弐拾肆
其処に居たのは変人。
…ああいえ、違いました。
変な格好の人です。
二十代前半位の男。
175cm前後の身長をした細身ながら鍛えられている印象を受けます。
それだけなら普通ですが、髪の毛を刈った稲を束ねたみたいに長く伸ばしていて頭の真上だけ残して残りは剃ってしまっているという──そう、まるで華道での剣山留めに突き刺した芒の束みたいな髪型。
其処に加え、頭や顔を始め露出して見えている肌には真っ白な化粧が。
その上には、“隈取り”と雷華様が呼ぶ戦化粧の様な紋様を黒で施している。
これだけでも十分なのだが衣装は更に奇抜だ。
両手両足は肘・膝から先を獣の毛皮の様な灰の手袋・足袋で覆っている。
肩口から背中へと伸びて、背面を覆い隠す様に纏った──いや、羽織っていると言うべき魚鱗の様な紋様が浮かび上がる黒い布。
外套に近いだろうか。
だが、それらは増しだ。
問題は、最後の一点。
首から真っ直ぐ下に伸びて股下までを覆い隠す一枚の帯の様な、垂れ布。
服と呼ぶには稚拙であり、防具とは到底思えない。
一番近いと思えたのは──お風呂に雷華様と入る際に身体を隠すのに使う手拭いだろうか。
と言うか、そうやって隠す為に当てている状態だ。
…正直、違う意味で思わず後退りしたくなる。
これならば、劉備軍に居た褌一丁の輩の方が増しだと思えてしまうからだ。
後、序でに得物は片手斧を両手に持っている。
見た目には普通そうだが…侮っては為らないだろう。
ただ、其処だけが異様に、正面に見えてしまう。
そんな事を考えていると、その当人と目が合った。
「キシャシャッ!
何だ何だ、小娘?
この俺様のイカしまくりの戦装束に見惚れたか?」
「有り得ませんから」
私は自分でも驚く程に早く否定を口にしていた。
寧ろ、拒絶でしょうか。
はっきり言ってしまうと、そんな格好したら私は一生表を歩けなくなります。
雷華様に見られたなら自害──はしないまでも、顔を正面に見られなくなるとは思います。
…まあ、そんな格好を遣る理由自体有りませんが。
「照れんな照れんな!
俺様の格好良さは罪だ!
仕方が無ぇんだよ!」
「…まあ、よくよく見れば顔は整ってるな、顔は…」
自惚れている──と言うか“自分大好き”な雰囲気が溢れに溢れている男を見て翠さんは冷静に呟く。
確かに、顔は整っていると言えるでしょうね。
雷華様には遥か遠く及ばぬ程度では有りますが。
世間一般の男性としてなら十人中八人が“美男子”と言う程度には整った顔立ちだとは思います。
それを塗り潰して有り余る美的感覚のズレ、ですか。
恐らくは、こういった者を“残念な人”と世間的には呼ぶのでしょうね。
因みに、雷華様は御自分の格好には無頓着なのですが美的感覚は抜群です。
面倒臭がりなだけです。
「──で?、誰なんだよ、名前位は名乗れよな」
そんな残念な人を相手に、あっさりと切り替えられる翠さんが呆れた様な口調で男に訊ねる。
その胆力を傍で感じると、思わず“義姉上”と呼んでしまいそうになる。
勿論、尊敬はしているが。
少々違う意味で、だ。
いえ、私に其方等の趣味は有りませんから。
私は雷華様一筋です。
「おおっ、キシャシャッ!
そうだったな!
まあ、今の俺様には名乗る名前なんて無ぇんだが…
“金艮”だ!
俺様が牙王・金艮よっ!」
「いや、知らねえよ」
「何だとっ!?」
「悪いけど、その手の事は苦手なんだよ、私は
だからな、偉人とか詳しくはないんだよ
せめて、始皇帝や項羽位の知名度が無いと判らない」
…え?、あの、翠さん?、そういう話ですか?。
と言うか、それ、苦手とか関係有りませんよね?。
私も詳しくは有りませんが“牙王”なんて有り触れた二つ名だと、何処の誰かが判らないと思います。
訊くなら、その辺りの方が無難だとは思いますが。
「うぬぅ…怒りたい所だが俺様も苦手な事だからな…
仕方が有るまい…
よって、赦してやろう!」
「いや、何様だよ!」
「俺様っ!、牙王様っ!、金艮様よっ!」
「だから知らねえって!」
「何故知らぬっ?!」
「お前が知名度低いからに決まってんだろうが!」
「言ったなっ、小娘っ!
──っと、そう言えば名を聞いてなかったな」
「──っと、忘れてたよ
私は馬超っ!、馬騰の娘・馬孟起だっ!」
「そうか、では、改めて…
言ったなっ、馬超っ!
その無礼、貴様の命を以て償って貰おうかっ!」
「はっ!、遣れるもんなら遣ってみなっ、金艮!
私の命は子和様の物だ!
お前には遣らないぜっ!」
「いざ──」
「尋常に──」
『──勝負っ!!』
──と、何故か漫才をして結局は戦い始めてしまった翠さんと金艮。
そのまま二人は私から離れ勝手に盛り上がってゆく。
何と言うか…何ですか。
二人のノリに付いて行けず取り残された私は。
私が悪いのでしょうか?。
ノリに、乗り切れなかった私が間違っている?。
…いえ、違いますよね。
抑、孫策軍の十分な離脱を待って始めるべきですから私は間違ってはいない筈。
……雷華様、華琳様、私は間違っていませんよね?。
「やれやれ…これですから脳筋は嫌いなんですよ…」
「──っ!?」
唐突に聞こえた声に驚き、私の意識は現実へと戻る。
翠さん達が戦闘に巻き込み破壊した土塊兵が砕け散り砂塵となって舞い上がる中から姿を現した人物。
その存在より、一瞬だったとは言っても感知させずに近付かれたという事実に、私は驚いていた。
私に油断が有ったのは事実だけれど、それでも簡単に接近を許しはしない。
故に、察する。
この者の実力は高い、と。
姿を見せたのは見た目には普通な印象の男。
歳の頃・体格的には先程の金艮と同じ位だろうか。
しかし、格好は正面だ。
物凄く、普通なのだが。
何故か安堵する。
まあ、金艮と比べると凄く地味ではあるけれど。
何処にでも居る文官の様な格好で、鼻先まで覆い隠す黒茶の長い前髪により顔は見えないのだが。
比較的正面な気がする。
…存在感は薄いが。
いや、それで良いと思う。
確かに、見た目で威圧するというのも戦の手法の一つだとは思うのだけど。
私個人としては変に奇抜な格好をするよりも己を研く方が良いと思うから。
まあ、それは兎も角。
敵である以上、油断すれば足元を掬われ兼ねない。
気を引き締めなくては。
「…お前も金艮と同様に、王累の仲間だな?」
「仲間、ですか…」
そう私が問うと男は口元に小さく笑みを浮かべた。
“何を馬鹿な事を…”と、呆れと嘲りを含んだ。
何処か哀れみを感じさせる類いの笑みを。
「それは間違いですね
我々は、あの御方に仕える下僕(駒)に過ぎません
故に我々には貴女方の様な仲間意識(仲良しごっこ)の考えは有りませんよ
まあ、折角甦りながら敗れ去った秦王政(役立たず)は別でしょうけど…」
視線が、表情が読めない。
しかし、理解出来る。
ゾワリ…と肌を撫でる様に嫌悪感が走った。
“生理的に受け付けない”存在なのだと。
女としての、人としての、直感が私に告げている。
この男は金艮よりも外道で危険な存在だと。
(ある意味では金艮の方が思考的には正面だったかもしれないな…)
この男が言っていた様に、脳筋という印象が強かった金艮は見た目こそ奇抜だが翠さんと話していた感じは悪印象では無かった。
判り易く、裏が無い。
確かに脳筋と呼ばれる者に多い質だろう。
それ故に空気を読まない、といった点では面倒臭いが一貫しているので実際には悪印象は少ない。
勿論、其処に快楽殺人者や愉快犯、戦争主義者等。
他の要素が加わってくると幾らでも悪印象に傾くのは当然の事なのだが。
金艮の様な者は、勝敗さえ明確に為れば、あっさりとしていたりする。
だから、遣り易い。
他の可能性を考えずとも、戦いにさえ集中しておけば良いのだから。
そういった意味では、私は“ハズレ”を引いたのかもしれないな。
…乗り切れなかった結果が“これ”なのは複雑だ。
尤も、金艮のノリに乗れる自分は想像出来無いが。
「…一応、名を聞こう
私は楽文謙だ」
「我々には名は無意味な物なのですが…形式ですね
“金熊”です」
「…兄弟か?」
「ええ、残念ですがね」
躊躇いは無かった。
しかし、感情の無い肯定に不気味さを覚える。
──side out。
Extra side──
/小野寺
今、自分達に出来る事。
それは彼女達の──曹魏の邪魔に為らない様に迅速に自領へと退避する事。
ただそれだけなんだと。
頭では理解出来ている。
しかし、だからと言って、納得している訳ではない。
心にはモヤモヤと渦巻いて消えそうにない葛藤(靄)が広がってゆく。
どうしようもない程に。
馬に乗れる様になったとは言っても“人並み”程度。
到底、騎馬を扱える力量は自分には無い。
だが、一刻を争う状況下で皆に遅れずに走れるだけの走力も無い。
何しろ、精鋭なんだから。
だから、急ぐ為にも雪蓮の背中に抱き付いて、馬上で落とされない様にする事が今の自分に出来る事。
…情けない話だけどね。
そんな状況だからなのか。
どうしても気になる。
その感覚に堪え切れなくて俺は背後に顔を向けた。
一団の粗中央を走る雪蓮。
当然、振り向けば真っ先に後方の皆の姿が映る。
そんな皆を越え、更に先に存在している筈の姿。
それを探す様に眼を細め、凝らして見るけど──既に見えなくなっている。
その現実を理解した途端に大きな罪悪感に苛まれる。
深い深い、暗い闇の底へと身体を絡め取られながら、沈んでいくかの様に。
「──祐哉、考えるのなら着いてからよ」
「──っ、雪蓮…」
背中越しに伝えられる声に意識を引き戻される。
反射的に雪蓮に抱き付いた両腕に力が籠る。
雪蓮達には影響が出る程の強さではないだろうけど。
無意識だから、そこそこに強かった筈だとは思う。
…深くは考えない。
考えたら、違う理由で再び闇に沈んでしまうから。
「気持ちは、解るわ…
だけど、私達に出来る事は邪魔に為らない事…
それだけなのよ」
「…ありがとう、雪蓮…」
一番、言い難い事。
それを言わせてしまう事に不甲斐無さを感じる。
だから、切り替える。
雪蓮を支える為にも。
一つだけ、気になる。
冷静に為れた今だからこそ改めて懐く疑問だ。
「…あのさ、雪蓮?
雪蓮も曹魏の中に立ってた高順を見たよな?」
「ええ、確かに居たわね」
「けど、曹操達の話してた通りなんだとしたらさ…
高順は曹純だよな?」
「そういう事に為るわね」
「でも、その曹純は現在は“世界の外側”に行ってる訳なんだよね?」
そう言った瞬間、言いたい事を察したのだろう。
雪蓮の雰囲気が変わった。
“何か”を警戒する様に、意識を鋭くした。
「…鎧だけ着てれば誰かは判らないから、身代わりを置いてたって事ね?」
「そう、なるのかな…
まあ、正直その辺りの事はどうでもいいんだけど」
「どうでもいいって…」
「不思議に思ったのはさ
どうして曹魏は──曹操は曹純の不在を知っている筈だろう王累を前に無意味な身代わりを用意した?」
「それは…ええ、そうね
確かに可笑しいわね…」
もっと言えば、此方に対し曹純と高順が別人なんだと印象付けるにしても王累が暴露するだろうと読んでた曹操が──曹純が、防がず“暴露させた”のであれば尚更に意図が解らない。
しかし、狙いは有る筈。
「…つまり、高順の存在は“偽物じゃない”って事を周知させたかった?」
「そうか、連合軍の会議に揃って参加していた理由は“勘違いをさせる”為だけじゃなかったんだな…」
それが何に繋がるのか。
其処までは解らない。
でも、この状況を想定した上でも遣る位なんだ。
何かしら、意図は有る。
後はただ、その意図が宅に損害を齎さない事。
それだけを切に願うだけ。
…いや、本気でね。
──side out。




