玖
私達はただ見ている事しか出来無かった。
あまりにも意外な光景に。
理解が追い付かなくて。
ただただ、その一連の事を傍観するしかなかった。
そして何事も無かった様に自分の椅子へと座り直した金名さんに対して胸に懐く疑問を打付けるか否か。
困惑の中で逡巡する。
…正直な事を言えば、私は今直ぐにでも、金名さんに“貴男は何者なんです?”“本当に商人ですか?”等訊きたいと思っている。
ただ、それと同じ位に私は“訊きちゃ駄目!”と叫ぶ本能(私)の声に同意してもいたりする。
結局、訊く事は止める。
私が知っている金名さんは自分から説明してくれても可笑しくない所。
寧ろ、そうする人だと私は考えていたりする。
“御見苦しい所を…”とか苦笑しながら言って、自ら話したくはない事は言わず話題を纏めてしまう。
そういう流れになりそうな場面だった筈だと思う。
でも、そうしなかった。
その理由を挙げるとすれば“一切話したくはない事”だからなんだと思う。
それは言い替えれば誰にも“触れられたくはない”と言っているのも同じ事。
だったら、此処で私達から金名さんに訊ねてしまうと色々と不味い気がする。
心証という意味でもだけど会談的には金名さんの事は関係無いのだから。
余計な事は避けるべき。
そう判断した私は目の前に高定さん達が座り直すのを静かに待つ事にする。
高定さん達も、金名さんを怒らせてしまったばかり。
余計な事はしない筈。
詳しくは判らないけれど、此処で金名さんを怒らせば不利益を生む事だけは確かなんだと思うから。
その考えを肯定する様に、高定さん達は椅子に座って再び会談に臨む姿勢を取り一つ溜め息を吐いてから、高定さんは私を見てくる。
但し、その眼差しには既に先程までの此方を探る様な意思は感じられない。
まるで毒気を抜かれた為に集中力を欠いた様な。
そんな印象を受ける。
「玄徳嬢、続きを聞かせて貰えるかのぉ?」
「はい、判りました」
此処で相手の無礼に対して“それが貴男方の誠意有る態度なんですか?”なんて挑発的と言うか、高圧的な態度を取る事はしない。
先程の一件は、ある意味で金名さんが収めたのだから私が蒸し返してしまったら話がややこしくなるだけ。
“金名さんの顔を立てる”事が此処では大事。
故に、その辺りは流す。
「利害だけで付き従う者は害が利を上回れば戦いから即座に退く筈です
勿論、それは生き残る事が大事な以上は正しい事だと私は思っています
しかし、退く事の許されぬ戦いであれば、そんな事は関係無く命を賭す筈です
その前提で言えば、私達は退く事は出来ませんけど、貴男方は違います
利害だけならば、貴男方は迷わず退く事でしょう
それなら、不要です
私の志に命を捧げられない駒は要りません
必要なのは私の志の下にて命を尽くす戦士なんです」
私の言葉を聞いて、静かに高定さんは瞑目する。
先程までの駆け引きとは、纏う雰囲気が違う。
ただ、真面目に考えているという感じに見える。
「…まあ、そうじゃのぉ
玄徳嬢の言う通り、儂等は自分達の一族の存命こそが何よりも大事じゃ…
それは間違い無い
じゃから、利害だけじゃと儂等は確かに戦っとる中で“勝ち目が無い”と判れば迷わず退くじゃろうな」
私が言いたかった事を漸く理解してくれたのか。
童開さんの視線に戸惑いと“居心地の悪さ”を感じて顔を向けたくなる。
“判って貰えたのなら”と言ってあげたい。
だけど、今は高定さんとの会話が最優先だから。
此処での言葉は三人に対し向けた物なんだから。
逸れていてはいけない。
「勿論、其処では一時的に退いたとしても最終的には相手に追い詰められるなら貴男方は退く事は考えずに死力を尽くす筈です
決して、臆さず、屈さず、その命の有る限り猛々しく抗う事でしょう
でも、貴男方には…」
「…其処までして、曹魏に敵対する理由が無い、か」
高定さんの言葉を受け止め私は静かに首肯する。
でも、其処まで。
それ以上は私は口にはせず説明しようとは思わない。
何故ならば、其処から先は絶対に高定さん達の口から出なくては為らない。
そうでなくては意味が無いのだから。
私は静かに高定さんを見て“答え”を待つ。
何れだけ長くなろうとも、それが全てなのだから。
「…………………判った
玄徳嬢、儂等はお主に従いお主の為に戦おう」
「────っ!!」
ずっと聞きたかった言葉に嬉し過ぎて、思わず身体が反応し掛けたけど、何とか堪えて平静を装う。
此処まで堪えてきたんだし今更“もう少し”の我慢は大して苦にも為らない。
堪えるのは大変だけど。
出来無い事ではないから。
「それは私への“服従”と受け取っても?」
「ああ、それで構わぬよ
事実、儂はお主に敗けた
敗けた以上、素直に従おう
お主等も…良いな?」
「…高定、従う、決めた、我、異論、無い…」
「……チッ…判ったよ
そういう話だったんだ
受け入れてやらぁ…」
「──とまあ、そういった訳じゃのぉ」
そう言って笑みを浮かべる高定さん。
意外、と言うべきか。
猊乱さんは高定さんからの言葉に、大して考える間も無いまま決定を受け入れる意思を示した。
でも、不思議ではない。
一貫しているから。
対して、童開さんは不満を残しながらも承諾する。
恐らく、私に敗けて従う、と言うよりも、金名さんを再び怒らせない為、かな。
高定さんの言い方からして私の予想した通りに事前に話し合ってたみたいだし。
此処で一人だけ反論をして事前の取り決めを覆せば、会談は長引く。
無駄に時間を費やす。
時を重んじる商人に対し、それは許し難い事。
だから、自分の意地なんて張ってはならない。
此処では。
「それでは、今から詳細な説明を致します」
機を見計らって王累さんが声を出し話を進め始めた。
それとは対照的に、今度は私は黙ってしまう。
──と言うか、詳細な事は基本的に今の王累さんとか朱里ちゃんの様に担当者に任せるべき事だから。
寧ろ、今は私が余計な口を挟まない方が大事。
黙っている事が仕事。
でも、だらけてちゃ駄目。
ピシッとしてないと。
それでもまあ、私の仕事は終わったと言えるかり。
態度は崩さないけど思考は多少緩めても大丈夫。
この状況で高定さんからの急な振りは無いだろうし、王累さんもさせない筈。
だから、落ち着ける。
(はぁ〜〜〜〜〜〜〜っ…本当に疲れたよぉ〜…)
普段なら皆が居るだけで、此処まで気を張り続ける事なんて滅多に無い。
有ったとしても今みたいにその場に残ってるって事は本当に少ない。
だから、普段は直ぐに出る弱音は吐けないし、誰にも愚痴を溢せないのは意外と地味に辛かったりする。
“終わっ、たあぁーっ!!”という感じで叫びたい。
両手両足をグググーッ!と伸ばして、寝台に大の字で仰向けに為りたい。
…出来れば、そのまま暫くスヤスヤと眠りたい。
それ位に、疲れている。
精神的に、物凄く。
(…やっぱり、私には王は向いてないよね〜…)
ふと、頭に浮かんだ事。
“王”という立場に、私は後々成る訳だけど。
正直、気が進まない。
遣る気が無い訳ではなくて出来れば遣りたくはない。
こういう事を遣るのも王の仕事だって判ってるけど、自分には不向きだって事を自分が一番知っている。
だから、困るんだよね。
勿論、私の理想と意志から全てが始まっている以上、私が王となる事は当然だし正しい事だって思う。
だけど、出来れば王とかは御主人様が遣ってくれると私としては嬉しいかな。
私と御主人様。
何方も“御輿(王)”として悪くはない筈。
“それだったら…”って、ついつい考えちゃう。
でも、それが出来無いから私が王を遣る事に為る。
今の御主人様は…あの時の傷跡が目立つから。
王としては格好が悪い。
勿論、御主人様が武勇伝を幾つも作り上げている様な武人だったら、その傷跡も“箔が付く”程度で特には悪影響は無いんだけど。
御主人様は違うからね〜。
どんなに頑張って武勇伝を捏造して喧伝しても結局は御主人様を一目見ただけで嘘だってバレちゃう。
だから、出来無いの。
(まあ、私が一人で考えも仕方が無いよね…)
この戦いが終われば、私は新しい国を背負う王に成り理想を実現させられる。
その為に必要な駒(戦力)を手にいれる事が出来た。
なら、先の事は後回し。
今はただ、勝つ事だけを。
それだけを考えよう。
──side out。
張勲side──
曹魏との戦いに向け着々と準備は進められている。
それを妨げる真似は私には出来無い事ですし、遣ろうとも思いません。
ええ、だって自ら“自滅”してくれるのなら私達にはこれ以上無く最高に都合が良いですからね。
或いは、奇跡的に勝っても私達には良い事ですし。
是非とも頑張って貰いたいというのが本音です。
そんな状況の中、前哨戦と言える戦いに主要な面子が出払っている中で桃香様と王累さんが王都から離れて何処かに行った。
勿論、長い事ではない筈。
桃香様の曹魏と戦う事への執着は異常だから、逃亡の可能性は無いでしょう。
抑、王累さんが一緒ですし無難な所で…更なる戦力の増強の為、ですかね〜。
それが人員か物資かまでは定かでは有りませんけど。
この隙は絶好機です。
此処の所、使い回され続け久しく会えていない愛しのお嬢様の元に行く。
それが出来るのですから。
普段、お嬢様に対して私が“煽動する様な言動をするかもしれないから”という事で近付けさせて貰えず、引き離されてますから。
こういった機会を逃がすと本当に会えないんですよ。
そんな面倒で無意味な事、“現状では”私が遣る訳が無いんですけどね〜。
アレは、袁家という便利な道具が有ったから有効利用していただけですし。
無い物を自分で作ってまで遣ろうとは思いませんよ。
疲れますからね〜。
尤も、それを言った所で、信じて貰えるだなんて事は思ってませんけど。
お互い様ですよね。
それは兎も角として。
今は行動有るのみです。
(幸いにも御主人様は頭が御目出度い方ですからね〜
真面目に仕事をしていれば疑わなくなりますし♪)
その点は桃香様も同じだと言えますね〜。
まあ、好き好んで自分から不評を買う必要なんて全然有りませんからね。
お給料も悪くはないので、ちゃ〜んと働きます。
と言う訳ですから。
待ってて下さい、お嬢様。
今、七乃が行きますから。
──なんて、淡い私の夢は緑色の御馬鹿さんによって敢えなく潰えました。
お嬢様は普段居る場所には居なくて、行き先を侍女に訊ねてみれば、“袁術様は今朝から文醜様と遠乗りに出掛けられていますよ”と返ってきた訳です。
しかも、行き先は保養地で三〜四日は帰らないという話だったりします。
(──くっ、まさか、私の行動を読み切るとは…
これは朱里ちゃんの?
…いいえ、王累さんの策と見るべきでしょうね…
遣ってくれますね〜…)
曹魏との前哨戦を指揮する軍師様に“大人しくする”私達を気に掛けていられる余裕なんて有りません。
一杯一杯の筈です。
となれば、経験の差も含め熟練している王累さんだと考えるのは当然です。
──あ、因みに呂布狂いの音々音(お子様)は最初から論外ですから。
…まあ、動かそうと思えば今の私でも動かせますが、失敗する可能性が高い上に賭けるにしても悪過ぎる為遣りませんけどね。
猪々子さんなら賭けるかもしれませんけど。
私は堅実派なんです。
それはそれとして。
麗羽様を残して、だなんて彼女らしく有りません。
しかし、今の麗羽様を外に連れ出す事は不可能。
強引に、なら可能ですけど先ず遣らないでしょうし。
遣るとすれば、此処が攻め落とされて脱出しなくてはならなくなった場合。
それ位しか有りませんし。
そういう時の為にも彼女は可能な限り、側に居る事を心掛けている筈です。
ですから、彼女が動く事は考え難いんですよね。
まあ、上手く“乗せた”んでしょうけど。




