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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
753/915

       拾参


桃香様には気付かれぬ様に自分を落ち着かせる。

言う程、簡単な事ではないのだが不可能ではない。

一時的に別の事へと意識を傾ける事により、短時間の集中力を生み出せる。

今は、それで十分だ。



「それでは、桃香様

御主人様に御協力頂く事で宜しいでしょうか?」


「うん、それで良いよ

勿論、御主人様が遣るって言ってくれたらだけど…」



桃香様が朱里の考えに対し同意する姿勢を示しながら肝心の主へと顔を向ける。

朱里も、当然ながら私も。

主の意思を確認する為に。


私達の視線を受けた主は、一瞬だけ怯んでいた。

急に大きな責任感を感じて気圧されたのだろう。

無理も無いとは思う。

どんなに正論であっても、その力の危うさを誰よりも自覚しているのは主自身に他ならないのだ。

躊躇う気持ちが有る事は、仕方が無いだろう。


ただ、桃香様は主だけに、責任を負わせるという様な考えはない。

飽く迄も、主の意思に委ね判断を任せている。

だからこれは単純に、主が遣りたいか否か。

その確認でしかない。

…まあ、期待する気持ちが混じっていないとは私達も言いはしないがな。



「…判った、遣ろう

それが今の俺達にとっての──いや、世の中にとって最善の解決方法なら、俺は遣るべきだと思う

それに俺は“天の御遣い”なんだからな

自分の力を世に示す事で、平和を齎せるなら遣らない理由なんて無いからさ」


「御主人様…」



主の強い決意を宿す表情を見詰めて、双眸を潤ませて感動する桃香様。

見れば、朱里も同じらしく目尻に浮かんだ涙を指先で拭っている。

…まあ、朱里は苦労した分感動も大きいだろうしな。

私ですら、思わず泣いても可笑しくはないのだ。

そう為るのは当然だな。


──とは言え、取り敢えず最悪は回避出来たのだ。

気を抜く事は出来無いが、一息吐いても良いだろう。

本番に備えてな。



「それでは桃香様、我等は予定通りに開戦に向けての準備を進めてますが…

我等が留守の間に何かしら問題は有りましたかな?」


「ううん、特には無いよ」



会議──と言う程大袈裟な物ではないが、重要な話し合いを纏めに掛かる。

陣の様子からしても問題は無かったと思ってはいたが直に聞いて安心する。



「あっ、でもね、問題って訳じゃあないんだけど…

援軍が加わったから♪」



──と、不意打ちの一言。

それはもう、本当に心から嬉しそうに仰有られる。


それを聞き、私は朱里へと自然と顔を向けていた。

“聞いているか?”と問う私の眼差しを受けた朱里は“…いいえ、初耳です”と戸惑いを含んだ眼差しにて意思を伝えてくる。


頷き合う様な迂闊な真似は流石にしないが、少しだけ口元を動かして、桃香様に確認する事で同意。

そして、桃香様に向き直り朱里は口を開いた。




話し合いを終え、天幕から出た私達は陣の中を、今夜自分の使う天幕に向かって歩いている。

周囲の喧騒が嘘の様に己の足音が耳に付く。



「…此処で援軍ですか…」



力無く漏れた一言。

その声の主である朱里の、今の気持ちが判るからこそ私も気が重くなる。


“援軍”と聞けば、普通は喜ばしい存在だろう。

例え、苦境に無くとも良い方向に考えられる事だ。

勿論、敵側に起きたのなら悪い事ではあるが。


今は、そうではない。

漸く今、桃香様に戦わずに納得して頂き、終わらせる目処が立ったばかりだ。

この状況で兵の士気を──いや、戦意を高める方向の援軍という存在は私達には歓迎出来無かった。

場合によっては桃香様より兵達の暴走を考えなくては為らなくなるのだから。

頭が痛くなってくる。



「…しかも、叟族・濮族・武陵蛮ときたか…

何とも厄介な援軍だな…」


「はい、本当に厄介です…

彼等が桃香様の決定に従い大人しくしてくれるとは…

正直、思えませんから…」


「だろうな…」



そう言い、溜め息を吐く。

喧騒に掻き消されてしまう程に儚い吐息。

まるで“誰にも届かない”とでも言われている様な。

そんな気分に為ってくる。

勿論、私達は互いに理解し支え合っているのだから、本当に気分的な物だが。

仕方が無い事だと思う。

それ程に厄介なのだから。



「此方の出す指示に従って動くと思うか?」


「…援軍として参戦すると桃香様に言った話し合いが金名さんの仲介によっての物だったそうですから…

裏切るとは思えません

金名さんが御主人様が力を得る一番の切っ掛けだった訳ですから、裏切るのなら辻褄が合わなくなります」


「確かに…そんな事をする意味が無いか…」



金名という男は信じるには危うい感じがする。

まあ、“胡散臭い”商人は大体が同じ様な者だが。

私達を嵌めようとするには利害が見えて来ない。

だから、気を抜けないのも当然だと言えよう。

因みに、私個人は信じてはいなかったりする。

使えれば利用するがな。



「現状では五分五分ですが彼等が裏切ったとしても、大した利は無いでしょう

曹魏は勿論、孫策さん達も裏切り者を歓迎するという事は無いでしょうし…」


「我等が三つ巴で疲弊した隙を窺うにしても、内側に入ってしまえば結果として自勢力を疲弊させる、か…

だとすれば、此処は普通に我等の考え過ぎか?」


「…そうかもしれません

私達自身、神経質になって過剰に悪い方向にばっかり考えていると言えない事も有りませんから…」



そうなってしまう必然性が有ったからなのだが。

考え過ぎている可能性は、否定は出来無い。


ただ、不安は胸中で燻る。


勢い付いてしまったが最後引き返せはしない。

世を呑み込む狂気と為るか希望と為るのか。

先は、未だ見えない。



──side out。



 司馬懿side──


──七月二十三日。


快晴──とまでは言えない雲の多い空模様。

けれど、夏の厳しい暑さを緩和してくれるという点で好ましくも有ります。

尤も、雨が降り始めたなら少々忙しくなりますが。

それでも、昔と比べたなら格段に楽に為っていますし安心感も高く為りました。

治水工事って偉大ですね。


そんな事を一人考えながら静かに眺める空。

雲は多いですが、曇りとは言えません。

青空は見えていますので。

湿度が高く、鬱陶しく思うという事は有りません。

程好い天候でしょう。


尤も、人間という生き物は欲張りで我が儘ですから、暑い時期には涼しい気候を望んでしまうもので。

普通に“無い物強請り”が浮かんでしまいます。

考えるだけなら悪い事とは言いませんが、望み過ぎて行き過ぎてしまう事は看過出来ませんが。

その様な者は今の曹魏には先ず居ないでしょう。


世は動けど、国は乱れず。

そんな言葉を言える程に、曹魏とは盤石である。


そう改めて認識させられる日々を送っています。

ええ、ええ、それはもう、何の変哲も無い日常です。

とても、戦争を目前に控え準備を進めているだなんて微塵も思えない位に。

曹魏は今日も平穏です。



「あら、平穏無事、それは結構な事じゃない

それを望んでも得られずに死んで逝った者は数知れず存在していたのよ?

それを思えば、平穏無事な日常を享受出来るだけでも十分に幸福でしょう?」



唐突に声を掛けられた為、反射的に身体が跳ねた。

飛び上がった訳ではなく、大袈裟に動いた訳でもなく身体を小さく震わせた程度なのですが…声の主が誰か理解出来てしまった以上、下手な言い訳も出来無い為逆に冷静に為れました。

…寧ろ、慌てようものなら獲物を狩る獣の如く双眸を鋭くされる事でしょう。


ゆっくりと真後ろへと振り向いてみれば、私を見詰め笑顔を浮かべている御姿を瞳へと映す。



「…あの、華琳様?

何時から其処に?」


「貴女が空を見上げ始めた辺りからだったかしら」


「それってもう殆んど全部じゃないですか!」



一気に顔が熱くなる。

思わず両手で顔を覆い隠し踞りたくなりますが絶対に遣っては為りません。

そんな美味しい獲物を前に見逃して下さる程、世界は寛大ではないのですから。



「雷華の前でなら?」


「絶対に遣ります!」



──と、反射的に答えた後自分が引っ掛かったのだと気付いたら、更に顔が熱く為ってしまう。

雷華様への想いに対しては嘘偽りは無いのですが。

恥ずかしい物は恥ずかしいという事でして。

如何に華琳様が相手でも、言いたくは有りません。

だって、恥ずかしいだけでその先に“御褒美”とかは有りませんから。




幸い、と言うべきなのか。

華琳様から揶揄われる事は有りませんでした。

…だからと言って見逃して下さった訳ではないので、状況的には今も窮地な事は変わりませんが。



「そんなに警戒しなくても揶揄ったりしないわよ」



そう笑顔で仰有る華琳様に“…本当ですか?”という疑惑の眼差しを向ける。

本来であれば、立場的には無礼過ぎる事でしょう。

勿論、公的な状況であれば私も遣りません。

華琳様が、雷華様の真名を口にされましたから。

今は私的な場であるという一つの合図でも有ります。

だから、こういった気安い態度を取る事も出来ます。

…まあ、灯璃や珀花の様に砕ける事は出来ませんが。

其処は仕方が有りません。

あの二人は特別です。

ある意味で天賦ですので。


そんな事を考える私を見て華琳様は苦笑される。



「離れていると寂しい?」


「──っ…」



そして心中を見透かす様に華琳様は御訊ねになる。

その瞬間に、無意識に息を飲んでしまった。

然程大きな音ではなくて、室外であっても。

二人きりという状況です。

しかも1mと離れていない近い距離で正面から向かい合っているのですから。

聴こえない訳が無くて。

治まり掛けていた顔が再び熱を帯びそうになる。



「私は寂しいわね」


「──ぇ…?」



──しかし、予想していた展開とは違い、華琳様から意外な一言が出た事実に、思考が停止し掛ける。

“え?、これは現実?”と考え込みそうになるのを、無理矢理に破棄する。

そんな馬鹿な事をしている場合では無いですから。


別に華琳様を揶揄える様な絶好の機会は二度と無いと思うので逃したくはない、という訳ではなくて。

…いえ、それは少し位は…た、多少は………実は結構有りますけど!。

仕方無いじゃないですか。

先ず有り得ない事ですから惜しいんです、本当に。


そんな葛藤を抱えながらも華琳様を真っ直ぐに見詰め私は静かに言葉を紡ぐ。



「…本当に、ですか?」





疑う訳では有りません。

華琳様の雷華様への想いを疑う筈が有りません。

それは私達が、私自身が、深く理解しています。


ですが、ある意味では今の一言は“弱音”にも取れる発言だった訳でして。

決して、弱さを見せた事が無かった華琳様が。

あっさりと見せたのです。

それを目の当たりにして、動揺しないという様な事は有り得ません。

そして、確認しないという選択肢もです。


ただ、私も冷静です。

此処で気を抜いて迂闊に、“華琳様もですか?”等と言ってしまえば、揚げ足を取られてしまいますから。

当然、言葉は選びます。


華琳様は気にする事無く、少し困った様に眉根を顰めながら口元を緩ませる。



「ええ、勿論よ

貴女は寂しくないの?」


「それは…」



揶揄う様な気配は無く。

本当に抱えている寂しさを晒け出しているのだと。

全てが物語っている状況でその様に訊かれてしまうと“答えない”“誤魔化す”という訳にはいきません。

──と言うより、私自身がしたくは有りません。



「…はい、寂しいです…」



それでも、華琳様の様には言い切れません。

微風に、些細な物音に。

掻き消されてしまいそうな小さな声に為ってしまい、自分でも歯痒く思います。


羞恥心が無い、という事は有りませんが。

そうではなくて。

…何と言いますか、その。

“妻として”、弱音を吐く真似はしたくはない。

そういう意地と言いますか自尊心と言いますか。

そういう気持ちが有るので言い難いと言いますか。

他者には言いたくはないと言いますか。

言うのなら雷華様にだけ、と言いますか。

…その様な感じですので。




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