捌
私の言葉に対し、主は直ぐ顔を顰めてくれる。
面白い様に、私達にとって都合の良い反応をしながら桃香様の目を欺いてくれる主は本当に便利だ。
ただ、この反応が良い場合ばかりではないがな。
何事も時と場合に因るのは仕方が無い事だろう。
そういう物なのだからな。
「何で、そんな事を…」
「まあ、考えられる理由は可能性として挙げるならば切りが無いでしょうな
確証が無い以上、どの様な内容であっても推測の域を出ないのですから…」
──と、尤もらしい正論を率直に打付ける事によって“確かに、その通りだ”と一旦納得させる。
基本的に自分の認識よりも外れた事に対しては誰しも普段以上に過敏に反応し、過剰に不安を懐くもの。
だが、理解の出来る範疇に一旦でも収まってしまえば精神的に余裕が生まれる。
落ち着いて、客観性を伴い話を聞く事が出来る。
勿論、絶対とは言い切れぬ事は確かだが。
少なくとも主には効果的な方法だったりする。
そうする事によって以降の話を許容し易くさせるのが本当の狙いだが。
それは気取られない限りは問題には為らない。
…まあ、そういう事は大体同じ様な物なのだがな。
加えて、短過ぎず長過ぎず程好い間を置く事によって然り気無く、考える時間を与えるのと同時に口を挟む隙を与えない様にする。
口調も大事な要素だ。
堅過ぎず軽過ぎず、程好く何気無い感じで話すのだ。
この辺りは私自身、長い間旅をしていた事で培われた経験に由る部分が活きる。
普通の軍将であれば交渉等話術には疎い物だ。
余程、重要な役職に有るか家柄や経歴が其方等寄りの者でもない限りはな。
そんな意図が有るとは全く考えていないだろう主に、私は変わらぬ口調で一つの可能性を示唆する。
「ただ、自軍の戦力を隠す意図が確かで有る以上は、其処には彼方等の何等かの理由が有る事は間違い無いでしょうな
無難な所で言えば、戦後は宅と事を構えるつもりか…
或いは、土壇場で裏切って曹魏に寝返るか…
その辺りでしょう」
「それは………っ…」
否定したくても出来無い。
そう表情が物語る主。
そして、孫策陣営の立場に立って考えてみると判る。
このまま宅との協力関係を維持するよりも曹魏の方に“尾を振った”方が後々の利が大きいのだ。
比較に為らない程にな。
それに主は気付いた。
…まあ、遅過ぎるのだが、主の能力を考えると此処で気付いただけでも十分だと私は思うがな。
普通、妙な場面で鋭い時が有るのだが才能や意外性と言うには安定していない。
故に能力とは評価出来無いという感じだったりする。
それは兎も角として。
気付いたが故に、主の顔は渋く為っている。
孫策陣営が私達と共に戦う理由は実は少ない。
無いに等しいのだと。
しかし、此処で深刻な方に印象が傾いてしまう事は、私達には望ましくない。
主が決定権を所有しているのであれば、私達としてもそれで構わないのだが。
決定権は桃香様に有る。
桃香様が自暴自棄に為って暴走される事の方が私達にとっては困るのだ。
だから此処では“事実でも悲観する事は無い”と。
そんな認識を持たせる様に振る舞わなくては為らない必要が有るのだ。
「勿論、今の飽く迄も私の個人的な見解です
それが必ずしも正解だとは思わないで頂きたい
その可能性は有るにしても現状では協力関係で有り、曹魏と対峙するという事は継続中な訳ですからな
下手な猜疑心は不和を生む原因と為りますし、それが切っ掛けで可能性が現実に為り兼ねませんので」
「あ、そう…だな、うん
確かに此方が勝手に疑って不信感を懐き過ぎた結果、孫策達の不評とかを買って対立しちゃったら元も子も無いんだしな…
決め付けるのは駄目だな」
「理解して頂けた様ですな
私としても安心しました」
そう言って笑みを浮かべ、主を持ち上げる様な言動で上手く意識を逸らす。
こういう時、朱里や私達の話を素直に聞き入れるのが主の美点だと言えよう。
大体の者達は、自分の思い通りにしようとする。
あの桃香様でさえ、自身の理想や意志を曲げない事が少なくはないのだ。
それを考えれば、主の質は本当に扱い易い。
“御輿(担ぐ)”には最適な性格をしているだろう。
そう考えると、ある意味で桃香様の“人を見る眼”は確かだったのだろうな。
当時、私は“天の御遣い”だと自称していた主の事を胡散臭い輩としか思ってはいなかった。
勿論、初めて顔を合わせる私の字を言い当てた事には驚かされはしたが。
何かしら“仕掛け”が有る事だろうと思っていた。
だから、“御輿(お飾り)”なんだと考えていた。
朱里は…出逢った当初から桃香様と主に心酔していたらしいので深くは考えてはいなかったかもしれない。
後々には、気付いたのかもしれないがな。
まだ“天の御遣い”という存在が半信半疑だった中、桃香様は主と出逢った時に迷わず“御輿”として担ぐ事を決めたそうだ。
鈴々と──当時の関羽から聞いた話だがな。
“天の御遣い”という名を背負っても説得力を持った格好をしていたから、ではなかったのだろう。
主の性格等が見事なまでに“御輿”に適していると。
桃香様は無意識に見抜いて主を抱え込んだ。
自分の理想を実現する為に最適な“人柱(御輿)”だと無自覚に直感して。
(…そう考えると恐ろしい御方だと言えるな…)
己が理想を成す為に。
幾多の他者を魅力し惑わし引き摺り込んでは破滅させ──己は生き続ける。
害悪だとしか言えぬ所業を無自覚に行う女傑。
仁徳という皮を被りながら災厄を招く稀代の悪女。
“傾国”と呼べる才器だ。
そんな畏怖を懐きながらも表には見せる事の無い様に普段通りに振る舞う。
「──とまあ、そういった理由も有って、孫策陣営を完全に計算に入れた状態で戦う事は危険でしょう
となれば、飽く迄も我等の独力で戦うという方向にて改めて考えた訳です」
孫策陣営の情報の隠蔽説を話し終えると、本来の話に戻す様に持っていく。
話の流れから主を見たまま話していても可笑しくないというのは大きい。
桃香様と顔を見合せて話す事は避けたいのでな。
正直、今の桃香様相手では曹魏の話をしている場合は呑まれ兼ねないのだ。
誰が判っていて遣りたいと思うだろうか。
少なくとも私は御免だ。
「…その結果として曹魏に勝つのは不可能だと?」
「ええ…その理由は幾つか有る訳なのですが…
先ず、兵の質の差です
孫策陣営との比較は私にも出来ませんが、此方の兵と曹魏の兵──偵察戦に出た兵達を精鋭だとしたなら、当然だと言えます
しかし、もしも先の兵達が普通で有ったなら…」
「…っ……曹魏の兵の質は倍じゃ利かない、か…」
息を飲みながら私の欲しい反応を見せる主に対して、胸中で北叟笑む。
決して、桃香様に顔を向け話す隙は与えない。
そう為ってしまった場合、私一人では手に余るのだ。
だから、気を引き締める。
油断しない様に。
「単純に見て、十倍程度の差は有るでしょう
そうだとすれば、曹魏側が十万の兵を出して来たなら我等は百万で対等…
常道に倣うなら、二百万を用意しなくては為らない、という話に為ります」
「…冗談でも笑えないな」
顔を渋く顰める主を見て、同意する様に私は頷く。
事実、笑えないのだ。
彼我の戦力を前にすると。
だが、ある意味では必然の差でも有ったりする。
曹魏・孫策陣営・我等。
この三者が現状で三つ巴の様相を呈している訳だが、その戦力差は大きく異なり簡単には埋められない。
先ず我等は領地を得るまで時間が掛かり過ぎている。
その為、継続した兵の調練・構成は出来ていない。
はっきり言ってしまうなら漢王朝末期の官軍と比べて多少増しか、下手をするとそれ以下という状態だ。
数を揃えても、同じ程度の相手でなければ通用しない事は至極当然だろう。
次に、孫策陣営。
三者の中では最も古く強い地盤を持っている。
だが、それは先代の死後、袁術に取り込まれてしまい衰退している。
それでも、我等に比べれば手勢を有していた分だけ、その兵の質は高い。
何より、孫策陣営の主従の信頼関係・結束力は我等の比ではないのだ。
民からの信頼も厚い。
それだけでも大きな武器に為ると言えよう。
その上、将師や重鎮は長く仕える古参も多い。
個々の持つ経験も含めれば組織としての完成度自体が宅とは段違いである。
そして──天下の曹魏。
曹魏の母体でもある曹家は間違い無く名家だ。
しかし、手勢という面では孫家は勿論、あの袁家にも劣っていたのが現実。
それもその筈で、曹家自体文官型の家系なのだ。
武を嗜みはしても、武功や勇名にて地位を上げてきたという訳ではない。
政治手腕は確かだろうが、単独で武功を挙げられる程精強な手勢は持たない。
そういう家柄である。
それを変えたのが、当代の当主である曹操だ。
ただ、その曹操も最初から武功等を成しているという訳ではないのだ。
曹操が勢力として表舞台に台頭したのは泱州新設へと至った一件だ。
それまでは飽く迄も曹操は“珍しく清廉な官吏だな”という評価が主だ。
勿論、その才器に対しての評価は別物ではあるが。
我等や孫策陣営と比べて、曹魏が最も違う点。
それは、今に至るまでに、一度も領地が動いていないという事だろう。
曹魏となる以前──曹操が豫州刺史で潁川郡都尉との兼任だった頃から、領地を大きく増やしてはいるが、移ってはいないのだ。
それはつまり、同じ場所で腰を据えて軍事強化を行う事が出来るという訳で。
同時に、私兵扱いであれば官軍の功にも為らない。
その維持や強化に国からの支援は一切無いのだから、利用される事も無い。
じっくりと、力を蓄えられ機を窺う事が出来るのだ。
これだけでも、今に為れば大きな差と成るだろう。
勿論、至るまでにバレては危険視されてしまうが。
当主は、あの曹操なのだ。
二つの袁家の様な愚か者が当主ではない。
そんな間抜けな事に為りはしないだろう。
しかも、曹家は莫大な財を成している側面も有る。
“そういう繋がり”からも下手な手出しは出来無い。
漢王朝という巨龍の影にて影響力(根)を拡げていた。
全ては、新時代の為に。
計画的に、段階を踏んでの台頭だったのだろう。
一切の油断も無く進めて。
だから曹魏は追随を許さぬ存在へと成り得たのだ。
そう、全く違うのだ。
意志の、理想の、根幹が。
桃香様とは全然違う。
決して、桃香様の意志等が悪い訳ではない。
ただ、その覚悟の強さが、深さが、大きさが。
違い過ぎている。
桃香様の場合、旅をする中人助けをしていた事により“今の世の中を変えたい”といった意志を懐かれたのだとは思う。
それは、私にも経験の有る感情・意志である。
袂を分った関羽ですら同じだったと私は思う。
恐らくは、今の世に生まれ生きてきた多くの者が心に一度は懐くだろう思い。
それを実現させようとする意志が有るかは別として。
曹操ですら、その点だけは同じだろうと思っている。
だが、それだけなのだ。
桃香様の理想と意志は。
ただそれだけを起点として始まり、歩み出した。
それに伴う事、必要となる事は一切考えてはいない。
無責任極まりないのだ。
しかし、そんな桃香様へと幸か不幸か、人々は縋り、集まり、信じた。
その結果、不完全ながらも歩みは進んでしまった。
“時代の申し子”と言えば一つの意味としては確かに呼べるのだろう。
争乱(風)を得て、桃香様は世に躍り出たのだから。
風(運)任せの拙い歩みでも進めてしまったのだ。
それを豪運と捉えるのか、悪運と捉えるのか。
人各々異なるだろう。
ただ、魅せられた者は命を捧げてしまった。
それが、桃香様の歩み。
それが、偽らぬ現実。
対して、曹操は先の問題を見据え、必要となる全てを準備してきた。
その違いだ。
漢王朝という政治を内から観てきたのが曹操・孫策。
政治を外から観てきたのが桃香様だ。
その出発点の違いこそが、覚悟の違いを生んだ。
その行き着いた果てこそが今の我等なのだ。




