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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
745/915

       伍



「失礼致します」



一声掛け、返事を受けると天幕の中へと入る。

簡易の机に向かって竹簡の山を前に唸っている人物は此方には気付いてない様で目の前の仕事に対して一生懸命に為っている。


その姿を見て、立ち止まり朱里の方に顔を向ければ、“あはは…”という感じの苦笑が返ってくる。

勿論、邪魔はしない様にと声は出してはいないが。


あの狂気とも呼べる一面を知っているが故に目の前の見馴れた光景には、自然と安堵してしまう。

“あれは悪い夢だった”と心の何処かでは思いたくて“無かった事(夢の話)”にしてしまいたい。

そういう気持ちが有る事は否めないだろう。

残念ながら、あれは現実で──目の前の姿も現実だ。

何方等が、ではない。

何方等もが、である。

…その複雑な心境は自分達一人握りにしか判らない事ではあるのだがな。



「桃香、お茶が──って、星っ!、朱里っ!」



天幕に入った所で、並んで立っている私達の後ろからお盆に二人の茶杯と菓子が入った木皿を乗せた人物が天幕へと入ってきた。

侍女の様な仕事が妙に様に為っている主だった。


私達を見た瞬間、驚いた事から考えても陣内で連絡は伝わっていないのか。

…ああいや、違うな。

私達が陣の入り口で最初に桃香様達の居場所を聞いた事で兵達は“直行する”と考えたのだろう。

普通ならば、陣は戦時中に限られているが故に兵士も報せに走るのだが。

今はまだ、戦の前段階。

偵察戦が有ったとは言え、此方の陣には直接影響する事ではないからな。

こう為ってしまうのも別に可笑しくはないか。

責める気にも為らんしな。



「──えっ!?、本当だっ!

星ちゃん!、朱里ちゃん!

お帰りなさいっ!

待ってたよっ!」



主の声を聞いて机から顔を上げると桃香様は椅子から立ち上がって私達の方へと駆け寄って来られる。

留守中も特に問題無かった様で改めて安心する。


嬉しそうに私達を抱き締め笑顔を見せる桃香様。

その姿に悪戯心が湧き出しチラッ…と視線を机の上の竹簡の山へと向ける。

然り気無い仕草である為、桃香様も、朱里も、主まで視線を追う様に向けた。



「桃香様は私よりも朱里を待っていた様ですな」


「そ、そそそんな事は無い──とも私も言い切れないんだけど!

ちゃんと、星ちゃんの事も心配してたんだからね!

勿論、鈴々ちゃん達の事も──って、二人は?」



慌てながらも嘘が言えない桃香様は素直に肯定すると鈴々達の事を訊ねる。

二人が此処には居ない。

その事実に不安を見せる。

思わず揶揄いたくなった。



「…それが…」


「…ぇ…そ、そんな…」


「なっ!?、嘘…だよな?」



顔を背ける私を見て二人が“最悪の結果”を想像し、確認する様に朱里を見れば私の意図を察し困った様に苦笑している事だろう。



「出店に直行でしたな」


「星っ!」


「星ちゃんっ!」





揶揄われたと判った二人が怒りはしたが、冗談で済むという事の意味を察してか深く安堵していた。


まあ、桃香様も曹操に対し異常な執着心を見せているとは言うものの基本的には以前の桃香様のままだ。

それ故に、心配性な辺りは変わられてはいない。

主に関しては以前から度々揶揄ってはいるので今回も“また遣られた…”という感じで終わっている。

なので、問題は無い。



「ったく…まあ、あれか

星らしいって言えばらしいんだけどな…」


「星ちゃんの意地悪〜…」


「はっはっはっはっ♪」



溜め息を吐きながらも主は“いつも通りだな”という感じで苦笑を浮かべる。

桃香様も拗ねてはいるが、本気で怒ってはいない。

…まあ、本気で怒った姿が如何様な物か判らない為、想像もし難いのだがな。

朱里は“我関せず”の体で一連の遣り取りを見ながら気配を消していた。

時折、武の達人かと思える様な隠行を見せるな。

尤も、朱里の場合は趣味の秘匿の為に経験により身に付いた限定な物であって、意識的に使えはしないのが実情なのだろうがな。



「桃香様、御主人様

鈴々ちゃんも沙和ちゃんも元気一杯ですから…

安心して下さい」


「ん、ありがとな、朱里」


「…はぅぅ…」



私の揶揄いで場の雰囲気は和んでいるが、逸れたので話が出来る真面目な状態に変えようとする朱里だが、天然な主の撫で攻撃によりあっさりと敗北してしまい顔を蕩けさせてしまう。

それを羨ましそうにしつつ微笑まし気に見詰めている桃香様という状況。


…ほっこりとする、というよりも、甘ったるい気配が漂っているのだが。

さて、どうするか。

……やはり、此処は揶揄うというのが一番か。



「…ふむ、私は退散すべきですかな?」


「──っ!?、星しゃんっ!?

にゃにゃにを言ってりゅんでしゅかっ?!」



真っ先に反応したのは顔を蕩けさせていた朱里。

略々噛んでいるのが朱里の慌て振りを物語っている。

思わず若気そうになる顔を引き締めつつも、未だ見ぬ朱里の魅力を引き出す為に言葉を選り、紡ぎ出す。



「私は邪魔ではないか?」


「しょ、しょんな事なんてありましぇんよっ!

しょっ──そうでしゅよね御主人様っ?!」



──が、反応自体は良いが上手く主に振って間を取り立ち直ろうとする朱里。

流石は軍師と言うべきか。

流れが見えているな。


しかし、主を過大評価した事には気付いていないな。



「…え?、ああ…うん

星が邪魔だなんて事は全然無いからな?」


「ほほぅ…成る程成る程…

そう遣って優しくしてから囲い込むのが主の常套手段という訳ですな」


「何?!、常套手段て何っ?!

そんな事しないからっ?!」


「そうなのか、朱里?」


「そそそでしゅよ!

御主人様は初めてでも私に優しくしてくれました!」


「朱里さんっ?!」


「はわわっ!?」






「いや、良い仕事をした」



右腕の袖で掻いてはいない額の汗を拭う。

“心地好い汗を掻いた”と仕草で示す為だ。

実際には掻いていないが。

其処は追及しては為らない“暗黙の了解”だろう。



「くっ…否定は出来無い…

でも、出来れば其処に俺を巻き込まない様にしながら遣って欲しかった…」



若干、疲れた様にしながら自分と同じ様に、汗を拭う振りをしている主が愚痴る様に一言溢す。

勿論、その心中は判るが、主は必要不可欠なのだ。

それを自覚していないとは困った物ですな。

此処はきちんと、私が主に言って差し上げねば。



「何を仰有るか、主…

主が其処に加わったが故に得られた結果ですぞ?

もっと自信を持たれよ」


「…そう、なのか?」


「ええ、そうですとも

そうだな、朱里よ?」


「知りませんっ!」



──と、纏めて締める。


散々に弄り倒し、途中から主も積極的に加わったので朱里とは一対二の状況に。

満腹──ゴホンッ…十分に堪能して満足したので既に揶揄いは終えたのだが。

最後に“おまけ”として、一言付け足したのだが。

ぷいっ…と頬を膨らませて外方を向かれてしまう。

まあ、その程度なのだから本気で怒ってはいないのは明らかなのだが。

これ以上は駄目だな。

引き際を見誤る事だけは、“揶揄い者”として絶対に遣っては為らない。

なので、大人しく止める。


因みに、桃香様はというと終始傍観されていた。

巻き込もうと思えば簡単に出来たのだが。

それを遣ってしまったら、本題に入るまでに今よりも時間が掛かってしまうので流石に遣らなかったがな。

…なら、朱里にも遣るな?

いやいや、肩に力の入った朱里の為なのだ、これは。

だから、朱里が居なくては何の意味も無いのだよ。

そう、決して私が楽しむ為という訳ではない。

飽く迄も、朱里の為だ。



「…言った者勝ちだな…」


「…主?、今、何か仰有いましたかな?」


「いや、別に?、何も?

気のせいじゃないか?」


「そうですか…

今は“そういう事”にして置きましょうかな」



主との短い遣り取りの後、本当に終わりにする。

流石に、これ以上遣っては時間が掛かり過ぎるので。


ああ、一応言って置くと、“遣らない”のであって、“出来無い”訳ではない。

飽く迄も、自重しただけ。



「さて、それでは朱里よ

報告を始めようか」


「…そうですね」



“誰の所為で、こんなにも話を始めるまでに、余計で無意味な時間が掛かったと思っているんですか?”と睨み付けてくるが、流石に口に出す事はしない。

言ったら言ったで其処から再び脱線してしまうという事は理解しているから。

どんなに不満でもな。




桃香様が椅子に座り直して──積んである竹簡の山を“えいやあっ!”といった感じで、ガラガラガラッ!と机の脇に有る木箱の中に両腕で押し退けて落とす。

うんざりしていのだろう。

“話すのに邪魔だから”と言い訳が出来るのを理由に憂さ晴らしをするかの様に豪快に退かした。


その直後の、すっきりした表情を見てしまったら。

“色々と心に溜まっている事が有るんだろうな…”と私達は思ってしまった。

口には出してはいない。

一瞬だけ、交わした視線で意志疎通し合えただけで。

決して、口には出さない。

当然、表情や態度にも。

此処で下手に刺激をして、桃香様の抱える闇を表へと呼び出してしまわぬ様に。

私達は気を付ける。


間を置いて、勘繰られても拙いので私達も会議をする際の立ち位置に着く。

唯一、この場では桃香様と向き合わない主が今だけは羨ましいと思えてしまった事は内緒だ。



「では、先ずは結果ですが此方の用意した兵は全滅、曹魏の被害は不明です」



簡潔に、事実を述べる。

その朱里の言葉に桃香様も主も“…え?”と、呆けた表情に為ってしまう。

無理も無い話では有るが。

朱里が簡潔に言った事も、一因と言えるだろうな。

朱里にしては“軽過ぎる”言い方なのだから。

驚きもするだろう。



「…え〜と…朱里ちゃん?

此方の部隊が全滅する事は想定してた事だよね?」


「はい、そうです」


「偵察戦の後、生き残った人達に関しても私達の意に沿わない様な“使えない”人達は、その場で処分する──って話だったよね?」


「はい、そう言いました」


「…じゃあ、それはつまり偵察戦の後、結局は全員を処分しちゃったから…

“結果的に”全滅したって事で良いのかな?」



“そうなんだよね?”と。

何処か、縋る様な眼差しで訊ねてくる桃香様に対し、朱里は表情を変えないまま静かに、淡々とした口調で続く言葉を紡いだ。





「いいえ、違います

私達が用意して投入した、一万三千の兵、その全てが曹魏によって全滅させられ私達だけが“見逃されて”生きているだけです

偵察戦は──完敗でした」


「──っ!!」



朱里の言葉に対し桃香様は反射的に机を叩き椅子から立ち上がろうとした。

それは武人である私だから読み取れた反応であって、主や朱里は全く気付いてはいない事である。

勿論、当の桃香様御自身も気付いてはいない。

無意識の事だからな。

反射的にでも、感情任せに行動した場合は、少しでも意識的な動きが入る為に、自覚は出来るのだが。

今回の場合は無理だ。


ただ、無意識に自重をしたという訳ではない。

恐らくは、朱里の言葉への無意識の“逃避”によって起きたのではないか。

その様に私は感じた。

実際の所は判らぬがな。



「……は?、いや、え?、ちょっと待った、朱里

曹魏に全滅させられたって──いや、本当だとして、相手の数は?

今回作戦に選んだ場所って曹魏側は大規模な展開とか出来無い──遣り難いって場所だったんだよな?

それなのに、なのか?」


「はい、それなのに、です

正直な所、彼方の兵の数ははっきりとは判りません

此方も予想外の事情により予定した通りには動けず、乱戦状態でしたので…

残念ながら、そうする程の余裕は有りませんでした」



そう言うと朱里は、静かに頭を下げて謝意を示す。

申し訳無さそうにする姿に私も同じ様に責任を感じて一緒に頭を下げる。

朱里一人の責任ではない。

それでも策が失敗した事が朱里の罪であるなら。

私も同罪なのだから。

一人で背負わせはしない。




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