拾壱
特に動揺する様子も無く、深く考える事も無く。
桃香様は御答えになる。
「うん、そのつもりだよ」
そうする事が当然の事だと言うかの様に。
何も可笑しな事をしているというつもりも無く。
あっさりと肯定される。
だが、実際の話をするなら舌戦をしても桃香様が勝つ可能性は無い。
限り無く不可能に等しいと言うのではない。
本当に、無いのだ。
抑、この戦いに正義や大義といった物は存在しない。
これは桃香様の私情による喧嘩の様な物だからだ。
それも、逆恨み・逆ギレと言ってもいい程に身勝手で傲慢な戦いなのだ。
桃香様の意思により多くの民が戦禍に巻き込まれて、理不尽に命を散らす。
それが目に見えている中で語れる事など本来は無い。
有って良い筈が無い。
赦される事ではないのだ。
だから然も当たり前の様に“舌戦をする”と言い切る桃香様の思考が可笑しいと思わない訳が無い。
まあ、そういう事には疎い主や考える事自体をしない鈴々達には解らない事では有るのだろうがな。
正直、頭が痛い所だ。
(…しかしだ、だからこそ桃香様と曹操との舌戦には遣る価値が有るのだ…)
曹操が事実と正論の下に、桃香様を舌戦で打ち負かす結果と為れば、戦場に有る兵達の桃香様を見る目には明らかな変化が現れる。
“自分達は間違っている”という可能性を僅かにでも考えてしまったなら。
兵達は原因を考える。
そして直ぐに至るだろう。
そう、桃香様(主君)こそが間違っているのだと。
如何に今は狂ってい様とも主君である桃香様に対して疑念は懐いてはいない。
何故なら、益州の内乱から民(自分)達を救った御方が桃香様なのだからな。
疑う事はしない。
だが、事実に気付いたなら兵達の、民達の桃香様への意識は一変するだろう。
疑念という域に留まる事は有り得ない。
あっと言う間に、反感へと至ってしまうだろう。
何故なら、“黄巾の乱”が民に抗う必要性を示した。
そして曹操が、孫策が──桃香様が、示したのだ。
“暴君(悪)を討て”と。
であるからこそ、桃香様は自らを正さなくて為らなく為ってしまう。
それこそが私達にとっての大きな光だと言えよう。
例え、戦後に反乱されても元々愛着も無い領地だ。
捨ててしまえばいい。
何も、旧・漢王朝の領地に固執する必要は無いのだ。
寧ろ、離れてしまった方が身軽に為れるだろう。
“背負った全て(過去)”を無かった事に出来るのだ。
桃香様の心の傷を癒すには悪くない選択となる。
新天地へと旅立ち、其処で再び一から始めれば良い。
遣り直せばいいのだ。
同じ轍(過ち)を犯す事さえしなければ、桃香様の懐く理想は正しいのだから。
桃香様の理想を実現する事は出来るのだから。
私達は、再び歩めるのだ。
正しく、理想の己の道を。
それを理解している以上、此処で朱里が“勝てない”事実を告げはしない。
だから、これは飽く迄も、遣るか否かの確認。
ただそれだけの話だ。
それはそれとして、だ。
舌戦は戦には付き物である事は確かなのだが、それは必ずしも遣る必要は無い。
“舌戦等遣る必要も無い”と何方等かが思ったのなら無視されるのだからな。
此処で最も重要となる点は飽く迄も相手が応じれば、成立するのだという事だ。
それを忘れてはならない。
まあ、勝利しか無い舌戦を態々曹操から避ける理由が有るとは思わないがな。
…そう為る可能性は低いが無い訳ではない。
ただ、その場合には曹操が桃香様を抹殺(排除)する事しか考えていない事になるだろうからな。
それならば、疾うに曹操は遣れている筈だ。
だから、そう為る可能性は低いと私達は見ている。
そう思って私が見守る中で朱里は桃香様の答えを聞き小さく頷いて見せる。
“一人で納得している”と他者に勘違いさせる様な、然り気無い仕草だ。
桃香様も主も疑う事無く、その様に受け入れていると端から見ていて判る。
その為に頑張って練習した成果が出ている様で、私も付き合った甲斐が有ったと密かに誇らしく思う。
「成る程…それでは尚更に御主人様に御協力して頂く方が良いでしょうね」
「どういう事なんだ?」
朱里の言葉に質問したのは現状での“一番の当事者”である主だった。
桃香様も疑問には思っても自分が遣る訳ではないから今は静かに見守るつもりで二人の話を聞いている。
当然と言えば当然だが。
此処で絶対に主導権を握り思う様にしようとはしない辺りが、今の桃香様の怖さだと言えなくもない。
恐らくは、そんな事は全く考えてもいないだろう主は真剣な表情で朱里を見詰め説明を促している。
「“私の考える最善とする終戦の仕方”とは、可能な限り犠牲を無くす事です
勿論、“桃香様の望む形の勝利”をした上で、です
その為には短期での決着は絶対に欠かせません
その逆に戦いを長引かせる事だけは絶対に避けないといけない事です
ですが、口で言う程簡単な事では有りません…
それは普通に遣っていては不可能に近いでしょう…
ですから、御主人様の持つ“切り札”が鍵なのです」
そう主を真っ直ぐに見詰め朱里は言い切った。
そして、主の反応を待つ。
実際問題、一番難しいのは“桃香様の望む形の勝利”という点だったりする。
そのままで実現するという事は先ず不可能だろう。
彼我の戦力的な意味でも、他の意味でもだ。
だから、ある程度は私達も桃香様に対して妥協をして貰わなくては話は進まない状態になる。
それならそれで構わないと思わなくもないが。
桃香様が暴走する可能性を考えると…頭が痛い。
だから、納得出来るだろう“落とし処”を見付けて、提示しなくてはならない。
朱里の言葉に対して、主は僅かに眉根を顰める。
ある意味、当然だろう。
朱里の説明は納得の出来る話ではあるのだが、肝心な部分が不明瞭なのだ。
勿論、意図的な誘いなのは言うまでも無いがな。
「朱里の言ってる事はさ、俺にも理解は出来るよ?
でも、それに“あの剣”を使うっていうのは…本当に必要な事なのか?
“一撃決着”って言っても犠牲は出る事に為るんだ
それこそ、曹魏を刺激する要因に為らないか?」
予想通りに食い付く主。
だが、予想外に鋭い質問に本の少しだけ主への評価が私の中で上方修正される。
ただ、その一方で“やはり主は戦事は素人だな…”と思ってしまう。
主は、あの剣を使う場合を想像したのだろう。
勿論、話の流れとしては、それは可笑しな事ではなく必然的な思考だろう。
しかし、その観点が素人の域を抜け出てはいないのも事実だったりする。
奇策を思い付く発想力には驚かされるのだがな。
基本的には素人な訳だ。
そう考えると“天の国”は奇妙な所なのだろうな。
主の様な人物が普通であり一般人だと言うのだから。
勉学の意味や、その価値が我等とは違うのだろう。
そうでなければ、主の様な“歪な知識”を得る事には為らないのだから。
本当に不思議な所だ。
「御主人様の仰有る懸念は私にも理解出来ます
ですが、御安心下さい
私の考える通りに進むなら──犠牲は一人も出さずに曹魏との戦いを終わらせる事が出来る筈ですから」
「なっ!?」
“うむっ!”、と。
思わず、言いたくなる主の素晴らしい反応だ。
演技ではないからこそ主の反応は説得力が有る。
桃香様も人を疑わない様な人の好い御方ではあるが…今は注意すべきだろう。
態々らしい反応は桃香様に気付かれる可能性が有る。
だからこそ、主には詳細は話さない事にしたのだ。
その素直な反応を利用して私達にとって好い方向へと密かに桃香様の思考を誘導する為にな。
「御主人様、戦いが始まり交戦状態と為ってしまえば敵味方入り混じった戦場の何処に向かって使用しても犠牲は避けられません
戦いを終わらせる為にも、見せなくては為らない事は間違い有りませんから」
「まあ…そうだろうな…」
「はい、ですが、戦いの前──例えば、舌戦の直後や最中で有ったとすれば…
“誰も居ない場所”に向け容易く放つ事は出来ます」
「──っ!、そうか!
戦いが始まる前に山とかに向けて使って見せれば!」
「はい、恐らくは戦う前に最低でも“話し合い”への意味を示せる筈です」
そう言って頷く朱里。
これが、私達の考えた策。
犠牲を最小限にしながら、尚且つ桃香様に自ら考えを改めて頂ける様に仕向ける為には、どうするべきか。
その答えが、これだ。
「…確かに、その状況なら曹魏も布陣したままだから固まってる筈だよな…
それなら、加減が出来無い事も気にしなくて済むし、彼方の戦意や士気を殺げる可能性は高いか…」
独り言の様に呟く主の声を桃香様は静かに聞きながら僅かに顔を俯かせる。
その姿が何を意味するのか察する事は難しい。
(だが、決して悪い方には傾いてはいない筈だ…
恐らくは、桃香様御自身の考える勝利との違い…
其処に気付いたのだろう)
朱里は“桃香様の望む形の勝利をした上で”と言うが私達の考える最善の決着の仕方では、桃香様の望みは叶えられない。
ただ、主の力を利用しても曹魏に、曹操に矛を引かせ“話し合い”の席に一緒に座らせる事が出来るのなら──桃香様の理想を実現し曹操に認めさせた、と。
そう考える事が出来なくはないのだ。
其処まで桃香様が思い至る事が出来るかは判らないが今も“考えている”以上は変化は有ると思う。
…希望的な期待だがな。
「…ですが、一つだけ…
一つだけ、この策を遣ると問題に為る事が有ります」
「その問題って?」
「孫策さんが私達に対して敵対する可能性です」
「…マジで?」
朱里の口にした可能性に、主は呆然となる。
“上手く行きそうだ!”と思っていた矢先の落とし穴だったりするのだ。
無理も無いだろう。
だが、こういう風に問題も有る事を隠さず示す事で、聞き手への説得力を増して受け入れ易くさせる。
桃香様に“それでも、遣る価値は有りますよ?”と。
言外に投げ掛けるのだ。
「現状では、曹魏が強大な存在だからこそ孫策さんは協力関係を受け入れる事を了承してくれましたが…
御主人様の持つ力を見れば“その力を自分達に向ける可能性は十分に有る”等と考えて危険視する可能性は有ると思います
そうなれば、孫策さんなら曹魏と協力関係を結んで、私達を攻撃するというのは可笑しな事では有りません
寧ろ、当然だと言えます」
それは当然の可能性だ。
そして、実に単純な事。
脅威となる対象が曹魏から私達に変わるというだけ。
孫策達は何方等で有っても脅威に晒される側なのだ。
防衛の為に“共通の敵”を持つ方と手を取り合うのは普通の事なのだから。
朱里の見解を聞いた主は、渋い表情になる。
その理由が判り易いが故に胸中では苦笑を漏らす。
ただまあ、その分発言等を誘導して引き出し易いから助かるのだがな。
「…それを判ってて?」
「はい、それだけを考えて“遣らない”という選択は愚行だと言えます
確かに将来的に孫策さんと対立する事は不利益だとは言えるとは思いますが…
それ自体は御主人様の力を見せなくても起こり得る事では有りますので」
「え?、そうなのか?」
「仮に、この戦いで私達の望む形で勝利したとしても曹魏は消滅しません
多少、領地の減少は起きるかもしれませんが…
その程度で曹魏の戦力等が低下する訳では有りません
…いえ、違いますね
曹魏の領地が減少する事は有り得ませんでしたね…」
「…は?、何でなんだ?
俺達が勝つんだから領地は手に入るんだろ?」
「確かにそうなんですが…
御主人様、曹魏の民は全て曹魏の民なのです
彼等が桃香様や孫策さんを主君に選ぶ事は有りません
彼等にとって主君──王は曹操さんだけなんです
だからもし、私達が領地を侵略しようものなら…」
「…しようものなら?」
「第二第三の“黄巾の乱”へと繋がるでしょう
ですから、私達は曹魏から領地を奪えません
奪えば、その瞬間から民は私達を敵と見為します
解決するには民を皆殺しにするしか無いでしょう」




