拾玖
静かな鍔迫り合い。
表面上の落ち着いた様子は本当に見せ掛けだけで。
その実態は、涼しい表情で相手の急所を探り狙い合う血生臭い物だったりする。
勿論、実際に殺し合うなら私が劉備に負ける事なんて有り得ないでしょうけど。
政治的に、交渉の上では、という場合には有り得ても可笑しくはない事。
武とは違って、其方等側に自信は持てないから。
まあ、そうだからと言って最初から諦める様な真似は絶対にしないけどね。
「端的に言えば、予定より決戦に参戦させれる兵数は減ってしまったわね…
今居るのは当初の数からは三分の一って所かしらね」
そう私は肩を竦めながら、“困っちゃうわ〜…”等と言いた気な態度を見せる。
実際には四分の一だけど。
そんな兵数の詳細な情報を劉備達が持ってはいないし今更確かめる術も無い。
もっと言えば、再び集めるという事も難しい。
私達が集結している以上、曹魏とて準備を整えて待ち構えている事でしょう。
此処で開戦を延ばす判断は悪手でしかない。
…まあ、私達や曹魏には、無駄な犠牲を出さずに済む可能性が高いので、決して悪い事ではないけど。
劉備達にとっては再起不能になる様な痛手に為る事は間違い無いでしょうね。
だから、その選択は絶対に選ばないと言えるわ。
つまり、遣った者勝ちで、言った者勝ちな訳よ。
抑、先に参戦させる兵数を決めていた訳ではないから責められる言われも無い。
何れだけの兵数を割くか。
それは互いの裁量に委ねる形で話は纏まっている。
まあ、劉備達にしてみれば“そうするしかなかった”というのが本音よね。
仮に、“お互いに最低でも五万は出しましょうね”と言われていたとしたなら、私は劉備と協力関係を結ぶ真似は絶対にしなかった事でしょう。
それ位は判っていたから、あの会談では出来る限りの範疇で譲歩している。
劉備達──特に、諸葛亮は私達から可能から具体的な兵数を引き出したかったと考えていたでしょう。
そう出来無いのが現実で、情勢だったとしても。
軍師の希望としては、ね。
その証拠に視界の端に有る諸葛亮の表情は渋い。
それが演技だったら大した才能なんでしょうけど。
そういった事が下手なのは雛里を知っているからこそ一目で看破出来る。
だから、その反応が彼女の偽らざる気持ちなんだって確信を持てるのよ。
「三分の一に“為った”と言いましたよね?
という事は、途中で兵数を減らした訳ですか?」
その一方で、動揺も見せず視線を鋭くさせているのが以前の“ほわほわ主君”の姿からは全く想像出来無い劉備だったりする。
一つの事に集中している。
たったそれだけの事だけど簡単な様で意外と難しい。
自分の全てを傾け注ぎ込むというのは、一切の雑念が無い状態とも言える。
“無の境地”とは違う。
“唯一無二の境地”だ。
「ええ、そういう事よ」
劉備の質問に私は動じず、悪びれもせずに肯定する。
抑、引け目なんて無いし。
私達には、無理に劉備達と協力する理由も無い。
だから、何の躊躇いも無く手を切る事は出来る。
其処は劉備達とは違うし、其処が肝心な点でも有る。
まあ、本音を言うのなら、曹魏とは一戦交えようとは私達も考えてはいたけど。
今よりも規模としては全然小さい戦だったでしょう。
本気で打付かりはしても、侵攻が目的ではない。
飽く迄も、私達の意志を、孫呉の国として価値を。
曹魏に示す為なのだから。
兵数よりも私達の参戦へと比重が傾いていた筈。
そういう戦いだから。
だから、劉備達との間には埋められない溝(温度差)が存在してしまう。
これは仕方の無い事で。
劉備達も理解はしている事でしょう。
納得は出来無くてもね。
「理由をお訊きしても?」
「全然構わないわよ」
追及してくる劉備に対してそう言うと、本の少しだけ意図的に間を開ける。
焦らす訳ではない。
ただ、“用意していた”と思わせない為に。
流石に、疑いを持たせないというのは不可能だけど、それを可能な限りで薄める事は出来無い訳ではない。
これは、その為の物。
「さっきも言ったけど…
当初は、私達も今の三倍の兵を率いて此方に向かって行軍していたのよ
ああ、一応言って置くけど“最初から”少ない兵数で行軍してたって事は無いわ
だって、そうでしょ?
曹魏を相手にするのよ?
私達だって甘く見たりして自分の首を絞める事態には陥りたくはないもの
ちゃんと用意していたわ」
「………」
若干、言い訳っぽい台詞に聞こえない事もないけど、それは事実なのは確かで。
裏付けを取られても一応は大丈夫だったりする。
本当に、途中までは兵数は今の三倍以上居たのだから嘘は言ってはいない。
尤も、その裏付けを取れる時間は無いでしょうから、今は信じる以外に劉備には選択肢は無いけどね。
それが判ってたからこそ、あの場で兵数を減らす事を私も決断した訳だし。
主導権は此方に有るわ。
それを理解しているのかは定かではないけど。
今の私の言葉には、劉備は異議は挟まなかった。
多分、“それを追及しても時間の無駄になるだけ”と考えているんでしょうね。
だからこその沈黙。
そして、“それから?”と続きを促してくる視線。
「途中までは順調だったわ
でもね?、“不足の事態”っていうのは本当に予想を無視して起きるのよ…」
──と言いながら、情景を思い出しているかの様に、苦々しい表情をする。
まあ、それは演技ではなく“本当に、そう思った時の事を思い出して”だから、表情を作ってはいない。
ただ、発言している内容と脳裏の情景が別物っていうだけの話でね。
嘘も吐いていないわよ。
各々は、本当の事だもの。
「…その途中に、一体何が遭ったんですか?」
そう言って続きを促す。
しかし、僅かだが少しだけ訊ねるべきか否かを劉備が躊躇っていた。
その小さくも大きな隙を、私は見逃さなかった。
今直ぐに役に立つ、という訳ではないけどね。
「反董卓連合の時の曹魏の一件を覚えてる?」
「…連合の時の?……ぁ…え?、でも、あれは…」
「そう、疫病の発生よ…」
真剣な表情で当時の一件を話題に挙げた私を見詰め、私が一体何を言いたいのか察した劉備が戸惑う中で、深刻な表情で肯定する。
勿論、これは完全な嘘。
このままなら、だけどの。
「まあ、そうは言っても、連れていた兵達が発症したという訳ではないわ
領内の邑の一つの話よ
見付かったのも、飽く迄も可能性──“疫病の疑い”の域を出ない物だけど…
でも、だからこそ半分以上兵を回さないと駄目なの
宅の場合には曹魏みたいに事前に予兆が有ってって訳じゃあないから、備えてた訳でもないから…
どうしても拡大を防ぎつつ詳しく調査しようとすればそれ相応の人数が必要よ
ある意味、戦争だと呼べる大規模な軍事行動なのは、仕方が無い事よね…
尤も、宅の民の命を預かる身としては当然の事だから優先順位は曹魏との戦より上になるのは…態々此処で言うまでも無いわよね」
「……っ…」
そう言って溜め息を吐いて苦笑を浮かべて見せる。
最後の最後に今の劉備達の行いに対しての皮肉としてチクッ!、と一刺し。
それに罪悪感(毒)が有れば狂気(元気)も失われるかもしれないけど。
…効き目は期待しない方が良いでしょうね。
現に、私の言葉に息を飲み思わず表情を翳らせたのは劉備──ではなくて、隣に座っている諸葛亮の方。
劉備は気にはしているけど“流石に他所の事にまでは文句は言えないよね〜”と仕方無さそうに諦めている様にしか見えない。
多分、私の言葉の棘にすら気付いていないでしょう。
(…これは本格的に危ないかもしれないわね…)
今更ながら結んでしまった協力関係を後悔してしまう気持ちが強くなる。
勿論、土壇場で劉備の事を見限り対峙する曹魏に付く──とまでは行かずとも、曹魏と対峙する理由だけは劉備とは違うのだと。
はっきりと言ってしまった方が良いかもしれない。
その辺りは今はまだ可能性でしかないけど。
考えておくべきでしょう。
少なくとも、劉備の理想が私の理想と重なる可能性は無いに等しいわね。
並立もしないでしょう。
有り得るのは、対立のみ。
抑、アレよね。
曹魏と敵対している時点で私と劉備の目指してる所は相容れないのよ。
懐く理想としても。
築く現実としても。
「──とまあ、そういった訳で兵数が減ったのよ
それでも、此処に居る兵達二万は精鋭ばかりよ
数は兎も角、質では其方の兵に劣る気はしないわ」
「それは頼もしいですね」
取り敢えず、言うべき事で重要な事は話し終えたから軽い挑発を言って、劉備に“次は其方が話す番よ”と言外に促す。
その一方で内心では劉備の反応に舌打ちをする。
敢えて、見下す様な言葉で挑発をしたのに気にせずに流されるとはね。
私としても予想外だわ。
…ああでも、劉備にとって曹魏──曹操以外どうでもよくなっているのなら。
そういった反応も可笑しな事ではないのかもね。
厄介ではあっても。
「此方は逆ですね」
「…逆、と言うと、決戦に投入する兵数を当初よりも増やしたって事かしら?」
言外に“強引な徴兵をして掻き集めて来たって訳?”という感じの批難の意思を込めて睨んで見せる。
──が、予想通り。
劉備は気にする素振りすら見せずに笑顔を浮かべて、左右に首を振った。
「…?…──っ!?」
それを見て胸騒ぎがした。
──否、そんなに生易しい感じではなかった。
一瞬、遅れてから来た。
ゾワワッ!、と足の裏から脳天に向かって駆け上がり突き抜けて行った様に。
言い表せぬ悪寒が私の中を一瞬で染め上げた。
「領内で用意出来る兵数は当初の予定通りです
それ以上は居ませんから
だから、領内の民ではなく別の所から用意しました」
「……その別の所って?」
嫌な予感しかしない。
出来れば訊きたくはない。
しかし、今は訊かなければ話が進まない状況。
いや、訊かなければ絶対に自分達が困ってしまう事が嫌でも理解出来てしまう。
その事に心底腹が立つ。
大局的に見れば、私の方が主導権を握っているのに。
局所的に見たならば劉備が私を脅かしている。
全体的には影響はしないが私達に“嫌な印象”を深く刻み付けてくる。
そんな現実を目の前にして奥歯を噛み締めたくなる。
己の力が及ばぬ事に。
「孫策さんは揚州の出身で近年は荊州で生活をされていましたよね?」
「…っ…ええ、そうね」
仕返しのつもりなのか。
劉備は私達の気にしている事を然り気無く突いてくる一言を放ってきた。
意図的に遣ってくるのなら“喧嘩上等”で嬉々として買ってあげるのだけど。
腹立たしい事に当の劉備は“天然”だったりする。
本人に悪意が無いからこそ打付け様が無い。
だから、苛立ちは積もる。
ただただ腹の中だけに。
「それなら、聞いた事位は有ったと思いますが…
武陵蛮・叟族・濮族の三族が私の麾下に入りました」
『────っ!!!???』
さらっと劉備が口にした、とんでもない一言。
それに対して息を飲んで、驚きと動揺を押し殺そうとしているのは、私一人だけではなかった。
祭も、穏も、詠も。
その名を聞いて、全く何も思わない筈が無い。
それだけの影響力を持った存在なのだから。
「…確認させて頂戴
貴女が言った三族の名前に間違いは無いのね?」
「はい、間違い有りません
武陵蛮・叟族・濮族です」
「…そう、なの…」
ギリギリ、本当にギリギリ自分の意識と気力を保つ。
もし、許されるのであれば私は今直ぐにでも此処から抜け出して、何処かしらで地平の彼方、空の彼方へと力一杯に叫びたい。
それ位に、動揺している。
勿論、見せはしないが。
優勢だった事なんて疾うに吹き飛んでしまった。
「…彼等は、貴女の麾下で共に曹魏と戦う…
そういう事でいいのね?」
「はい、そういう事です
合流は明日に為りますが、それは彼等の希望ですから問題有りません」
「そう…判ったわ」




