刻綴三國史 13
賈駆side──
曹純を迎えての宴──晩餐会。
遣り過ぎず、凝り過ぎず、けれど確と伝える。
それは戦時下にて軍師が熟す、あらゆる仕事よりも難しく困らせられる事だと言えるわ。
勿論、「無理です、出来ません」は却下。
最後の血の一滴までも絞り出す様にして。
何としてでも、どうにかしなくては為らない。
ただ、何も私達が特別という訳ではない。
背負っている物の大きさや多さは別格だけれど。
普通に生活し、働いている市井の民にも有る事。
そういう“逃れられない状況”で如何に試行錯誤し乗り越えられるか。
それが、ある意味では社会的な“人の価値”だとも言えるのでしょうね。
それは兎も角、取り敢えず問題も起きていない事に安堵し、一息吐きながら曹純達の様子を窺う。
妻であり同行者である楽進・陸瑁・典韋は固まって談笑しながら食事をしている。
親しい関係である真桜達は今日は控えている。
彼女達は護衛という名目で来てはいるが、妻である事実を知らなくても曹魏の重要人物。
私達は兎も角、限られた機会に縁を結びたいと思う者は決して少なくはないから。
その邪魔をしない為にね。
…まあ、当の楽進達の雰囲気に臆して近付けないで遠巻きに様子を窺っているのが現状。
本当に…情けないったらないわね。
……いいえ、余計な事をしないだけ増しね。
──で、肝心な曹純はと言えば──雪蓮の傍に。
いいえ、傍にというよりも密着している。
笑顔で、まるで口説いているかの様に右腕を雪蓮の腰に回して抱き寄せていたりする。
思わず自分の眼を擦り、眼鏡を拭き、目頭を揉んで四度見して確認したけれど──現実みたいね。
(……………何してんのよ!、アンタ達はぁっ!?)
思わず、そう怒鳴りたくなってしまう。
これが雪蓮と祐哉だったら迷わず殴っている所。
勿論、曹純が相手だから遣る訳が無いのだけれど。
思いっ切り殴って遣りたいのが偽らない本音ね。
──とは言うものの、曹純が相手だからこそ、私も感情的にはならず、自制心を働かせられている。
その為、二人の様子を客観的に見ていられる。
曹純は口説いている体で雪蓮を困らせているだけで本気という訳ではないでしょう。
恐らくは、世話役の侍女の件絡みでしょうね。
あの時の彼からは不穏な気配が漂っていたし。
現に、雪蓮も意図を察しているのでしょう。
曹純とは親し気に、恋人達の語らいの様にしながら二人の纏う雰囲気は剣呑。
……ああいえ、表向きには気付かないわね。
ある程度は読めないと実態は理解出来無いわ。
だから、寧ろ、将師以外は「このまま御二人が仲を深めて行かれれば…」みたいな期待を口にしている見事に踊らされている者が大半。
けれど、見た目に騙されない者も一握りは居る。
その者達は私達にとっては今後の大事な人材ね。
(────っ………まさか、それを見越して?…)
否定をしたい私が声を大にして同意している。
しかし、曹純という人物の全てを知ってはいない。
──否、恐らくは曹操達、妻や親い一部の人物達を除いては曹純の素顔は知らないでしょう。
何しろ、曹純という男は長く影に潜み、裏に居た。
その事を気取らせない程、徹底している。
つまり、私達は判った気に為っているだけ。
実際には、まだ曹純という幻影を見ている。
その可能性が十分に考えられる。
(…っ……食えないっていう域じゃないでしょ…)
先程までの安堵していた自分を殴りたくなる。
…いいえ、出来る事なら、気付かないままの自分を選べるのなら、遣り直したくなる。
頭が痛い、胃が痛い、目眩がして、熱が出そうで、気分が悪くなり、吐きそう。
それ位に、気付いてしまったが故に苦悩を抱える。
許されるなら、頭を掻き乱しながら絶叫したい。
──と言うか、事の発端の雪蓮を殴りたい。
実際には出来無いからこそ、余計にね。
…まあ、唯一の救いは雪蓮も打つ手が無い事。
曹純に口説かれる様に接されても拒めない事。
だから、「このっ…調子に乗って…」という怒気を笑顔の裏に隠し、笑っていない眼差しを曹純へ向けながらも愛想良く接しなくてはならない。
その点では溜飲が下がる思いだわ。
しかし、曹純も質が悪いわよね。
船上で祐哉に雪蓮への気持ちを確認して置きながら祐哉や他の面々の前で堂々と遣るのだから。
………ああ、成る程、これも雪蓮への試練なのね。
この程度で突っ張ねる様では雪蓮の覚悟は甘いし、伴侶として歩むと決めた祐哉にしても覚悟が必要。
実際には遣らないでしょうけど。
それに、雪蓮には自作自演の責任が有る。
自ら、そういう演出──意図を込めていた以上は、曹純に望まれれば拒めないのが道理。
「いや、本気じゃないわよ」なんて言おうものなら即座に興国への道は閉ざされてしまう訳で。
雪蓮は勿論、容認した祐哉や私達も口を出せない。
つまりは、そういう事な訳ね。
「──ホンマ、食えん男やなぁ…」
「そうね…腹が立つ位に優しいわ」
白酒の入った木杯を差し出してきた霞の言葉に同意しながら受け取り、一口飲んで喉を潤す。
大声で演説していた訳でもないのに。
気付けば喉が、口が、乾いてしまっている。
唾でさえ、上手く出せない程に。
…それだけ曹純の言動は鋭利で、隙が無い証拠。
勿論、客観的に見ただけなら、隙だらけだけれど。
判る者にしか判らない、隠された刃が影に潜む。
しかも、それが孫家の、孫呉の為に繋がる。
だからこそ、厄介であり、深いと思うのよ。
「貴女達は話し掛けないの?」
「アレに近寄れっちゅうんか?
…まぁ、曹純との子供やったら、一人だけやっても産んでも構わへんけどな~」
「そうだな…まあ、流石に有り得無い事だが」
「ほほぉ~…繋迦でも曹純なら有りなんやな?」
「霞よ、それは愚問という物だろう?
地位や立場など関係無い
女であるなら、曹純に求められれば拒めはしない
曹純以上の英雄は居ないのだからな」
「…まぁ、繋迦の言う通りやけどなぁ…」
そう言いながら視線を向けている先では相変わらず曹純と雪蓮の鍔迫り合いが行われている。
その様子を見て、改めて曹純に感嘆する。
一見して馴れ馴れしそうに見えても、女性からして本当に嫌な事はしていない。
親しい友人という間柄ならば男女でも抱擁を交わす事は珍しくはないし、曹純と雪蓮は義姉弟。
その事が周知されていなくとも、事実は事実。
いざという時には“切り札”として使えるもの。
その上で、絶妙な線上で雪蓮に仕返ししている。
はっきり言って自分が対象でなくて良かったわ。
「……雪蓮、気ぃ張っとらんとヤバイやろなぁ…」
「ああ、知っているが故に余計にな」
「………は?、繋迦って経験有ったんか?」
「いいや、私は未経験だ
ただ、そういう話を聞かない訳ではないからな…
霞とて隊を預かる身であれば、判るだろう?」
「あー…まぁ、そういう相談も有るしなぁ…」
そう言って平然と話している霞と繋迦。
霞は過去に経験が有ったという話は聞いているし、そういう話も平気でしているけど。
繋迦に関しては霞ではないけれど、私も意外。
ただ、それ以上に照れもしない繋迦に驚く。
私自身、経験は無いけれど、話は理解出来る。
理解出来るから、聞いているだけでも恥ずかしい。
それなのに同じ未経験の繋迦は平気な事。
勿論、本人が言った様に相談されたりもするから、慣れてしまった可能性は否めないわ。
………私、そういう相談された事が無いわね。
「せやけど、詠は話さんでもええんか?
流石に道中は月の事は訊けなんだんやろ?」
「当然でしょう?、私は孫家の、月は曹家の臣よ
如何に月の名誉が回復されて、私達の立場や状況が好転したとは言っても、今は別々だもの
…勿論、気に為らない訳ではないけれど…でも…」
「…………せやな、あの曹純の傍に居るんや
幸せやない訳が無いわな…」
「寧ろ、月様であれば曹純にも見初められる可能性の方が高いと言えるのではないか?」
「あー…確かに、その可能性は有るなぁ…
月にしても、曹純は命の恩人やし、ウチ等に加え、董卓軍の兵士達、洛陽の民の実質的な救い主や
惹かれん方が可笑しいやろうしな」
二人の会話を聞きながら、その状況を想像する。
月の考えや気持ちは判らないけれど。
「自分が月の立場だったら…」と考えて。
…………うん、無理ね、惹かれない理由が無いわ。
月や私じゃなくても、余程頭が可笑しくない限りは惹かれてしまうでしょうね。
そして、惹かれてしまえば…その結末も判る。
楽進達が、孫権が妻というのなら。
名誉を回復した月を妻とする価値は政治的に見ても全く可笑しな事ではない。
加えて、月は可愛いし料理も出来て家庭的だもの。
男からしたら放って置く理由は無いでしょう。
「…ちゅぅか、彼方には恋も居るんやっな?」
「恋か……………………正直、想像が出来んな…」
「繋迦だけやなぃ、ウチも想像出来んわ
ただ、恋の場合、虎牢関で高順に扮しとった曹純と本気で闘り合っとるしなぁ…
あんなん、他の男なんか絶対に有り得へんやろ
ウチが恋やったら気ぃ付いた瞬間から一直線やな
もう、押して押して押し倒すしか有らへんわ」
「………………霞がか?」
「いやいや、待てや、何やねん、その間は?」
「…いや、私の印象では、霞は好きな男に対しては最後の最後で引いてしまう気がしていたのだが…」
「………は?、そんな風に思っとったんか?」
「ああ…まあ、飽く迄も私の印象では、だがな」
「…………あー…けど、否定出来んかもなぁ…
経験は有る言うても酒の勢いや雰囲気でやし…
ある意味、本気で好きんなった事は無いんやろな
そうなった時は、繋迦の言うとる様に為る可能性も否定は出来へんなぁ…」
──という感じで、思わぬ恋話を聞く事に。
重ね重ね繋迦の言動には驚かされるのだけれど。
それ以上に霞の意外性が気になってしまう。
何方等かと言うと、私も霞自身と同じ印象だわ。
正直、繋迦の言った様な霞の姿は想像し難い。
…ただ、もしも、本当に、もしもだけれど。
そんな霞の姿は………可愛いと思えてしまう。
普段の霞からは全く印象が違うから。
だから、尚更に心が惹かれてしまうのでしょう。
「──で、さっきから黙っとる詠は?」
「────え?」
「「え?」やのぅて、詠が口説かれたらや」
「……それは…まあ、貴女達と一緒よ
本気で口説かれたら、拒む事なんて無理よ
本気で口説かれたら、だけどね」
「まあ、曹操や孫権、それに彼女等を見とったら、その可能性は無いに等しいんやろうけどな」
「寧ろ、その上で、あれだけ遣れる方が凄いな」
「せやな…って、おぉ~……今のは大胆やな…
アレで「意識するな」っちゅうんは無理やよなぁ…
クククッ…雪蓮、今夜は相当荒れるやろな~」
「確かにな…まあ、それは祐哉の仕事だ
雪蓮様の事は任せて置けばいい」
「ハハハッ、確かにそうやな」
そんな風に雪蓮の困り具合を見ながら笑い合う。
普通なら、「頑張って下さいね…」みたいな家臣の声援を送ろうとするのでしょうけど。
雪蓮に限って言えば、普段手を焼かされているから曹純に困らされている姿を見ても嬉しいだけ。
その為、「もっと遣られなさい」と思う。
ええ、日頃の行いよね、少しは私達の苦労を知って自分の言動を改めなさいよね。
そう思いながら、曹純の姿を見詰める。
今回の訪問は公式の政治的な意味を持つ。
だからこそ、私達は「失敗は出来無い」と身構え、無駄に力が入っていたでしょう。
…まあ、それは当然の事なのだけれど。
でも、そうではない事を教えられている。
「失敗しても構わない」と。
それは当たり前だし、失敗もしない方が良い。
けれど、失敗をしない様に“整えてしまう”状況は文字通り作ってしまっているもの。
そんな物を見せても、認められる訳が無い。
それを見定める側の曹純が、私達に教示する。
その才器に素直に感嘆するわ。
──side out