捌
会談が始まってから、一番緊迫した空気が漂う中。
私は意外にも平気で居られ高定さんの視線も正面から受け止められている。
気持ちの問題なんだって、何と無く理解出来る。
開き直ってしまった方が、思ったよりも楽だから。
後、色々考えない様にする事も忘れない。
彼是と考え過ぎると思考に呑まれてしまうから。
そんな私を真っ直ぐに見る高定さんの瞳の奥には深い警戒心が感じられる。
危険という意味ではなく、“惑わされない様に…”と自分を窘める方向で。
その事から考えても此処で引いては為らない。
無言のまま、睨み合う様に私と高定さんの視線は宙で重なり続けている。
もしも、端から観ていたら“火花が散っている”とか感じるかもしれない。
それ位の、鍔迫り合いとも言える意志の衝突。
そんな状態で引くたのは、意外にも高定さん。
いやでも、私には引く気は無かったから結果としては望んだ通りなんだけど。
正直に言うと、その状態で幾度か問答して、それから私が押し勝つ──みたいな想像をしていただけに。
何も言わないまま引くとは思わなかったって事。
「…率直に訊こうかのぉ
何故、お主は儂等に自分に従えと言わんのじゃ?」
その言葉通りに率直過ぎて私は一瞬だけ動揺する。
“率直過ぎるよ!?”という驚きによる動揺だから特に影響は出なかったけど。
正直に言って、高定さんがこんな風な感じで来るとは考えてなかったから。
そうなるのは仕方が無い。
でも、重要なのは此処から私が何て答えるか。
「では、私も率直にお答えしたいと思います
私がそう言ったら貴男方は“では、従いましょう”と応じてくれますか?
それも、一切の対価も無く私に“絶対服従”な便利な手駒として…」
「〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」
視線は高定さんだけに向け言葉は三人に対して向けて各々の反応を窺う。
かなり、挑発的な言動だと自分でも判っている。
“らしくない”事だとも、様に為らない事も。
それでも、そうする必要がこの場には有るから。
私は遣っているだけ。
…ただ、上手く出来るかは自分でも半信半疑。
だから、絶対に気にしない様にだけ気を付ける。
気にしたら、私は態度等に出てしまうから。
私には出さない様に出来る演技力は無いんだもんね。
高定さんは、変わらない。
私から目を逸らす事も無く淡々としている様に見えて嫌でも不安感を煽られる。
呑まれない様にするだけで精神的に疲弊する。
猊乱さんは…相変わらず、無反応のまま。
本当に何を考えているのか不気味で仕方が無い。
でも、動かないなら此方は無視してしまおう。
それが一番楽だから。
──で、三人の中では一番動かし易そうな童開さん。
これだけ見下した態度なら動くと思ったんだけどね。
視線と殺気が凄いだけで、必死に堪えてる。
やっぱり、話は高定さんに任せてるみたい。
「…成る程のぉ、それには流石に儂等も応じれぬな
勿論、“力強くで”ならば話は別じゃろうがな…」
私の言葉を肯定しながら、高定さんは挑発し返す。
言外に“それ以外に方法は無いと判っとるかのぉ?”とでも言いたそうに。
此処で間髪入れずに私から“そんな事しません!”と否定の言葉を返したなら、曹魏との戦いが終わった後彼等との戦いに為った場合私達は不利になる。
勿論、彼等から攻撃をして侵攻して来たなら問題無く応戦出来るのだけど。
場合によっては、彼等から包囲される状況に為る事も十分に考えられる。
少なくとも、邪魔に為れば排除が出来る様にして置く方が良いとは思う。
だから、否定はしない。
「貴男方を従えようとして戦えば、此方とて被害無く勝てる訳では有りません
何より、“無駄な”犠牲で兵数が減る事は避けるべき事だと思いませんか?」
その上で、更に挑発する。
“戦えば、勝てる”けど、被害は出てしまう。
貴男方を配下に加えても、その被害の分だけ兵は減り損失が生じてしまう。
“そんな無駄な事を貴男方が望むと言うなら、私達も付き合いますよ?”と。
余裕の有る、強気な姿勢を崩さずに保つ。
一方で、“そういうのが、貴男方の生き方と言うなら仕方が無い事ですが…”と理解しているかの様に受け取れる感じにもする。
童開さんに向けられている視線と殺気が高まるけど…やっぱり、動かない。
一言だけでもいい。
感情のままに私達に対して怒鳴ってくれたら主導権を完全に握れるのに。
見た目よりも辛抱強いのは厄介だけど、評価出来る。
猪みたいに突っ走られたら私達も困るから。
後、高定さんが凄いのか、高定さんとの信頼関係かははっきりとしない。
でもまあ、童開さんは先ず高定さんに逆らわないって判ったのは大きいかな。
本番の事を考えるとね。
「ふむ…尤もな話じゃのぉ
それが仮に儂等を討伐する為の戦いならば、意地でも退かぬ所じゃが…
儂等を“従えたい”が為となると話は違うしのぉ…」
そう納得した様に言うけど高定さんに緩みは無い。
気を抜いたら危険な場面。
しっかりと集中を維持して高定さんと向き合う。
「…ふ〜む…確かに条件は悪くないのぉ…」
私から視線を外して瞑目し椅子の背凭れに深く身体を預ける様にする。
一見、真剣に考える態度に見えるけど、危険。
普通なら一息入れてしまう場面だと思うけど、自分に“まだまだだからね!”と檄を飛ばして頑張る。
罠だと思うから。
間を繋ぐ為に他の二人へと話を振る真似はしない。
だって、高定さん達の方も王累さんには話を振らずに私とだけ話している。
さっきの王累さんの発言が特別だっただけで。
今、この場は実質的に私と高定さんの会談に等しい。
お互いに決定権を持ち得る代表者であり、その発言は総意思と言えるのだから。
全ては私達次第。
高定さんを見詰めながらも意識し過ぎない様に思考は別の事に向けておく。
どうでもいい様な内容で、集中し過ぎる事の無い。
そんな適当な事に。
瞑目していても高定さんは実質的に三族の代表者だと言えるだけの人物。
私が“乗って来ない事”は気付いている筈。
だとすれば、この会談自体そう長くは続かない。
お互いに暇ではないから。
だから、もう直ぐ。
もう直ぐ、動くと思う。
この会談が決定的に。
暫くの間、その状況は続き──唐突にだった。
高定さんが両手を上げて、“参った”と言う様にして目蓋を開いたのは。
「ふぅ…儂等の降参じゃ
どうやら、お主には下手な揺さ振りは無駄な様じゃ…
話に聞いておった印象と、こうも違っておるとはのぉ
人の変化(成長)とは、実に不思議な物よのぉ…」
そう言いながら高定さんは笑みを浮かべて笑う。
…何と言うか、本当に歳は幾つなんだろう。
見た目と口調の差が激しく違和感が半端無い。
…気にしたら負けかな。
うん、気にしない事にして話を進めちゃおう。
「それは、どういう意味の“降参”なんですか?」
此処まで頑張ってきたから最後まで気は抜かない。
きちんと、彼等の口から、望む言葉を聞くまでは。
「かっかっかっか…
いやいや、大した物よのぉ
あの劉璋(曲者)が、州牧の地位を譲るだけは有るわ
噂通りの見た目じゃったし“御人好し(甘ちゃん)”と思うたんじゃが…
これ程とはのぉ…」
楽しそうに笑う高定さんを見詰めながら、心の中では“もう、私が聞きたいのはそんな言葉じゃなくて…”という愚痴を溢す。
しかし、此処で催促したり不機嫌さを見せる様な事は絶対にしない。
しない様に自制する。
そのまま一頻り笑った後、高定さんは先程までのとは違う笑顔を浮かべる。
悪戯をした子供の様な。
無邪気な笑顔を。
「最後に一つだけ訊こう
どうして、お主は最初から儂等に対し“下に付け”と言わなんだ?
儂等に選択させる、という意図は判っておるのじゃが交渉としては別に真っ先に口にしておいても悪くない事じゃと思うがのぉ…
その方が“後々の問題”は未然に防げるであろう?
そうせなんだ理由は何か、聞かせてくれんかのぉ」
そう言った高定さんからは“私を試そう”という様な気配は一切感じない。
純粋に疑問の解消の為。
その為の質問だと判る。
だから、答える事自体には私は抵抗は無かった。
勿論、きちんと考えた上で判断したんだけど。
私は反射的に王累さんへと顔を向けそうになった。
“いいかな?”と訊ねる、その為だけに。
でも、寸前で思い止まり、実際にはしなかった。
それは駄目な事だから。
大事なのは、私の言葉で、私の意思を伝える事。
誰かに良し悪しを訊ねて、それから口にした言葉には“私以外の誰かの意志”が本の僅かだったとしても、混じってしまうのだから。
それでは意味が無い。
私は高定さんを見たままで小さく、一息吐く。
「御存知の事でしょうが、この会談は曹魏との戦いの為の物です
その戦いの戦力強化の為に私は貴男方を望みます
しかし、それが交渉による利害関係のみでは、大事な場面での命取りになるかもしれません」
「…儂等が裏切ると?」
言葉だけを聞けば、不満を含んでいる様に思えるけど実際には感情の起伏は全然感じられない。
ただ、続きを促す眼差しが向けられているだけ。
それだけを切り取る愚かな真似はしない、と。
その双眸が語っている。
だから、私は続ける。
深くは気にしないで。
「いいえ、裏切りではなく“敵前逃亡”の可能性を、私は言っています」
「────手前ぇっ!!」
流石に“腰抜け”と取れる言葉には堪え切れなかったみたいで、ガダンッ!、と椅子を押し退けて立って、卓を楽に越える童開さんの巨大な右腕が私に向かって伸ばされてくる。
その憤怒に染まった表情が見えたのは一瞬だけ。
元々、武術の苦手な私には彼の巨掌を躱す術は無い。
──と言うか、避ける事も出来無い位に早い。
勿論、“私から見れば”の話なんだけどね。
星ちゃん達が見たとしたら違うかもしれない。
そんな事を考えてる間にも巨掌は迫り来る。
「──っ!?、がはっ!?」
その巨掌が私の顔へと陰を落としていた中での事。
唐突に、その陰が消え去り巨掌も、童開さんの姿さえ私の視界から消えていた。
何が起きたのか判らない。
ううん、その事を認識するよりも早く、ズドンッ!!、と大きな岩が落下した様な轟音を響かせて部屋が──屋敷全体が揺れたかの様に大きな衝撃を感じる。
もしも今地震と言われても全然疑わないと思う位に。
唐突に、激しく揺れた。
「やれやれ…私は貴男方に交渉の場を設けたのであり戦闘の場を設けた、という訳では有りませんよ?」
その声を聞き、顔を向けた場所には立ち上がっている金名さんが居て、床の上に仰向けに寝転がった格好の童開さんを見下ろしている状況だった。
結果から見るに金名さんが童開さんから私を助けて、童開さんを投げ落とした。
そういう事になる…けど、ちょっと信じられない。
だって金名さんって私より腕力無さそうなんだもん。
まあ、実際に力比べをした訳じゃないんだけど。
意外過ぎるよ、それは。
そんな呆然とする私の事は気にしないで、金名さんは童開さんに話し掛ける。
「それとも…それを承知で私の顔に泥を塗ると?」
「────っ!?」
そう金名さんが言った瞬間スッ…と、気配が変わり、部屋の空気が幽州(故郷)の冬を思わせる様に、一気に寒くなった気がした。
それが、殺気による物だと気付くのに少し時間が必要だったのは、それ程までに鋭利な殺気だった為。
先程までの憤怒に染まって真っ赤に紅潮していた筈の童開さんの顔は一瞬にして青ざめてしまった。
声を出す事さえも出来ず、恐怖に無意識に震える歯がガチガチッ…と音を立てて彼の心境を代弁する。
「すまぬ、儂の責任じゃ
どうか、赦して頂きたい」
静かに椅子から立ち上がり高定さんが頭を下げる。
倣う様に、猊乱さんも。
「…判りました、御二人に免じて今回は赦します
二度目は有りませんよ?」
その言葉に童開さんは直ぐ土下座をした。
全身で謝罪と感謝を示し、伝える為に。




