刻綴三國史 6
曹操side──
──九月二十日。
予てより調整が行われていた孫策側との会談。
──とは言え、孫策本人は来てはいないけれど。
今回に限っては、ある意味では仕方の無い事。
それを理解しているから私達は何も言わない。
そして、孫策達にとっては、とても重要な事。
まあ、私達には“事の序”でしかないのだけれど。
一応、計画上は必要な事なのは確か。
だからこそ、この会談の意味は実際よりも大きい。
劉備が動いてくれれば更に面白かったのだけれど、流石に欲張り過ぎでしょうね。
それに、如何に狂気に染まっているとしても劉備も袁紹程に馬鹿過ぎる訳ではないものね。
今は動けない事は判るでしょう。
それは兎も角として目の前に居る人物を見詰める。
「御無沙汰しております、曹操様
我が主、孫策の名代として参りました、賈文和です
此方等は同じく名代の小野寺です」
「御初に御目に掛かります、曹操様
小野寺 祐哉と申します
本日は宜しく御願い致します」
「久しいわね、賈駆、元気そうで何よりよ
そして──初めましてになるわね、小野寺 祐哉
“天の御遣い”とは名乗らないのかしら?」
「──っ……はい、私は北郷とは違いますので…
例え、そうだったとしても、そう在る資格も覚悟も自分には有りませんので、名乗る事は有りません
この件に付いては伯符も納得してくれています」
「そう…まあ、そんな肩書きを必要とする様では、認める物も認められなくなるでしょうしね
賢明な判断だと思うわよ」
「…っ…有難う御座います」
そう言って恭しく頭を下げる小野寺と賈駆。
その姿を玉座に座りながら見詰め、口角を上げる。
それは一瞬の為、二人には気付かれはしない。
孫策も中々に思い切った手を打ってきたわね。
小野寺を寄越す事は予想通りなのだけれど、此処で賈駆を出して来たのは意外だったわ。
これまでは鳳統を交渉の責任者として立てて置いて“使者の迎え”には賈駆を出すとはね。
今回は交渉ではないから、という所かしら。
それに護衛を兼ねていた黄蓋も居ないし、この場に主だった軍将を連れて来てはいない事もね。
それから小野寺の発言は予想通りだけれど、此処で孫策の名を出してまで言った以上は公式な宣言。
それはつまり、今後孫家は小野寺を“天の御遣い”としては扱わず、利用しないという公約。
尤も、これまでも雷華と同様に秘してきた小野寺に下らない肩書きは必要無いでしょう。
孫策達と共に、有りの侭に歩んできた彼の姿こそが民にとっては何よりも信頼出来るでしょうから。
それを理解している以上、不要な事だものね。
「さて、先ずは私の方から言って置く事が有るわ
見ての通り、私は今、身籠っている状態なのよ」
「それは御目出度う御座います
後日、御祝いの品を贈らせて頂きます」
「ええ、有難う、楽しみにしているわ
それで…最短でも半年、最長だと二年近く私自身は公の場に出る事が無くなると思って頂戴」
「…っ、御身の事を考えれば当然の事でしょう
ですが、そうなりますと公務には名代の方が?」
「いいえ、私が“産休”を取っている間は、子和が王配──いえ、国王として動いてくれるわ」
『────っ…』
私の言葉の意味を察した二人は素直に驚いた。
それも当然と言えば当然でしょう。
これまでは表に立つ私の影に潜み裏で支えてきた。
その雷華が国王として表に立つのだもの。
警戒の一つもして当然よ。
──とは言え、雷華を表に出す気は無いと思われて当然だったでしょうから、驚きは小さくない筈。
尤も、それは此方等の都合が多分に入っている為、対外的な意味合いは然程無いのが実際の所よ。
結果的に政治的な意味を持ってもね。
「そういう訳だから、そのつもりで今後は其方等も動いてくれると助かるわ」
「畏まりました」
「宜しく御願いするわね」
色々と頭の中では考えている事でしょうが、賈駆は直ぐに切り替えて了承し、自らの隙を潰した。
月と離れた事で、余計な私情を挟まなくなった為、軍師として一回り成長したみたいね。
自らが手を差し伸べずとも、花開かせるとはね。
全く…何処まで読んでいるのかしら、雷華は。
そう思いながら一瞬だけ視線を向けた先には静かに佇んでいる雷華の姿が有る。
他人事の様な顔で現実逃避しているけれど。
残念ね、諦めて大人しく受け入れなさい。
私達は絶対に貴男を“真の皇帝”にするのだから。
視線を戻せば、俯きながらも瞬間的に雷華に視線を向けている賈駆の姿に気付く。
月と恋だけを取った理由。
それを雷華は小野寺に話しているから、賈駆が話を聞いていたとしても可笑しくはない。
そう考えれば、賈駆にしても思う事が有る筈。
その心情としては複雑でしょうけれどね。
「それじゃあ、本題に入りましょう
今回の訪問の使者には子和が行く事になったわ」
「判りました、曹純様、宜しく御願い致します」
「…ああ、宜しく頼む」
そう言って小さく溜め息を吐く雷華。
単純に使者として向かうのなら平気でしょう。
でも、“国王として”彼方等に向かう訳だから。
色々と、面倒臭いのでしょうね。
そういう性格だものね、貴男は。
ただ、以前とは違い演じる必要も無くなったから、普段通りの態度・話し方で賈駆達に接する雷華。
その様子には賈駆達も少々意外そうな反応を見せ、しかし、理解をして直ぐに落ち着いた。
「日程ですが事前に協議して決定していました通り三日間の御滞在を予定しております
同行者は三名まで、という話でしたが…」
「それなら、文謙・士載・子璋の三人が行くわ
本当なら仲謀を行かせたいのだけれど…」
そう意味深な言い方をして言葉を切ってから視線を雷華へと向け、賈駆達の視線を誘導する。
その意図を察した雷華が「このっ…」という感じで一瞬だけ睨んで来るけれど、気にしないわ。
賈駆達の意識が雷華に向いた所で、続ける。
「──仲謀もね、出来たのよ」
『────ぇ?…………ぇえええエエェエッ!!??』
ああ、雷華が偶に愚痴る気持ちも理解出来るわ。
こんな風に“いい反応”をされると楽しいわね。
…成る程、“大衆娯楽文化”は人間が人間な限りは不滅でしょうし、栄枯盛衰・流行り廃りは有れど、人々の追求は尽きないでしょうね。
…そう言えば、雷華が色々と裏で遣っていたわね。
珀花や灯璃と一緒だったから単に悪巫山戯しているだけだと思っていたけど。
少し調べてみましょうか。
何か面白い発見が有るかもしれないしね。
「……っ…ゴホンッ、し、失礼致しました」
「構わないわ、驚くのも無理も無い事だもの
それから仲謀を含めて複数名が身籠っているの
だから、曹魏に攻め込むのなら今が好機よ?」
そう言って二人に揺さ振りを掛けてみる。
そんな気は無かったとしても、本の僅かでも思考の片隅で可能性として思い浮かべてしまうのが軍師。
そして、政治に深く関わる者としての性。
だから有能な者である程、瞬間的に計算を働かせて可能性の話だったとしても、思い浮かべる。
それが奇跡に等しい可能性で、苦笑して消し去る程有り得ない事だったとしても。
考えない、という事は出来無いのだから。
「…っ……まさか、その様な御戯れを…
我が主に代わり、曹魏と敵対する意思は無い事を、此処に宣言させて頂きます」
「フフッ、少し意地悪だったわね、御免なさい」
「…いいえ、私共には過去に誤解をされても当然の言動を取った事実が有ります
それを考えれば、曹操様の御懸念は当然の事…
ですから、言葉だけでなく、示して御覧に入れます
曹操様の、曹純様の、曹魏の信頼を得られる様に」
「成る程、良い心構えだわ
──であればこそ、確と見極めさせて貰うわ」
「はい、勿論です
それから、改めまして孫権様の事も含め、御懐妊、御目出度う御座います」
「有難う、皆にも伝えて置くわ
それじゃあ、私は下がらせて貰うわ
見送りには出られないけれど、夫を御願いね」
「はい、曹操様も御身体に御気を付け下さい」
そう賈駆達に言ってから私は玉座を立って、雷華に付き添われて謁見の間を後にする。
外に控えていた思春と彩音が私達に付き添う。
「賈駆は兎も角としても、小野寺の方は微塵も動揺しなかったわね
考えが及ばなかったのかしら?
それとも、単に御人好し過ぎるの?」
「俺達に孫家を害する意思が無い様に、孫策達にも此方等を害する意思が無い
それを信じて疑わないだけだろう」
「ふぅん…まあ、その辺りは“天の御遣い”として同じ選択をした者同士、通じるのかしら?」
「御互いに愛する女が有るだけだ
その上で何が一番平和的な道なのかを考えた結果、似た答えに辿り着いた、という事だ」
『──っ…』
「…そう…そういう事にして置いてあげるわ」
素っ気無い態度の振りをして誤魔化し、抑える。
然り気無い雷華の一言に疼いてしまう本能を。
思春と彩音は気配に出てしまっているけれど。
其処は私も正妻としての意地が有るもの。
動揺なんて見せないわ。
……二人きりの時以外にはね。
──とは言え、墓穴を掘らない様に話を変える。
つい、口が滑る事は私にだって有る事だもの。
「それにしても目の当たりにすると欲しくなるわね
今からでも口説いて引き抜かない?」
「…それ、無理だって判ってて言ってるだろ?」
「ふふっ…まあ、そうでしょうね
賈駆も既に自分の道を選んでいるもの
今更、“月が居るから”では動かないでしょう」
そう、私達が雷華と共に在ると決めている様に。
賈駆も自分が共に在ると決めた相手が居る。
だから如何に雷華が口説こうとも首を縦に振る事は先ず有り得ないでしょう。
まあ、孫家を丸ごと手中にすれば関係無いけれど。
それでは色々と予定が狂ってしまうものね。
“天の御遣い”の一番の影響力は価値観の違い。
“この世界の常識”を撃ち壊す程にね。
私は雷華とは幼い頃に出逢った訳だけれど。
その影響の大きさを誰よりも自覚しているもの。
…まあ、雷華は規格外でしょうけれど。
小野寺は勿論、あの北郷でさえ影響力は有る。
単純に歴史や技術的な影響ではない。
この世界、この時代では早過ぎる思想。
それを肯定し、実現させ得る可能性が有るから。
そういう意味では、もしも“天の御遣い”たる者が黄巾党に居たら、どうなっていたのか。
想像は出来るけれど、現実的ではない話でもある。
尤も、颯達の元に雷華や小野寺が現れていたなら、色々と違ってはいたのでしょうけれど。
それは所詮、“たられば”の話だものね。
「そう言えば、“アレ”の件は進めるのかしら?」
「そうだな…出来れば早い内に事を始めたいしな
まあ、今回は規定路線の事とは言え、本題が優先だ
流石に其方退けで話を進める気は無い」
「最重要、という訳ではないものね
まあ、今回は貴男の気分転換も兼ねての小旅行よ
気楽に楽しんでいらっしゃい」
「小旅行って気分には為らないけどな…」
「其処は貴男の気の持ち様よ
あと、小野寺や孫策の唾が付いていない娘が居たら遠慮無く抱いて構わないから、落として来なさい」
「……はぁ~…そういう所、振れないよなぁ…」
「当然ね、それも曹魏三千年の礎の為よ
良い人材は幾ら居ても構わないもの
引き抜きは駄目でも、見出だすのは此方等の自由、勿論、登用する事もね
だから頑張って探して遣って来なさい
ただ、落胤にだけは気を付けなさいね
貴男の事だから心配は要らないでしょうけど」
「……無性に行きたく無くなってきたな…」
そう溜め息を吐いて愚痴る雷華。
冗談ではないけれど、無いという確信も有る。
まあ、一緒に行けない妻の戯れだと思って頂戴。
勿論、“御土産”としては期待するけれどね。
──side out