11 響き交る志 壱
──その夜。
朝風から戻り、自分の部屋──ではなく華琳の部屋に連行されている。
「あら、酷い言い種ね?
せめて“誘われて”とか、言って欲しいわ」
寝台に腰掛けて見ているとナチュラルに思考に対して文句を言って来る。
それに慣れて来てる自分が偶に恐くなる。
「一応、祝言を挙げるまで“一線”を越えないって、約束した筈だけど?」
とは言え、遣られっ放しは癪なので遣り返す。
「貴男が“したい”のなら私は構わないわよ?
私は貴男の“妻”であり、“恋人”なのだから…」
そう言って二人分程離れて腰を下ろして、上目遣いでにじり寄る華琳。
此処で押し倒しても華琳は受け入れてくれる。
だが“一生”尻に敷かれる事になるだろう。
“女の誘惑”は恐ろしい。
「男冥利に尽きるな
“誘い”には乗らないが」
「あら、残念」
笑顔で言い、軽くキスして隣に腰を落ち着ける。
同時に“仕事”の顔に戻り話を聞く姿勢を作る。
「で、どうだったの?」
「保菌していた野兎だが、全部で七匹見付けた」
「七匹?…たったの?」
発見・処置した数を言うと目を見開いて驚く華琳。
説明した内容から考えると数十、百以上を想定しても不思議ではない。
俺も四〜五十を底辺に想定していた。
「気持ちは判るけどな…
まあ…状況から見て一部で広がり、人に感染する前に死んだり、狼や虎等に捕食されたみたいだな」
「…そうだとすると馬超は相当運が悪いわね…
いえ、寧ろ“良い”のかもしれないわね?」
何を考えたのか揶揄う様な笑みを浮かべて訊ねてくる華琳を見て溜め息を吐く。
「ったく…“それ”は馬超が決める事だろう?」
「ええ、そうね…でも──“二度有る事は三度有る”だったかしら?
貴男が言ってたわよね?
“似た”様な事は“何度”有ったのかしら?」
判っていて訊ねて来る程、質の悪い事は無い。
何を言っても、揶揄われる事には変わらない。
「“一人目”だけに実感が籠ってるな」
「なっ──」
平然と切り返し右手で頬を撫でて瞳を覗き込む。
逆に動揺したのは華琳。
相変わらず“直球”に弱い様で可愛いと思う。
直ぐに“遣られた”と覚り拗ねる所も。
「…ばかっ…」
「馬鹿で結構」
何方らと言う事も無く唇を重ね合わせる。
“約束”は有るが、一緒に寝る位は許容範囲内と考えその温もりを抱き締めて、眠りに就いた。
馬超side──
曹家に助けられて三日。
とは言っても私は一日目は寝ていただけ。
実際はその前日から意識が無かったが。
「…ふぅっ…身体が鈍って仕方無いな…」
屋敷──と言っても城内に設けられた曹家の邸宅だが庭を借りて身体を動かす。
紫燕には朝起きて直ぐに、会いに行った。
彼女──曹純の言っていた通りに元気にしていた。
また同じ厩舎に居た子達はどの子も“名馬”と言える良さを感じた。
特に、黒鹿毛と紅の毛色の二頭は別格だった。
「…あの紅のって、まさか“汗血馬”なのか?」
「血統的には、ですが」
「──っ!?」
独り言のつもりでの呟きに答えられて慌て振り向き、身構えてしまう。
反射的に突き出した掌中の十字槍。
その鋒の先に、曹純の顔を見て慌てて引っ込める。
「わ、悪りぃ…じゃない、申し訳無い!」
「声を掛けなかった此方も悪かった事ですし…
御気になさらずに
それと無理に丁寧な口調にしなくても構いませんよ」
穏やかな微笑みを浮かべて言う曹純には同性でさえも見惚れそうになる。
「うっ…はぁ…そう言ってくれると助かるよ
正直、あんまり言葉遣いは丁寧じゃないんだ」
恥ずかしさも有り誤魔化す様に頭を掻きながら外方を向いて返す。
粗暴と迄は言われないが、口調が荒いのは自覚が有り直そうにも直らない。
…直す気も無かったが。
「もう少し安静にと思っていましたが…その様子では心配は無さそうですね」
「あはは…ありがとな」
「ですが、後数日は此方に滞在して下さい
一応、処置はしましたが、まだ“経過”を見る必要が有りますから…」
「それは有難いけどさ…
何もせずに世話になるのも性に合わないんだよなぁ…
…あっ、そうだっ!
客将とかどうだ?
勿論、恩を返すんだから、給金は要らない」
うん、我ながら名案だ。
私も遣れば出来るな。
「御気持ちは嬉しいですが宅は客将の類いを設けては居ませんので…」
「…マジで?」
そう訊ねると苦笑しながりしっかりと首肯。
頭を抱えて逃げ出したい。
「客将では有りませんが、もし良ければ槍術や馬術を指南して頂けますか?」
「指南って…アタシが?」
「ええ、馬一族の馬術なら是非ともと思いますし…
貴女の槍の腕も素晴らしい物でしたので」
そう言われて先程の粗相を思い出して私は苦笑した。
──side out
馬超に指南の話を持ち掛け了承を得て引き合わせる。
華琳には“恩返し”の件は事前に一任されていた。
予想出来る事だからな。
臣従に関しても同様。
「孫仲謀です」
「徐公明です」
「馬孟起だ、宜しくな」
三人が簡単に挨拶。
既知の儁乂を加えた三人が指南の対象だ。
因みに他の面子には馬超と接触する事を禁じている。
勿論、臣従すれば解くし、彼女が悪い訳でもない。
万が一の場合に“他所”に情報が漏洩する事を避ける為の処置だ。
「で、え〜と…どうする?
アタシは槍の使い方なんて教えた事無くてさ…」
「手合わせして頂ければ…
それが一番でしょうから」
「それなら大丈夫だな…
良しっ、始めるかっ!」
不安気な態度から一転し、気合いを入れ十字槍を手に構えを取る。
楽しそうに見えるのは俺の気のせいではないだろう。
「…では、私から」
三人が顔を見合せ、最初に名乗り出たのは儁乂。
まあ、俺の指導下でも長く元々の経験値も高い。
二人に“見せながら”での戦い方も出来るだろう。
それを踏まえて、じっくり拝見させて貰おうか。
「御願いします」
「応っ!」
一礼して構える儁乂。
静かに対峙して馬超の隙を窺うが…流石と言える。
動かなければ簡単には隙を作る事は無い。
「…っ、哈っ!」
小さく呼吸し、前へ。
儁乂が突きを放つ。
其処へ下から槍を打ち当て軌道を逸らす馬超。
“並み”の相手なら此処で詰みだが、儁乂は違う。
弾かれた槍は引き戻さず、逆らわずに前へと踏み込み柄を回して石突きを馬超に向けて突き上げる。
だが、“一日の長”と言うべきか馬超も同じ様に槍を回して受け止めた。
「やるじゃないか」
「まだまだです…」
“質の良い”手合いに喜ぶ馬超と、謙遜する儁乂。
鍔迫り合いをしながら共に笑みを浮かべ、同時に飛び退くと今度は馬超が先攻。
速さを重視した乱れ突き。
しかし、速いだけではなく一撃一撃が正確。
見た目には判り難いけれど“重さ”も変えている。
やはり槍術士としての腕は別格と言える。
(まあ、素の動きには斑が見られるがな…)
体術は槍術に対して基礎がなっていない様だ。
それならば“良い”勝負になるだろう。
二人の手合いを見ながら、“未来”に思いを馳せる。
馬超side──
張任達との手合いを終えて東屋で休む。
曹純が淹れてくれた茶は、熱過ぎず、冷め過ぎずで、飲み易かった。
二杯目はしっかりと香りを楽しめる熱さ。
こういう淹れ方も有る事に素直に感心する。
「…所でさ、指南って感じじゃなかったけど…
あれで良かったのか?」
「ええ、大丈夫ですよ
貴女の様に優れた使い手を相手に出来るだけでも皆に良い経験になります
武に限らず“積み重ね”が大切ですからね」
そう言う曹純の言葉からは深い愛情を感じる。
不意に“母さん”の面影が重なって見えた。
溢れそうになる感情に蓋をする様に頭を振る。
「貴女はずっと槍を?」
「ああ、子供の頃からな
まあ、騎馬だとどうしても槍が主体になるからさ」
孫権に訊かれ答える。
つい、苦笑してしまうのは他が苦手な為。
「やっぱり槍術にも一族の特徴とか有る訳?」
「どうなんだろうな…
“他”と比べた事も無いし考えた事も無いよ
…まあ、強いて言うなら、槍より先に馬術って事かな
アタシ等は産まれる前から馬乗りだからな」
それ位しか思い付かないが嘘でも無いと思う。
実際、私もそうだった。
「御一人で旅をされている様ですが…大変では?」
「それは…まあ、な…
今回みたいな事は初めてと言っても有り得るしな
それでも“あれ”を見付け出すまでは…」
張任の言葉に、つい目的を漏らしてしまう。
隠す事でも無いが。
「“あれ”とは?」
「…母さん──馬騰の愛用していた槍だ
父・王平の形見でも有る」
「槍…奇妙な縁ね」
そう呟いた孫権が俯く。
その表情は窺えないけれど妙に気になる。
「…どういう意味だ?」
「…私もね、母様の形見の槍を探していたのよ
今は見付かったけどね」
「そうだったのか…」
孫権の母親と言えば、風に聞こえた“江東の虎”で、母さんも認めていた女傑。
確かに奇妙な縁だ。
「どんな槍なの?
もしかしたら私も知ってるかもしれないわ」
「…そうだな
少し変わっててさ
深い紺色に銀色の装飾紋、刃は矛先みたいな感じで、身幅が広いんだ」
「──っ!?、ごほっ!
ごふっ!?、ぅぐっ…」
『子和様っ!?』
急に曹純が噎せた事に対し三人が慌てる。
私が言うのも何だが珍しい事なのだろう。
品行方正な印象なだけに、余計にそう感じてしまう。
──side out
馬超の話を聞いて、思わず茶を吹き出し掛けた。
どうにか、堪えはしたが…結果的に噎せた。
華琳が居なくて良かった。
見られていたら末代までの語り草にされる所だ。
心配する三人に大丈夫だと手振りで示し口元を拭う。
心配そうに此方を見ている馬超へと顔を向ける。
「大丈夫か?」
「はい、お恥ずかしい所を御見せ致しました
少々、驚いたもので…」
「驚いた?」
「私の所有する物の中に、貴女の言っているその槍によく似た物が有りまして」
「なっ!?、マジかっ!?
嘘じゃないよなっ!?」
両手で胸倉を掴み揺さ振る馬超に三人が“撃退”体勢を取るが視線で抑える。
そして、馬超の両手に手を重ねて笑みを浮かべながら穏やかな口調で言う。
「先ずは落ち着きましょう
私は逃げたり致しません」
「──っ!?、わ、悪い…
つい、頭に血が上って…
本当に、すまない…」
両手を離すと一歩下がり、深々と頭を下げる馬超。
「貴女の気持ちを考えれば仕方の無い事です
私は気にしませんから」
「…有難う…」
そう言うと一度顔を上げ、改めて頭を下げ礼を言う。
「さて、先程の話ですが、嘘は言っていません
ただ、それが貴女の求める物か否かは、実際に御覧になって頂くしか有りません
此方に御持ちしますので、暫くの間御待ち下さい」
「宜しく、お願いします」
馬超の言葉に笑顔で首肯し三人に視線でこの場を任せ立ち上がると屋敷の中へと向かった。
正確には向かう振りだが。
視界から外れた所で適当な部屋に入って姿を隠す。
疚しい事は無いんだがな。
(仲謀に続いて、か…
これで“偃月刀”だけに、“関羽”の親絡みだったら大概だな…)
壁に背を預けて苦笑。
“フラグ”だったら気楽に笑えない所だ。
取り敢えず“影”から件の矛槍と白い布を取り出す。
流石に剥き身のまま見せる真似はしない。
仲謀の時みたいに偶然なら仕方無いとしてもだ。
(まあ、頭が冷えるまでは間を置くかな…)
仲謀も居る事だ。
共に似た境遇で有る以上は思う所も有るだろうしな。
話す事で、少しは気持ちの整理も出来る筈。
互いを“引き合わす”のはそれからでも遅くない。
“口説く”必要が出て来た以上は確実に行かないと。