23 天地開闢 壱
Extra side──
/小野寺
──七月三十一日。
━━健為郡・江陽県
今自分達が立つ、この地が決戦の舞台と為る。
赤壁?、流れ(そんな物)に拘る理由は無いからな。
寧ろ、その点は宅としては“歴史”から外れてくれた方が大歓迎だと言える。
少なくとも、“原作”上の魏・呉ルートの結末からは外れてくれるだろうから。
勿論、だからと言って全く悲劇の可能性が無くなったという訳ではない。
ただ、その辺りは最初から理解出来ている事だ。
戦は空想ではなく戦争なのだから。
その覚悟を持たないままに此処には立っていない。
(…まあ、そうは言っても俺は雪蓮達に比べれば全然弱いんだからな…
今は“皆を守る”だなんて無責任な事は言えない
そういった意志が無いとは言わないけど…)
現実は無情だからな。
尤も、それを嘆いていても何の意味も無い。
だから、本の少しでいい。
強くなる為に、雪蓮達との鍛練を含めて遣ってきた。
それを信じるだけだ。
「流石に緊張してる?」
「戦場に立つ時は、いつでも緊張してるよ
二つと同じじゃないんだ…
“慣れる”事なんて無い」
そう、RPGのレベル上げ作業の様に繰り返してれば慣れてくる訳じゃない。
人を殺し、命を奪う。
その相手が賊徒だろうが、事実は変えられない。
一人殺せば殺人犯。
五人殺せば猟奇犯。
十人殺せば殺人鬼。
百人殺せば──英雄。
そんな話を何時か何処かで聞いた事が有る。
はっきりとは思い出せない程度の事なんだけど。
“この世界”に来てから、その意味を理解した。
社会的な意味合いも含んだ事では有るんだけど。
それだけじゃない。
どんなに周囲が称賛しても“人を殺した”という事は自分自身の宿業なんだ。
それは言葉で誤魔化せる程容易く軽い事ではない。
確実に、自分に積み重なり蝕んでいくのだから。
だから、大抵の者は考える事を止めてしまう。
そうする事が当たり前で、自分自身を守る為で。
決して、間違っているとは俺には言えない。
それ位に、重いのだから。
だからこそ、俺は逃げずに向き合う事を選んだ。
目を、意識を逸らせる程に強かには為れないのも一因では有るんだけど。
俺は、それで良いんだって自分で思ってる。
元々、戦争なんて状況とは殆んど無縁な日本で生まれ育った一般人なんだ。
その価値観を持つ事自体が中々に厳しい。
全員が、そうだとは流石に言わないけどな。
十歳位から“この世界”で生きていれば別だったかもしれないんだけど。
現実は、そうではない。
俺の価値観は既に構築され出来上がっている。
だから、こう為る事は何も可笑しくない。
「祐哉、私は出逢ったのが貴男で良かったわ」
「俺も、雪蓮で良かった」
そう言って笑むと、自然と互いに抱き締め合った。
…若干、“フラグ”っぽい遣り取りだったけど。
気にしたら負けだと思う。
それはそれとして。
改めて最終決戦の地となる場所を見渡してみる。
此処、江陽県の一角である場所は赤壁と比べると凄く平凡だと言える。
色々と知っている身として赤壁を一度も見ないままで居るという事は無い。
ちゃんと、視察している。
とは言え、見ているだけに戦場に為る可能性は無いと思っていたのも事実。
この戦いの性質上、赤壁が舞台候補から消えてしまう事は必然だと言えた。
だって、場所が宅と曹魏の領地なんだからな。
劉備の意思で起こる以上、戦場が益州以外になる事は有り得ないんだから。
態々“宅の領地に遣ろう”なんて馬鹿な事を言う様な雪蓮ではない。
曹魏に攻め込めば、それも有り得ない事ではないけど現実的ではない。
あの白堊の巨壁が有るので実質的に不可能だ。
だから、曹魏には此方等に“出て来て貰う”事が必要不可欠なのは今更言う様な事ではないだろう。
そういった理由から戦場は益州──劉備達の領地以外有り得ない訳だ。
「──にしても、可笑しな位に“最適な場所”だ…」
「ええ、そうね…」
雪蓮と二人で眺めながら、そんな風に呟く。
赤壁とは違い、この場所は地形による戦の有利不利が殆んど無いと言える。
多少の傾斜は有るものの、平地に近い広大な平野。
幾つか凸凹している場所も有るには有るが、その位は気にもならない。
平地という事は策によって戦局を動かす事は厳しいが“数の暴力(常道)”を使う分には最高だと言える。
しかも、左右に開けているという事から曹魏が伏兵を仕込む事は難しい。
その辺りも此方に有利だ。
そんな中、曹魏との戦いで一番懸念されるのは国境を兼ねている長江の存在。
勿論、下流域の宅に比べて上流域である益州は川幅や水深は問題に為らない。
要は、船戦──水上戦闘を遣らなくても済む。
その点は大きいだろう。
ただ、長江の源流は曹魏の領地内に有る為、実際には影響は無かったりする。
正確には、現在地より東で長江に合流するのだが。
それは置いておくとして。
益州から長江に合流をする河川は幾つか存在する。
その中で最大となる河川が目の前に有る瀘水だ。
但し、今現在、その瀘水を流れている水は少ない。
全く無い訳ではない。
上流域で貯水湖の様な深い穴を掘り、其処に水を引き一時的に溜めているだけ。
其処から、この場所を避け別の長江に合流する河川に溢れた水が流れていく様に即席ではあるが、工事して繋げてあるらしい。
そう遣って邪魔になる筈の河川を強引に排除。
現状を造り出している。
ただ、俺も雪蓮も思うのは“劉備達に都合が良い”事だったりする。
まるで、そうすればいいと示されている様に、だ。
当然、“誰が”というのが重要な訳だが、討論をする必要すら無い。
そんな真似が出来る人物は限られている。
「最初から劉備が敵対する事を読み切ってた?」
「…可能性は否定出来無いとは思うけど…それよりは最初から敵対勢力で考えて利用する算段だったって…
そう考えた方が説明し易い気がするんだけど…」
「そうする理由が、か…
確かに難しいわね…」
そう考えると、この状況は曹魏が“主導して”出来た事なんだと言える。
同時に納得も出来る。
何故、曹魏が白堊の巨壁を有しながらも、長江という天然の国境を使うのか。
その気になれば、より広く──長江その物を自領地に取り込む事が出来るのに。
そうしていない事が。
しかし、そうする理由には考えが及ばない。
それは単純に曹魏の理念を俺達は知らないからだ。
(高順は“原作”は兎も角“歴史”は詳しい可能性が高いと思う…
でも、そうなると全体的に可笑しな点が出て来る…)
磐石だと言える国造り。
それなのに、天下統一へと動いてはいない事。
それが、理解出来無い。
“原作”の魏ルート最後の曹操なら、確かに無意味な侵攻をしないという部分は納得出来るんだけど。
それは、結果的に三勢力が乱世を三分していたから。
だから、ああいった流れの物語に為っていた訳で。
それとは違う以上、曹操の意識も違うのは確かで。
だからこそ、悩む所だ。
「…雪蓮、もし曹操が宅を麾下に置こうとしていたら拒否出来たと思う?」
「…単純な支配だとしたら私達は拒否するわね
例え、皆殺しに為っても
でも、曹操なら私に州牧の地位を与え、自治を認めて家臣に置く位の器量は十分有るでしょうからね…
多分、戦わずに臣従してる可能性は高いわ
もっと言えば、袁術の下に居た状況で引き抜かれたら迷わず乗ってるわ
袁術と違って、曹操の方が遥かに信頼出来るもの」
「…だよな〜…」
そう、そういう事なんだ。
“原作”は知らなくたって曹操なら宅が何を望んでて何を大切にしているのか。
それを見抜いている筈。
それは宅の戦力だけでなく孫呉の民の信頼まで纏めて手に入れる事が出来た事を意味している訳だ。
天下統一の意志が有るなら間違い無く、そうする筈。
となると、そんなつもりは最初から無い事になる。
しかし、それだと現状への誘導だとも言えるだろう、曹魏の動きが判らない。
何が目的なのか、が。
「けどまあ、今更考えても無駄なだけでしょ?
その辺りの事も全部含めて──もう直ぐ判るわ」
「…そうだね」
布陣が進む宅と、劉備軍。
その対岸に聳え立つ巨壁の一角に有る巨大な門扉が、静かに開いてゆく。
雪蓮と二人、それを見詰め──思わず、魅入る。
整然と行軍している兵達の姿は見慣れている筈だ。
それなのに、魅了される。
“集団行動”という一つの芸術の域にまで昇華された大学生による行進技術。
それを遥かに越える域での精密な行軍行動。
しかし、機械的ではない。
血の、意志の通う人による想像を超えた同調。
それが、目の前に有る。
「……っ…恐ろしいわね…
ただ普通に歩いてるだけでこれだなんて…」
「…有り得ないよなぁ…」
我に返った雪蓮の声を聞き漸く我に返る事が出来た。
もし、自分一人だけで居る状況だったら、まだ視線も意識も奪われていたまま、惚けていた事だろう。
言い表せない恐ろしさ。
一目見ただけで、これだ。
戦意なんて最初から微塵も無かったかの様に。
綺麗に殺がれてしまった。
有り得ない事だと思う。
少なくとも、遣ろうとして出来る事だとは思えない。
それ程に衝撃的だった。
士気を保つ事は難しい。
瞬間的に高める方が楽だ。
それは宅でも同じ事。
だからこそ、色々と考えて手を講じていた。
それを一瞬で崩された。
嘲笑う、だなんて表現では到底及ばないと言える。
文字通り、戦う前に敗けた事を嫌でも理解する。
多分、祭さん達も、兵達も同じ様な状態だろう。
だとすれば、先の偵察戦で祭さん達が目撃した曹魏の兵士達は精鋭ではなかったという事になる。
“これ”を見ていたのなら祭さん達も、諸葛亮達も、“曹魏との戦いだけは絶対回避すべきだ”と言ってるだろうから。
逆に言えば、曹魏は俺達を絶対に戦場(舞台)に上げるつもりだった。
そう受け取る事も出来る。
「正直言って、今からでも家に帰りたくなったわ…」
「それ、物凄く判る…」
出来る事なら今直ぐにでも立ち去りたい、というのが偽らない本音。
見定める為とは言っても、本当に憂鬱になる。
…今は遣るしかないのが、事実だとしてもな。
此方等が布陣をしている中曹魏も布陣を始める。
多分、“彼方”の現代的な戦争観を基準にしていると奇妙に思う事だろう。
何故、攻撃しないのか。
戦争なんだから勝った方が正義を主張出来る。
不意討ちだろうが、勝てば“隙だらけなのが悪い”と言い張れるのだ。
相手を待つ理由は無い。
結果が全てなのだから。
しかし、この時代では戦は二つに分かれている。
賊徒等に対する掃討戦と、勢力争い等の戦争だ。
後者では特に開戦に対する礼儀の様な物が有る。
それはヒーローの変身等を悪役が攻撃せずに待ったり説明中は聞きに徹する様な違和感を感じる礼儀正しさみたいな物だと言える。
ただ、こう思ってしまう。
単なる大量殺戮行為と化し命を軽んじる現代戦争より現状の様な戦争の方が命を尊重している、と。
勿論、戦争自体は悪だが、何方等の方が“人の心”が通った行為であるのか。
そう考えた時、科学技術の進歩の業の深さを知る。
果て無く発展し続けてゆく技術は人間の心を何処かに置き去りにしてしまう。
それが失われた事に気付く余裕を与える事無く。
驚異的な早さで爆発的に。
そして、技術に支配されて人間は人間としての根幹を無くしてしまうだろう。
誰一人、それが異常だとは気付く事も無いままに。
(──なんて事を考えても人は便利さを求める、か…
本当、馬鹿だよなぁ…)
結局、人は“喉元過ぎれば熱さを忘れる”のだ。
“忘れる事で生きていく”生き物が人間だと言う話を聞いた事も有る。
大きな“過ち”でさえも、人間は忘れるのだろう。
では、歴史とは何なのか。
人々が紡ぎ、刻み、記す、数多の物語とは何なのか。
この世界の行く末を決める戦を前にして、考える。
何が正しいのか、と。




