伍
王累さんの質問を受けて、“困りましたね…”という苦笑を浮かべる金名さん。
動揺している様に見えても実際には違っている。
“この程度”の事で、一々動揺していたら商人なんて務まらないだろうから。
そういう意味では、態度は可笑しくはないと思う。
勿論、警戒心を緩める事は出来無いんだけど。
「望み、という程の事では有りません
勿論、私も商人ですから、利益の無い事をしたいとは思いません
そういう意味では王累殿の懸念は正しい事でしょう」
そう言って利益(見返り)を期待している事を認める。
それだけで理解出来る。
この人は本当に商人だ。
それも、かなり手強い。
普通、此処で自ら認めると私達に対する心象を下げる事に為ってしまう。
だから、否定はしないけど言葉を濁す場合が多い。
“先々”の事を考えて。
それなのに、これだ。
金名さんの方から隠さずに公言してきた。
潔いと言えば、潔いのかもしれないけど。
聞く身としては警戒せずに受け取る事は難しい。
それは深い疑念を生み出し邪推する事に繋がる。
そんな自分に不利な状況を自ら作ってしまう発言に、強い警戒心を懐かない方が可笑しいと思う。
だからこそ、解らない。
金名さんの意図が。
だから、恐ろしく思う。
目の前に居る商人を。
「私は商人ですからね
人並みの野心は有ります
ですが、それと同じ位に、私は臆病者なのです
ですから、危険を冒す様な真似は極力避けるのが私の信条だったりします」
その発言に“一体どの口が言うんだ…”と呆れた様な視線を金名さんに対して、ご主人様と王累さんは無言で向けている。
でも、何と無くは判る。
金名さんは黒に近いけど、だからこそ、慎重だって。
犯罪スレスレの事を裏では遣っているにしても。
その事が表沙汰にならない限りは、結局は疑いの域を出来無いのだから。
勿論、地位や権力で強引に黒にしてしまう事は決して不可能な事ではない。
しかし、それを今の私達が遣ってしまうと領内に居る商人や有力者の支持を失い一気に力を落とす事に為る可能性は高いと思う。
だから、出来無い。
きっと、劉璋さんの時から王累さんは金名さんに対し目を付けていた筈。
それなのに、何も出来無いというのが何よりの証拠。
この金名さんという商人は私の想像以上に強かであり曲者である、と。
そんな金名さんは二人から向けられる視線を気にせず平然と笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「ですから、今後も商いが安心して出来る事…
それが一番の望みです
その為にも、今戦力を多く望まれている劉備様に対し助力する事は、私にとって多きな利益と言えます
劉備様が戦に勝利すれば、この世の中の安寧は保たれ私も商いに励めますので」
そう、笑顔で言い切った。
その言葉を聞き、ちょっと頭が痛くなってしまう。
その程度には厄介だった。
金名さんの言う“望み”は即物的な事ではない。
それは将来的な事。
──ううん、もっと長く、効力を発揮する事。
要するに、“自分の商いの邪魔はしない事”を望むと言っている訳で。
つまりは、“自分の悪事は全て黙認し、見逃す事”と言ってるのも同じ。
普通なら、到底聞き入れる事は出来無い望み。
有り得ない交渉。
だけど、現状だけは違う。
曹魏に対抗する為にも今は少しでも戦力が欲しい。
そして、其処に浄不浄など気にする余裕は無い。
使えるのなら何でもいい。
全然構わない。
受けない理由が無い。
それが、正直な気持ち。
けど、だからこそ。
簡単には承諾出来無い。
「…貴男の望みが何なのか判りました
その望み、この劉備が確と聞き入れましょう」
『──っ!!??』
そう私が言うと、ご主人様と王累さんは驚く。
金名さんも、一瞬だけど、驚きを見せていた。
直ぐに商人らしい笑顔へと戻ってしまったけど。
「でも、先ずは貴男の言う戦力が望みに見合う価値が有るのかどうか…
それを確認してからです
当然、その戦力の具体的な人数等は私達に説明出来る筈ですよね?」
そう私は釘を刺す。
慎重な商人の金名さんなら虚偽の可能性は低い。
しかし、戦力と言っても、該当する範囲は広い。
それを確認しないままでは明確な契約は出来無い。
そんな私の発言を聞いて、ご主人様と王累さんからは感心する視線が向けられて少し擽ったく感じる。
勿論、悪い気はしない。
「はい、勿論です──と、言いたい所なのですが…
それは私からは明言出来る事では有りません」
「…ちょっと待て、金名
お前、嘘を吐いたのか?」
金名さんの発言に対して、私達に会わせる為に此処に連れて来たのは、他ならぬご主人様だったりする。
だから、今の金名さんから出た言葉に対して怒るのは当然の事だと言える。
恥を掻かされたと思っても間違いではないから。
ただ、私と王累さんは逆に落ち着いている。
この金名さんという商人が“そんな失態をする”とは全く思えないから。
だとすれば、その言葉には裏か続きが有る。
そう考えているから。
「いいえ、一切嘘は吐いておりません
抑、私は貴男に、“戦力に心当たりが有ります”と、そう言っただけです
具体的な人数等は勿論の事“私が”確約出来る等とは一言も言っていません」
「それはっ…そう、だな
悪い、今のは俺の早とちりだったよ…」
「いえいえ、私も言い方が悪かったのでしょう
もう少し判り易い言い方を心掛けるべきでした」
「…ぐっ……」
暗に“察しの悪い貴男には難しかったですね”と言う金名さんの発言に対して、ご主人様が睨み返す。
文句は言わないけど。
“この野郎…”と胸中では腹を立てている事は、私達傍目から見ても判る。
それが禍根に為らない位に信頼し合っている事もね。
そんな感じの、ご主人様は放置して金名さんは私達を見て話を続ける。
「劉備様、今現在劉備様は招集・徴兵可能な範囲では全てを行われているのだと思いますが…その認識で、宜しいでしょうか?」
「…はい、その通りです」
正直、考えたくはないけど今集められる範囲の戦力は全て掻き集めている。
“それでも全然足りない”と言うのが現実。
孫策さんの方で何れだけの兵を出してくれるのか。
それが全く判らない以上、此方は可能な限り集める。
それしかない。
抑、孫策さんは曹魏に対し深い敵対心・対抗心という感情は持っていない。
だから、この戦に関しても後の無い私達とは違って、全戦力を投入する様な事は先ず遣らないと思う。
将師は参戦すると思うけど兵数は無理の無い範囲。
万が一、全滅したとしても十分に後の事を維持出来る程度しか出さない筈。
私達とは違って、そこまで勝ちに拘る理由が無いし。
だから私達は本の少しでも多くの兵を必要とする。
少しでも戦力を集めたい。
それだけ重要だから。
「と言う事は、現時点では既に限界、でしょう
となれば、更に戦力を得る為にはどうするか…
その答えは単純です
“他所(外)”から集めれば良いだけの話です」
「いや、だけって…
宅以外は曹魏と孫策の所の二つしかないんだぞ?
当然、曹魏の中から離反を誘うなんて不可能だろうし孫策とは同盟を結んだんだ
勝手に領地に入ったりして曹魏への反意を強めるとか出来無いだろ…
まさか、曹魏より北方とか西方の諸国に、同盟の話を持って行くのか?」
「そんな悠長な時間が有るのでしたら、劉備様は全く悩まないと思いますよ?」
「…このっ…」
当然の様に懐いた疑問へと冷めた返答をする。
その態度に苛ついてるけど何とか我慢している辺り、ご主人様は金名さんの話が重要だって判ってるって事なんだよね。
…でも、ちょっと引っ張り過ぎかなって思う。
私達も実は少し苛々しないでもないから。
「曹魏に反意を持つ者では有りませんが“行き場”を失った者ならば居ます
それも、意外と直ぐ側に」
「…え?」
「…は?、マジで?」
金名さんの言葉に驚く。
そんな存在が近くに居ると思ってなかったし。
何より、朱里ちゃん達からそんな話も聞いた事なんて記憶に無いから。
“行き場”が無いって事は罪人とかかな?…ううん、それはもう使ってるよね。
怖じ気付いたり、勘繰って引っ掛からなかった人が、全く居ないとは言わない。
だから、残ってる可能性は有るんだけど…そんなのは本当に僅かだと思う。
後者なら使えそうだけど。
そういう意味じゃないって事だけしか判らない。
でも、私達が知らないって事は可能性としてだけど、期待が出来るかも。
そんな事を考えていると、視界の端に違和感を覚えて顔を向ける。
其処には驚きを隠せないで小刻みに震える王累さんの姿が有った。
「…まさか、貴殿は彼等を使うと言うのですか?」
「ええ、そのまさかです
彼等ならば、戦力としては不満は有りませんよね?」
「しかしっ──っ!?」
私達を置いて、二人だけで盛り上がっているので私は王累さんの右手を握る事で意識を自分に向けさせる。
反射的に此方に振り向いた王累さんは私の姿を見ると驚きながらも、ゆっくりと一つ息を吐いた。
普段の冷静な王累さんへと戻ってゆく。
その姿を頼もしく思う。
ただ、こんなに状況なのに普段は先ず見られない姿を見る事が出来て、少しだけ嬉しく思ってしまう。
普段、しっかりしている分意外な一面だから。
「…申し訳有りません
少々、私も感情的になってしまいました」
「それは仕方が無いよ
それよりも二人の言ってる“彼等”って?」
ちょっと恥ずかしそうな、自分を叱責している様な、そんな風に見えてしまった王累さんを励ましながら、話は肝心な方に向ける。
逸れ過ぎると困るから。
「漢王朝の領内に居る民を“漢民族”と呼びますが、それは領内に住む者全てを指している、という訳では有りません
“涅邪族”の様に漢王朝が“異民族”としている者は決して少なく有りません
ただ、その大半は漢王朝と事を構える真似はせずに、平和的な関係を築き上げ、問題は有りませんでした
しかし、時代が進むに連れ関係に罅が入ってしまい、各地で抗争に発展する事は珍しくなくなりました」
「え?、そうなのか?」
「はい、涅邪族は話し合う事が出来る相手です
彼女達を基準にして考える事は間違いでしょう
下手に刺激してしまうと、抗争になるだけです」
「…マジか…」
意外な事実に、怯える様にご主人様が呻いた。
私は、幽州の出身だから、異民族との接し方が難しい事は知っている。
涅邪族の時は美以ちゃんに翻弄されちゃったけど。
普通は気を付ける相手。
「その中でも、この益州を縄張りとしていた叟・濮、荊州の武陵蛮…
この三族は異民族の中でも特に攻撃的で厄介です
交渉の為に出した使者達が屍となって川を流れてくるというのが普通な位に」
「……おい、金名
そんな物騒な連中を戦力に加えられるのか?」
「それは劉備様次第です
私には無理ですから」
「このっ──」
「ご、ご主人様っ!
お、落ち着いてっ!」
「くっ…でも!」
王累さんの説明を聞いて、“出来るのか?”と疑念を向けたら、私に丸投げした金名さんへと、ご主人様は殴り掛かろうとする。
それを寸前の所で抱き付き止める事に成功する。
怒りは収まらないけど。
応援を頼もうと振り返った王累さんは真面目な表情で金名さんを見ている。
「…貴殿の言い方からして“場を設ける”事は出来るという事ですか?」
「ええ、それが出来る位の伝手は有ります
ですが、それだけです
私では彼等の協力を確実に取り付けられません」
「…最短で何日を?」
「既に話は通して有ります
劉備様が御望みであれば、明後日にも可能です」
淡々と、しかも色々省いて二人は話を進める。
それでも、判る事は有る。
その“関わる事自体が既に不可能だ”と言われている相手と話し合いの場を得る事は出来るのだと。
その先は、私次第だと。
だったら、答えは一つ。
遣るべき事も一つ。
私達に時間は無いのだから迷わない。




