肆
収束されてゆく光の奔流が私の背後で、御主人様へと向かって流れる。
その手に握る剣へと。
眩い光は集ってゆく。
過去に一度だけ“試した”際に見ただけだけど。
その光景は幻想的で。
ゆっくりと眺めていたいと思ってしまう美しさを誇り私の視線を、意識を、心を魅了してしまった。
自分に向けられていたなら最上級の恐怖だった筈。
けど、そうじゃない。
その剣(力)は私の為に有り私の為に振るわれる。
こんなにも頼もしく心強い存在は無いと思う。
もし、状況が違っていれば静かに目の前に有る光景を見詰めて、何も考えないで楽しんでいると思う。
それ位に、素晴らしい。
それは正に御主人様の事を“天の御遣い”だと天下に認めさせる事が出来る。
そういう力なんだから。
誰もが、恐怖し、驚愕し、屈伏する事だろう。
──それなのに、だ。
私の視線の先に佇む人物は顔色一つ変えていない。
悠然と佇み、不敵な笑みを浮かべながら、余裕綽々な態度で静かに眺めている。
魅了された訳ではなく。
“下らない事”を見る様な冷めた眼差しで。
(え?、何?、何なの?、もしかして〜、今の状況が貴女には全く理解が出来て無いんですか〜?
御大層な事を言ってても、所詮は準備していた台詞を言ってるだけとか?
あ〜…だからなんですね〜
何も出来無いから仕方無く“平気な振り”をしているだけなんですね〜
あははっ♪、凄い凄〜い♪
流石は天下の曹操さん!
意地っ張りなのも天下一な訳なんですね〜)
──といった感じで。
その姿に、胸中では絶えず様々な言葉が放たれる。
苛立ちを、怒りを、不満を吐き出し、打付ける様に。
全てを否定し、見下して、嘲笑う様に。
今までの鬱憤を晴らす様に“結末(この先の光景)”を想像しながら愉悦に浸り、満足感を増してゆく。
そして、光が一層激しく、その輝きを増した。
その意味を感じて、私が、御主人様が叫んだ。
後光の様に、私を照らし。
裁雷の様に、天を裂いて。
巨悪を討つ、刃が閃いた。
──────ポシュッ…。
『……………………え?』
まるで、空気が抜ける様な小さな破裂音だけが響く。
破裂と呼ぶには可愛らしく危険性は皆無な音が。
緊張感の高まっていた場に言い表せない沈黙を齎し、多くの視線を御主人様へと集めさせていた。
私も、御主人様を見た。
その注目されている中で、御主人様が振り抜いたまま持っている剣に、ピキッ!と亀裂が入った。
それは小さな物だった。
この静寂の中でなければ、御主人様でさえ気付かない程に小さな小さな物。
けれど、その亀裂は直ぐに剣全体へと波及する。
水が溢れ出すかの様に。
止める間も無いままに。
剣は罅割れ──御主人様の手の中で灰塵と化して風に舞って、消え去った。
声も無く、息遣いも無く、息を飲む音も無く。
これだけの人数が居ながら誰も居ないかの様な。
ただただ此処に静寂だけが広がっている状況で。
誰よりも先に動いたのは、御主人様だった。
膝を付き、地面に向かって空になってしまった震える両手を伸ばすと、何も無い探す様に撫で始めた。
物凄く必死になって。
今にも死んでしまいそうな切羽詰まった表情で。
「は?、いや?、待てよ!
嘘だろっ?!、なあっ?!
何処に行ったんだよっ?!
おいっ!、出て来いよっ?!
俺の物なんだろっ?!
俺に応えろよっ?!
此処で俺が“天の御遣い”だって証明するんだぞっ?!
何で、その前に消えるとか──有り得ないだろっ!!」
その叫びが、悲痛過ぎて。
その姿が、滑稽過ぎて。
その在り方が、不様過ぎて──私の中で、御主人様に対する評価が下がった。
単なる“使えない奴”に。
「──遊ぶのは勝手だけどまだなのかしら?」
「──っ!?」
背後から掛けられた声に、身体が小さく跳ねた。
その瞬間に、私は現実へと意識を引き戻される。
そして、悩み、考える。
振り向く事は簡単。
それだけなら、何も考える必要なんてないから。
でも、実際には違う。
私は先程、何と言ったか。
一体、何を言ったのか。
それを思い出しさえすれば振り向く事が出来無いのは言うまでもない。
何故なら、今の私には既に“勝つ為の駒”が、何一つ無いのだから。
「まあ、良いわ…
その何かを待っている間、もう一方への意思の確認をしましょうか…
ねえ、孫策?」
そう言うと、この場に居る三人目の主──孫策さんに声を掛けていた。
けれど、曹操さんの視線が私から外れる事は無い為、向き直れないまま。
醜態を晒す北郷から私も視線を外せない。
何も出来無いまま動いたら私の敗北は確定する。
此処は朱里ちゃん達に託し期待するしかない。
私に勝利を捧げてくれる。
そう信じているから。
「貴女は劉備と手を結んだという認識で良いの?」
「ええ、協力関係を結んで此処に居るわ
だから、その点に関しては間違いじゃないわね」
「そう…なら、曹魏に対し敵対をすると受け取っても構わないのね?」
「いいえ、それは困るわ
私に曹魏と敵対する意思は最初から無いもの」
「──っ!?」
黙って聴いている事。
それしか出来無い私の耳に信じられない一言が入る。
思わず“今更何をっ!”と叫びたくなってしまう。
そう為らなかったのは単に私の反応より二人の会話の方が進みが早かった為。
「──と言うと?」
「私としては単純に自分で確かめたかっただけよ
貴女達曹魏が正しいのか、劉備が正しいのか…
或いは私達が動くべきか…
何れが民の未来の為になる選択なのか…
それを見極める為にね」
そう言う孫策さんの声に、胸に沸々と怒りと憎しみが沸き上がってくる。
“裏切り者”に対して。
「見極める為に、ね…
それで?、貴女は己の望む答えは得られた訳?」
「ええ、私なりにね
元々、劉備との協力関係も曹魏の在り方を知りたくて話に乗っただけだもの
本気で敵対する気だったら今の劉備みたいに領地内の全戦力を投入してるわ
そうしていないというのが証拠に為るでしょ?」
そう平然とした口調で言う孫策に対して、強い殺意を懐いてしまう。
そう為った私の反応は全然可笑しくはない。
だって、裏切られた以上は私が被害者なんだから。
「それは証拠の無い言い訳でしかないわね
貴女が戦力を温存したのは単に此処での消耗を嫌い、私達と劉備が潰し合って後奇襲を仕掛けようとすると考えられなくもないわよ?
或いは、此処に引き付けて隙を狙っているとか、ね」
「あ〜…まあ、そうよね
そういう感じで言われると否定は出来無いわね
口では何とでも言えるし」
──と、意外な方向に話が進んでいて、曹操さんへの印象が好感を持ち始める。
私を裏切った孫策に対して厳しい指摘をしている事を胸中で密かに応援する。
“いいぞ、もっと遣れ!”といった感じで。
「んー…でも、ほら、私にその気が有るんだったら、ネチネチした小細工なんて絶対に遣らないわよ?
私なら貴女との一騎打ちを望んでるでしょうから
若しくは、其処に軍将達を加えての試合形式とか?」
「…私に訊かないで頂戴」
「でも、面白そうでしょ?
私は戦争なんてしたいとは全然思ってないし〜…
それに個人的に其方に居る面子と試合したいし」
「貴女の場合だと、試合の意味が違うでしょ?」
「んー?、何の事ー?」
──と、思っていたのに。
…何?、何なんですか?、その和やかに談笑をしてるみたいな雰囲気は。
私と話してた時とは違って楽しそうなんですけど。
二人だけで判ってる感じで話しちゃってますよね?。
私の事、“居ない娘”扱いしてますよね?。
「…まあ、要するに貴女に戦争を仕掛ける意思は無いという事なのね?」
「ええ、微塵も無いわ
勿論、其方が仕掛けるなら話は別だけど──そんな事有り得ないでしょ?」
「あら、判らないわよ?
貴女達が邪魔だって思えば可能性は有るかもよ?」
「邪魔に思えば、でしょ?
だったら有り得ないもの
だって、貴女と私の理想は重ならず交わらなくても、共に並び立ち、隣合う事が出来るものだから──」
「──ぅあ゛ぁあ゛あア゛ぁ゛ァア゛阿ぁあ゛アぁ阿阿゛阿ァぁ゛アッ!!!!!!」
二人の会話を飲み込む様に大きな奇声が上がった。
私の視線の先──私の軍の兵士達(手駒)の中から。
──side out。
孫策side──
ある意味では、予想通り。
一方的な曹操の正論を前に劉備は追い詰められた結果──“天の御遣い”の持つ“切り札”を使わせた。
腰に佩いていた剣を抜き、両手で大上段へと構えると光が流れ、集まっていく。
有り得ない光景だった。
とても現実とは思えない、“幻術にでも掛かった”と思ってしまう様な。
そんな現実離れした光景を目の当たりにしていた。
ただ、どうしてなのか。
私は落ち着いていた。
恐らく、大半の者が眼前の未知の光景に対して恐怖や脅威を感じている中で。
私は“妙に冷めた”感覚で静かに見詰めていた。
そして、その感覚が正しい物だった事を直ぐに知る。
何とも言えない醜態を晒し件の“天の御遣い”様は、自ら無能・無価値の存在と此処に居る者達に示した。
あれだけ信頼を寄せていた劉備の向けている眼差しが明らかに変わった。
どうしようもない愚図でも見ているかの様な。
冷めきった眼差しに。
だが、それも当然の事。
劉備にとっての北郷とは、“天の御遣い”である事が大前提の存在なのだから。
その利用価値が無くなれば見限るのは必然でしょう。
自分の期待に応えられない“使えない道具”になんて固執する理由は無い。
大事にする理由は無い。
“天の御遣い”であるから北郷一刀(彼)は価値が有り劉備に必要とされた。
だから、その価値を失えば不要となるのは必然。
何も可笑しくはない。
当の劉備はと言えば唯一の“切り札”を失った事で、打つ手を無くしたようで。
沈黙を貫いていた。
まあ、仕方が無いわよね。
他には何も出来無いし。
元々、劉備にそんな実力は備わってはいないもの。
あの娘はね、弱った人心を惑わして引き寄せるだけが異常な程に上手いのよ。
それも天然の天賦でね。
だから、人心を導く曹操の前では何も出来無いの。
所詮は空っぽの“紛い物”なんだから。
そんな劉備達を無視して、曹操と話をしていた。
この場で、はっきりと私の意思を示しておかないと、後々面倒になるから。
劉備からの憤怒や憎悪?、曹魏と敵対する事を思えば取るに足らないわ。
だから気にしない。
──と、思っていたら。
それを邪魔をするかの様に響き渡る悲鳴の様な叫声。
「──何っ!?」
それに引っ張られる格好で振り向いた先は──劉備の率いる軍が布陣する所。
最前列に並んだ兵士の内の一人が己の頭を抱えながら両膝を地面に付いたままで仰け反り天に向かって口を開けたままで、叫ぶ。
(ちょっと、何よアレ…
正気じゃないでしょ?)
その兵士は、自分の両手の指先を頭に突き立てながら血を流している。
痛みに因る絶叫だとすれば止めれば済む話。
しかし、その様子を見ると“頭の中から異物(何か)を取り出そうとしている”と思えてしまう。
それは到底、常人の考えの範疇を越えているのだが。
私には完全な間違いだとは思えなかった。
正解ではないにしても。
「ぐァあアぁあ阿ァっ!?」
「ぅう゛ヴぁ゛ア゛ッ!?」
「ぃイ゛ギぃい゛ィッ?!」
『────っ!!!!!?????』
そして、それは一人だけに止まらなかった。
次から次に劉備軍の兵士が同じ様に奇声を上げる。
それも不規則に間隔を開け飛び火しているかの様に。
「──っ!、まさかっ?!、さっきの剣の影響っ!?」
「────えっ!?」
思わず上げた私の一言に、茫然と為って見詰めていた劉備が振り向いた。
「あの砕けた剣の灰塵…
それを“吸い込んだ”から起きてる異常なんじゃないのかって話よ…
根拠は無いけど…」
状況的に考えたなら。
一応は筋が通る仮説。
少なくとも奇病の類いより説得力が有るわ。




