刻綴三國史 1
鳳統side──
──八月十二日。
今日が曹魏との初会談。
──とは言え、曹操さんと御会いする訳ではなくて、名代となる方──恐らくは曹魏の軍師の方と、です。
でも、それは当然の事。
曹操さんは正式な王であり私達──雪蓮様は一家の、一勢力の長でしかない。
だから、如何なる理由でも名代でしかない私達では、曹操さんには会えません。
勿論、曹操さんなら会って下さるかもしれませんが、それをしてしまうと内外に対して示してきた公平さに反してしまいます。
なので、有り得ません。
ただ、雪蓮様が王としての独立を認められた後なら、それは緩和される筈です。
あの大決戦後、雪蓮様から曹操さん──曹魏に宛てて書状を認めて頂き、それを先ずは祭さんが使者として単独で曹魏に届けました。
そして、名代である私達と会談の席を設けて下さると返事を頂き、会談の予定に指定された日が今日です。
昨日の時点で私達は曹魏に入国し、案内された宿にて一夜を過ごしました。
特に見張り等は立てられは居ませんでしたが、最低限監視の為の眼等は有ったと思っています。
ただ、宿に軟禁される様な事は有りませんでした。
実際、先に一度訪れていた祭さんからも軟禁する様な様子は見られなかったので基本的には自由に出歩き、街を見て回る事も出来たと聞いていました。
ですから、私達も街に出て雪蓮様から聞いていた話に有った事を確認したりして──曹魏の凄さに、素直に驚かされました。
世の中の軍師達の思い描く理想が現実と成って此処に存在しているのですから。
一人の軍師として個人的に曹操さんと御話ししたいと本気で思いました。
「そう緊張するでない
見ている儂まで緊張しそうになるじゃろうが」
「しゅ、しゅみましぇん」
「はうぅ〜…」
呆れた様に言った祭さんに私と明命ちゃんは、何とか返事をしますが……それが精一杯でした。
緊張は全く解れません。
会談の場となる一室にて、待っているだけですが。
「やれやれ…」
“これは無理じゃな…”と完全に諦めた様に肩を竦め溜め息を吐く祭さん。
でも、仕方無いんです。
だって、名代とは言っても天下の曹魏の軍師さん達が今日の会談の相手です。
緊張しない方が可笑しいと思います。
明命ちゃんも軍将ですが、隠密による仕事も多い為か表舞台で堂々と、となると物凄く緊張するそうです。
つまり、“曹魏には一度、来ているからのぅ”と言い平然として居られる祭さんが特別な訳なんです。
私達が普通の反応です。
『────っ!!??』
──と、部屋の扉が静かに“のっく”され、室内にて控えていた侍女の方が扉に近付き、ゆっくりと開く。
侍女の方が居た事でさえも忘れてしまう程の緊張感が更に一段と高まってゆく。
でも、昔の私とは違う。
此処で自分に負けてしまう事は無く、逃げる事も無く居られるのだから。
座っていた席から立って、姿勢を正して迎える。
将師という立場は同じでも社会的な地位では違う。
格下である私達は、絶対に礼節を欠いては為らない。
「……………ぇ……?…」
扉から入って来た人を──人達を見て、私は驚きから思わず声を漏らしていた。
頭が真っ白に為り、上手く考える事が出来無く為る。
──だって、其処に、私の目の前に居るのは友達と、実の妹なのだから。
「御待たせ致しました
本日の会談を任されました司馬仲達と申します
此方は補佐の夏侯妙才と、警護の鳳士柔です」
「………ほれっ、雛里…」
「──っ!?、ほ、ほ本日は私共との会談の席を設けて頂きました事、誠に有難う御座いましゅ!
本日、我が主・孫策の名代として務めさせて頂きます鳳士元と申します
此方は補佐の黄公覆、警護の周幼平です」
茫然としていた私の身体を祭さんが肘で突いてくれた事で何とか我に返り、用意していた挨拶を行う。
祭さんと明命ちゃんも軽く会釈をして応える。
──けど、私の頭の中では色々な事が混ざり合っててぐちゃぐちゃしてます。
(…嘘?、泉里ちゃん?、何で泉里ちゃんが?
…ううん、それよりも姓が“司馬”って…どうして?
一体どういう事なの?
それに水那ちゃんも一緒に居るって…何が何だか全然判らないよぉ…)
心の中で頭を抱え、思わず泣き出したくなる。
ただ二人が曹魏に居る事に関しては可笑しくはないと素直に思えるから、其処はすんなりと受け入れられる感じだったりする。
それに二人共元気そうで、その事には安心します。
でも、やっぱり色々と頭の中がグルグルしています。
それでも、今は自分自身が遣るべき事に集中する為、無理矢理に切り替えます。
だって、私は孫家の軍師。
此処で情けない姿を二人に見せる訳にはいかない。
だから気合いを入れます。
「それでは、先ず此方を」
「拝見させて頂きます」
私の中では“キリッ!”と引き締めた感じで雪蓮様が曹魏に宛てた書状を懐から取り出して、泉里ちゃんにしっかりと手渡す。
それを手に取り、そのまま流れる様な手並みで広げ、読み始める泉里ちゃん。
昔から、とても所作が綺麗だったけど更に洗練されて思わず見惚れてしまう。
慌ててしまう癖が有るから懐く強い羨望と劣等感。
だけど、丁寧に礼儀作法を教えてくれたのは他ならぬ泉里ちゃんだった。
だから泉里ちゃんに対して私は悪感情は懐いてない。
……泉里ちゃんの気持ちは判らないけど。
(……泉里ちゃん、物凄く綺麗に成ってる…)
最後に会った頃には私とは違って背も高かったけど、今はもっと綺麗。
……その、凄く大きいって衣服の上からでも判るのは羨ましいって思うけど。
そういうのとは違う感じの女性らしい綺麗さが有る。
…会談の後、少しでも話す時間が有ったら良いな。
「………成る程、孫策殿の御話しは理解しました
ですが、御承知の事だとは思いますが、当件に関して此処で私が返答を出来る程安易な事では有りません
一度、御預かりして、後日改めて正式な返答を出す、という事に為りますが…
宜しいでしょうか?」
「はい、勿論です
宜しく御願い致します」
手渡した書状を読み終えた泉里ちゃんの言葉に私達は揃って頭を下げ、理解への感謝の意を示します。
その書状の内容は雪蓮様の──孫家の独立に関して。
つまり、王位を望む物。
普通であれば有り得ない事でしょうね。
王位を“強請る”なんて。
でも、今の状況でだったら有り得なくはない話です。
曹魏が、曹操さんが大陸を完全統一されるのであれば雪蓮様は臣従する事を一切迷わずに選択されます。
しかし、その意思が曹魏に見えない以上、現状維持を黙ったままで続ける訳には行きません。
王位──即ち、“国”へと孫家を、孫呉を至らす事。
それが最重要課題です。
その為には、雪蓮様が直に曹操さんに御会いする場を持たなくて為りません。
書状は、それを望む物。
但し、雪蓮様御自身が以前曹魏に行かれた事で実際に御知りになってきた様に、曹操さんへの謁見は予約で“一ヶ月待ち”という話。
此方等の都合の為、無理を言える訳では有りません。
ですから、余計な事は絶対言ってはいけません。
この場は、ただただ享受し従うしか駄目なんです。
「その返答に関してですが此方等から孫策殿に対して直接の使者を出す、という形に為るでしょう
その際に、衝突が無い様に事前の通達は御願いします
…御互いに無益な争乱など望みはしないでしょう?」
「…っ…仰有る通りです
各部所への通達を徹底し、使者の方に安心して御来訪頂ける様に孫家一同心より努めさせて頂きます」
「宜しく御願いします」
それは当然の配慮です。
しかし、“徹底させる”と為ると途端に難しくなり、何処かに不備が生じる事は決して珍しく有りません。
だからこそ、関わる人物を選定し、人数を極力削ぎ、行動範囲を限定します。
それが“普通”の対応。
ですが、今回の場合に限りそういった対応は不可能。
何故なら、その使者の方は“視察者”を兼ねる筈。
故に相応の人物が選ばれ、御迎えする事に為ります。
私達の、孫家の、孫呉の、在り方を見定められる以上“有りの侭を…”だけでは駄目だと言う事です。
一番大事な案件が片付き、御互いに一息吐きます。
用意されていた御茶が凄く美味しいです。
気分的な要因は勿論ですが純粋に美味しいです。
初めて飲むので銘柄などは判りませんが美味しい事は間違い有りません。
是非とも買って帰りたいと思う逸品です。
「さて、他に何か有るなら御聞きしますが?」
「で、では、幾つか御伺いしたい事が有るのですが…宜しいでしょうか?」
「…私に答えられる範囲の事で宜しければ」
「はい、勿論です」
「判りました、伺います」
当然の事を言っている、と端から見れば思うのですがこういう確認的な遣り取りは大事なんです。
後で御互いに非を負わない為にも一番最初に出来る・出来無いをはっきりさせて臨むと遣り易いですから。
それに私自身、外交自体が初めてに等しいですから。
少しでも失敗をしない様に気を付けませんと。
「率直に御伺いしますが、曹魏は大陸統一の御意志を御持ちなのでしょうか?」
そう言った瞬間、この場が冷たく為った気がします。
それは多分、気のせいではないんだと思います。
泉里ちゃんの眼差しが凄く厳しく、鋭いですから。
思わず謝り、質問を撤回し視線を逸らしたくなります──けど、逃げません。
真っ直ぐに、泉里ちゃんの視線を受け止めます。
自分の鼓動の音だけが凄く大きく聞こえる程に静かな間が生まれます。
それが何れ位の間なのかは正確には判りませんけど、喉が物凄く渇きます。
掌の汗も凄いです。
それでも耐えます。
…気絶しそうですけど。
「…曹魏に大陸を統一する意志は有りません
それは孟徳様の御意志でも有りますので、この発言は公式な物として受け取って頂いて構いません」
「…判りました」
その沈黙と緊張感を破り、名代である泉里ちゃんから明確な回答が示された事で隠すつもりは無いのだと、そう確信します。
同時に、恐らくは建国より以前から曹魏は今の状況を想定していたのでしょう。
だから、江水以南に勢力を伸ばさなかった、と。
それから軍師達にて纏めた質問を行いました。
私達としても、無闇矢鱈に曹魏を刺激したり悪印象を懐かせてしまう真似は極力避ける様にしています。
ですから、残った質問とは曹魏に影響の少ない内容に留めて有ります。
軍師同士の駆け引きならば踏み込む事も必要ですが、彼我の立場が違い過ぎる今余計な真似は出来ません。
私達の一番の目的は孫呉が国として確立する事。
その為の会談ですから。
「それでは、只今を以て、本日の会談は終了とさせて頂きます」
「はい、本日は誠に有難う御座いました」
泉里ちゃんの終了の言葉で私達は席を立ち、この場を設けて頂いた事へ、改めて感謝を伝えます。
…ただ、出来る事ならば、泉里ちゃん達と少しだけ…本の僅かでも良いから話の時間が欲しかった。
それだけが心残りです。
「…今日の南部行きの船は既に乗船手続きが終わった頃だと思いますが…
手続きはされましたか?」
「……え?」
「……いえ、会談の終わる頃合いが判らぬ故、終了後手続きするつもりでして…
難しいですかのぅ…」
「密輸や不法入出国を防ぐ為にも事前の申請と検査が義務付けられていますので貴女方だけを特別扱いには出来ません
今御利用中の宿を明日まで延長する様に手配します」
「…誠に忝ない」
「…それから、大通りから少し脇に入った所に有る、“旬果楼”という御茶屋に行かれてみては?
今日御用意した御茶の葉も売っていますので」
「──っ!!」
「それは良い話を聞かせて頂きました
是非、行かせて頂きます」
「では、失礼致します」
そう祭さんと話をしながら泉里ちゃん達は退室。
でも、直ぐに会えるのだと彼女の言葉が伝えていた。
胸の高鳴りを抑えながら、仕事を済ませる為に動く。
──side out。




