弐
Extra side──
/北郷
額から頬、首筋へと伝って流れ落ちて行く汗。
それは、運動後の一時的な発汗とは違い後から後から滲み出て来る様に。
際限無く、流れ出る。
日焼けしない様に着ている長袖を脱ぎたくなる。
だが、脱いだら肌は焼かれ当分苦しむ事になる。
日焼け止めなんて無いし、治療薬なんかも無い。
避けられる怪我や病気から避けるべきなのが、今居る“この世界”だからだ。
本当に不便過ぎるよな。
それでも暑い事は変わらず汗を拭う袖口は当然濡れて重く為り、パワーリストを付けたみたいに僅かながら割り増しに体力を奪う。
同様に下着やズボンとかも汗が滲みていて重い。
それに伴い、呼吸は乱れ、口も渇いてくる。
ジリジリと照り付けてくる太陽と、快晴が恨めしい。
せめて、曇っていてくれ。
そう思わずには居られない位に暑いんだよ。
時期的に、土地的に。
益州は暑いから仕方が無い事なんだろうけどさ。
暑いものは暑いからな。
ただ、同じ南部でも孫策の領地とは違うらしい。
此方は所謂、熱帯雨林。
南蛮の影響も有るのだとは思うんだけど、南蛮よりは遥かに増しだと言える。
それでも、幽州に居た頃に比べるとキツいんだけど。
それでも泣き言を言ってる暇は無いのが現状。
日陰・木陰で翳るまでの間休みたくなるんだけど。
足を止める事は難しい。
それは何故なのか。
死屍累々となった戦場から命辛々逃げ出し生き延びる事が出来た俺達は成都へと向かっている行軍している真っ最中だからだ。
とは言え、その規模は既に行軍と言える様な兵数ではなくなっているが。
一応は、軍事行動だから。
そういう意味では行動だと言う事が出来るだろう。
どうでもいい事だけどな。
「…おい、水をくれ」
「………」
「…?、なあ、水だよ水、聞こえなかったのか?」
「………………」
側に居た兵士に水の入った竹筒が欲しいと伝えるが、兵士達は誰も応えない。
まるで、兵士達が俺の事を無視してるみたい…って、ああ、そういう事か。
此奴等、俺が剣を失って、“役立たず”だって思って従う気が無くなったのか。
まあ、そうだよな。
今の俺は何も出来無い。
何の価値も無い。
只の“御輿”に過ぎないんだからな。
…いや、それも無理か。
本当、どうしようもない程何も出来無いな、俺は。
だからか、兵士達の背中が語っている様に思える。
“はあ?、何で役立たずのお前なんかに、貴重な水を遣らないといけないんだ、巫山戯てんのか?”
“水が欲しいのなら自分で何処かに探しにいけよな、俺達はお前の為に働く気は微塵も無いんだよ”
“お前さ、“天の御遣い”なんだろ?、だったらさ、自分でどうにかしろよな
先ずは曇りにしろ、それで雨を降らせてくれ
出来るんだろ?、なあ?、“天の御遣い”様よぉ?”──等と言う彼等の声が。
「はいっ、御主人様♪」
そんな失意の中、俺の前に明るく優しい声と共に差し出されたのは竹筒。
チャプンッ…と馬に揺られ鳴った音が水が入っている事を物語っている。
竹筒を差し出す腕を辿れば何時の間にか隣に来ている彼女の姿が有った。
「……桃香?」
“どうしてだ?、俺は…”と言い掛けるが、その先を続ける事は出来無かった。
ある意味、俺に一番失望し見限っている可能性が高い人物こそ、桃香なんだ。
桃香は俺が“天の御遣い”だって信じてくれていた。
だから俺を尊重してくれて大切にしてくれていた。
それを、俺は裏切った。
その価値を失ってしまったんだからな。
正直、怖くて仕方が無い。
もしかしたら、この水には毒が入っているのかも。
“役立たず(天の御遣い)”を病死に見掛けて、此処で始末する為に。
そんな考えが浮かんだ。
だから、受け取りたくても手を伸ばせない。
“まだ死にたくない!”。
その思いを胸中で叫ぶ。
しかし、その一方では俺は“…もう、楽に死ねるなら構わないか、疲れたし…”という気持ちも懐く。
葛藤と言えば葛藤だろう。
何とも言えないけどな。
「もぉ〜…要らないの?
御主人様が飲まないんなら私が飲んじゃうんだから」
そんな風に悩んでいると、“えいっ♪”という可愛い掛け声が聞こえてきそうな雰囲気で桃香は竹筒を引き戻して口元に運び、豪快に傾けて見せる。
ゴクゴクッ…と喉を鳴らし流れ込んで行く。
竹筒を戻すと、唇の端から伝い流れるのは汗ではなく甘露な味がしそうな滴。
思わず渇いた喉を潤す様に唾を飲み込んだ。
水が欲しいのは確かだ。
しかし、それ以上に桃香が艶かしくて、欲しくなる。
その唇に吸い付きたい。
その唇から水を飲みたい。
もっと、もっともっと!。
桃香を味わいたいっ!。
そんな欲求が湧いてくる。
「劉備様!、何故その様な“紛い物”にっ!」
「──っ!?」
──けど、兵士の誰かから放たれた一言が俺を非情な現実へと引き戻す。
その資格は俺には無い。
俺は、紛い物だからな。
もう、あんなに夢みたいな日々は過ごせない。
取り戻せないんだ。
「え?、何言ってるの?
御主人様は、紛い物なんかじゃないよ?」
「な、何を…あの時確かに言われていたでは──」
「──うん、聞いてたよ
曹操さん達は言ってたよね
御主人様だけじゃなくて、三人全員が“天の御遣い”なんだって、ね?」
『────っっ!!!!!!!!』
「御主人様っ、これからも宜しくね♪」
「ああっ、勿論だ!」
その桃香の言葉には、俺も兵士達も驚くしかない。
だが、確かにそうだ。
あの曹操が言っていたのを俺達は確かに聞いた。
聞いていたんだ!。
まだ、終わってはいない。
俺達の物語は続くんだ。
終わらせはしないさ。
──side out。
劉備side──
逃げ出すしかなかった。
それしか出来無かった。
何も、出来無かった。
それが、戦いの結末。
だけど、終わりじゃない。
終わってはいなかった。
確かに曹操さんには勝てる気は今はしない。
多分、武力で戦って勝てる相手じゃないから。
あんなのが“切り札”とか卑怯過ぎるもん。
何なのアレは?。
あんな物、一体どうやって造ったんですか。
自分達だけしか持ってないなんて卑怯ですよ。
ちゃんと私達にも解る様に説明して公表もして欲しいですよね。
そうしたら、じゃんじゃんアレを造って、曹操さんに見せてあげますから。
…まあ、無理な話だけど。
でも、武力以外でだったら勝てないって訳じゃないと私は思うんだよね。
曹操さんに勝つ。
それだけを考えるのなら、方法は有る筈だから。
ううん、寧ろ、変に武力に拘ったから負けただけ。
勝つ事だけを考えて、特に形や内容に拘らなかったら方法は沢山有るんだし。
それが判っただけでも今は十分だって思わないとね。
(今回の戦いで宅は沢山の駒(兵)を失っちゃったけど人が居なくなったっていう訳じゃないもんね!
直ぐは無理でも立て直せば人は増やせるんだから!)
それに、人を増やす方法は一つじゃないんだから。
“天の御遣い”って御輿が使えるんだって判った以上出来る事は有る。
人が居るのは旧・漢王朝の領地だけじゃない。
曹魏や孫策さんの領地から人を集める事は難しくても“それ以外の場所”からも出来無いとは言えない。
寧ろ、孫策さんの所は外と接触し難いから、将来的に宅の方が勝るよね。
(そうしたら、先ず最初に曹操さんよりも孫策さんに“仕返し(御礼)”をしないと駄目だよね〜♪)
うんうん、きちんと伝えて服従(感激)させないとね。
“憎悪と怨恨(気持ち)”を届けなくちゃ駄目だよね。
その為にも、御主人様には役に立って貰わなくちゃ。
今まで好き勝手してきた分しっかり働いて貰わないと割りに合わないし。
世継ぎも欲しいしね。
(ああでも、御主人様との子供じゃあ、将来性が無い気がするんだよねぇ〜…)
本当は“王累さんと”って考えてたんだけど。
何か、黒幕だったし。
私って男運悪いよね〜。
う〜ん…あ、曹純さんって確か“女好き”だって噂が有ったよね?。
だったら、曹操さんよりも私の方が女として魅力的で素敵だって解らせて上げて奪っちゃおっかな?。
…うん、それ、良いかも。
フフッ、楽しみだな〜♪、曹操さん、どんな顔をしてくれるのかな。
──side out。
趙雲side──
炎天下の中、彼方へ延びる街道を黙々と進む。
成都へと向かう道程。
行きと違い、大きく減った隊列は無惨の一言。
戦場の爪跡、城や砦の跡、そういった物は見てきたが似て非なる光景だ。
その殿を務めているが故に見えてしまう事が有る。
見たくはなくてもな。
(…劉備め、まだ懲りずに曹操と張り合う気か…)
一度は“役立たず”として見限った北郷を兵士達から守り、擁護する様に接する姿を見て察する。
まだ“利用価値”が有る事に気付いたのだと。
それだけで気が滅入る。
だが、それだけではないがその足取りは軽くはなく、重いと言うべきだろう。
当然と言えば当然だな。
私達は敗者なのだ。
戦場から命辛々逃げ出して生き延びただけ。
戦う事すらしていない。
明らかに“世界の危機”と言える様な状況で。
私達は──私は命惜しさに逃げ出したのだ。
勿論、生きていこそ意味が有るのだから、逃げる事が悪い事だとは言わない。
命懸けで戦ったとしても、無駄死にしていただろうと容易く予想が出来てしまう程に圧倒的な相手を前に、生き延びる為の選択として逃げ出したのだから。
恥じる事では有るだろうが間違いだとは思わない。
ただ、後悔は有る。
あの時、私は一人だけでも残って戦うべきだった。
其処で死んでしまっても、それはそれで満足して死を迎えられただろう。
逃げずに戦ったから?。
いいや、そうではない。
その真逆だからだ。
私は自分の犯した過ちから逃げ出す事が出来た。
“世界を守る為に”という大義の下に命を懸けて戦い敗れて死んでいけたのなら武人として名を汚す事無く英傑(尊い犠牲)という形で名を刻めただろうから。
今の様に生き恥を晒して、苦悩と葛藤を抱えて生きる事は無かっただろう。
そう思うと、だな。
しかし、あの時、脳裏にはその選択肢が確かに有り、選ぶ事は出来たのだ。
決して、後から気付いての話ではない。
けれど、浮かんでいても、その結末を選ぶ事は私には出来無かった。
正直な話、私の中には既に劉備への忠義は無い。
いや、はっきり言うのなら劉備と北郷の頚を手土産に曹魏──は無理だろうから孫策の所に行きたい。
それが無理でも二人を討ち取ってから、放浪の旅へと出るのも有りだと思う。
嘗ての旅の様に。
彼奴等は害悪でしかない。
民の命を我欲の為に弄び、奪い去るだけだ。
故に、生かしておく理由を見出だす方が至難だ。
だが、そうは出来無いのも現実でもある。
実に忌々しい事だがな。
私には此処に留まる理由は無いに等しいと言える。
だが、一つだけ有る。
他でもない朱里の存在だ。
彼奴等を殺せば朱里は後を追う事だろう。
彼女を一人残して去る事は私には出来無い。
しかし、無理に連れて行く事も出来無いのだ。
もし、そうしてしまったら朱里は自責の念により押し潰されてしまうだろう。
朱里は自分が劉備達の事を正しく導けなかった。
その責任は自分に有る。
そう考えている。
勿論、“違う”とは私とて言いはしない。
それは間違いではない。
ただ、それは朱里“一人”だけの責任ではない。
私や他の者達も含めてだ。
何よりも劉備自身の責任は大きいと言える。
当然、北郷もだが。
朱里は一人で背負い込んで自分を追い詰めている。
彼奴等の元に朱里を残してしまっては確実に再び同じ過ちを繰り返すだろう。
朱里自身“引き返せない”という様に考え過ぎているだろうからな。
だから、今は私も堪える。
耐え凌ぐ事を選んだ。
朱里が自らの意思により、“別離”を選ぶ時まで。
私が朱里を守り、支える。
それが私に出来る償い。
朱里が望まないとしても。
朱里(主君)に対しての私の忠誠だと思っている。
──side out。