拾捌
孫策side──
──七月二十九日。
私達が到着してから二日。
兵達の疲労は抜けているし士気も緩んではいない。
精鋭を選抜してはいるが、能力よりも反董卓連合時に曹魏の戦いを見ている者を優先的に選り出している。
臆さない為に、ではない。
士気を高め過ぎて、曹魏を侮らない様にする為に。
盛り上がり“押せ押せ”に為る事自体は悪い事だとは私も言わないけど。
その結果、彼我の実力差を見失ってしまって勇み足で突っ込む様な事に為っては自殺行為も同然でしょう。
だから、曹魏の恐ろしさを理解していて退くべき時に退く判断が出来る様に。
そういう人材を優先した。
はっきり言って、この戦で犠牲を出す事は無意味。
何の意味も無いでしょう。
勿論、曹魏を相手に戦って犠牲を出さないで終われるなんて思ってはいない。
戦う以上、ある程度犠牲が出てしまう事は覚悟の上。
だからこそ不可避な犠牲を最小限に止める為にも。
“撤退の(正面な)判断”が出来る事は重要になる。
私達は、此処で終わる気は全く無いのだから。
「──来たわね…」
地平に立ち上る土煙。
数百の人間が一団と為って歩いていても、先ず土煙が上がる事は少ない。
最低でも、移動が早足程度でなくては起きない。
但し、全身を武装している兵士の場合には、徒歩でも起きる場合が有る。
兵士の全員が全員、重量に影響されず十分な高さまで足を上げて地面を擦らずに行軍出来る訳ではない。
短距離ならば兎も角として長距離となれば積み上がる疲労も影響してくる。
だから徒歩だったとしても土煙は上がる訳よ。
尤も、今回は劉備軍からの先触れが来ている事も有り私達は事前に知ってるから緊張したりはしない。
こうして、陣営から離れて劉備軍の行軍している姿を眺める程度には余裕。
油断はしてないけどね。
「…かなりの数ね…」
「うむ…後の事など考えず総戦力を投入してくるとは思っておったが…
正直、これ程とはのぅ…」
「それだけ本気って事ね…
面倒でしかないわ…」
私の一言に祭と詠が各々の感想を静かに漏らす。
溜め息と共に。
まだ地平に姿を見せている程度ではなるけど、土煙の中から姿を見せた劉備軍。
その一端を見ただけでも、十分に曹魏との決戦に臨む劉備達の物凄い意気込みが感じられる。
それ程に用意してきた兵の数が多いのが見てとれた。
「…宅が兵数を減らさずに来てたら曹魏に勝てたかもしれないわね…」
「詠、本気で言ってる?」
「…ごめん、無理だわ
十倍の兵数を用意出来ても勝てる気はしないわ…」
「良くても、“一日目を”凌ぎ切れるといった所ね」
勝てないけど、ギリギリで敗けはしない。
そんな感じだと思う。
但し、犠牲は半端無く出て“二日目には”終わる。
そういう話なんだけどね。
非情な現実を思い浮かべて会話が途切れてしまう。
それも仕方が無い事。
自分達の遣ろうとしている事の無謀さを改めて認識し呆れてしまうのだから。
“何遣ってるんだろ…”と口にしてしまいそうな程。
思わず愚痴が出そうな程。
冷静に考えれば考える程に“頭が可笑しいでしょ”と自分達に言いたくなる。
…本当、今更ながらにね。
「劉備は…いや、諸葛亮と趙雲は本気で曹魏に勝てるつもりなのかのぅ…」
劉備軍を眺めながら、祭が嘆く様に呟く。
その呟きは劉備達に対してというだけではなく。
私達に対しても問い掛ける様にも聞こえてしまうのは仕方が無いでしょうね。
そういう意図が祭には全く無かったとしても。
私自身がそんな風に感じ、考えているのだから。
「さあ、どうかしら…
劉備の意思に従って、って考えるのが妥当だけど…
実際には“止められない”っていうのが本音かもね…
まあ、“殺してでも”って意思は将師の間には無いんでしょうけどね」
詠は他人事の様に返すけど諸葛亮達を批難しようとは考えていないでしょう。
ある意味、董卓を守れずに“大罪人”に仕掛けたのは詠自身の“甘さ”から来た事だったんだから。
今の諸葛亮達とは似ている状況と言えるでしょう。
勿論、董卓と今の劉備では比較するまでもない。
今の劉備を救おうだなんて私は微塵も思わないもの。
“時代の生け贄”にされた董卓とは違う。
救うだけの価値が無いわ。
…まあ、諸葛亮達、将師は“見捨てるには惜しい”と思わないではないけど。
後々の不和や争乱の火種に為りそうだから、獲るなら真剣に考えないとね。
「劉備は兎も角として…
諸葛亮達は民の居ない地を治める気なのかのぅ…」
「そうなんじゃない?
彼方の領地の広さとかから考えても無理無く徴兵して投入出来るのは四〜五万が妥当な所でしょうけど…」
「…あれでは、どう少なく見積もっても十万を下回る事は無いじゃろうな…」
「留守中の防衛や治安維持なんて考えてないわね…
使えそうな戦力なら兎に角構わず掻き集めて、余す事無く注ぎ込んでるわよ」
「確かにのぅ…」
客観的に見た意見を述べる二人の会話を聞きながら、私も胸中で同意する。
と言うか、反対する理由が思い浮かべばないわ。
恐らく、老若男女問わずに武器を持って戦えるのなら無差別に投入している。
普通なら様々な理由も有り民が反対して、騒動にまで発展しそうだけれど。
そうは為らないらしい。
曹魏に勝った後の利という餌を利用しているからね。
糧食関係の問題も同様。
兵力として民を徴兵すれば領地で生活する民が減る為糧食を供出させたとしても自分達が食べるのだから、反対する者は減る。
領地が貧困化したとしても曹魏に勝ちさえすれば後で取り返せる。
そんな風に考えているなら救いようが無いわね。
私達が見物から引き上げて一刻と経たずに、劉備達が合流予定地へと元気な姿を見せていた。
「こんにちは、孫策さん
お久し振りです
お元気そうで何よりです」
初めて冀州で会った時から変わらない笑顔を浮かべて此方に小走りに駆け寄って来た劉備を出迎える。
そんな劉備を見ながら私は胸中で苦笑を漏らす。
普通、お互いの立場だとか主導権争いが始まっている場面なので自分が相手より格下に周囲に見られる様な言動は控えるのだけど。
現実は、これだからね。
劉備にはそういうつもりは無いのでしょうけど。
佇み、待っている私の方に自分から来てくれた。
端から見れば、力関係的に私の方が上位だと思える事でしょう。
それだけの影響力を持った行動だと言えるのだから。
…まあ、当の劉備の人柄を知る者達からしてみれば、そんな事を気にしていても無駄なだけだって思えるのかもしれないけどね。
何しろ、劉備自身に普通の主君の言動を求めるのなら疾うに見限っている筈。
“普通ではない”からこそ諸葛亮達は今でも劉備へと付き従っている。
それは、新時代を担う上で必要不可欠な資質なんだと私は考えている。
当然、曹操や私も同じ様に資質を持つ者としてね。
そんな事を考えながらも、態度には一切出さない。
演技力には幾らかは自信が有るしね。
伊達に何年も雌伏の時期を過ごしてはいないのよ。
…まあ、演技をして見せた相手が愚物だったって事は否定出来無いんだけど。
「ええ、こんにちは
貴女も元気みたいね
久し振り、と言うには少し微妙な気はするけどね」
「あー…日数として見たら一ヶ月ですしね〜…
私の方は色々と忙しくって余計に期間が長かった様に感じたのかもしれません」
「ああ、成る程ね〜…
そういった事は有るから、判らないでもないわ」
「ですよね〜」
そんな他愛無い挨拶をして何方等からとは言わないで握手を交わして、笑む。
握り合った互いの掌。
見詰め合う笑顔と双眸。
一見すれば、仲が良い様に見えなくもない光景。
しかし、その実態は真逆と言っても過言ではない。
決して、友好的ではない。
飽く迄も、“利害の一致”によって結ばれた関係で、互いを信頼しようだなんて微塵も考えてはいない。
私は勿論の事なんだけど、あの劉備でさえも、ね。
それだけ、私達の関係とは歪であり薄っぺらな物だと互いに理解している。
だから、そうなる事自体、可笑しな事ではない。
寧ろ、必然でしょう。
その為、私達以外の周囲に居合わせている者達の間に緊張感が漂い始める事も、当然の反応だと言える。
尤も、宅の方が経験的にも勝ってるから態度からして違って見えるけどね。
手を離すと同時に、劉備は笑顔を消して真面目な顔で口を開いた。
「早速なんですけど…
お互いの状況に関して色々確認をしませんか?」
“確認を〜”って言ってる割りには、劉備の眼差しは剣呑だったりする。
まあ、劉備の言いたい事は判ってるんだけどね。
“随分と兵数が少ない様に見えるんですけど?、一体どういうつもりですか?”といった所でしょうね。
私が劉備の立場でも其処は訊いているでしょうから、十分に予想出来ていた事。
だから、動揺は無い。
「此方は大丈夫だけど…
着いたばかりでしょ?
貴女達は疲れてない?」
劉備の提案を許容しながら然り気無く彼女達の後方の劉備軍御一行様へと視線を向けて、気遣う様に振りで軽い牽制をしてみる。
特に効果が有るだろうとは思ってはいないので本当に試してみているだけ。
だから、どんな反応だったとしても問題は無い。
案の定、劉備は特に牽制を気にする様子は無く綺麗に無視して、笑顔を見せる。
「有難う御座います
でも、大丈夫ですよ
あっ、でも、宅の方はまだ陣の構築が始まったばかりなので…」
──と、態とらしく言って“其方が不都合だったら、待ってあげますよ?”的な挑発とも取れる“探り”を平然と入れてきた。
元々、演技が出来る質とは思ってはいなかったけど、“集中している時”だけは例外みたいね。
多分、劉備本人は意識して遣ってはいない。
自分の目的や意思──要は欲求に素直に従った状態で“今の自分に出来る事”を遣っているだけ。
当然、其処には諸葛亮達に教え込まれている事だろう駆け引きの仕方も含まれ、それらを無意識に使い熟し私と遣り合っている。
そんな感じでしょうね。
…ちょっと、厄介かも。
「そう…それじゃあ、宅の天幕でも良いかしら?」
「はい、お願いします」
そう言って話を進めながら私達は笑い合う。
威嚇し、睨み合う様に。
劉備と諸葛亮の二人を連れ陣の中央の大天幕の中へと案内していく。
途中、見られては不味いと思う物は一切無い。
抑、協力関係である以上は互いの陣中に出入りをする可能性は高いのだから当然そういった物なんかは陣の見え難い場所に置く。
宅の場合は物ではなくて、人物だから出ない様にさえ言っておけば隠す事自体は難しい事ではない。
その点は楽だと言える。
「どうぞ、掛けて頂戴」
「はい、失礼します」
天幕に入ると祭が劉備達に椅子を用意し、私は二人に座る様に促す。
諸葛亮にも、という部分は意外と珍しい事である為、素直に座った劉備とは違い諸葛亮は戸惑いを見せた。
──とは言え、主の劉備が何も言わずに座った以上、それに倣うしかなく。
瞳に緊張感を滲ませながら諸葛亮も椅子に座った。
因みに、此方等は私と祭・穏に──詠が居る。
座るのは私だけだけど。
陣の外から戻って来ている私達の祐哉が見て判断し、詠の参加を決めた。
北郷や陳宮が居た場合には詠は参加してはいなかったでしょうね。
私達も最後まで気を抜かず対処していく為にも此処でバレるのは拙いから。
其処は徹底しているわ。
「さてと…無駄話をしてる時間は勿体無いし…
何方から始める?」
そう自分で言っておいては何なんだけど。
“時間が勿体無いのなら、自分から話しなさいよね”とか言いたくなる。
勿論、これも劉備に対する揺さ振りなんだけど。
面倒なのよね、意外と。
「…それじゃあ、此処にも先に着いていた其方等からお願い出来ますか?」
「ええ、構わないわよ」
少しだけ考えてから劉備は“私に先に話して欲しい”事を告げる。
それを快諾し、始まる。
前哨戦が。




