曹奏四季日々 6
黄忠side──
──八月十三日。
決戦後──いえ、その前も含めて初の正式な会談。
無事に終了した翌日には、耳の早い商人達の間で色々噂が立ち始めました。
流石に規制は出来ませんし困った物では有りますが、それさえ利用しているのが雷華様ですからね。
特に気にはしません。
抑、その噂自体、商人達の“新しい商売”等に関する動き方が大半ですからね。
それだけ曹魏は平穏です。
「…今頃は船の上ですね」
「…会いに行けば良かったのではないか?」
「それは流石に…ね…」
御茶を楽しみながら空へと視線を向けて呟いた私に、秋蘭が苦笑しながら言う。
泉里達が会いに行った様に私も黄蓋に会えば良い。
たったそれだけの事。
だけど、色々と有るのよ。
姉妹や友人とは違う。
“三弓(私達)”の関係は。
余計な柵が無い様に見えて実際には柵が多い。
個人的な事ではないが故に気にする事が多い。
「それよりも、これからが気になる所でしょうね」
「ああ…だが、予定通りに事は進むだけだろうな
言い方は悪いが、政治的な主導権は雷華様が華琳様と御結婚された時点で曹魏に約束されているも同然…
覆し様は無かっただろう」
「それには同意するわ」
雷華様という“最重要”な存在を伴侶とした時点で、華琳様の天下は確定した。
そんな風に言っても決して過言ではないでしょう。
それ程に雷華様の影響力は別格ですからね。
…まあ、私達自身が誰より影響されていますから。
説得力は有る筈です。
「孫策──孫家が独立し、国として成立する…
問題は劉備の動きか…」
「ええ、そうでしょうね」
正直、劉備という人物には“甘く覚悟の無い妄想家”という印象を持っていた。
愛紗から聞いていた彼女の人物像等の話も有ったから“路傍の石”でしたが…。
彼処まで歪んでいたとは。
流石に予想外でしたね。
「雷華様が何も言わないで放置している以上、劉備に此方等から干渉をする気は無いのでしょうね」
「“面倒臭い”というのが本音かもしれないがな」
「雷華様ですからね…」
秋蘭の一言に、そう言って全く遣る気無さそうにする雷華様の姿が思い浮かんで自然と苦笑してしまう。
雷華様なら本当に言う気がしてしまいますから。
「…まあ、劉備には劉備の“利用価値(役目)”が有る以上は全うして貰わねば
曹魏三千年の礎の為にも」
「ええ、そうですね」
秋蘭と共に見上げる空。
果て無き彼方へと旅をする白雲が風に流れて行く。
陸地と違う“境界”の無い無限の道を描き出せる空。
それが未来という可能性に重ね合わさるからこそ。
人々は空を見上げる。
其処に、自らの未来(道)を思い浮かべて。
自らが再確認する為に。
可能性(空)を見る。
仕事の有る秋蘭と別れて、一人で街へと出掛ける。
第一陣に名を列ねていても直ぐに出来る訳ではない。
──ああいえ、雷華様なら出来るそうですが。
それは遣らないそうです。
文字通りに“作る”という意味合いが強くなるので、遣りたくないのだとか。
“子供は道具ではない”と“男女の人生の結晶”と。
そんな言葉を愛する夫から言われてしまっては、ね。
尤も、女として、妻として尚更に雷華様との子供達を望む想いが強く為ります。
ですから、私達も特に心配してはいません。
必ず出来ますから。
「あっ!、漢升様っ!」
「こんにちはーっ!」
「ふふっ、こんにちは」
“公園”を通り掛かれば、遊んでいた子供達が見付け此方等に集まって来る。
それは見慣れた光景。
けれど、見る度に思う。
本当に、尊い事だと。
雷華様と出逢ったばかりの情勢でならは集まってきた子供達というのは物乞いが目的だったでしょうね。
…いえ、官吏の私の所には寄って来る事すらしない。
そういう状況でした。
それが、今は違います。
以前よりも立場的には私は上に為っています。
ですが、子供達は怖がりも忌避もしないで。
笑顔を向けてくれている。
それが“日常(普通)”だと言える今が素晴らしい。
過度な幸福は不幸。
甘露は美味いが病の元。
適度な幸福と苦労の均衡が人々に充足感を与える。
全てが楽な世の中よりも、遣り遂げる達成感を日常で得られる環境こそが理想。
雷華様の社会性幸福論。
それを聞いた時は理解こそ出来ても実感は無かった。
ですが、こうして子供達の姿を目の当たりにすれば、それを実感出来ます。
大人が満足する事よりも、子供が笑顔で居られる事。
それが大切で有り、それが出来ているならば、自然と大人も笑顔で居られる。
子供とは家庭の、社会の、人間性の一つの指標。
子供を見れば、その実態を概ね理解出来るから。
(…こうして、街の沢山の子供達が笑顔で居る事…
貴女も、それを願っていたのではないのかしら?)
ふと、思い浮かべる姿。
最終決戦で見た劉備の姿に心の中で問い掛ける。
別に彼女に手を差し伸べて助けようとは思わない。
彼女等は既に数多の犠牲を強いて進んできた。
その責任を、罪業を背負う覚悟は必要不可欠。
それすら無いまま来たなら救う気にすら為らない。
ただ、見せてみたい。
曹魏の、華琳様の、私達の──雷華様の築かれている理想とされる光景を
彼女達の、その双眸に。
何かを期待してではない。
ただ、示したいだけ。
“貴女達とは違うのよ?”という明確な差を。
現実を突き付ける事でね。
散策していて目に留まった御店に入ってみる。
何を買う訳ではない。
ただ、目に付いたから。
幾つかの“子供服”が。
(…もし、男の子だったら此方等かしらね…)
手に取りながら、頭の中で“幼い雷華様”を想像して服を着させてみる。
“母上”と笑顔を向けて、抱き付き甘えてくる雷華様──ではなく、息子。
……やっぱり、雷華様だと雷華様にしか為らない。
仕方の無い事でしょうね。
それ程までに私にとっては雷華様の存在は大きい。
その証なのですから。
取り敢えず、珀花や灯璃を男の子にした感じの息子を想像して、当ててみる。
…悪くは有りませんね。
ですが、どうして御説教の画に為るのでしょうか。
……はぁ……これも慣れ、という事でしょうね。
気を取り直して、女の子の服を手に取って見る。
此方等は幼い自分──だと何か複雑なので、月辺りで想像してみます。
…女の子ですからね。
ええ、普通に可愛いです。
ふと、脳裏に閃く。
もし、父親似の娘なら。
私達が初見で“女性”だと勘違いしていた雷華様。
その雷華様似の娘。
絶対に可愛いでしょう。
一応中身は子供らしくして想像しますけど。
──と言いますか、普通に雷華様が“女装”した姿を想像してしまいます。
ええ、似合います。
是非、着せたいですね。
華琳様が“何時かは絶対に雷華に女装させたいの”と仰有っていたのも今ならば強く同意出来ます。
個人的に見てみたい。
そう思いますからね。
(まあ、勝負に勝ち権利を使わない限り無理な事とは思いますけどね…)
雷華様が“御願い”程度で遣ってくれるとは私達とて思いませんからね。
賊徒に女性扱いされた時は本気で殺ってましたし。
ある意味、雷華様が何より気にしている事でしょう。
挑発の材料としては覚悟が桁違いに必要ですが。
……まあ、私達の場合だと“男である事”を身を以て証明されるでしょうけど。
恐い物見たさでしょうね。
害は無いでしょうけど。
下手をすると、堕ちる事に為るかもしれません。
……それはそれとして。
気の早い事だとは自分でも思いはしますが、自覚して想像すると止められないと言うべきでしょうね。
一度動き始めた思考は自ら放棄する理由が見付からず只管に加速してゆく。
その果てを“暴走”と呼ぶのかもしれませんが。
この時点では判らない。
ただただ楽しい妄想だけが拡がってゆくので。
時が経つのも忘れて夢中に──という事は無くて。
店内に居たのは1時間程。
暫し、現実と妄想の狭間で楽しく遊んで、終えた。
「──おっ、珍しいな」
「────ぇ?」
──余韻に浸っていた時、一番遇っては為らない人に遇ってしまいました。
そう、雷華様に。
意識は自分の両手の重みに──持っている荷物に。
警鐘が喧しく鳴り響く。
けれど、既に手遅れ。
それは隠しようもない量で背に回しても無理です。
──というよりも、荷物をしっかりと見られました。
言い訳が出来無い位に。
「そんなに買い込むなんて余程気に入ったのか?」
「ぇ、ええ、まあ…」
普段から必要以上に衣服は買い込みませんし、滅多に衝動買いもしません。
それだけに目立ちます。
こんな時ばかりは、それを遣っては怒られる珀花達が羨ましいです。
怒られたくはないですが。
それは兎も角として。
さて、どうしましょうか。
即座に打開策を模索。
幸いにも雷華様は御一人。
確か……ええ、今日は既に御仕事は終わりの筈。
御一人という事は特に他に約束は無いのでしょう。
雷華様にも自由な御時間は必要ですからね。
私達も全てを御約束で潰す真似はしていません。
その分、こういった感じで遭遇した場合に、運命的な感動を味わえます。
…今は、複雑ですが。
…覚悟を決めましょう。
「あの、この後、御時間は大丈夫でしょうか?」
──と言って、私の部屋に雷華様を御案内し、荷物を卓上で広げて見せる。
彼是色々悩んでいた子供服──ではなくて。
“雷華様に着せてみたい”と思って真剣に考えて選び衝動買いしてしまった服が其処には並んでいます。
そして、経緯を話します。
一度怪しまれてしまえば、雷華様に簡単な誤魔化しは通用しませんから。
子供服の部分の話では苦笑しながらも、“まあ、気が早いけどなぁ…”と何処か微笑ましそうにしていた。
ですが、“雷華様女装案”に入った所で目から色彩が消えた様に感じましたが…気の所為ではない様で。
表情としては笑顔なのに、笑ってはいません。
ええ、初めて感じる類いの緊張感です、はい。
「──で、つい衝動買いをしてしまったと…」
こんなにも抑揚の無い声で人は話せるのですね。
……現実逃避をしていても仕方無いのですけど。
他に選択肢が無いので。
「…後悔はしていません」
「いや、後悔しなさい
夫に女装させるとか…
二度と考えなくていいから綺麗さっぱり止めなさい」
「それは無理です」
「即答するか?!」
「だって、雷華様ですよ?
雷華様なら、これとか絶対似合いますから…ね?」
「ね?、じゃありません
これは没収──するのは、遣り過ぎだな、うん」
…………あ、あら?。
何か、雷華様から物凄〜く不穏な気配が…。
此処は逃げ──あっ、私の部屋でしたね、此処は。
……………嫌な汗が。
此処は逸らしの一手です。
「…雷華様の仰有る通り、これは遣り過ぎですね
申し訳有りません」
「いや、考えるだけだしな
それに紫苑が買った物だ
俺が文句を言うのは違う
だから、気にするな」
…………笑顔が怖いです。
明らかに、危険です。
しかし、赦してくれるなら此処は乗るべき──いえ、違います、違いますね。
乗ってしまったら最後。
ええ、きっとそうです。
此処は頭を下げましょう。
「…いいえ、雷華様
私に非が有ります…
雷華様の御気持ちを考えず勝手な事をしました…
何卒、罰を与えて下さい」
「…判った、それで紫苑の気が済むと言うならな」
「有難う御座います」
「それじゃあ──折角だ、紫苑の買ってきた服を全部着て貰おうかな」
「……………………ぇ?」
反射的に顔を上げた瞬間、雷華様と目が合った。
肉食の獰猛な餓獣を思わす視線に身震いする。
同時に、女としての本能が思考より先に理解した。
期待から奥が熱を抱く。
もう逃げ場は無い。
きっと、羞恥心で身も心も攻め立てられて。
普通では味わえない刺激を知ってしまう様な。
そんな予感がします。
貪り喰らう鋭利な微笑。
嗚呼、そんな雷華(旦那)様も素敵かもしれません。
──side out。




