弐拾
溢れ出す想いを飲み込み、姉ではなく、当主として、今、自分が遣るべき事へと意識を傾ける。
小さく呼吸し、切り替えて蓮華へと声を掛ける。
「私達は、どう動けば?」
そう訊ねる事に私は一切の迷いは無かった。
現状、“お荷物”であろう私達に出来る事は、曹魏の指示に従う事。
勿論、曹魏から指示が出る事が前提での話。
そうでなければ、自主的に判断して動かなくては。
まあ、幸いにも、こうして蓮華が私達の前に居る。
それなら、率直に訊く方が時間も手間も省ける。
姉や当主としての誇り?、そんな物にしがみつく事で皆の命を救えるので有れば最初から遣っているわ。
それが出来無い以上、私の遣るべき事は唯一つ。
そんな下らない物は捨てて最善を尽くす為に動く。
それだけなのだから。
「アレ等の相手は此方にて引き受ける
護衛しながら誘導するので其方等は慌て乱れる事無く迅速に自領へ退避を」
言っている事は…判る。
私達がアレ等と戦うには、あまりに拙い。
抵抗は出来るでしょうけど倒し切る事は出来無い。
そう考えれば、蓮華の言う様に戦闘は任せるべき。
最低限の自衛戦闘だけにし退避行動に専念すべき。
それは、理解出来る。
しかし、疑問は残る。
時間は惜しいが、確認せず従う事は出来無い問題が。
「退避する事に否は無いわ
けれど、私達の後を追ってアレ等が、王累達が此方に侵攻してくる可能性が有る以上は退避は出来無いわ
民を巻き込めないもの」
そう、此処から逃げても、宅の民を巻き込んだ戦いに拡大をするだけだったら、私達は退けない。
例え、私達全員が死ぬ事に為ろうとも、戦い抜く。
他力本願だけど、曹魏なら後の事は任せられるもの。
肉の盾(壁)になる程度なら私達にも出来るでしょう。
だから、此処からは逃げず最後まで戦うわ。
まあ、曹魏からしてみれば邪魔かも知れないけどね。
「心配は要らない
既に此処は“結界”により周囲から隔離されている
我々の様に普通の人間なら何の問題も無く通過出来る“見えない壁”が覆うが、アレ等は通過出来無い
故に、其方等の領地にまで侵攻する事は無い
アレ等は全て、この場にて我等が滅する」
多分、“結界”というのが“見えない壁”なのよね。
詳しい事は解らないけど、チラッ…と視線を祐哉へと向けて確認してみる。
祐哉は“大丈夫だ”と言う様に頷いて返す。
蓮華を信じていないという訳ではないけど、あまりに話が突飛過ぎるから。
それを理解出来る可能性が高い祐哉を頼ってしまう。
仕方が無い事よね。
「解ったわ
情けないけど、頼る以外に手が無いのが事実…
私達の未来(生命)、貴女達曹魏に託します」
「…確と、預かった」
今、本の僅かだったけど。
蓮華に間が有った。
複雑な心境なのは、貴女も同じみたいね。
「総員駆け足っ!
此処から退避するわっ!」
少数精鋭にしていた事が、此処で活きてくる。
一般兵が居ない分、行動に迷いが無いから。
それは指揮をする将師側の負担を減らすだけでなく、行動の無駄も省けるから。
蓮華は私達の逃げ道を先に切り開くと周囲から群がる土塊の兵士達を槍を振るい軽々と破壊してゆく。
見た目には普通と変わらぬ卓越した武に見えるけど、“何か”が違うのよね。
破壊された土塊の兵士共は再生しないから。
私達は蓮華の作った退路を迷わずに駆け抜け、迅速に領地を目指して走る。
蓮華の話していた通りなら領境にまで行かなくても、避難は完了するでしょう。
ただ、曹魏にとって私達が安全でも戦場の近くに居る事で不確定要素を抱え込む可能性が有るのなら私達は素直に従うべき。
戦いの結末を見届けたい。
そう思う気持ちが有る事は確かなのだけど。
万が一の危険性を考えれば十分に安全だろう領地内に真っ直ぐ退避するべき。
だから、欲は出さない。
私達は、“守られている”立場なのだから。
「──そう簡単に逃がすと思っているのですか?」
「──っ!?」
そう思っている中で静かに響いてきた声に再び強烈な悪寒が走った。
話し方自体は丁寧っぽいが冷徹な、刃物の様な印象を与えてくる声に。
自身の油断を理解する。
状況が好転した。
それは事実なのだけれど。
まだ此処が戦場なのだと、危機感を持つべき場所だと意識しなくては為らない。
その意識が、知らず知らず薄れてしまっていた事を。
遣らかしてから悟る。
「──だからこそ、私達が此処に居るのです」
「──仲謀が言ったろ?
お前等の相手は私等だよ」
声の主の方へと振り返った私達の視界に映ったのは、二人の女性の後ろ姿。
蓮華と同じ様に、力強さと安心感をくれる背中だ。
「──文謙っ!」
「──お姉様っ!」
そんな二人の背中を見て、誰よりも先に反応したのは真桜と蒲公英だった。
その言葉から判る。
楽進と馬超なのだと。
「また、ゆっくり話そう」
「あんまり孫策達に迷惑を掛けんなよ?」
『──っ!!』
二人は振り向く事は無く、朋友に、従妹に、変わらぬ優しい言葉を投げ掛けた。
こんな状況で、そういった言葉を聞いたのなら、心を揺さ振られない訳が無い。
真桜達だけではない。
彼女達と親しい者達は皆、目尻に水晶を輝かせる。
息を飲み、想いを堪えて、歯を食い縛る。
「っ…必ず、返すわよっ」
“何を”とは言わない。
言う必要すら無い。
全員が理解しているから。
だからこそ、止まれない。
この場を生き残らなくては私達は応えられ(返せ)ないまま終わってしまう。
だから、どんなに辛くても今は進むしかない。
その背中に未来を託し。
軈て迎える未来の為に。
ただただ、信じて。
──side out。
孫権side──
華琳様の開戦の宣言と共に私は予定通りに姉様達──孫家の一団を護衛し領地に向けて脱出をさせる為に、直ぐに動き始める。
その“予定”は何時立てた物なのか?、“壬津鬼”の“百鬼夜行”中と、王累が余裕を見せながら華琳様と話をしている間に、よ。
基本的に指揮は華琳様から軍師陣が任せられている。
あれだけの情報と時間とが揃っていれば、十分過ぎる策を構築出来るもの。
その懸念していた通りに、王累達は姉様達を狙う様に動いてきた。
ある意味、私達にとっては姉様達の存在は“足枷”と言ってもいいのよね。
だから、真っ先に姉様達を戦場(此処)から脱出させる事は重要になる訳よ。
そういう意味では雷華様は読んでいたのよね。
態々、“結界”の準備まで整えて有ったのだから。
(…意図は解るのだけど、やっぱり、華琳様に対して嫉妬してしまうわね…)
“壬津鬼”は…アレだから対象外だけれど。
ちょっと乗ってみたいとは思うけど…ねぇ。
まあ、それは兎も角。
土塊の矢を砕いて直撃する姉様を護った。
王累の下僕?らしき男から視線を切る事は出来無い為背を向けたままで、姉様と短く言葉を交わす。
…決して、恥ずかしいから顔を見れないといった様な理由ではないわ。
ええ、違いますとも。
──という中で、姉様から返された一言に私は思わず振り返りそうになった。
それは雷華様に出逢うまで私が一番欲しかった言葉。
一番望んでいた事。
心が揺れない、という事は本当に難しかった。
(…本当、心っていうのは思い通りに為らないわ…)
けれど、悪い気はしない。
寧ろ、最後の最後に残った本当に小さな小さな棘が、私の心から消えてゆく。
それを感じながら、自然と脳裏には雷華様の笑顔が。
今、此処には居ないけれど“筋書き”通りな気がして胸中で苦笑してしまう。
何しろ、雷華様だもの。
それ位だったら笑いながら遣ってしまうでしょう。
「──さて、彼方は二人に任せて始めようか…」
粉砕した土塊兵達が、再び地面から生まれ出ているが気にする必要は無い。
土塊兵を生むにも最低限の氣を消費している。
ならば、生ませ続ける事で生み出している者の消耗を確実に強いる事が出来る。
それに──私達にとっては土塊兵は賊徒よりも容易く倒す事が出来るもの。
一つの意思下に統率された群れとしては凄いのだけど逆に個々に意思が無い分、局所での戦闘になると全く脅威を感じないしね。
まあ、それを理解出来れば生むのを止める筈だけど、そうしたらしたで私達には有利になるから構わない。
土塊兵を蹴散らしながら、軍師みたいな印象を受ける男へと向かって駆ける。
姉様達を狙う様に土塊兵を差し向けた男に、だ。
…個人的な憤怒の気持ちが無いとは言えない。
離れているとは言っても、姉妹は姉妹なのだから。
古参の面々は親族も同然。
“家族”に手を出されれば腹が立つのは当然の事。
故に──躊躇無く、握った愛槍を振り抜く。
「──っとっと、いやはや危ないですね…」
ガギンッ!、と音を立てて槍を防ぎながら、後方へと軽々と飛び退く。
人を舐めた様な言動だが、実力は低くはない。
軍師みたいな見た目と違い中々の曲者だと見た。
「…余裕で防いでおいて、どの口が言うのか…」
「フフフッ…まあ、それはお互い様では?
躊躇の無い一撃でしたが、様子見程度でしょう?」
「生憎と無駄に全力で殺るつもりはない
その程度で倒せるのなら、それに越した事は無い」
翼槍を軽く振って切っ先を突き付ける。
男に対して──ではなく、その両腕に対して。
「──で、その腕に仕込む物が貴様の得物か?
恐らくは…暗器の類いか」
そう言うと、男は少しだけ驚いた顔を見せる。
だが、演技である可能性は十分に考えられる。
何故なら、この手の輩とは“他者を揶揄う事”に長け調子を狂わせながら自分の流れと間合いで戦うのだ。
私みたいな“生真面目”な性格の者にとっては、一番戦い辛い相手。
…まあ、それでも宅の面々には敵わないでしょうが。
「ええ、その通りですよ
まあ、どの様な物なのかはお楽しみ、という事で…」
「別に何でも構わん
貴様等を滅ぼせば、どの道得物も消えるのだろう?」
そう言って遣ると、小さく溜め息を吐いて男は両肩を竦めて見せる。
安い挑発だけれど…普通に苛つくのよね。
さっさと、殺りたいわ。
「やれやれ…少しは戦いの様式美という物を勉強して貰いたいですね…」
呼吸する様に挑発が出来るというのは才能よね。
普通では出来無いもの。
そういった相手に正面から向き合うのは馬鹿馬鹿しい事だと学んでいる。
「…一応、名を聞こう」
「ふむ…劉備軍では金名と名乗っていましたが…
今の私達に名と呼べる物は存在しませんので
まあ、適当で構いません」
「…成る程な、文字通りに奴の下僕(駒)という訳か」
「その様な物ですね」
始皇帝──秦王政とは違い見た目の言動とは裏腹に、個人としての人格は飽く迄個体の違い程度なのか。
或いは、個人の尊厳自体を奪い去られているのか。
…いや、深くは考えるのは止めておこう。
私みたいに真面目に考えた場合には変な同情心を懐き隙が出来兼ねない。
「そうか…ならば、戦いに言葉は無用だろう」
「ええ、そうですね
彼是語るのは生者(勝者)の特権ですからね」
私が半身で翼槍を構えると男──金名は左前の半身で構えを取った。
暫し探り合う様に睨み合う──事は無い。
私は迷わず突進する。
「──疾っ!」
「──っ!」
予想外だったのだろう。
金名は余裕の笑みを崩し、直ぐに自分の左斜め後方へ一歩で飛び退いた。
それが“誘導”でなければ暗器は中・遠距離型である可能性が高くなる。
近距離型だったとしても、対応する事は出来る。
情報が得られるのだから、無駄には為らない。
暗器は正体が判らない場合間合いを計るのが厳しいが仕掛けなくては相手の方に主導権を握らせてしまう。
だから、間合いを潰す様に自分の戦い方をした方が、意外と良かったりする事を経験から知っている。
そして、理解する。
雷華様(普段の相手)に比べ金名は格段に下手だ。
話術や演技にしても同様。
その程度では通じない事を死を以て示そう。




