表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋姫三國史  作者: 桜惡夢
749/915

       玖


覆し様の無い、違い。

軍将の武も、軍師の智も、決して、通じないという訳ではないのだが。

それは相手側に同格以上の将師が居ない場合に限り、可能だという話で。

我等よりも──否、孫策の陣営の将師を合わせても、曹魏の方が数でも実力でも上回る可能性が有るのだ。

思考が正常であるならば、その状況を想像してみれば“勝ち目が有る”と言える訳が無いだろう。

だから、私の言った言葉は決して大袈裟な訳ではなく正面な見解なのだ。


勿論、正論を言った程度で桃香様が止まるとは私達も思ってはいないがな。

故に、己が主君が相手でも欺かねば為らない。

我等の未来の為にも。



「少なくとも、今の我等に二百万もの兵を集める事は不可能でしょう…

領内全ての民を数えても、それには届かない筈です」


「…そうかもな」



この益州は“黄巾の乱”や反董卓連合には関わってはいないが、内乱状態が続き“内輪揉め”で疲弊して、領民を減らしている。

孫策の方でも二百万という兵数を揃える事は不可能に近いと言えるだろう。

ただ、孫策の方は全領民を総動員したなら、二百万に届くかもしれないがな。

それは領地の広さの違い。

仕方が無い事だ。

まあ、孫策がそんな真似を遣るとは思わないがな。


因みに、相手の曹魏ならば二百万の兵数を用意出来る可能性は高いだろう。

官渡での戦いから、一気に北部を掌握したのだ。

如何に袁紹達が官渡の地に戦力の殆んどを集結させて臨んでいたとしても。

それに対峙をする戦力とは別に、北部の各地に進軍し陥落させてゆく戦力が存在していなくては、其処まで迅速な統治は出来無い。

それも幽州・冀州・并州・涼州・司隷、荊州と益州の北部域の全てを同時にだ。

軽く考えても、その一連の軍事行動に投入した兵数は二百万は下らない筈だ。

治安維持の為の兵まで戦に投入するとは思えないが、それでも可能性は有る。

しかも、質は他の精鋭並みとなれば、冗談だと言って貰いたくなるな。



「孫策陣営を計算に入れる事が出来無い以上、曹魏と正面に打付かれば勝ち目は無いという訳です」



そして改めて私達の見解をはっきりと口にする。

…まあ、飽く迄も私の意見としてだが。

こうして主には“曹魏との戦いは遣る気だけで勝てる簡単な物ではない”という意識を強く持たせる。

我等の進む道が変わる事は無いのだとしても。

その結末を変える為に。

主の存在は重要なのだ。



「…因みに、だけどさ

宅が曹魏と互角に戦うには何が一番必要だと思う?」


「…時間、でしょうな

富国強兵を為す事は勿論、少しでも曹魏側に付け入る隙が出来る様に時間を掛け仕込み、逃さず狙う…

それが最も勝てる可能性が高い道だと思います」



私の意見を訊ねる主に対し少しだけ間を置いてから、私は己の考えを述べた。




要するに、“今は戦うべき時ではない”という事だ。


少なくとも、曹魏が簡単に衰退する様な国ではない事は判り切っている。

“桃香様が存命中に”など不可能だと言えよう。

であるならば、後世へ託し意志を継ぐ様にしていく。

それが最も建設的であり、勝てる可能性を高める方法だろうと私は思う。



「…星の言う事は解った

だけど、それを承知の上で戦って勝つ為には…

どうするべきだと思う?」



私の意図する所を理解し、しかし、桃香様が止まらぬ事も理解した上で。

主は私に“今の最善策”を訊ねてくる。

この会話が桃香様に客観的視点で聞かせる為の物だと判ったのだろう。

演技の出来無い主の表情が真剣な物に変わった。



「…正直な事を言うならば気乗りはしませぬが…

敢えて提案するのであれば私は暗殺を推奨します

一人の武人としては絶対に遣りたくは有りませぬが…

一軍将、一家臣としてなら有りだと思います

その辺りは致し方無いと、割り切るまでですな」



“暗殺”という一言に主は直ぐに眉根を顰める。

それが当然の反応だろう。

どう考えても、無益な戦を仕掛けるのは此方なのだ。

ならば、“悪”は此方だ。

相手が悪であったのなら、暗殺という手段も事後への影響を抑える為の方法だと言う事も出来る。

気持ち的にも悪なのだから“自業自得だ”と考えれば罪悪感も生まれはしない。


しかし、そうではない。

実際には真逆なのだ。

であるならば、その暗殺は私利私欲の為の外道の行いだと言えよう。

いや、そうでしかない。

非道に邪道を重ねる所業。

其処に大義も正義も無く、ただただ悪が有るのみ。

正面な道徳観を持つならば此処での暗殺という行為が持つ意味に嫌悪感を懐かぬ訳が無いのだからな。


それでも話は続ける必要が有る以上、主も止める事はしなかった。

中途半端に終わらせる方が危うさを残すからだ。



「暗殺って事は…」


「曹魏、ではなく飽く迄も曹操個人を狙うべき、と…

そういう事に為りますな」



主は“そうだよなぁ…”と己の予想が合っていた事に更に苦い顔をする。

まあ、他を狙っても曹魏は崩れないでしょうし、当然と言えば当然です。



「…仮に、もし仮にって話なんだけどさ…

実際に、曹操の暗殺を実行するとしてだ

そう簡単に出来るのか?

守りは固いだろ?」


「其処は賭けでしょうな

軍対軍の戦いを意識させた裏で私や鈴々達、軍将格が単騎で突貫すれば…

可能性は有るでしょう

勿論、その場合には我等は死ぬ事に為りますがな」


「…っ……そう、だな」


「ええ、曹操を暗殺すれば必ず、そう為るでしょう

まあ、戦としては後は無事退却出来さえすれば時間を掛けて曹魏を衰退させれば倒し切れる筈です」



目的の為に手段を選ばす、我等を犠牲とすれば。

可能性は有るでしょうな。




──とは言うものの。

暗殺という方法が採用され実行される事は無いと私は確信している。


何故なら、そんな勝ち方を桃香様は望んではいないのだからな。

飽く迄も、桃香様は曹操を屈服させたいのであって、殺したい訳ではない。

桃香様の執着の根幹とは、憎悪ではないのだ。

劣等感・屈辱感・後悔──それ以上に、憧憬と尊敬。

それが根幹に有るが故。


歪んだ愛の様な物だな。

…いや、愛情は無いか。

愛情が有れば反転した結果殺意(狂気)に変わる。

少なくとも、桃香様の心に曹操に対する愛情は無い。

だからこそ、その執着心は深く、歪で、狂っていると思えるのだがな。


取り敢えず、これで私から言うべき事は終わった。

後は朱里に任せよう。



「──とまあ、それが私の見解と考えですな」



淡々とした口調で。

飽く迄も可能性の一つだと言外にも言う様に。

私は主から桃香様へと顔を向けて言うと軽く頭を下げ“以上です”と示す。


それを受けて、桃香様達は私から朱里へと視線を移し無言で話す様に促す。



「私も星さんの見解自体は間違いではないと思います

正面から打付かって勝てる可能性は無いに等しいと…

そう言える程の相手です」


「…朱里も同じってなると曹魏が強大なんだって事が一層真実味を増すな…」



朱里の言葉を聞いた主が、独り言の様に呟いた。

それを聞いた瞬間に眉尻がピクッ!、と動くのを私は止められなかった。

“それは、どういう意味で御座いますかな?”と。

即座に切り返し、主に対し追及したくなる。

勿論、そんな無駄な真似を遣っていていい時ではない事は判ってはいるのだから自重はするが。

胸中ではモヤモヤ、沸々と主への不満と怒りが湧き、弄り倒して仕返ししようと悪戯心も参戦してくる。

“朱里の邪魔をするな”と自分に言い聞かせる。

漏らさない様に我慢する。

今は、だがな、主よ。



「────っ!?」



──っと、主が身震いし、急に表情を焦りを見せた。

朱里と桃香様は気付いてはいないみたいだが。

…殺気とはではいかないが主に対しての意識が僅かに漏れたのだろうか。

…まあ、素知らぬ顔をして見なかった事にしよう。

そうすれば、主から勝手に納得して忘れるだろうし。

今は朱里の方に集中だ。



「…それじゃあ、最善策は朱里ちゃんも暗殺を?」



私と主の事は気にもせずに朱里を見詰める桃香様は、静かな口調で訊ねる。

だが、その口調とは裏腹に桃香様の眼差しは剣呑さを孕んでいる様に見えるのは気のせいではないだろう。

咎め立て、責め立てているという訳ではないが。

普段の桃香様の雰囲気とは違うだけに緊張を覚える。

…普段が緩過ぎるしな。




そんな桃香様の眼差しを、正面から受け止める朱里は一切怯む事無く見詰め返し小さな唇を開く。



「最も単純に勝つ事だけを重視するのであれば…

私も暗殺が一番効果的だと思います

勿論、個人的な好き嫌いや道徳観ではなく、飽く迄も一軍師、一家臣としては、という意味でですが…」


「…そうなんだ…」



朱里の答えを受け桃香様は椅子に凭れる様に身体から力を抜くと、静かに目蓋を閉じて頭上を仰いだ。


その姿を見詰めながら。

私は桃香様の両眼から涙が溢れ出し、頬を伝い流れる様子を幻視してしまう。

当然なのだが現実には涙を流している訳ではない。

飽く迄も、それは桃香様の雰囲気から私が感じ取った印象に過ぎない。

過ぎないのだが…何故だが桃香様の“本心”が其処に現れている様な。

そんな気がしてしまう。



(…桃香様?、もしかして貴女は曹操と戦いたいとは思っていないのですか?)



つい、懐いてしまう考え。

勿論、“今の”桃香様では考えられない事なのだが。

まだ幽州に居た頃の。

数多の民の事を考えるより目の前の民の事を考える。

理想よりも現実を見ていた頃の桃香様であれば。

考えられなくはない。


そう思ってしまったからか幻視する桃香様の姿からは声が聴こえる気がした。

“…どうして?、どうしてなのかな?、何で、こんな事に為っちゃったのかな?

ねえ、どうしてなの?”と問い掛けている様な。

誰かに助けを求める様な。

望まぬ現実を前に後悔しか手には残らぬ様な。

孤独に、苦悩を抱えながら彷徨っている様な。

そんな風に見えてしまう。


嘆き、憐れみ、天を仰ぎ、天へと向かって、その意を忌む(問う)かの様に。

怨み(祈り)を捧ぐ様に。

真っ直ぐに睨み(見詰め)、抗う(縋る)様に。

桃香様の姿が重なり合う。

白と黒、対照的な桃香様の心根が交わる様に。

触れられぬ幻の狭間に。




桃香様の反応に戸惑うのは私だけではないらしく。

朱里や主と目が合った。

そうは言っても一瞬だけで互いに小さく横に首を振り桃香様に気付かれない様に直ぐに動きを止める。

下手に刺激をしたくない。

その考えが有るからだ。


“もしかしなら、今ならば桃香様を止められるのではないだろうか?”と。

そんな考えが脳裏を過り、今までは控えていた一歩を踏み込みそうになる。

しかし、それと同時に。

“もし、失敗したのならば二度と止める事は出来ず、破滅しか残らないぞ?”と警告する私が顔を出す。

何方等が正しいのか。

何方等が良いのか。

揺れ動く心は判断する事を妨げる様に躊躇わせる。


私だけではなく。

朱里と主も同じ様に。

ただ、沈黙している事しか出来ずに私達は佇む。

天幕を包む静寂は外からの雑音がはっきりと聞こえる事も有ってか、殊更に重く感じてしまう。

緊張感は有るが息苦しさが無いだけ増しかな。


その静寂を破るのは、当然桃香様しかいない訳で。

姿勢を戻し、桃香様が再び朱里を見詰める。



「…うん、そう考える事は正しいんだと思うよ

それが単純な戦争だったら間違い無いんだろうね」



剣呑さが鳴りを潜めたのか落ち着いた声音と口調で、私達の考えに理解を示して肯定して下さった。


それを見た瞬間に、思わず声が出そうに為った。

必死で飲み込んで堪えるが本音としては“よしっ!”と言いたい。

物凄く、大きな声で。

両の拳を突き上げて。

心の底から歓喜の咆哮を。

思うが侭に、存分に。


それ位に、桃香様の反応は私達の予想を越えていて。

嬉しい物だったのだ。

きっと、朱里も今の感動を必死に抑え込んでいる事は手に取る様に判る。

出来るのなら今直ぐにでも抱き合いたい。

私は、そう思う。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ