伍拾参
“外”で遣る事を終えると事前に用意していた術式を発動させる。
簡単に言えば召喚術だ。
但し、少し特殊ではある。
何しろ、自分で自分自身を召喚するという物だから。
とは言え、そのまま遣ると少し場所を移動するというだけでしかない。
それでは遣る意味が無い。
其処でだ、重要になるのは“召喚先”の指定。
曹魏領内に指定しておけば安全且つ確実なのだが。
それでは二度手間になる。
この召喚術を使い“戻る”頃には最終決戦が始まり、下手をすると終わっている可能性も有り得る。
と言うか、華琳(奥さん)の負けず嫌い(性格)的に。
俺が不在の間に終わらせて出番を奪おうとする筈だ。
だって、俺が華琳だったら遣って悔しがらせたいし、認めさせたいからな。
“私(俺)こそが儷び立つに相応しい”ってね。
だから、召喚術を使うなら行き先は一つしかない。
そう、華琳の直ぐ側だ。
つまり、華琳を目印として指定して召喚術を施行し、戻るという訳だ。
──で、戻って来て見れば目の前には華琳の姿が有り直ぐ側には“災厄”である王累の気配が有った。
それだけで出番の有る内に戻る事が出来たと理解し、思わず口に出してしまう。
うん、油断してました。
華琳の機嫌が悪くなった。
なので、頑張って直す。
その甲斐も有って、華琳の機嫌は悪くはなくなった。
欲張ると危険だからな。
それ以上は望みません。
そんな感じで、夫婦の遣り取りをしている間も視線は王累に向けていた。
牽制の意味合いも無いとは言わないんだが。
俺としては確認している、という意味の方が強い。
華琳を疑ってはいないが、現状を確認して置かない事には始められないからな。
──とか、思っていると、華琳の視線に変化を感じて──考えるより先に身体が反応していた。
華琳を抱き寄せている。
…うん、アレだな、男とは現金な生き物だって事だ。
隅から隅まで知っていると豪語出来る位に愛し合い、求め合っているのに。
何故、その温もりを感じるだけで幸せなのか。
安心してしまうのか。
強く、勇気を持てるのか。
ただただ、愛しい女が傍に居るというだけで。
強がったり、格好付けたりしてしまうのが男の性。
別に、本当は有りの侭でも良いんだけどさ。
けどまあ、其処は…ほら、やっぱり、馬鹿だから。
男って惚れてる女の視線を意識してしまうんだよ。
…まあ、女性も似た部分は有るんだろうけど。
男の場合は…何と言うか。
色々と単純なんだよな。
そんな風に考えていると、華琳から頬にキスされた。
唇じゃないから挨拶程度の筈なんだが…マーキングをされた様に感じてしまった辺りは何故だろうか。
別に男の王累に妬いたって訳じゃないだろうけど。
…あー、いや、そうか。
他の妻(皆)に対して、か。
うん、つまり、俺の戦いは後にも控えてる訳だ。
過労死するぞ、俺でも。
華琳が離れていき、王累と二人だけになる。
“言葉は必要無いよな?”という感じの雰囲気だが…其処はまあ、アレだ。
会話によってのみ伝え合う事が出来る事も有るから。
だから、話し掛けてみる。
「自己紹介は必要か?」
「…いや、無用だ
貴様は奴の伴侶だ
ならば、我の事に関しては十分に知っていよう
我も貴様の事は知っている
散々に貴様の伴侶が惚気を聞かせてくれたからな」
「それは災難だったな…」
思わず、そう言ってしまう俺は可笑しくはない。
いや、別に自分達夫婦の話だからという事ではなく、他人の幸せな惚気話程に、聞いていて面白くない話は無いだろうからだ。
学生時代の、校長や来賓の挨拶なんかでも聞いていて眠くは有るが、学び取れる事も有る話とは違う。
本当に、口から砂糖を吐き濃厚なブラックコーヒーを飲みたくなるのが、他人の惚気話という物だ。
大体は、大人しく話に付き合って聞いているんだけど俺だって“あーはいはい、そーですねー”と棒読みで適当に相槌を打っておいて流したい事は有る。
特に、痴話喧嘩寸前辺りの愚痴なんかを聞いている時とかはな。
…まあ、自分の事を惚気る華琳達(奥様方)に遭遇した時の聞かされている相手と目が合ってしまった瞬間程気不味い事も無いが。
“どうにかして下さい!”“いや、どうしろと…”と瞬間時に遣り取りをするが実際には何も出来無い。
なので、素通りして行く。
その為、次に顔を合わせた時には愚痴られる。
とまあ、そんな感じの事は日常茶飯事だ。
平和な証拠だけどな。
…それはそれとして。
「知っている事自体には、俺も驚きはしないが…
こうして、“存在しない”筈だった俺の姿を目の前にしているのに大して驚きもしないって反応は凹むな
もう少し驚けないのか?」
「それならば、我ではなく貴様の伴侶に文句を言え…
散々に驚かされ、弄ばれ、引っ掻き回してくれてな
貴様の“帰還”に関しても断言していたぞ
抑、その殆んどが、貴様の狙いだったのだろうが…」
「…根拠は無いのに?」
「…それを貴様が言うか?
あの様な“戯けた物”まで用意して置いて…
どの口が言うのだ?」
「あー…遣り過ぎたという自覚は有るんだよ、うん
“アレ”に関しては…
後で説教食らうだろうとは覚悟もしてるしな」
「フンッ…それを聞いて、溜飲が下がる思いだ」
そう言って“自業自得だ”と言いた気な王累の笑みに苦笑を浮かべてしまう。
同時に理解もする。
その“人間臭い”反応が、華琳が任せた役割を完遂し“おまけ”を遣ろとして、時間切れになったんだと。
本当に負けず嫌いだな。
尤も、俺が華琳の立場なら同じ様に遣るだろうから、それに関しては何かを言うつもりは無い。
…出来れば、同じ様に俺の説教も軽減して欲しいが。
それは無理だろうな。
嗚呼、現実とは非情だ。
華琳が下がった事を察し、僅かに体勢を変える。
それだけで十分だった。
王累も此方の意図を察し、構えを取った。
そして、俺へと向けられた王累の右手に握られている過度なまでの黄金の長剣を──“禍刃”だろう其れを見詰めながら訊ねる。
「…その銘は孟徳が?」
「…ああ、知っている」
ならば、俺が確認するのは二度手間だろうな。
と言うか、そういう類いの名乗りは回数を控えたい。
俺の個人的な意見だが。
真名程ではないにしても、軽々しく繰り返し言うのは好ましくはない。
その銘も、存在も、全てが軽く感じてしまうから。
だから、華琳が訊いたなら俺は訊く必要は無い。
「それなら、此方の紹介をして置かないとな」
右手を天に翳す様に伸ばし虚空を掴む様に握る。
華琳の物を見ているのなら既に驚きはしないだろう。
…それはそれで物足りないのだけれど。
まあ、仕方が無いな。
自分勝手な我が儘(都合)で“外”に出たのは俺だし。
華琳に色々と任せた以上、それに伴う見せ場を譲った様なものなんだから。
其処だけを、“我慢しろ”とは言えないしな。
そんな事を考えながらも、抜き放って見せる。
右の掌中に顕現するのは、全長は凡そ130cm。
一点の曇りも無い黒の刃は長さ凡そ100cm。
緩やかな反りを持っている大太刀である。
王累の禍刃とは対照的に、全てを、光さえも飲み込み闇に融け込む様な漆黒。
黒一色、全ての無駄を削ぎ落とした様な無骨な造りは有るべき神々しさの欠片も持ち得てはいない。
だが、それで構わない。
その姿こそが、俺を映し、俺を表しているのだと。
胸を張って言える。
抜き放った事に伴い、宙に虹彩色の燐光が舞う。
「俺の天刃──“叢天鬨輅”だ」
その鋒を王累に向けながら見せ付ける様にする。
自慢している訳ではない。
天刃は自らを映す鏡だ。
その価値観を、在り方を、生き様を、深く反映する。
何よりも雄弁に物語る。
そういう存在だ。
だから、こうして対峙する王累へと示す。
隠す事など無いのだと。
これが、俺なんだと。
それは王累にも言える事。
あの禍刃は天刃に対抗する手段として生み出した存在ではあるのだが、対存在に当たるからなのだろう。
禍刃もまた、王累を映し、示す鏡でもある。
それ故に、こうして互いに見せ合う事は、その意志を示し合うという事。
故に、その刃を交える事は言葉よりも雄弁に示し。
語り合うという事。
譲れないからこそ、戦い。
全てを賭して、奪い合う。
相手の意志(刃)を超えて、未来へと刻み込む為に。
ジッ…と見詰め合う中。
先に口を開いたのは王累。
「…偶然ではないだろうし意図的に付けた、といった可能性も無いだろうが…
対、だからなのか?
その読み名が同じなのは」
王累が気にした俺達二人の天刃の銘の読み名。
“対天刃”で有るから。
それだけでは有り得ない。
確かに、その存在自体が、イレギュラーなのだが。
そういった理由で銘を刻むという事は有り得ない。
何故なら、天刃は映し鏡。
例え双子が天刃を得ても、その姿が同じとは限らず、姿が酷似していたとしても銘は異なる物だから。
如何に、双子であろうとも他人(別人)で在る以上は、その本質は異なる。
だから、有り得ない。
だから、王累は訊ねた。
それを知っているが故に。
「偶然と言えば偶然だな
天刃の銘は意図的に付ける事は出来無い物だ
だが、その一方で対天刃が同じ読み名を持った事は、必然だとも言える
それは俺達が考えるよりも遥かに単純な理由だ」
──と、そこで敢えて切り態と間を開ける。
勿体付けていると言えば、否定は出来無い。
そういう風に取られても、何も可笑しくはないから。
しかし、それが狙いという訳ではない。
全ては強く意識させる為。
王累に伝え、示す為。
この対天刃を通して深く、明確に感じ取らせる為だ。
それに王累は必ず訊く。
俺や華琳でも同じだ。
気になったままでは戦いに集中出来無いからな。
だから、必ず訊いてくる。
そう、必ずだ。
「…それは何だ?」
その一言が、王累の口から出た瞬間に。
思わず口角が上がりそうに為るのを必死に抑える。
胸中では成功を喜ぶが。
決して表には出さない。
そんな些細な失敗で全てを台無しにはしない。
もしも遣ったら──生涯、華琳に頭が上がらなくなるだろうからな。
…今でも微妙だけど。
「俺達は同じだからだよ」
そう言うと、王累は大きく眉根を顰めた。
不機嫌さを隠す気も無く、俺を睨み付けてくる。
まあ、そうなる気持ち自体理解出来無くもない。
寧ろ、理解出来無いなら、そうなるだろうから。
「…巫山戯ているのか?
その程度の理由で起きると言うのであれば、過去には幾度も有り得た筈だ
それを貴様は説明出来ると言うのか?」
「ああ、勿論、出来る」
柳が風に揺れる様に。
俺は王累の怒気を受け流し躊躇無く肯定する。
流石に予想外だったのか、俺の反応に王累も一瞬だが呆気に取られていた。
その所為か、怒気が薄れて若干の戸惑いが混じる。
…だが、何故なんだか。
華琳達の様な呆れが混じる視線を向けられている。
…気にしたら負けか。
「対天刃は俺達が対である事を示している訳だが…
それは夫婦・男女は勿論、過大解釈すれば陰陽思想に届くとさえ言える
だから、姿は、銘の字は、各々に異なっている
しかし、その読み名だけは全く同じだった…
俺達自身でさえ驚いた
だが、直ぐ納得した
何故なら、俺達の意志は、俺達の“根幹(原点)”は、全く同じだからだ
誰よりも、何よりも深く、俺達は繋がっている
対天刃は、その証だ
だから理由は単純なんだ
俺達は同じだってな」
「…………クッ…ククッ、フハハハハハッッ!!!!!!」
俺の説明に唖然となり──声を上げて笑い出す王累。
その態度が物語る。
“奇跡の中の奇跡とさえも呼べる事の理由が、そんな事だと言い切るか…”と。
“全くっ…何処までも我を愚弄しおってからに”と。
怒気以上に“真面目に考え悩んだ自分が馬鹿馬鹿しいではないか…”と。
愉快そうに王累は笑う。
だが、嘘ではない。
冗談でもない。
対天刃は俺と華琳の鏡。
“世界”にさえ刃(意志)を向ける俺達の証なんだ。




