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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
741/915

22 四思交咬 壱


 黄蓋side──


──七月二十日。


駆け続ける足は重い。

蓄積した疲労は否応無しに身体を侵してくる。

自分は勿論、偵察戦直後は“体力には自信が有る”と笑顔で言っていた筈の二人──春蘭と季衣ですら今は話す余裕が無い状態。

だが、無理も無いだろう。

流石に今の様な無茶をした記憶は無いのでな。

真桜と蒲公英は倒れないで付いて来ているだけでも、誉めて遣りたくなる。



(仕方が無いとは言え…

こういう状況では時期的な天候すら恨めしいのぅ…)



慣れている筈の日射しが。

今だけは鬱陶しい。

流石に雨に為ってしまうと足元が悪くなる為、それは困ってしまうが。

せめて、曇っていて欲しいと言うのが本音だ。


滴り落ちる汗は滝の様で、拭っても拭い切れない。

頬を撫でてゆく風は微風と言うには強く、けれども、強風と言うには至らない。

熱く火照った身体には少々物足りないが、無いよりは増しだと言えよう。

まあ、そうだからと言って疲労や負荷等が軽減される訳ではないがな。


少しでも早く皆と合流し、得た情報を元に、最終的な判断をしなくてはならない状況に我等は有る。

劉備との協力関係にしても時間が無くて現状のまま、という事態は避けたい。

決戦の前故に疲労を残して臨む真似はしたくないのが軍将としての考えだが。

家臣としての考えの方が、今は優先されるべき。

そう考えての強行軍。

余計な部隊(足枷)も無い為普段は出来無い強行軍も、今の面子なら問題無い。

幸いな事に、軍師も居らぬ状態じゃからのぅ。



(…一日の遅れが、今程に恐ろしいと感じる状況など記憶に無いからのぅ…)



如何に切迫していても。

大抵は伝令を出すだけ。

今の自分達の様に、軍将が自ら走る事は無い。

副官に部隊を任せ単騎駆けという事態に、経験が無い訳ではないが。

それでも精々が数刻。

長くて半日程度の事だ。

しかも、馬を使って。

自分の足だけで、という事は経験した事が無い。


幸か不幸か、自分達は大体仕官している時点で、上に立つ立場に就いている。

常に、部下を持っていた。

それ故に──とは、流石に言わないが、懐く焦燥感は恐怖心を掻き立てる。


重くなる足取りを。

更に重苦しく感じさせる。

その為、視線は気付いたら地面を見ている。

“皆の為にも休もう…”と心の中から甘い誘惑を囁く弱音(自分)が居る。

それに負けてはならないと己を叱咤し、また一歩。

前へと足を踏み出す。

止まらぬ様に。



「────ぁっ…」



誰の声かは判らない。

ただ、その声に自然と顔は導かれる様に前を見た。


太陽が地平の彼方へと沈み始め、世界の全てを茜色に染めてゆく中。

視界に映った景色に。

不覚にも涙が出そうになり──意地で飲み込む。


築かれた陣には掲げられた沢山の“呉”の旗が翻る。

その中に一際高く、大きな“孫”の旗が揺れている。




陣へと入り、そのままに。

全員が足を止めた。

──否、立っている事すら出来無くなり、必然的に、そうなったというべきか。



「──あ〜〜〜〜っ!

やっと着いたあ〜〜っ!」


「お腹減ったよぉー……」



そう言って座り込んだのは蒲公英と季衣。

更に両手両足ん投げ出して大の字で仰向けになる。

普段であれば、“ほほぅ…まだ声を出す余力が有った様じゃな?”と言っている所なんじゃが…流石に今は言う気にもならん。

真桜は倒れ込み横になって息を荒くしている。

“…み、水ぅ……けどな、蚯蚓やない…でぇ…”等と掠れた声で呟いている辺り余裕を感じてしまうが。

…いや、其処までしてでも貫いているのかのぅ。

訳の判らん拘りじゃがな。

春蘭は愚痴こそ言わないが地面に座っている。

祐哉が“体育座り”と呼ぶ格好で膝の間に顔を埋め、呼吸だけが漏れ出す。

当然、儂も座り込んだ。

体裁も見栄も何も無い。

兎に角、疲れた。

その一言に尽きる。

ただまあ、服装が服装な為格好を気にしなくて済んだ事だけは楽だった。


そんな儂等を見た兵士達が慌てた様子で水や手巾等を持ってきてくれる。

その気遣いが有難い。



「…すまんな、助かる」



見た目に死にそうな者から──と言うよりも後回しにしたら喧しそうな面子から先に水の入った竹筒を渡す兵士から最後となる一本を礼を言って受け取る。

その竹筒に口に付けると、ゆっくりと傾けてゆく。

ゆっくり、だった筈。

しかし、流れ込む筈の水は自分が思うよりも勢い良く口の中へと注がれる。


渇いた喉を潤す様に、など生温い表現だろう。

水が喉を通った事でさえも感じない程に。

息をする様に。

乾いた砂漠の砂地の上へと溢して吸い込まれる様に。

竹筒は空に為ってしまう。

“物足りない”と言う事も適切に思えない。

“…今、飲んだのか?”と疑問を懐きそうな程に。

己の喉は渇いていた。



「もう一本だっ!」


「おかわりーっ!」


「ボクは十本っ!」


「ウ、ウチにも頼むっ!」



それ故にか。

満たされぬ渇きを消そうと次々と追加を要求する声が上がっている。

相手が軍将──上官とあり兵士達も戸惑いながらも、その要求に応える。

止めるべきなんじゃろうが──今は無理じゃな。

その気持ちが判るだけに。

止める事は出来ん。

尤も、取り敢えず水を一度飲んだ事で、そう要求する事が出来る程度には元気が戻った、という事じゃから一安心じゃな。


まあ、儂は春蘭達とは違い年長な分、欲求に任せての“がぶ飲み”をする真似は遣りはせんがのぅ。



(…そんなに一気に飲むと近うなるんじゃが…

まあ、それも良い経験か)



若さ故か、後先考えぬ姿に表情や態度には出ない様に笑いを堪える。

気付かれては、面白くないからのぅ。


此処は野営地じゃからな。

そうなると、女というのは色々と大変なんじゃよ。




そんな事を考えていると、視界に影が射した。

顔を向ければ竹筒を此方に差し出している者が居た。



「公覆様も、どうぞ」


「ああ、貰うとしよう」



自分の直属の部下であり、若い時から指導をしてきた女兵士から竹筒を受け取り一口だけ飲む。

今度は口を、喉を、湿らせ潤していくのが判る。

思わず、ふぅっ…と漏れた一息に偽らず飾らぬ本音が表れてしまった。

隠そうとしても手遅れだが──まあ、今回は諦めて、流す事にしよう。

下手に誤魔化したりすれば逆に揶揄われるネタに為る可能性が高いしのぅ。


そんな儂の胸中を知ってか知らずか、呆れた様な顔で小さく溜め息を吐く。



「…また随分と無茶な事を為さいましたね…」



窘めるのとは違うが、少々言葉の裏に棘を感じる。

台詞も口調も表情さえも。

淡々としている感じだが、その双眸は笑っていない。

これが詠辺りだったなら、思わず視線を逸らしている所なのだろうが。

生憎と、此奴は怒らせても高が知れているのでな。

然程、恐くはない。

権限的に儂より下、という要因も有るのじゃが。

付き合いの長さ故に、と。

そう言う方が理由としては大きいかもしれんな。



「簡単な事ではなかったが必要が有ったからのぅ…

こればかりは仕方無いわ」


「それで倒れてしまっては元も子も無いのでは?」


「無論、最低限の休息等は入れながらじゃよ

…まあ、ギリギリじゃった事は否めんがのぅ…」



かなり、と言うべきじゃが多少は意地も見栄も有る。

と言うか、それを意識する程度の余裕は戻った。


そんな儂を見詰めながら、深々と溜め息を吐く。

その姿に少し“むっ…”と不満を懐くが、口に出す程愚かではない。

儂等を心配しての言葉だと理解しているのだから。



「…御願いですから、もう少し、御自愛下さい…」



──が、思わぬ一言。

いや、何方等かと言えば、泣きそうな表情だろう。

まるで、母か姉の身を案じ泣き縋る娘か妹の様な。

そんな健気な姿に。

少々胸が痛んでしまう。


思えば長い付き合いじゃが此奴に労われるというのは初めての様な気がする。

──が、照れ臭い。

嬉しいのじゃがな。

居心地が悪い。

なので、適当に誤魔化す。



「…出来れば酒が欲しい所なんじゃがのぅ…」


「そんな事をしたら、私が賈駆様に怒られます」


「其処はほれ、アレじゃ…

敬愛する師の為に己が身を差し出してじゃな…」


「はぁ…そんな事が言えるのでしたら大丈夫ですね

では、まだ私は他に仕事が有りますので」



そう言って立ち去る。

…否定はしない、か。

やれやれ、彼奴も素直ではないのぅ。


さてと、儂も残った仕事を片付けねばな。




春蘭達を残し、儂は一人で陣中央に設けられた天幕を目指して歩いていく。



「──祭さんっ!」



──と、その途中で横から声を掛けられて振り向く。

顔を向けるまでも無い。

声の主が誰であるか。

間違え様が無いからのぅ。



「祐哉、無事じゃったか」


「いや、逆だから!

それ、俺の台詞だから!」



開口一番、揶揄う様に出た己の一言に胸中で苦笑し、“やれやれ…儂も彼奴の事は言えんな”と溢す。

ある意味、意地と見栄だ。

愛する夫に、男に、自分を心配されて嬉しいと思う。

その気持ちは確かに有る。

しかし、それと同じ位に、武人として、歳上として、“心配されたくはない”と天の邪鬼な事を宣う自分も確かに居たりするから儂も困ってしまう。

しかも、其方等の方が長く言動に染み付いておるから“素直に甘える”事が中々出来無んだりする。

絶対ではないがのぅ。


呆れた様に溜め息を吐いた祐哉を見ると、罪悪感から胸の奥が痛む。

この程度で祐哉が儂の事を軽蔑・嫌いになるとは全く思ってはおらぬが、不安が無い訳ではない。

だからこそ、思わず出る、己の言動には悩まされる。



「──無事で良かった…」


「────」



──等と、葛藤していると祐哉に抱き締められた。

否、抱き締められていた。

あまりにも自然だった為、反応も出来無かった。

気付いた時には自分は既に祐哉の腕の中だった。



(…それ程に疲労したか?

…いや、そうではないな)



当たり前の様に祐哉の事を“自分より弱い”と考え、そういう状況に至る要因を探そうとしてしまう。

ある意味、悪癖だろう。

だが、そうではない。

これは、当然の事だ。



「…今、戻ったぞ」


「うん、おかえり」



少しだけ身体を離してから短い言葉を紡ぐ。

交わす想いは擽ったく。

伝わる温もりは愛しく。

自然と浮かぶ笑みは優しく尖った心を解してゆく。


心を許し、頼るからこそ。

身構える事は無い。

それだけの事なのだから。




──ただまあ、何じゃ。

あまりに良い雰囲気故に、脳裏に浮かぶ仕事に対して“邪魔するでないわ!”と叫びたくなってしまう。

これが野営とかではなく、せめて、街の宿であったら祐哉を押し倒すのじゃが。

実に惜しい。

…いや、まあ、陣から少し離れてしまえば、簡単には気付かれはせんか。



「……?、祭さん?」


「…くくっ、いや、中々に大胆じゃったからな…」


「──っ!?」



──と、誤魔化す為に軽く揶揄う様に笑って見せる。

祐哉は直ぐに離れ様として手を離して右足を引くが、今度は儂が抱き締める。

同時に引いた右足に対して押し込む様に左足を出して距離を詰める。

必然的に身体は密着する。

“あわあわ”と雛里の様に慌てる姿は閨の中とは違い可愛らしく思える。



「しゃ、しゃいさん?!」


「男なら我慢せんか」


「男関係有る?!」



特に無いじゃろうな。

そう思いながら久し振りの祐哉の温もりを感じる。

…照れ隠しが入っていないとは言わんがな。

祐哉が気付くとは思わん。

こういう揶揄いには儂より弱いからのぅ。

…と言うか、この手の事は策殿辺りにも散々遣られておるじゃろうに。

まあ、慣れられるか否かは微妙な事ではあるかのぅ。


──と、思っておったら、一際高い熱を感じ取る。

“逞しい”と表現すべきか少々悩むがのぅ。



「……あの、祭さん?」


「気にするでないわ

それに、無反応は無反応で腹が立つしのぅ」


「……え〜と…返す言葉が御座いません…」


「まあ、そうじゃろうな」





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