参
祐哉の言葉に思わず策殿は苦笑してしまう。
しかし、そうなった策殿の気持ちは儂も理解出来る。
穏達も納得しつつ、苦笑を浮かべておるしのぅ。
仕方が無いじゃろう。
張り詰めていた緊迫感も、祐哉の言葉で緩んだ。
今は程好く肩の力が抜けた状態じゃと言える。
しかし、此処で一つ。
どうしても策殿には訊いて置かねばならぬ事が有る。
ある意味で、宅にとっては大きな問題と言えよう。
その可能性について。
「…策殿、宜しいかな?」
弛緩している雰囲気の中、儂は策殿を真っ直ぐに見て感情を殺すと、抑揚の無い口調で声を掛ける。
祐哉から儂へと向けられた策殿の視線が宙で重なる。
再び緊張と沈黙が生まれる──のかと思いきや。
策殿は直ぐに口を開いた。
「判っているわ、祭…
“あの娘”の事でしょ?」
そう言った策殿の眼差しに動揺は見られない。
つまり、策殿自身以前からその可能性を感じていた。
或いは、考えていた、と。
そういう事なんじゃろう。
「…それって、雪蓮の妹、小蓮の姉の、孫権の事?」
そして、もう一人。
即座に誰の事を指すのかを察して、皆にも判る様に。
その名を口にする祐哉。
同様に雛里・詠とは違い、長く一緒に居る穏もまた、それを察しておったらしく動揺は見られなかった。
“逞しく成りおって…”。
そう胸中で呟き、笑む。
そんな儂の心情は兎も角、話は進んでゆく。
「ええ、そうよ
あの娘が曹魏に居る…
今までと現状から考えると可能性は高いと思うわ」
「…やっぱりか〜…」
策殿の言葉に溜め息を吐く祐哉の反応からすると。
実は、かなり前から曹魏に居る可能性が高いと睨んで考えておった様じゃな。
但し、それに確信を持てる材料が無かっただけで。
恐らく、黄忠と馬超。
二人の存在が明らかになり其処で確信した。
そんな所じゃろうな。
まあ、儂等は自分達の事で精一杯の状況じゃったから曹魏が隠し通そうとすれば先ず知る事は不可能に近いじゃろうからな。
どの道、今に至るまで誰も確信は得られなんだと。
其方等にも確信が持てる。
抑、その行方を探っておる余裕は無かったしのぅ。
「…でも、可笑しくない?
その孫権って随分前に家を離れてるのよね?
“自分の意志で、仕えたい主君の元に”って事で…
それで、曹魏に居るって…
先ず、繋がらないわよ?
何より曹操が孫権と何処で逢えたっていうのよ?
曹操は官職に就いてるから勝手には動けない筈だし、動かないと思うわよ?
それに、曹操じゃなかったとしても貴女から離れても仕えたいって孫権が思った相手が曹操の下に付いてるなんて考え難いわ」
そう言う詠の疑問は尤も。
斯く言う儂も、その辺りが引っ掛かっておる。
ただ、“結果としては”の話をするならは、蓮華様は曹魏に居る可能性が高い。
それもまた事実という事。
詠の質問に策殿は左右へと小さく首を振って見せる。
詠の考えを否定している、という感じではない。
その上で、溜め息を一つ。
「あの娘が自分の仕えたい主君として選んだのは多分曹操じゃないわよ」
「曹操じゃないって…
なら、誰が居るのよ?
もしかして…高順とか?」
若干、躊躇いを見せながら詠が口にした名前。
高順──儂等の知る限り、“天下一の武人”と言えるじゃろう存在。
但し、詠にとってみれば、口にする事自体、避けたい名前でも有るじゃろう。
色々と複雑な意味でのぅ。
「んー…多分、だけどね
高順って可能性は無いわ」
「…それは、“勘”?」
「そんな感じかしらね」
策殿の言葉に渋々ながらも詠は理解が出来無い策殿の“勘”を出され、大人しく引き下がってしまう。
理屈が通じない相手だけに詠達には天敵だと言っても過言ではないじゃろうな。
しかし、儂には判る。
恐らくは、祐哉に穏も。
“最初から”知っているが故に思い至れる事。
高順が“天の御遣い”なら世に降臨したのは祐哉達と同じ時期になる筈。
だとすれば、蓮華様が宅を離れた時には、まだ高順はこの世に存在してはいないという事になるからのぅ。
「でもね、高順よりも更に判り易い相手が居るわ」
勿体振った言い方をされ、詠が策殿を睨む。
まあ、睨むと言っても精々意地悪をされて拗ねているという程度じゃがな。
故に全然恐くない。
寧ろ、可愛らしいのぅ。
それを言ったら恥ずかしさから怒るじゃろうがな。
…本気で怒っとる時の詠は儂でも怖じ気付くがのぅ。
「…それって誰なのよ?」
「曹操の夫・曹純よ」
『────っ!!!!』
さらっと言った策殿に対し儂等は揃って失念していた可能性を思い出す。
それと同時に不透明だった道が鮮明に浮かび上がって見えてきた気がした。
「曹操が目立ってる所為で気付き難いけどね
確かに曹魏の国王は曹操よ
公的には、ね
でも、その夫が単なる王配とは限らないわ
少なくとも、直に見た事が有る私としては曹操が夫に選ぶだけの事は有る人物と思っているもの」
「…曹操の躍進は結婚後、雲を得て飛翔する龍の如く一気に始まってる、か…」
詠が独り言の様に呟いた、その言葉に納得する。
龍が曹操ならば雲は曹純と言えるじゃろう。
しかし、曹純が龍ではないという訳ではない。
双龍──雌雄の番龍という可能性も有り得る、か。
「ええ、その通りよ
その事も大きいんだけど、曹純って実は噂は良くない事ばっかりだったけど…
それ以外の──結婚以前の情報って意外と思ったより曖昧なのよね…」
そう言う策殿なんじゃが、正直な話その辺りは儂には判らぬ事じゃな。
策殿は直に曹魏に行って、民に話を聞いておる分だけ儂等よりも曹純に関しては詳しいかもしれんな。
明確には判らずとものぅ。
「…つまり、曹純が何処で何をしていたか…
そういった事に関しては、具体的な話が出て来ない
なら、当時の荊州に来てて其処で孫権と出逢ってても可笑しくはない、か…」
少し考え込む様にしながら策殿を見て呟く祐哉。
確かに、そう考えたならば曹操でも、高順でもなく、曹純である可能性は高いと言えるじゃろうな。
そう、有り得無くはない。
しかし、それは可能性の話でしかない。
確信を持てるだけの理由が儂には見えて来ない。
…いや、儂だけではなく、祐哉達にも、の様じゃな。
眉根を寄せ、腑に落ちない雰囲気を滲ませている。
そんな儂等の胸中を察して策殿は苦笑を見せる。
「曹操が選ぶ様な男よ?
それに、あの娘も女だから女(私)よりも惚れた男へと気持ちが傾いちゃったから“一緒に居たいっ!”って思って付いて行っても全然可笑しくないでしょ?」
そう言って揶揄う様に笑う策殿の言葉を聞き軍師陣は苦笑と溜め息という反応。
理屈ではなく感情で。
そう言われてしまったら、あらゆる可能性が出てくるじゃろうからのぅ。
素直には認められないのが本音じゃろうな。
「いや、流石にそれは………むぅ……確かにのぅ…」
そんな風に思う儂も、つい否定し掛けたのじゃがな。
視界に入った祐哉を見て、自分の事に照らし合わせて考えてみると──成る程と納得してしまった。
その可能性を否定する事は自分には出来無い、と。
「…って事はさ、黄忠達も曹操じゃなくて曹純の下に集まってる可能性も十分に有るって事だよね?」
「あー…確かに、そうね…
その可能性も有るわね…」
そう祐哉が言うと、策殿は其処までは考えてなかった様で、言われてから気付き納得した様に頷いた。
確かに曹操が表舞台立って地盤を強く固めている間に曹純が各地を巡りながら、有能な人材を集めていた。
そう考える事は出来よう。
ただ、もしもそれが実際に行われていたとしたら。
そう考えただけで、背筋に悪寒が走ってしまう。
「…それはつまり、曹魏の総戦力──兵数じゃなくて将師の数は私達の考えより多いっていう事も、十分に有り得るって訳よね…
冗談じゃないわよ…」
「…あの黄忠さん達の様な方達が他にも沢山?…」
「う〜…考えたくはない事なんですけど〜…
有り得えますね〜…」
詠達が心底億劫そうな顔で可能性に愚痴を溢す。
その気持ちが判るからこそ誰も言葉を続けられない。
ただ、個人的な事を言えば“楽しみじゃな”と思い、誰が居るのか。
密かに期待しているのは、詠達には言えない。
抑えても、消せはしない。
それは一人の武人としての性と言える物故に。
──side out。
Extra side──
/小野寺
祭さん達が無事に戻って、取り敢えず一安心した。
天幕に入ると同時に思わず抱き締めてしまった雪蓮の気持ちはよく判った。
特に雪蓮にとって祭さんは姉の様な存在だろうしな。
…まあ、雪蓮本人は絶対に言わないだろうけど。
兎に角、皆が無事だった。
それだけで気が楽になる。
けど、その後の報告により大きな驚きが起こった。
黄忠と馬超が曹魏に居る。
その事実は俺達にとっては驚異でしかない。
ただ、俺自身は自分で思う以上に落ち着いていた。
“原作”で考えれば黄忠と馬超は劉備の下に居るのが当たり前になっている。
それは当然の事だろう。
“原作”は歴史を軸として作り出されているのだから大きく外れる事は無い。
飽く迄も“三国志”を基に描かれているのだから。
しかし、今現在自分が居る世界は“原作”とは異なる一つの現実だ。
“原作”と違っている事が起きても可笑しくない。
その上で二人が表舞台から消えてしまう可能性も十分有り得るとは思う。
でも、俺は二人が消えたと思ってはいなかった。
何処かに居る。
そう確信していた。
…根拠は無いけどね。
だから曹魏に居ると聞いて納得する事が出来た。
あの劉備の変化を見ていた後だからこそ余計に。
二人が曹魏に居るだろうと思っていたしな。
まあ、だからと言って全く驚いていないって訳じゃあないんだけどね。
驚いたのは、曹魏が皆へと“縁の深い相手”ばかりを当ててきた、という事に。
それは裏を返せば、曹魏は宅と劉備達の動きを完璧に把握し、対応してきた。
そういう事になる。
考えたくはない事だけど、今の曹魏なら出来る様にも思えてしまうのは…うん。
仕方が無いんだろうな。
それ程までに曹魏の実力は計り知れないのだから。
臆さない方が可笑しい。
そういう存在なのだから。
恐怖心を懐く事は可笑しな事ではない。
そんな中、祭さんの口から雪蓮に向けてでた一言。
直ぐに察したらしく雪蓮が口にした“あの娘”。
それが誰の事を指すのかを自分も直ぐに察した。
雪蓮の妹──孫権の事だ。
その行方を知る事は無く、今日に至っている。
調べる余裕が無かったのも間違いではないけどな。
ただ、この話の流れだし。
祭さんも雪蓮も、彼女が今何処に居ると考えているか直ぐに察する事が出来る。
同時に納得もする。
宅は勿論、ある意味有名な孫権──孫文台の娘を。
数多居る諸侯の眼と耳から隠し通し抜けるとなると、曹魏以外には有り得ない。
勿論、旧・漢王朝の領地を出ている可能性は有るけど雪蓮から聞いた話からして孫権は孫家から離れる時に“対立する可能性”を既に考慮していた筈だ。
だとすれば、今の情勢なら曹魏に居る可能性は高い。
いや、曹魏一択と言っても過言ではないと思う。
とは言え、孫権が曹魏へと加入しているのなら。
その経緯には謎が残る。
“天の御遣い”は同じ様に世界に出現している。
高順に関しては判らないが北郷一刀の情報は手に入れ確認する事が出来たから。
恐らくは、高順も同じ筈。
抑、“天の御遣い”という言葉自体が予言の広まった頃まで存在しないのだ。
そういう意味から考えても間違いではないと思う。
そうなると詠が言った様に曹操という線も無くなるし謎だけが残る。
──事は無かった。
雪蓮の口から出た名前。
曹操の夫である曹純。
其処から生まれる可能性を聞いて納得してしまう。
曹操や高順が目立ち過ぎて可能性が意識から欠落した事で考えられなかった。
不自然さの無い筋道。
その可能性に。




