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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
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       拾


激しく猛る歓喜を抑え込みながら静かに佇む。


桃香様に気付かれない様に己の普段通りを装い続けるというのは中々に大変だ。

何故なら“普段の自分”を意識して振る舞う、という事は先ず無いのだ。

勿論、礼儀作法という点は外すとしてしも。

“普段から自分を演じる”様な事をしている者など、そうは居ないだろう。

敵勢力内に潜り込んでいる諜報員でもない限りはな。


だから、“普段通りに”と意識し過ぎると、逆に変な違和感が生まれてしまう。

“普段通り”を意識するのであれば、大事なのは色々考え過ぎない事。

或いは全く関係無い余計な事だけを考えるか、だ。

要は意識を逸らす事により“普段通りに戻す”という遣り方だったりする。


まあ、これも、ある程度は慣れていなくては出来無い事なのだがな。

そう簡単には出来無い。

知識としては理解出来ても実際には繰り返し練習して確と身に付けていなくては先ず出来無い事だ。

私の場合は、旅をする中で鍛えられた訳だ。

正に、経験が活きていると言えるだろう。


そんな私達の密かな努力を知る事は無い筈の桃香様はゆっくりと言葉を続ける。



「でもね、この戦いだけは絶対に退けないの

避けるべき戦いだって事は私も頭では理解出来るけど──止められないの

止まる事なんて出来無い

だって、此処で逃げたなら私達が今までに遣ってきた事の全てが、無意味な事に為っちゃうから…

だから、絶対に止まる事は出来無いんだよ…

私には、前に向かって進み続けるしかないの

今までも、これからも…

それが愚かな事で、間違いだったとしてもね」



そう言って私達を見詰める桃香様の眼差しには一切の迷いは無かった。

あの狂気も感じられない。

双眸に宿るのは唯一つ。

それは静かながらも力強い意志が込められた決意だと私達は再認識する。



(…だが、判らない…

桃香様を信じ抜くべきか、私達で備えるべきか…

何方等が正しいのかが…

私には判断し切れない…)



“今の”桃香様を見たなら一切の迷いも不安も捨てて共に歩もうと思える。

例えそれが、間違いであり破滅の道だったとしても。

己が命を捧げて尽くす。

その覚悟は出来る。


しかし、どうしても脳裏に“あの日の”桃香様の姿が浮かんでしまうのだ。

そして、警鐘を鳴らす。

信じてはならないと。

同時に叱咤される。

決して死という安易な道に逃げる事は赦されないと。

“どの様な結末であっても己は生きて全てを見届け、背負わなくてはない”と。

それが桃香様を主君として選び、仕える事を決めた、自分の責任であると。

心の中の私が訴えるのだ。


その場の雰囲気に任せて、気軽に決めてしまえるなら何れ程に楽だろうか。

己が選び、志したとは言え本当に苦悩が絶えない。

自分が想像していた姿とは違い過ぎている。

それが、現実(今)の私だ。




桃香様の意志を前にして、朱里は一切動じる事は無く見詰める返している。



「…判りました

桃香様の御意志を尊重し、私達は出来る限りの事をし尽力して参ります」


「有難う、朱里ちゃん」



朱里の言った忠誠の宣誓と聞こえなくもない言葉に、桃香様は穏やかに微笑む。

場の雰囲気が弛緩するのを感じずにはいられない。


“…ああ、これが桃香様の本質なのだろうな…”と。

思わず、考えてしまう。

今は歪んでしまっているが本来の桃香様とは慈しみに溢れた仁君と成られるべき王の才器を持つ御方。

苦難は有れど、道を外れる事さえ無ければ。

間違い無く、臣民に慕われ信頼を集めていただろう。

その光景を容易に想像する事が出来るのだから。



(…そう考えると、我等の力不足だと言わざるを得ないのだろうな…)



“もしも、この様な時代で無ければ…”等とは、先ず言う事は無い。

抑、そういった時代だから桃香様自身は自ら立つ事を決意されたのだから。

そうでなければ、桃香様は今も一般人のまま何処かで平凡で平穏に生活していた事だろう。

官吏に為っている、という可能性も無くはないが。

普段の桃香様を知っている身としては、桃香様が自ら進んで官職へと就いている姿を想像するのは、難しいのが本音だ。

真面目さは有るが、形式に縛られる状況を嫌う傾向が意外と強い御方だからな。

…もしからしたら、今頃は御結婚をされて子供も居る母親だったかもな。



(…そういう姿の方が様に為っているしな…)



違和感が全く無いのだ。

感情の侭に、表情が豊かな子供達に囲まれて。

特に大きな刺激など無く、平凡な日常こそが幸せだと笑顔で言い切るだろう。

そんな姿こそが。

桃香様には似合っている。

だからこそ、戦場や政治に関わる桃香様の姿に対して“不向きだな”と思う事は必然なのだろう。


その桃香様に期待を寄せ、過剰に背負わせてしまった我等の言動の結果が。

桃香様を追い詰める一番の要因だったのだろうな。



(…情けない事だな

今まで気付けないとは…)



全ては結果論になるのだが“たられば”の話をすれば我等が本の少しでも早くに気付けていたのなら。

桃香様を追い詰める事無く違った道を歩めた筈だ。

それこそ、桃香様の理想に今よりも近い道を。

無益な戦いになど執着せず曹魏から色々と“学び”、良い関係を築く事も決して不可能では無かった筈。



(以前、朱里が酒に酔って“可能性なら…”と溢した“天下三分”の話も…

有り得たのだろうな…)



曹操・孫策に、桃香様。

時代に選ばれた王の才器の共演する乱世(舞台)は。

その台頭を阻む事は無く、群雄割拠へ至っただろう。

それは、世の流れであり、栄枯盛衰の必然為れば。

英雄達は相対するのだ。

それが宿命である様に。





「それで?、朱里ちゃんは曹魏との戦いに向けては、どう考えてるのかな?」



話を本題へと戻す様に。

桃香様は朱里に対し戦いの方針を訊ねられた。

その事に、私は一人緊張を高めてしまう。


先程、“尽力すると”自ら言ったばかりの朱里だ。

当然ながら私の言った様な“先延ばし”案を提示する事は出来無いだろう。

まあ、私が先に話したのは“仮に私の意見を採用して下さるのなら、朱里が話す必要は無いから”だ。

桃香様が朱里に私とは違う意見を求めている時点で、桃香様が“開戦の継続”の意思を変えてはいないのは明らかだからな。

判っていて、朱里も無駄な話をしようとは先ず思っていないだろう。


──となれば、予定通りに遅延策ではなく、戦後への影響を最小限に抑えながら終戦させる方向で話を進め桃香様を説得する。

そういう事に為るな。



「はい、先ず先程星さんがお話しした通り、孫策さん陣営を戦力的に計算に入れ挑む事は出来ません

しかし、私達単独の戦力で戦うには限界が有ります

暗殺等の“勝利最優先”の遣り方を取り除くとなれば残る方法は限られます

その中で、私が最善とする方法は“一撃決着”です」



そう朱里は桃香様を見詰めはっきりと言い切る。

此処で代案を要求されては意味が無いのだ。

だからこそ“複数有る”と朱里は言いながらも言外に“今、自分が提示するのは他とは比べられない最善の方法なんです”と桃香様に感じさせる必要が有る。

故に、動揺は勿論なのだが何よりも自信を持った姿で言い切る事が重要なのだ。


桃香様が“釣れる”のか。

それが判るのは、次の反応次第だろうな。



「それはどういう方法?」


(──よしっ!)



桃香様の一言に私は思わず拳を握ってしまう。

それは自分でも抑える事が出来無かった。

“しまったっ!”と思うが時既に遅し。

遣ってしまった後なのだ。

本来なれば、絶対に誰にも見られてはならない反応。

最悪の失態だと言えよう。


だが、幸いと言うべきか。

桃香様が、主が、朱里が、私を見る事は無かった。

何故なら、私は既に役目を終えて置物(景色の一部)と為っているのだから。

先に話を終わらせていた。

その事が意外な所で効果を見せてくれている。

ただそれだけの話だが。

何故なのだろうな。

運が…流れが変わった様な気がしてくるのは。


そんな私には誰も気付かず話は進んでゆく。

空気は空気のまま。

決して、邪魔はしない。

それでいいのだから。


ただ、一つ言えるのは。

今の桃香様の反応によって私達の僅かな希望は確かな光と為ったという事。

その光が消えない限りは、最悪を回避出来る筈だ。





「簡単に言えば──」



そして朱里は自然な動きで桃香様から視線を移し──主へと顔を向ける。

それに促されるかの様に、桃香様もまた主へと視線を向けてしまう。

斯く言う私も同じだ。

此処で違う動きをしたなら空気感が薄れるからな。

空気は場を読むのだ。


当の主は、一緒に何も無い背後へと振り返った後に、元に戻って自分の顔を指で指しながら“え?、俺?”という表情をする。



「──御主人様の御持ちの“切り札”を使います」



主の“切り札”。

つまりは“天の御遣い”の証だとさえ言える剣。

それを戦で使用するのだ。



「ちょっ!?、朱里っ!

ちょっと待ったっ!

待ってくれっ!」



急な話に驚く主。

だが、仕方が無い事だ。

事前に話をしていたという訳ではないのだ。

今、此処で初めて主自身も聞かされているのだから。

戸惑うのも当然だろう。


しかし、朱里は全く慌てる様子も見せずに主の方へと身体も向け直す。



「御主人様が御考えなのは威力の事ですよね?」


「ああ、そうだ

だからこそ、本当に必要な場合以外には使わない様にしようって決めたろ?

それなのに…どうして?」



朱里の言葉に自分の慌てる理由を理解していると主は感じたのだろうな。

あれだけ慌てていた割りにあっさりと落ち着いたのは朱里への信頼が有る事は、言うまでも無いが。

朱里が“自棄に為って…”という可能性が消えたからなんだろう。

…まあ、私も話を知らずに聞かされたなら、今の主と同じ様な反応をしたのかもしれないからな。

主を笑う事はしない。

揶揄いたい衝動が湧くのは性分故に仕方が無いがな。



「勿論、必要だからです

あの剣の威力が恐ろしいと判ってはいますが…

それでも使わなくては今の私達に勝ち目は有りません

…いえ、正確な事を言えば“桃香様の望む勝利”にて戦いを終わらせるには、と言うべきでしょうね」





朱里の言葉に主は桃香様に一度視線を向けた。

見詰め合う、といった様な甘い雰囲気は生まれない。

本当に僅かな時間だ。

それは桃香様の意思を主が確かめる為なのだから。


朱里へと視線を戻した主は一層真剣な表情に変わり、朱里に向けて口を開く。



「朱里、先ずは詳しい話を聞かせてくれ…

返事はそれからだ」


「それで構いません」



そう主に返す朱里。

寧ろ、そうでなくては今の私達は詰んでしまう。

主が“よし、判った”と。

何も考える事無く了承する様な主であったなら私達は疾うに主を始末している所だろうからな。

その辺りは信頼している。

伊達に主自身、この乱世で敗れ、傷付き、後悔して、学んではいないのだから。



「御主人様が懸念をされる通りに、あの剣は使わずに戦いを終われるのであればそれが一番理想的です

しかし、現実的には使わず終わらせる事は不可能だと言わざるを得ません

その上でですが…桃香様」



朱里が主から桃香様の方に一旦身体を向ける。

それだけで、朱里が発する次の言葉が重要な物である事を確信させる。



「何かな、朱里ちゃん?」


「桃香様は“舌戦”をする御考えでしょうか?」



戦であれば、開戦前に遣る口上は付き物だ。

その中でも、一方的に行う賊徒等に対しての口上とは違って、両軍の代表者──主格が意志や大義を翳して“言刃”を交わす。

それが、舌戦である。

聞けば、あの袁紹でさえも遣っていたという。

桃香様とは違った意味での執着を見せていた袁紹。

…まあ、結果は言い負けたらしいのだが。


戦って勝つ──曹操自身の殺害が目的ではない以上、桃香様が舌戦をしないとは私達も思ってはいない。

だから、これは最終確認。

その意志が有るか否か。

それだけでも違う。




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