24 曹天に座して 壱
──八月一日。
夜天が暁光により紫天へと染まりゆく中で。
俺の下に華琳達が集まる。
別に俺の方から移動しても良かったんだが。
当然、俺が目指して向かう場所は華琳の所になる。
しかし、華琳が居た場所は隔壁の門扉の前ではない。
それはまあ、アレだ。
何も領内に入るのに俺達は必ずしも門扉を潜る必要は無いのだが。
文字通り隔壁を跳び越えて入ればいいだけの話。
態々、門扉の開閉に労力を割く必要は無いからな。
ただまあ、其処は他の者に示しが付かなくなるので、基本的には遣らないが。
そんな訳でだ、一応俺達も形だけとは判っていても、門扉からの帰還が必要。
故に、桂花達の居る門扉を目指すべきなんだが。
其処はほら、アレです。
やっぱり、俺が“戻る”と考えているのが華琳の隣、という事も有りまして。
どうしても、華琳の所へと行きたくなる訳ですよ。
そういった理由も有って、華琳達を待つ事にしたのが実情だったりします。
幾ら、華琳が“一番”だと判ってはいても、頑張った皆への配慮も必要だから、不用意な特別扱いはしない様に気を付けないとな。
その辺りを怠ると…まあ、色々と大変になる訳だ。
──という訳で、集まった訳なんだが。
“戦闘の爪痕(後片付け)”を目の前にして、将師は皆遣りたくはないからか。
互いに牽制し合い、静かに睨み合っていた。
一軍──つまり、一師二将が担当するだろうと察し、誰もが避けたいと考えての膠着状態だと言えた。
あの結や螢、思春・葵に、愛紗でさえもだ。
必要な事だったのだから、遣ってしまった事は仕方が無いとは判ってはいる。
しかし、面倒な物は面倒。
嫌な物は嫌だという事。
とは言え、放置したままで帰るという訳にもいかない事は理解している。
でも、遣りたくはない。
皆の心情が、手に取る様に判るからこそ口を挟む事を躊躇わされる訳だ。
ただまあ、此処で無意味に睨み合っていても過ぎ行く時間だけが費やされるので“俺が片付ける”と言って手早く済ませた。
地形と地中の消失した分の土石は戻らないが、全体を均す事は難しくはない。
その分、元の地形等からは変わってしまったし、大分窪んでしまったが。
其処は仕方が無い事だ。
…まあ、適当に何処かから“影”に土石を採取して、持ってきて補充すれば済む話では有るんだが。
下手に別の地域の土石等を混ぜると生態系への影響が少なからず出てしまう。
それを懸念して遣らない、というだけでな。
遣ろうと思えば出来るよ。
先ず遣らないけど。
とまあ、そんなこんなで、後片付けを終えた訳だ。
その際、華琳は苦笑しつつ呆れてはいたが。
他の皆からの感謝と尊敬の籠った眼差しと言葉には、逆に俺が引いてしまった程強い思いを感じた。
そんなに嫌だったのか。
特に、斗詩さんや。
泣く程なんですか。
慣れてるでしょうに。
そんな感じで事を終えて、夜が明け──てはいたが、帰って始まった大宴会。
妻達は勿論、最終決戦へと参加した兵達、それを支え補った文武官や御義母様達までが参加しての祝宴。
手抜き無く準備されていた事も有り、かなりの規模の宴となった訳だ。
…出費は政務費からか?、出そうと思えば出来るが、今回は曹家の私費からだ。
一応、最終決戦自体は国事では有ったんだが。
大宴会は慰労会だからな。
流石に、国庫から出すのは違うだろう。
勿論、参加した兵達等への“特別手当て”は国庫から出すんだけど。
それは当然の事だからな。
だから其方は問題無い。
大宴会は私事に近いから、曹家が出しただけだ。
そんな訳で、俺達の帰還後始められた訳なんだが。
“何も直ぐでなくても…”と思わなくもなかった。
まあ、大宴会を遣るように言ったのは俺だけどさ。
せめて、日を改めても良い気はするんだが。
勿論、直後に遣るからこそ盛り上がるし、目出度さが有るんだろうけど。
休みじゃないんだからな。
一応、疲労等も考慮はして調整し、軽減して有っても仕事は有るんだからさ。
其処は考えような。
──とは言うものの、皆は平然と仕事をしている。
貫徹している筈なんだが…うん、元気だな、皆。
しっかり仕事をしている。
城内の雰囲気は普段通り、大戦の終わった後だからと浮わついたり、解放感から気が抜けたりしている様な事は全く見られず。
皆、きちんと切り替えて、日常へと戻っている。
体調が悪そうなのは羽目を外し過ぎて自爆した者達。
尤も、その自業自得な者達は揃って今日が休日だから特に説教はしないが。
だが、助けもしない。
自業自得なんだからな。
そんな様子を見ながら歩き自然と苦笑を浮かべるのは可笑しくはないだろう。
悪い事ではないのだが。
皆、逞し過ぎるぞ。
「それだけ貴男の価値観や指導方針が根付いている、という事でしょう
と言うか、貴男だって随分飲まされていたけど?」
「あれ位なら問題無いな
寧ろ、一時的にとは言え、皆が酔い潰れてくれたのは俺としては僥倖だったな」
「僥倖ではないでしょ?
少なくとも、それを狙って貴男は宴を催した筈よ」
そう言って意味深な視線を向けてくる華琳に対して、俺は苦笑を浮かべる。
“見抜かれてるか”と。
対して“当然でしょう”と得意気に笑う華琳。
決して、ドヤ顔ではないが不敵な笑顔だ。
…可愛いんだけどな。
それは兎も角として。
華琳の言った通りだ。
この大宴会の真の目的とは皆を酔い潰す事に有る。
別に、酔い潰して襲うとか企んだ訳ではない。
寧ろ、その逆だったりする訳だからな。
華琳は知っていたが。
王累との戦いで俺に関して色々と暴露をされるだろうという事は判っていた。
俺の狙い等も含めてな。
それに対する追及と要求を先送りにする(躱す)。
その為の物だった。
追及に関しては追々という事でも納得するとは思う。
しかしだ、要求に関しては引かない気がした。
まあ、何を要求されるかは見当は付いているしな。
最終的な戦いが終わった今最も重要視される事。
それ自体を拒む気は無いが──まあ、そういうのにも雰囲気や頃合いが有る。
それを考慮しての事だ。
「とは言え、御義母様達は手強かったがな…」
「もう少しで私にも弟妹が出来ていたかしら?」
「別に御義母様達に魅力が無いとは言わないが…
冗談でも止めてくれ
その一線を越えたら本当に収拾が付かなくなるから」
「ふふっ、ええ、そうね」
揶揄いだと判ってはいても本当に洒落では済まない話だったりする。
いや、本当に御義母様達は女性としては魅力的だ。
抑、若年──十代前半から半ばで結婚・妊娠・出産を普通に行う時代だ。
“彼方”の現代で言えば、三十代半ばで初めて結婚を迎える女性が、此処でなら大体が子持ちで有ったり、自ら“年増”と言っている。
価値観の違いなんだが。
俺や小野寺達からすれば、御義母様達は綺麗な女優やアーティスト等の有名人の様な存在だと言える。
つまり、“そういう”風に向き合えば、十分に対象に入ってくる訳で。
当然ながら、男としてなら“据え膳食わぬは男の恥”だとさえ言える。
しかしだ、もしも応じると話が複雑化する。
華琳の母である御義母様は曹家の直系であり、嫡男に嫁いだ訳ではない。
何しろ、義父である田疇が入り婿なのだから。
その御義母様との間に子を成したら…色々と大変だ。
勿論、肉体関係だけで子を成さなければ良いだけの話だとは言えるのだが。
愛する以上、その女性との子供を望むのは必然で。
そう為ったとしたら、当然俺は御義母様との間に子を成すのは間違い無い。
だから、一線を越えないで守る事は大事なんだ。
尤も、御義母様達は俺から求め(手を出さ)ない限りは義母子としての関係以上に為る気は無いだろう。
まあ、多少…いや、かなり積極的なスキンシップも、揶揄い半分だろうしな。
……本当は“私(達)なら、いつでも構いませんよ?”というアピールである事は察してはいますが。
負けられません。
ええ、負けませんとも。
「因みにだけど御祖母様は亡くなった時でも二十代の女性と言える位に若々しい美しさを誇っていたわよ
そんな御祖母様似だって、御母様や私は言われている事は知らないでしょ?」
──何…だとっ!?。
まさかの不老性の遺伝子を持っているとは。
いや、そうではなくて。
…くっ…いつか負けそうな気がしてきた。
そんな事を話しながら城を後にして街に足を運ぶ。
視察という訳ではない。
単純に…まあ、デート。
日常的に俺達は街に出ては普通に民と接している。
公的な立場の時には流石にきちんと遣るけど。
普通は気楽に会話もする。
そういう部分は華琳よりも孫策や劉備は上手いな。
性格的な事も有るが。
それでも、以前に比べれば華琳も丸くなったな。
華琳の自己基準で向き合う事をしなくなったからな。
それだけでも大きな進歩。
頭を撫でたくなるな。
──とか思っていたら組む左腕を抓られた。
顔を向ければ、“馬鹿っ、余計な御世話よ!”と頬を赤くして睨んでいる華琳と視線が重なる。
くっ…街中でなければ。
そう思う俺は正しい筈だ。
そう、可愛いは正義だ。
「それにしても、アレだ
皆、慣れた物だよな」
「貴男の鍛練の成果ね
二〜三日の不眠不休位なら普通に出来るのだから」
「まあ、身体には悪いから基本的には駄目だけどな」
それが必要な状況ならば、仕方が無いのだが。
間違っても誉められる様な事ではない。
と言うか、そういった事が必要となる状況に為る方が大問題だと言える。
それを避けるべきであり、そう為らない様にする事が仕事なのだから。
勿論、自然災害等によって生じた場合は別だが。
今は仕事に行っているから何も言う事は無いし、俺が言い出した大宴会が原因の事だから強くも言えない。
まあ、華琳の言う様に特に悪影響が無い以上は、俺も目を瞑る事になる。
「けど、昼を過ぎた辺りで三人は落ちるだろうな
あとは…まあ、葛藤の末に二人って所かな」
「珀花・灯璃、それに恋ね
後者は斗詩と…翠かしら」
前者の三名は仕事を終えて自由の身と為れば、自らの欲求に正直に従う。
そう、睡魔には抗わずに。
しかし、後者は基本的には真面目だが、本能的欲求に意外に弱かったりする。
だから、葛藤し抗うのだが最終的には屈する。
単に、そういう話だ。
尚、斗詩と翠も昼までで、午後は休みなので問題には為らないけどな。
ただ、昼寝をした場合には夕食や夜の就寝時間に対し影響が出て来る。
それならば、明日の朝まで眠り続けられるのであれば寝通した方がいい。
説教もされないからな。
「…こうしていると昨日の戦いが嘘の様に思うわ」
「人、大地に在りて生き、王、大天を戴き統べ治め、国、大志の下に繋ぎ継ぎ、全て世は事も無し、か…」
「誰かの言葉?」
「俺の思い付きだな」
「つまり、貴男の言葉ね」
「………」
何気無い会話な筈なのに。
だが、何故だろうか。
変な汗が止まらない。
“それは、どういう事?”“どうするつもりだ?”等言いたい言葉が有る。
有るのだが、言った瞬間に引き返せなくなる気がして口が開かない。
と言うか、妙に口が渇く。
…もう遅い気もするが。
「遺して欲しい?」
「もし叶うのなら、全力で拒否させて下さいっ!」
何なら、この場で土下座も厭いはしない。
そんな事で生涯の黒歴史を抹消出来るので有れば。
この曹子和、全身全霊にて俺史上最高となる土下座を披露しようぞ。
そんな風に考えながらも、真剣さを伝える為に華琳を見詰めて訴える。
そう、仔猫か仔犬だ。
うるうると潤んだ瞳っぽい感じで母性本能を刺激し、勝利を勝ち取るんだ。
という意気込みが伝わったのかは定かではないが。
華琳が溜め息を吐いた。
「…全く…判っているの?
今後の自分の立場を?」
「……現実逃避は?」
「自分の首を絞めるだけと判っているのでしょ?」
「…ですよねー…」
結論、頑張ってはみたが、現実は優しくはなかった。
「だから、頑張りなさい」




