせずに素直に「じゃあ、御言葉に甘えて」だよね~。
警戒心が無いって言うか。
子供っぽいって言うか。
…まあ、それが、お姉様の良い所でも有るけどね。
そんな事を考えながら御茶を口にする曹純様に続き私も自分の茶杯を取り、口を潤す。
気付かなかっただけで、緊張して喉や口の中が結構渇いていた事を、染み渡る感覚で知る。
…ちょっとだけ、恥ずかしくなるのは内緒。
「さて、取り敢えず、孟起の事から話すが…
事実上、孟起は俺の妻で、子供も長子が二年後には産まれている予定だ
現時点では妊娠はしていないが、其処は立場等から時期をズラしているからな」
「二年後には、お姉様が母親になってるんだ…」
「想像出来無いか?」
「えっ!?、あ、いや、そんな事は………有るかも」
「此処に孟起が居れば「まだ相手も居ない御前には言われたくない!」とか良いそうだけどな」
「ぅっ…確かに…」
お姉様って基本的には負けず嫌いだし。
揶揄うと物凄くムキになって言ってくるしね。
……まあ、それが面白くて、楽しいから、ついつい揶揄っちゃうんだけど。
調子に乗ってるとキレちゃうから加減が大事。
お姉様に関しては、加減には自信が有るもん。
それが判るみたいで、曹純様は苦笑する。
「昔のままだと思っていたら痛い目を見るぞ?」と忠告してくれている様な眼差し。
それを見て──納得する。
お姉様と私が幾ら従姉妹だからって、今の御互いの立場を考えれば、色々と面倒な事も多い。
だけど、それを取り払う様に気さくな曹純様。
だから、お姉様が惹かれる気持ちが判る。
この人の傍は、とっても居心地が良いんだってね。
それと、お姉様が私を実妹の様に思ってくれている様に曹純様も義妹として見てくれている。
その優しさが擽ったい。
「…うん、そうだよね、お姉様…
お姉様に負けない様に、私も頑張らないとね」
「その意気だ」
「尤も、私より頑張らないといけない人が多いから焦ったりはしないんだけど…」
「そういう事は思っても口には出さない事だな
“女の敵は女”という言葉が有る位だ
何気無い一言が大火事を招く事も有る」
「しっかりと肝に命じて置きます」
そう言って、二人で笑う。
懐かしい雰囲気は、お姉様と話している様で。
だけど、少しだけ違っていて。
それは多分、お義兄様だから。
だから、気付けば無駄な緊張感は消えていて。
公私と立場的な線引きは有るけど。
話し方や態度が自然と砕けているのが判る。
うん、噂以上に凄い人だって改めて思う。
「孟起が馬家を継ぎ、馬一族を再興する
それは既定の事だと思ってくれて構わない
その上で、伯瞻、御前の意志を確認したい
先ず、第一に馬家への帰還、及び、曹魏への帰属の意思は有るのか?」
「……現時点だと、「全く無い」とは言えないのが正直な気持ちです
勿論、孫家への恩も有りますし、直ぐに直ぐって訳では有りませんが、可能性は有ります」
「まあ、その辺りは人として、女として、だしな
現状では、そうなるか…」
「…「馬一族の、馬家の直系としての役目だ」って感じの事は言わないんですね」
「言って欲しいか?」
「いえ、全く、これっ…っぽっちも!」
「…だろうな、それで本当の所、どうなんだ?
馬一族という籠から出られた今は楽しいか?」
「──っ!?」
そう言われた瞬間、心の最奥を見抜かれた気がして思わず身体が強張ってしまった。
もし、茶杯を持っていたら落として溢していた所。
そうなってたら火傷してたかも……………あれ?、それはそれで絶好機だったかも。
結婚まではないにしても、初めての相手になら。
…ううん、駄目駄目、好奇心で言ったら駄目だね。
そうしたら、全部持ってかれちゃうから。
これで良かったって思わないとね。
──という現実逃避は終わりにして。
本当、この人って気を許したら許したで狡い。
ちょっと油断したら、これだもん。
お姉様も大変な人と一緒になっちゃったよね~。
「孟起はああだから、大丈夫だろうが…
御前は違うからな、色々と思う事は有っただろ?」
「え~と………まあ…そう、ですね…うん、そう
「自由に為りたい!」とかって訳じゃないけど…
色々な場所に行ったりしてみたかったって気持ちは有ったから…今は楽しいです」
「今は、それでいい
馬家や馬一族の事は中途半端でさえなければ、俺は忘れても構わないと思うしな」
「…え~と…………それ、言っていいんですか?」
「孟起が居る以上、血筋と馬家は残るし、西涼──涼州も宅の領地だからな
馬一族の復興自体は時間が掛かるが、在るべき形を取り戻す事は現段階でも難しい事じゃない
だから、御前が無理に背負う必要は無い
ただ、だからこそ、中途半端は一番困る
繋ぐ意志が有るのか、或いは繋がりを絶つのか
それだけは明確にして貰いたい
──とは言え、まだ二~三年は考える猶予は有る
早いに越した事は無いが…じっくりと考えろ
それは御前自身が決めなくては為らない意志だ」
そう言って曹純様は笑顔で対面から右手を伸ばし、少し強めに頭を撫でてくる。
亡き伯母様や、両親の温もりを。
幼い頃から、ずっと追い掛け続けるお姉様を。
自然と思い浮かべてしまうのは仕方が無いと思う。
雪蓮様が「曹純ってば絶対に天然の人誑しよ」って愚痴ってたのが判る。
この人は基本的に厳しくて、温かい。
ただ、それが相手の事を考えた上で、促すだけ。
勿論、手助け等はしてくれるんだろうけど。
全ては、自分自身の意志次第。
私自身が決めて、歩み出し、進む為の後押し。
それが判ると──知ってしまうと。
屈してしまったも同然。
心を許すから。
──side out




