弐拾
その後、劉備の方から話が出ていたのだけど。
──うん、無理だから。
一応、訊いてはいたけど、切り返したり出来る余裕は私には無かったから。
「…はぁぁ〜〜〜〜〜〜…
本当っ、嫌になるわ…」
劉備達が帰った天幕の中、私は簡易の机に突っ伏して盛大な溜め息を漏らした。
序でに偽り無い本音も。
え?、弱音に聞こえる?、そう受け取られたって私は一向に構わないわよ。
見栄や体裁を取り繕ってるばっかりじゃ、息苦しくて堪らないもの。
…まあ、政治の世界なんて“生き苦しい”ものだって判ってはいるんだけどね。
それはそれ、これはこれ。
愚痴りたくもなるわよ。
「──で、何が有った訳?
まあ、雪蓮の態度からして碌な事じゃあないって事は判るんだけど…」
「うむ…本当に碌でもない話じゃったのぅ…」
「と言うか、あの劉備って疫病神なんじゃない?
私には到底“王の器”とは思えなくなってるわ…」
劉備達と入れ替わる格好で天幕に遣って来た祐哉へと私に祭と詠が同意する様に愚痴を溢す。
平静を装い、自分を騙して必死に堪えていたのは何も私一人ではなかった訳ね。
…まあ、そうよね。
あんな衝撃的な展開なんて普通は思い描けないし。
現実的な話じゃないもの。
可能性その物を、思考から排除してしまって当然。
そういう話なんだから。
「え〜と…つまり?」
「あ〜…それはですね〜…
劉備さんの麾下に武陵蛮・叟族・濮族の三族が援軍で加わったらしいんです〜」
“自分から話したくない”という私達三人の反応から困った祐哉は穏を見て事の説明を求めたみたいね。
そういう意味では、静かに黙ったまま遣り過ごそうと考えていた穏は失敗したと言えるのでしょう。
けど、私達は勝った。
今はそれが重要なのよ。
だから、頑張って頂戴。
私達の分まで。
──と、顔を上げる事無く密かに穏に声援を送る。
心の声で、だけどね。
「……は?、え、マジ?
それ、冗談じゃなくて?」
「冗談だったら物凄〜く!
嬉しいんですけどね〜…」
いきなりは信じられない。
そういう反応を見せている祐哉は可笑しくはない。
もし、祐哉の立場だったら私達だって同じ様な反応を見せていると思うもの。
それ位には、有り得ない事だったりする訳よ。
それを事実として認めて、説明をしなくちゃいけない穏の珍しく刺々しさを含む言い方も仕方が無い。
立場的には問題が無いとは言わないけど、この場には親い者だけしか居ない。
その上、祐哉と詠を除いた私達三人は事実上の夫婦。
だから問題には為らない。
「あー、いや、別に正気を疑う訳じゃないんだけど…
流石に全く疑問を持たずに受け入れるには、なぁ…」
「…そうですよね〜…
ごめんなさい、祐哉さん」
若干、八つ当たりに為った自分の態度を反省する様に穏は謝罪を述べた。
そんな祐哉の言葉を聞いて私は愚痴愚痴言ってたって仕方が無いと切り替える。
それが事実である以上は、どうしようも無いしね。
素直に認めるしかない。
目を逸らしていれば勝手に何とか為ってくれるのなら幾らでも逸らしているけど現実問題としては、そんな都合の良い展開なんて先ず有り得ない事だもの。
だから、今は遣るべき事を一つずつ遣らないとね。
突っ伏していた身体を上げ正面に立っている祐哉へと顔を向ける。
気配で、祐哉の居る位置は予想が付いていたから特に驚く事も無い。
ただ、視線が合った瞬間に“大丈夫か?”と気持ちが伝わってきた。
その事に、嬉しい意味での動揺が生じてしまう。
だってほら、真っ先に私の事を心配してくれていると判っちゃったら、ね〜。
嬉し恥ずかしで照れちゃうじゃないのよ。
勿論、祭達が居るんだから平静を装うけど。
胸中じゃ“きゃーっ♪”とはしゃぎ悶えて騒いでいる私が居る訳よ。
気を抜くと、其方の自分が顔を出しそうで困るわ。
背凭れに身体を預けながら祐哉を見て、話す。
「出来る事なら冗談にして欲しいっていうのは、私も否定出来無いわね〜…
でも、残念ながら劉備から話が出た事は確かよ」
「…裏は──まだだよな」
「流石に、さっきの今じゃ厳しいわよ…
まあ、明命に探っては貰うつもりではいるけど…」
「此処で態々劉備が見栄を張ってでも宅に更に戦力が有る事を印象付ける必要は無いって事だよな…」
「ええ、そうなのよ…」
祐哉の言う通りなのよね。
宅が曹魏と戦う事を渋るか直前に為って消極的になり中止や協力関係の解消等を言い出しているのであれば意味は有るのだけど。
勿論、此方の急な裏切り・寝返りを防ぐ意味での牽制という可能性は有るけど。
それも私から兵数が少ない理由が報される前に、なら可笑しくはない。
けど、実際には後からだ。
その点が判断を悩ませる。
その事を祐哉にも伝えると腕組みをしながら考え込み──小さく溜め息を吐く。
「…考えても判らないな
と言うかさ、劉備は単純に自分達の方は戦力の増強が有ったって事を伝えていただけなのかも…」
「それは………確かに、ね
劉備なら深い意図は無くて事実だけを言ってて…
それを私達が勝手に警戒し深読みし過ぎてるって事は有り得そうだわ…」
「武陵蛮に叟族に濮族って名前を聞いただけでも直ぐ“何か有るな…”って思う存在だから仕方が無いって言えば仕方が無いけどね」
そう言った祐哉を見ながら私達は大きな溜め息を吐き緊張を解いていった。
要は私達の“空回り”。
劉備達に特に意図は無い。
そう考えてみれば意外な程あっさりと納得出来た。
劉備は“宅の兵数が少ない事は気にしていた”けど、話を聞いて納得していた。
それで終わりだった訳ね。
「──で、どうする?」
私達が落ち着いたのを見て祐哉が“最終判断”を私に訊ねてくる。
それは、先の劉備達からの報告に対する物ではない。
この曹魏との戦いに対する宅の最後の判断を、だ。
「…今の流れで曹魏と戦う事に為るのは私達としては本意ではないわ」
そう、本意ではない。
私達が曹魏に対し望むのは“闘い”である。
決して、戦争ではない。
勿論、戦う以上、何方等も犠牲が出てしまう可能性は否めない事ではあるけど。
今の様な無意味な犠牲者を増やすだけの遣り方でなど遣りたくはないのよ。
だから、正直に言うのなら現状(この戦い)には私達は見出だす物が無い。
そい言っても過言ではないというのが総意でしょう。
ただ、それだけでは広大な領地を維持するのは厳しいという事も事実で。
そういった政治的な理由で劉備陣営との協力関係には応じていた。
それが、正しいかどうかは私達が考える事ではない。
そんな事は後世の歴史家に託してしまえばいい。
私達が考え、為すべき事は今を生きる民の為に。
ただそれだけなのだから。
「それでも、私達は此処で退くわけにはいかないわ
意地や誇りじゃないの
私達は、この一戦で彼我を見定めなくてはならないわ
孫呉の民の未来の為に」
孫呉という在り方に拘り、滅亡に向かう真似は絶対にしては為らない。
必要ならば、私達は曹魏に降り、忠誠を誓うわ。
そうする事が民の為なら、何も迷う必要は無い。
ただ、それは曹魏の意志を見定めなくて叶わない。
劉備達にしても同様だ。
曹魏に、曹操に向けられたその狂気が今後孫呉の民を脅かす事に為る可能性を。
共存し得る可能性を。
確と見極める必要が有る。
その為に、この一戦は実に好都合だったりする。
「…高い見物料だな〜…」
私が自分の意思を告げると祐哉は苦笑しながら、そう言って肩を竦める。
しかし、反対の意思は全く見せてはいない。
別に“どんな決断だろうと従って付いて行く”という訳ではない。
それが最善ではないのなら祐哉達は反対してくれる。
私を窘め、止めてくれる。
劉備達とは違うから。
「まあ、仕方が無かろう…
ある意味では、この世界の行く末を決める一戦じゃ…
寧ろ、特等席で観られると思えば当然の価値じゃな」
「“命懸け”っていうのは避けたいけどね…」
「私達だけなら兎も角〜、兵の皆さんの危険度は全然違いますからね〜…」
「それでも、か…」
祭が、詠が、穏が、祐哉が言いながら、私を見る。
その眼差しを受け止めて、私はしっかりと頷く。
「ええ、それでも、よ」
そう言った私を見詰めて、祐哉達は首肯する。
この決断を信じて。
──side out。
劉備side──
孫策さん達との会談を終え朱里ちゃんと一緒に彼方の陣を出て、構築中の私達の陣中へと戻って来ていた。
作業は皆に任せて、作業の邪魔に為らない場所で私は朱里ちゃんと一緒に呼んだ星ちゃんを交えて、先程の事を話し合っていた。
孫策さんの行動について。
「──って事なんだけど…
星ちゃんはどう思う?」
私から孫策さんの言ってた事を聞いて、本の少しだけ星ちゃんは眉根を顰めた。
話している最中の、僅かな間だけの反応だったけど。
確かに星ちゃんは反応して何かを考えていた。
それは間違い無い。
「ふむ…そうですな…
孫策殿の説明自体は一応は筋が通っております
一方で、疑えば切りが無い事も事実でしょうな
もし、それらしい理由にて意図的に兵数を減らしたと考えても、それを確かめる時間が我等には有りませぬ
確かめるとするのならば、開戦の延長は必須です
ですが、その開戦の延長は我等にとっては致命的です
先ず間違い無く、兵力的に予定通りの開戦よりは低下してしまうでしょう
ですので、気にしないのが一番でしょうな」
「…朱里ちゃんはどう?」
「はい、私も星さんの言う通りだと思います
此処に来て孫策さんを疑う事は意味が有りません
無意味な疑念は知らぬ間に不和を生んでしまう原因に為るだけですから…
仮に、意図的に減らしたのだとしても、参戦している事だけで十分と考えるべきだと思います
抑、“参戦しない”という選択肢も孫策さんには選ぶ事が出来た訳ですから…」
「…それもそっか〜…」
ちょっと勘繰り過ぎてたのかもしれないかな。
二人の意見を聞いてみて、そう思う事が出来た。
孫策さんの事は気にしても仕方が無いよね。
今、大事なのは唯一つ。
曹操さんに勝つ事。
それだけなんだから。
──side out。
諸葛亮side──
桃香様が御主人様を探しに行かれてから星さんと二人場所を移しました。
話を聞かれない様に。
「…朱里よ、正直に言ってどの様に思った?」
「…桃香様に話した事には嘘偽りは有りません
実際、孫策さんを疑う事は悪い方に進むだけですから考えない事が一番です
ですが、孫策さんが兵数を減らした理由は…恐らくは“備えて”でしょうね…」
「…曹魏の多面作戦による侵攻に備えて──と考えるのであれば、此処に兵数を集中させておるか…」
「はい、もしも孫策さんがそう考えているのであれば最初から利害が一致する為積極的だった筈です」
「しかし、現実は違う…
ならば、考えられる理由は一つしかない、か…」
「…はい、そうなります
孫策さんは“私達に”対し備えたという事です」
そう言った瞬間、星さんは静かに俯いてしまいます。
考えたくは有りませんが、少なくとも孫策さんが将来敵対するという可能性を、此処に来て暗示してきた。
そう受け取るべきです。
一つ溜め息を吐いてから、星さんが顔を上げました。
「朱里、主の“切り札”に気付かれたと思うか?」
「…正直、判りません
ですが、今一度御主人様が“天の御遣い”として表に出て来たという状況から、“何かが有る”と思うには十分でしょうから…」
「…それに加えて桃香様の変化を目の当たりにすれば警戒して当然か…
“参戦する”と言うよりも“観戦する”と言った方が正しいのかもな…」
「…何方等にしろ私達には曹魏との戦いに集中をする以外の事は幾ら気にしても仕方が無いので…」
「先の事は先、か…」
静かに空を仰ぎ、捧ぐのは小さな祈り。
当たり前に来る明日が。
絶えない様にと。
──side out。




