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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
778/915

       拾捌


確かに驚きはした。

しかし、それだけの事。

それ以上ではない。


より正確な事を言うのなら“生きている”のであれば“殺して”しまえば済む話なのだから簡単な事。

塵一つ残さずに完全に消滅させない限りは、何度でも蘇ってくる。

そんな規格外でないのなら私達にとっては容易い。

勿論、現状で感じる力量は私達以外では先ず正面には相手に出来無いでしょう。

負では有っても、氣を扱う事が出来る以上はね。


それだけなら構わない。

問題は“それ以外”の方に有ると言える。



「…一体どんな手を使えば死者を蘇らせられるのか、是非聞かせて貰いたいわ」



忌々し気に睨み付けながら探る様に、挑発的に言う。

そうする事で、王累に私と“主導権が逆転した”様に錯覚させるのが狙い。

勿論、情報を引き出す事は表向きなだけではなく必要だったりするけれど。

それは絶対ではない。

戦い始めれば嫌でも情報は手に入るでしょうから。


そんな私の意図には気付く様子の無い王累は主導権を得られた事に酔うかの様に笑みを深め、“愉快だ”と無意識に態度に出す。

その“小物感”を見ると、自分達が日々の努力を重ね備えてきた事が、こんなに馬鹿馬鹿しく思えるなんて考えてもいなかった。

…考えると遣る気が消える気がしたので止めるけど。

本当に…何なのかしらね。



「人間とは愚かな者よな

“永遠の命”“不老不死”──死を克服し、超越する事を愚かしい程に望む

例えそれが大陸統一という覇業を成し遂げた者でも、その渇望には抗えぬ

故に、この男は望んだのだ

死して尚、再び蘇る事を

世(表舞台)に立つ事を

強烈に、望み続けたのだ

それは、死せど朽ち果てぬ怨念(願望)へと至る程に」



嘲笑する様に語る王累を、始皇帝──秦王政は一瞥し視線を私達へと戻す。

“貴様には理解出来ぬ”と言いた気な眼差し。

それもその筈でしょう。

人の身を棄てた王累。

人として在りながら永遠を望む秦王政。

似て非なる両者の価値観は相容れないでしょう。


それでも、そんな秦王政の望みを叶えたのが王累。

理解は出来ずとも、利害が一致している以上、他には言う事は無い。

それ程に“死者蘇生”とは奇蹟の所業なのだから。


ただ、見えた事も有る。

秦王政が王累に従う姿勢を見せている、という事は。

当然、理由が有るから。

可能性として高い物は二つ挙げられるでしょう。

一つは、何かしらの方法で服従をさせてられている、或いは、反抗出来無い様に縛られている、か。

そんな感じでしょうね。


そして、もう一つ。

蘇生させたのが王累である以上は秦王政の“存続”は王累が握っている、という可能性でしょう。

極論を言えば王累が死ぬと秦王政も死んでしまう。

しかも、二度と蘇生出来ぬ完全な死を迎えて。

そう考えれば、王累を守る事は可笑しくないもの。




そう考える一方で、私には別に思う事が有った。



「…確かに、人の情念とは人の想像を時として超え、思いもしない現象を起こす事も有るでしょうね」



王累の話を聞いていて私の脳裏に浮かんだのは今でも苛立つ苦い記憶。

自業自得だったとは言え、過去の事だと言えるけれど──簡単には笑い話の類いには出来無い事。

袁紹(馬鹿)の引き起こした生き霊化という所業。

事実、雷華は“此方”では他には見た事が無いらしく“現状では唯一の事例”と言っている。


…まあ、それが今回の事と関係有るのかは別として。

人の情念とは、そういった事を引き起こす切っ掛けに為り易いという事。

“為り易い”とは言っても“簡単に”という意味とは違うわよ。

それだけの事を引き起こす強烈な情念は、という事。

何でもいい訳ではないし、実際には少ないからこその“奇蹟の所業”だもの。

善し悪しは兎も角ね。



「けれど、その程度で叶う奇蹟(もの)ならば、世界に死は存在しなくなっている事でしょうね

だから、有り得ないわ

何の“仕掛け”も無しに、死者蘇生なんて真似は」



“種が有るのは間違い無い事でしょう?、だから早く喋ってしまいなさいよ”と言外に示しながら、王累を睨み付ける。

“どうせ碌でもない外道な方法なんでしょうけどね”といった感じで、白い目を向ける様な態度で。



「ククッ…ああ、そうだ

貴様の想像している通り、此奴の蘇生(生命)は有限で我に依存する物だ

故に、此奴は我を守るしか存続出来る術は無い」


「ええ、そうでしょうね

そうでなければ、始皇帝に成った程の大英傑が外道に従う理由が無いもの

だから、そんな事は正直、どうでもいいのよ

私が訊きたい事は唯一つ

“そんな真似”をした以上何の影響も無いとは私には考えられないわ

一体、“何”を代償として死者蘇生を行ったの?」



苛立ちを抑え切れない体で少し強引に捲し立てる様な言い方をして問い詰める。

“手段ではなく、過程上で発生する代償は?”という内容を指定する。

“この戦いの後の事”など全く気にしていない王累は話す可能性は高い。

それを気にし、怒りを懐く私を“だから、何だ?”と嘲笑う様にしながらね。



「フンッ…そんな事か…

所詮、貴様も人間の価値観からは漏れぬか…」


「当然よ、私は“異形”を統べる王になるつもりなど微塵も無いわ

“下らない”と切り捨てる人間の可能性にこそ私達は賭す価値を見出だすのよ

それが如何なる結末であれ“自らの意思で選んだ道”であればこそね」



挑発──してはいないとは言い難いのだけれど。

その言葉自体に嘘は無い。

結末(可能性)の善し悪しは兎も角として、その選択を自らが行ったのであれば、受け入れられるから。


だから、私達は抗う。

“世界”が相手だろうが、退く気は無いのよ。





「成る程、下らぬな…

だが…まあ、よかろう

確かに、此奴の蘇生に際し代償(影響)は生じるな」


「それは何なのかしら?」


「なに、大した事ではない

地脈の一つが死ぬだけだ」


「──っ!?、何て事を…」


「気にする事は無かろう?

貴様等は死ぬのだからな

それにだ、その影響は全て益州──劉備の領地内での話なのだぞ?

どの道、貴様等が気にする理由には為るまい」



そう言って嗤う王累。

今の意味を理解出来るのは宅でも私達──雷華の妻に限りられる事。

大多数が理解は出来無いで──けれど、私の反応から“碌でもない事”であると察しは付いている筈。


地脈──つまり“龍脈”。

人の身では扱う事その物が禁忌だと言える存在。

強過ぎる氣が致死毒な様に龍脈の氣量は膨大だけれど人の身には過ぎる力。

故に、僅かに触れただけで“持っていかれる”のよ。

まあ、宅の“誰かさん”は人の身で遣ってるけど。

それは特別だから。

決して、“人の身で届く”事は有り得ない領域だと。

それを理解するべき事。



(そんな龍脈の一つが死ぬ──枯渇すれば、自然界に出る影響は巨大になるわ…

少なくとも、益州の一部は砂漠と化すでしょうね…)



雷華の話では砂漠の多くは龍脈の枯渇が原因。

だから、大地が死ぬ。

けれど、その原因は様々で必ずしも今回の様に龍脈を“喰らい尽くした”という訳ではない。

その辺りは私には詳しくは説明の出来無い事ね。


しかし、それも直ぐに直ぐ砂漠化する、という事ではなかったりする。

広大な大地に流れる龍脈が一つという事は無い。

大小の違いは有れど、複数存在しているのだから。

その全てが、とでも為れば話は別だけれど。

そうではない以上、多少の猶予は存在する筈。


しかし、砂漠と化す未来は止められはしない。

自然に起きる事は無い。

龍脈への影響は様々だけど全て“人為的”な物。

これも“人間の可能性”の為せる事の一つなのよ。

…皮肉な事だけれどね。


宅でも“戈壁沙漠”の再生計画が進行中なのだけど、龍脈を復活させただけでは大地は再生出来無い。

死者を蘇生出来無い様に、死んだ大地の再生は困難。

まあ、此処で言う“死者”というのは、死後半日以上経過していて肉体的損傷が激し過ぎる場合だけれど。

…尤も、具体的なんだけど定義の基準は、“雷華が”蘇生可能な事なのよね。

要するに、普通では不可能だという事よ。


大地の再生は長期的計画と人々の尽力無くして出来る事ではないのよ。

もし、雷華一人で可能なら疾っくに遣っているわ。

それが出来無いから雷華も時間を掛けるのよ。

そうするしかないからね。




ただまあ、王累の言う様に宅には影響は無い。

場所は判らないけれど──いえ、判るわね。

“始皇帝”の蘇生だもの。

だったら、始皇帝の陵墓の近くが最も可能性が高い。

そう考えると孫策の方にも影響は無いわね。

劉備達は…まあ、自業自得でしょうからね。

精々頑張って頂戴、と言う感じかしらね。


それはそれとして。

やはり、その思考の基準が狂っている事を私は再認識させられる。

元々、理解出来るだなんて思ってもいないけれど。

“読む”事は出来る。

そうは思っていたから。


だから、此処で王累の事は一旦意識の外に置く。

無視する訳ではない。

そうする事で、思考を一度基準の状態に戻す。

少しでも会話を行うだけで人の思考は、対話する者を意識した“対応”状態へと入ってしまうから。

それを戻す為にね。


だからと言って、露骨だと勘繰られるでしょうから、然り気無く話題を変更する必要が有るのだけれど。

其処は私の腕次第よね。



「…一つ訊くわ、秦王政

貴男が懐いた悲願の形とは異形の下僕と成り果てて、人に仇なし、世を滅ぼす事だったのかしら?」



そう言って秦王政を見て、問い掛ける。

離間策という訳ではない。

仮に、そう為ったとしたら“儲け物”と言う程度。

偶発的な産物ね。


抑、秦王政は裏切った瞬間亡骸へと戻ってしまうか、或いは自我を奪われた後に完全な屍(傀儡)と為るか。

その何方等かでしょう。

だから、王累は私の言葉を気にする事も無い。

“無駄な事を…”と静かに見ながら思っている筈。

それ位でしかないのよ。

秦王政の存在ですら。


そんな秦王政は王累の方に一度視線を向けてから私を見て口を開いた。



「その様な筈が無かろう

朕が望むは、国の繁栄ぞ

人の──民の居らぬ国など最早、人の国ではない

その様な物に興味は無い

朕は志半ばで倒れたが故に再び生を得たいと願った

ただそれだけの事ぞ」





そう言った秦王政の表情は憤怒と苦悩に染まる。

王累に対する憤怒は無い訳ではないでしょう。

けれど、それ以上に己への憤怒の方が大きい。

同時に己への失望と苦悩が生まれている。


自覚が有るのでしょうね。

その生への渇望が有るから意志は意味を持つ。

そう考えていた事に対する自らの浅はかさが、今回の状況を生んだのだと。


その考え自体は間違いとは言い切れない。

人の意志は生きている故に意味を、価値を持つ。

それは確かな事だから。

しかし、私達の──雷華の考えは少し違う。

意志は受け継がれてこそ、真に意味と価値を持つ。

そうでなくては、人の世に永く意志を“生かす”など出来はしないのだから。


個人で完結する意志。

それは所詮、その程度で、それ以上には至らない。

至れないのよ。

解り易い例えをするなら、儒学者でしょう。

何故、孔子の思想が今にも生き続け、尊ばれるのか。

それは、単純な善悪に伴う価値勘だからではない。

“伝え繋ぎ、継ぎ託す”。

それを大前提として思想を説いているから。

だから、今に“生きる”。

そういう物なのよ。


逆に言うのなら。

他者に理解を求めないなら宗教の様な形で十分。

本来、宗教というのは己が為の物であり、他者に対し理解を求める物ではない。

布教活動は宗教の観念では遣っては為らない事。

それは宗教への冒涜。

何故なら、他者への強要に他為らないのだから。

況してや寄付金を募るなど有っては為らないのよ。

現実的には組織であるから必要に為るのでしょうが。

其処が抑の間違いであると大抵の者は気付かない。

組織の重鎮達は不都合故に“気付かない振りをして”話題にすら挙げない。

そう、組織化した宗教には真の信仰は存在しない。




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