拾玖
…少々、脱線したわね。
けれども、秦王政の心中は察する事が出来る。
彼は、私達に似ている。
私や孫策…劉備にも。
その才器は本物だから。
ただ、そんな私達でも違う事に為っている。
その要因は、他でもない。
周囲の存在でしょう。
私には、私達には導く事の出来る雷華が居る。
だから、至る為への歩みを進める事が出来るのよ。
「…貴男は本物の王よ
けれど、貴男は一つだけ、在り方を間違えた…
言わずとも…解るわね?」
そう問い掛ければ秦王政は自嘲する様に笑う。
彼は愚かな王ではない。
国を、民を思い、史上初の天下統一へと導き至った、紛れ無き始皇帝。
だからこそ、背負い切れず潰れてしまった。
その思いが真っ直ぐな故に己の亡き後を信じられず、懐いた不安が心を蝕んだ。
それが生への渇望へと至る一番の要因でしょう。
“周囲に恵まれなかった”と言う事は簡単。
自分ではなく、他者の所為にしてしまえば自分自身の責任ではなくなるから。
それは“気楽”な選択。
しかし、現実は都合良くは出来てはいない。
どんなに目を、意識を他に背けようとも逃れる事など出来はしない。
何故なら、己の選択は全て己の意思によって決められ己の責任なのだから。
けれど、事実から逃げずに向き合えた者だけが更なる先へと至る事を許される。
秦王政は、其処に至る事が出来無かった。
ただそれだけの話。
それだけの違いが、私達を隔てる大きな差。
それは理解出来る者にのみ開かれる道なのだから。
秦王政は右手に握る大槍を私へと──いえ、私達へと真っ直ぐに向ける。
「最早、朕に民(国)を語る資格は無いであろう…
なればこそ、最後に一人の武人として戦うが望み
朕の──我が生き様を確と焼き付けて逝けっ!」
そう宣言すると、秦王政は王累の命令を受けないまま馬を走らせた。
それは事実上の開戦の合図だと言える行動。
しかし、それに驚く者など一人として居ない。
秦王政の意志を、覚悟を。
理解出来ぬ愚か者は此処に立っては居ないのだから。
「──曹魏の誇りに掛けて貴殿を討ち倒そう!
これより先!、遥か彼方の未来へと続く礎として!
私達は“始皇帝(過去)”を越えて新たな歴史(伝説)を刻んで見せるわっ!」
そう私は秦王政へと宣言し絶影を走らせる。
右手で腰に佩く愛剣を抜き放ち、真っ直ぐに秦王政を見据えて闘いを始める。
本来であれば、私が最初に動く事は控えるべきだとは理解している。
しかし、仕方が無い。
彼の相手は譲れない。
これは武人同士でありつつ“新旧の覇王”の闘い。
共に歴史に名を刻む英傑。
けれど、意志を、言葉を、刃を交える事の無い。
時が隔てる筈の存在。
その邂逅を邪魔する事など誰にも赦されない。
これは、雷華ではない。
これは、私の闘いだから。
──side out。
孫策side──
はっきり言って何が何だか理解出来てはいない。
突如現れた男が始皇帝だと名乗るだなんて。
しかも、それを曹操は全く疑う様子も無く受け入れ、認める様に振る舞う。
うん、訳が解らないわ。
ただ、それが異常な事は、曹操と王累・秦王政の話を聞いていれば察せられる。
それ位しか解らないのが、本当の所だけれど。
そんな風に動揺を隠せない私達に比べて、曹魏の方は落ち着いている。
始まるであろう戦いに備え集中し続けている。
素直に凄いと思うわ。
これだけの事が起こっても集中を切らさずに居られる意志力と統率力には。
単純に“胆力が有る”では説明出来無いわ。
(…曹操の言葉通りなら、曹純は本当に桁違いね…
同じ“天の御遣い”でも、個人差では済ませられない位に違い過ぎるわよ…)
別に祐哉に不満は無い。
北郷に比べれば──いえ、比べる必要なんて無い位に祐哉の方が良いわ。
だけど、もしも曹純が私の前に現れていたら。
私と共に歩んでくれていたとしたら──と。
つい、考えてしまう。
“それは有り得ない事”と理解はしていてもね。
(曹純は曹操だから、共に歩んで行く事を決めた…
それは私と祐哉も同じ…
だから、その“もしも”は有り得ない事よね…)
そう、それは“飽く迄も”というだけの話。
現実的ではない、理論上の可能性でしかない。
実現はしない事なのよ。
曹操は曹操、私は私。
曹純は曹純、祐哉は祐哉。
私は曹操には為れないし、祐哉は曹純には為れない。
私は、祐哉に曹純に為って欲しいとは思わない。
祐哉は、私に曹操に為って欲しいとは思わない。
私は私だから祐哉を望み、祐哉は祐哉だから私を望み共に在るのだから。
他の“誰か”に為る事を、私達は望みはしない。
それでも、そんな曹操達の在り方から学ぶ事は多い。
“自分とは違うから”と、否定し拒絶してしまう事は暗愚でしかない。
優れているのだから素直に認めて向き合えば、色々と得る物は有るのだから。
そうしない理由を探す方が逆に難しいでしょう。
“…は?”と言いたくなる無意味な理由位しか私には思い浮かばないもの。
それに、それが出来無いと劉備達みたいに為るもの。
あんな風に為る位だったら私は素直に自分の未熟さや劣っている事を認めるわ。
その先に成長する可能性が得られるのだから。
それは確かな利であるし、私自身だけの為ではなく、国の、民の為にも為る。
私は“王”なのだから。
(──尤も、それも此処を乗り切って生き残らないと意味が無いんだけどね…)
文字通りの“最終決戦”で私達に出来る事は、全力で生き残る事だけ。
王累を倒して世界を救う、だなんて事は出来無い。
それは曹操達に任せる。
そして秦王政と曹操により告げられた開戦。
私達の未来へと続く戦いの始まりよ。
「──総員、密集陣形っ!
前面に敵を見る形を保って集中する事っ!
気を抜けば仲間が倒れると心得なさいっ!」
私の声に応え、皆は即座に陣形を変更する。
今までは声を抑えたけど、それは余計な“飛び火”を避ける為の事だもの。
開戦した戦場で抑えてたら何れだけ命が有っても全く足りないわよ。
今、私達が生き残る為には持てる全てを費やさなくて出来る筈が無いもの。
(──とは言え、そう長い時間は持たないでしょう…
曹魏に避難させて貰えたら確実なんだけど…
それは流石に無理よね…)
私達が何をする、といった理由ではない。
今、あの門扉を開く事自体危険だという事。
あの…何だか解らないのが空中を走っていた様にして巨壁を乗り越えられるなら別なんでしょうけどね。
何しろ、王累が態々此処で戦う理由も巨壁は破壊する事が不可能で、乗り越える事も“何かしらの理由”で不可能だからでしょう。
そういう意味でも巨壁内は安全だと言えるわ。
勿論、曹操達が破れたなら曹魏でも未来は無い。
だからこそ、曹操は量より質を選んだのでしょう。
犠牲を最小限にしながら、確実に勝てる様に、と。
しかし、それは都合の良い身勝手な希望でしかない。
一応、“敵意は無い”とは宣言してはいるのだけど、決して深い関係ではない。
だから、私達を巨壁内へと避難させる理由は無い。
(──となると、やっぱり機を見計らって此処からの脱出を考えるべきね…
その機が問題だ──っ!?)
思考しつつ状況を把握する為に動かしていた眼差しが王累と打付かった。
その瞬間、王累が嗤う。
ゾクッ!、と背筋に強烈な悪寒が走った。
「──逃がすと思うか?」
そう呟いたと同時だった。
私達の周囲が揺れる。
二度も目にすれば、それが何を意味するのか。
嫌でも理解してしまう。
数十箇所が同時に隆起し、土塊の兵士が生まれてくる状況が脳裏に過る。
(──っ、退避?、無理!
囲まれているし、内側から出現されたら私達には倒す術が無い以上、内外構わず食い破られてしまうわ…
となると、迎撃しか…)
──戦う術が無い。
その事実が重く圧し掛かり未来を塞いでゆく。
結局の所、退避しようが、迎撃しようが、私達に敵を倒す事は不可能に近い。
もしかしたら、一時的には対処出来るかもしれないが時間の問題でしょう。
勿論、“時間稼ぎ”という意味でならば、遣る価値は有るのでしょうけど。
それは、ある前提条件上の話でしかない。
私達──私と祐哉を最優先として生き残らせる為の、犠牲を問わない強行策。
その思考は、数瞬の事。
しかし、現状では致命的な遅れにも繋がっていた。
「──雪蓮っ!?」
「──っ!?」
祐哉の声が響いた。
その瞬間に思考は途切れ、反射的に振り向いた。
祐哉へ、ではない。
真っ直ぐ私に向かってくる悪意に対して。
いつ、射放たれたのか。
それすらも判らなかった。
視界の中に有る凶矢。
私の命を終わらせるだろう土塊の矢の群れ。
以前にも、死を目の前にし世界が緩やかに為った事が幾度か有った。
その度に私は生き残る事が出来ていた。
自力で、守られ、運良く、異なる理由で乗り越えて。
しかし、今回は無理ね。
密集陣形が仇に為った。
内側に居る私達は直ぐには得物を振るえない。
また、回避しようにも今の体勢は厳しい。
仮に、一矢は回避出来ても続く矢全てを回避する事は不可能だと言える。
王累は上手かった。
私達の注意を周囲に生じる隆起に向けさせて置いて、遠距離から狙撃した。
それも、主(私)を真っ先に狙うという形で。
祐哉は兵に紛れているから判り難いでしょうしね。
そういう意味でも当然だと言える狙いだわ。
悔しいけど…詰んだわね。
私は静かに目蓋を閉じた。
(…ごめんなさい、母様
皆を、孫家を、呉の民を、私は守れなかったわ…
考えていたよりも早いけど会いに逝く事になるのは、赦して欲しいわね…)
悔いが無い訳が無い。
しかし、戦場に立つ以上は死は常に覚悟している。
だから、受け入れられる。
それでも、心残りが無いと言う事は出来無い。
叶うのなら──私と祐哉の子供が欲しかったわ。
「──未来を諦めるには、早いですよ、“姉様”」
「──っ!?」
静かな、けれど、力強い。
はっきりとした声が。
深い死の淵へと沈み掛けた私の意識を呼び戻す。
見開いた視界の中。
鮮やかな緋が舞い踊る。
その姿を忘れはしない。
見間違いもしない。
母様の愛槍が其処に在る。
土塊の矢を切り落として、周囲に生まれていた兵士も序でに蹴散らした。
その動きに、私と同じ色の長い髪が軽やかに舞う。
まるで舞踊を見るかの様な錯覚を覚えながらも、私は彼女の名を口にする。
「──っ、っ、仲謀っ!」
「──権殿っ!?」
反射的に真名を呼び掛けた私だったけど、曹魏の方の真名の扱いに関しての話を真桜達から聞いていた為、寸前で堪えられた。
“姉妹だから”で済ませるには、お互いに立場とかが変わっている事も有るから拙いでしょうしね。
我ながら良い反応だったと言えるでしょう。
私と同じ様に驚く祭。
母様の呼び方と似ている為古参にとっては紛らわしい事なんだけど、既に母様が亡くなっている為、大半は間違う事は無いんだけど。
偶に、有るのは確かよね。
──と、妙に冷静なままで状況を受け入れられるのは予想していたから。
勿論、私達を助けてくれる事ではなくて、曹魏に居るという事を、だけど。
そういう意味では、此処で私達を助けに来てくれた事には感謝しつつも、驚く。
「…どうして?」
私は短く、各々の道を歩む離れた蓮華(妹)へと問う。
蓮華は王累を見据えたまま此方を見る事無く、背中を私達に向けたまま答える。
「“家族”を助けるのに、理由が要りますか?」
「──っ!!」
その一言を聞き私は思わず泣きそうになってしまう。
不覚にも、なんて言う様な軽い話ではない。
私達姉妹の間に有る想いは重く複雑なのだから。
何も知らない者が聞いたら“美しい姉妹愛だ”なんて思うのでしょうね。
必死に堪えながらも滲む、その視界には。
小さく、弱々しかった筈の幼い姿は無かった。
凛々しく、逞しく成長した背中が在った。




