刻綴三國史 14
──九月二十一日。
建業の孫家邸への滞在、二日目。
今日の予定だが、朝は軍部の調練を見学する。
通常であれば、秘して然るべき所ではあるが。
孫策達も隠す理由は見当たらないだろう。
何故なら、曹魏の方が圧倒的に強いのだから。
逆なら兎も角、孫家が見られて不利になる要因には成り得ないのが現実だったりする。
当然ながら、俺達は俺達で日課は済ませている。
「近寄ると危ないからね?」と世話役の侍女達には説明をして、遠慮して貰った。
まあ、別に見られても困りはしないのだが。
本当に危ないから、そう言っただけ。
他意は有りません。
そんな訳で、孫家の鍛練場へと遣って来ている。
面子は俺に凪達、孫策・鳳統・張遼の七人。
今は城外の為、例の侍女さん達は居りません。
宅の鍛練場はコロッセオ式の設備なんだが。
孫家の物は草野球で使うグラウンドを木フェンスで仕切った様な作り。
だが、きちんと救護所等が併設されている。
その辺りは小野寺の意見による物だそうで。
出来る事に違いは有れど、考える事は似ている。
まあ、当然と言えば当然かもしれないが。
「ふむ…あれは華雄の部隊か」
「はい、縁有って今は宅の軍将を務めています」
どの部隊の調練を見られるかと期待していたが。
華雄の武を、部隊の姿を見るのは久し振りだ。
華琳が惜しんだ様に、華雄の才器は稀有。
その人柄──特に面倒見の良さや、出自等から来る偏見の無い価値観は、知れば好ましく思える。
だから部下達から慕われているのも納得。
…まあ、一部、違う意味なのも居るみたいだが。
それは兎も角として。
孫尚香に拾われ、結果として一皮剥けたな。
泗水関・虎牢関での彼女よりも深みが増した。
──が、それだけに惜しく思えてしまう。
手元に居ない事が、ではない。
「成る程…元々の華雄の部隊に追加で増員したが、その事が全体の動きに支障を来している様だな」
「──っ!?……はい、御指摘の通りです」
「……少し、御節介をするか」
「…………え?」
そう呟き、俺は華雄達の方へと向かう。
背後で孫策達が戸惑っているのは判るが、無視。
──と言うか、気にする理由が無いからな。
一方、華雄隊の一部が俺に気付き、動きを止めた。
その事で指導に集中していた華雄が俺に振り向く。
流石に予想外だったらしく、驚きを隠せない。
──が、俺は全く気にしません。
「調練中に邪魔をして済まないな
少々気になったもので──」
そう言いながら華雄と隊の中核を成す面子を見て、俺は少しばかり助言を与える。
別に大した内容ではないから、躊躇も無い。
その後、俺は元の場所に戻る。
華雄達は俺の言葉に従い、改めて調練を再開。
すると、暫く見ているだけでも違いが出て来る。
先程までの、ぎこちなかった華雄隊の動きが変化。
いきなり洗練された動き方をしている訳ではない。
しかし、ちぐはぐな、継ぎ接ぎだらけにすら見えた華雄隊全体の動きが明らかに良くなった。
その光景には孫策達も唖然としている。
「……………嘘……」
「華雄の部隊の様に追加で増員すると、当然の様に練度に差が生じるのは必然的な問題だ
だから、同じ様に扱い、指導する訳だが…
実は、その遣り方は効果的とは言えない
張遼や公孫賛、或いは馬岱の様に騎馬を主軸とする軍将の部隊だったら、その方が良いんだがな
華雄の部隊の様な場合、この方が効果的だ」
孫策達の声にしない疑問に答える様に言いながら、続けられる華雄隊の調練を見学する。
助言──提案したのは単純な事。
華雄の部下として長い者と追加増員で班を組ませ、前者が指揮をして、班同士で模擬戦をする。
すると、指揮をする者は華雄の考え方等を知る為、必然的に増員された隊員達は身を以て感じる。
華雄が指揮をすると高度過ぎて齟齬が生じる。
しかし、同じ隊員であり、古参の面子にも増員組と同じ時代は少なからず有った訳で。
その経験が、指導力としての架け橋になる。
言われてみれば、「ああ、成る程」と思う。
その程度の単純な方法だが、意外と実践はされず、古くからの習慣──遣り方に則った調練をする。
そういう場合の方が多いのが実情。
小野寺なら発想出来る可能性は有るだろう。
しかし、小野寺は軍将ではない。
孫家内でも軍師──文官という立ち位置だ。
その為、軍部の調練等には「素人だからな」という遠慮・配慮から口出ししたりはしない。
同時に軍将達も態々、小野寺に訊ねもしない。
それは専任意識が高い事による一種の弊害。
軍将達──軍部だけで解決しようとすると、思考が似たり寄ったりで狭窄傾向に陥り易い。
ただ、軍師や文官に相談し辛いのも現実。
自尊心の問題ではない。
単純に軍師の影響力が強くなると困るからだ。
そういう意味では、宅は俺と華琳が意思の主体。
将師も御互いに意見交換を積極的に遣っている為、文官・武官、更には侍女や厨士等も分野を越えて、良い意味で影響し合っている。
まあ、それを狙った下地を造ったから当然だが。
実際に遣ろうとすると時間が掛かる。
何より、俺と華琳の様に“全てに”対しての知識や技術、経験値が有る人物が必要不可欠だ。
調練が終わり、整列した華雄隊が此方等に向かって深々と一礼したのは敬礼ではなく、感謝の意。
自分達への助言に対する素直な気持ちだ。
それを受け取り、俺達は鍛練場を後にする。
「華雄の個人としての武才は疑うまでもない
ただ、それだけに惜しいな」
「…と言いますと?」
「元々面倒見の良さは知られているが、それは隊を指揮したりするよりも指導者向きな資質だ
勿論、一人の武人としての向上心や矜持は別だが…
“後進の育成”という面では華雄は数少ない人材、現状では必要性の低い軍将よりも、其方等に回して次代の為の土台造りも進めた方が良いだろう
公孫賛・馬岱、それに張遼も指導者向きではあるが何れも騎馬が専門だからな
そういう意味でも華雄は稀有な人材だ
他の軍将は指導者向きとは言い難いだろう?」
「それは………確かに、そうですね」
「何より、当主が一番苦手な分野だろうからな」
「…っ…………返す言葉も御座いません」
「余計な御世話よっ!」と叫びたいのを堪え、俺を小さく睨んでくる孫策。
だが、俺は事実を言っているに過ぎないからな。
腹を立てるなら、自分を省みてからだ。
尤も、それを判っているから、その程度だろう。
そういう意味では成長はしている、という訳だ。
チラッ…と視線を向ければ孫策だけでなく、鳳統・張遼も思案顔をしている。
まあ、当然と言えば当然だろうな。
俺の言葉自体の意味は理解出来る事だ。
だが、そう言った意図を読むならば。
無条件に受け入れる真似は出来無い。
「少し前なら、軍縮は考えられない事だ
しかし、現状では彼我の軍事力の差は先二十年間は覆りはしないだろう
勿論、天災や疫病等による被害が出れば違うが」
「………そうですね」
「曹魏に侵攻する意思は無い
孫策、御前達は、どうだ?」
「…私達に曹魏に侵攻する意思は有りません」
「──となると必然的に敵対する可能性が有るのは劉備の軍勢、という事になるな
まあ、御前達の場合には一応は締結している協定が有るから、向こうが破らない限りは…だろうが」
「はい、信頼は出来ずとも、此方等から一方的には協定を破棄する真似はしません
…改心するとも思えませんが」
「それは共通認識だな
つまりだ、兵を配するにしても荊州と益州の州境
それが軍部の主要な勤務地になる
勿論、領内の治安維持の為にも必要だが…
それは同じ軍事力でも性質が異なる事だ」
「そうですね…そういう意味では軍縮は必然的な事だと言えるのかもしれません」
「ああ…ただな、軍縮と一口に言っても様々だ
曾ての漢王朝時代とは違い、御前達が治める領地の治安──特に賊徒の数という面では大きく違う
賊徒の大半は貧困、賊徒の被害者、官軍崩れ等から身を落とした者だからな
そうなる原因──根幹から改善をしようとしている御前達の統治下ならば、確実に減少する
そうなれば治安は格段に向上するだろう」
「そう言って頂けると皆も喜ぶ事でしょう」
「しかしだ、軍事力の面では活躍の場──必要性が同様に減少していく
そうなってからの軍縮は、曾ての漢王朝の政治的な負の連鎖を再現する様なものだ
そうならない為にも、早い段階の軍縮は不可欠…
その上で、数ではなく質を高め、維持する
そういう方向性の軍縮を遣らなければ為らない」
「…っ……その為の後進の育成、という訳ですか」
「ああ…その辺りは小野寺に相談してみろ
少なくとも、そういう方向性の教育に関してなら、身を以て知っている筈だからな」
「“天の国”の、という事ですね?」
「宅の遣り方は俺が主導しているが、基本的な事は自分達の経験が有ってこそだからな
まあ、小野寺自身は武人ではないから、その辺りの違いを埋めたりするのが御前達の経験等だ」
「…曹魏でも、その様に?」
「いや、宅は軍縮自体が必要無い
最初から無駄な軍事力──この場合は兵の事だが、軍縮が必要になる程、抱えてはいない
ただそれは俺の基礎理念を理解した上で孟徳が時を掛けて築いてくれた土台が有ってこそだ
いきなり俺の遣り方を遣ろうとしても不可能だ
出来る・出来無い、という事ではない
その遣り方が浸透・定着しない、という意味でだ」
「………つまり、私達は私達の遣り方が肝要と?」
「以前、誰かさんは遣らかしているが…
知る事で気付く、学ぶ、取り入れる事は悪くない
ただ、それを適切な形に落とし込める応用力が必要不可欠であり、真似る事は好ましくはない
要は、出来る事と出来無い事を判別し、必要な事と不必要な事を選り分け、その中で試行錯誤する
どんな事だろうと、数多の民に関わる事だからな
時間を惜しむよりは、費やす方が良い
勿論、事に因っては迅速さが求められるが…
少なくとも、そういう判断では御前は優秀だ
痛みを、民の声の重要性を知っているからな」
「──っ!?……勿体無い御言葉です」
上げては落とし、油断させては隙を狙って。
そんな会話をしていて、急に誉められれば。
まあ、多少は赤くもなるだろう。
流琉の「…ぅわぁ…」という視線を感じます。
客観的に見ると「随分と親切に教えるんですね?、ちょっと教え過ぎでは?」と思えるかもしれないが俺からしたら大した内容ではない。
寧ろ、宅を真似しようとして失敗されるよりかは、こうして事前に指摘して置く方が建設的。
孫策達──孫呉には頑張って貰わなくてはならない以上は必要なら梃子入れも惜しまない。
──と言うか、改めて軍将の面子を見直してみると随分と偏ってる事は否めないな。
“南船北馬”を無視して、騎馬軍将が三人も。
無駄ではないが…軍馬の育成から遣らないと十分に能力を活かせないからなぁ…。
その辺りは、追々交渉時にでも議題に挙げるか。
「さて、折角街に出ている事だ
一軒位は御前の行き付けの店は有るだろう?
昼は其処で食べたいと思うんだが…」
「…っ、そういう事でしたら…
ですが、御口に合うかは…保証し兼ねます」
「それはそれ、大した問題ではない
抑、そんな事を言えば初めて入る店の味が店に入る前に判るかと言えば判らない訳だ
食べた事の無い初めて作る料理が上手く出来ているのかは定かではないだろ?
一々気にしていたら、楽しみなど無くなる
当たり外れも、楽しんでこそだ」
そう孫策に言うと、後ろに居る流琉が物凄く力強く頷いているのが視界の端に映る。
それには凪達も小さく苦笑。
料理に関する探求心は俺や華琳を含め、宅の面子は結構強いし、旺盛だからな。
流琉自身、「南部の料理や食材・香辛料を直に触れ味わえるのが楽しみです!」と言っていたしな。
だから、その反応も仕方が無い事だろう。




