伍拾
思わず溜め息が出る。
まだ可能性の域を出ぬとは言っても、その可能性には説得力が有るだ。
そう、他の可能性を考えるよりもだ。
「…黄蓋殿?」
そんな自分の反応を見て、趙雲は眉根を顰める。
趙雲の声色から何か変化を感じ取ったのだろう。
諸葛亮も、此方に期待する様に視線を向けてくる。
飽く迄も、可能性の話。
それを話す事自体には別に否は無いのだが。
それを話すべきかは悩む。
場合によっては今後の事を此方の責任にされ兼ねない可能性を秘めている。
追い詰められているが故に劉備達が“道連れ”にする事も有り得るのでな。
「…黄蓋さん、もしも何か思い当たる事が有るのなら話して頂けませんか?
それが、どの様な内容でも貴女方に責任を押し付ける様な真似は致しません
もし、万が一にもその様に為った時には…趙雲さんに責任を持って私の頚を討ち届けて頂きます」
「──っ!?」
決して口先だけではない。
その覚悟が本物であると、諸葛亮の眼差しは語る。
後が無い事には違い無いが自ら進んで外道へと堕ちるつもりは無いのだろう。
だからこその宣言。
その覚悟には感心する。
ただ、いきなり重要過ぎる役目を投げ渡された趙雲が盛大に驚いているがな。
普段、涼しい顔を崩さず、感情や思考が読み難い者が味方に意表を突かれた結果見た事も無い表情を晒す。
策殿が此処に居れば末長く笑い話にしたじゃろうな。
まあ、宅の面々も諸葛亮の宣言には驚いておるので、儂は指摘はせんがのぅ。
「…お主の覚悟は判った
飽く迄も儂の見解であり、可能性の一つに過ぎん
それを忘れるでないぞ?」
「はい、勿論です」
儂と諸葛亮との間で勝手に進んでゆく話に戸惑いつつ“…ええい、こうなっては致し方無いかっ…”という感じで覚悟をする趙雲。
元より“傍観者”に徹して一切何も話さぬ様に黙する春蘭達を放置して。
儂は静かに話を始める。
「現状、曹魏が実質的には大陸の覇者である事は既に言うまでもない
領地の広さこそ、お主等の領地を含めれば旧漢王朝の凡そ三分の一を持つ我等も正面に戦えば敗北は必至…
それ程に戦力だけを見ても彼我の差が有ると、今回の一戦で理解出来たな?」
「……はい」
「そんな曹魏が儂等を何故放置したのか…
“使い道”は少なくない…
それを何故しないのか…
その答えは、恐らく一つ…
曹魏は問うておるのじゃ」
「…問い、ですか?」
「うむ…要するにじゃな
予定通りに共闘して曹魏に攻め込むのならば、我等は己が侵略者(悪)である事を明言して臨まねばならん
それこそ歴史に残る大悪党とされ様とも私的な理由で争乱を生み、民を無意味に死地へ向かわせるのじゃ
当然と言えよう…
故に、その覚悟を持てと…
理想を懐くのは勝手じゃが曹魏には都合の良い正義や大義等は通用せぬと…
そういう事じゃろうな」
そう儂が言うと諸葛亮達は勿論、宅の連中も黙った。
無理も無いじゃろう。
それは最初から判っていた事なんじゃがな。
心の何処かには戦い自体を正当化しようとする考えが有った事は否めん。
そう、現実は無情じゃ。
曹魏が袁紹達を破った事で世は既に平定されておる。
儂等は曹魏が放棄した地を勝手に奪い合い、獲た。
それだけなのじゃからな。
それを理解せずに曹魏へと言い掛かりを付ける事は、愚行でしかない。
恥知らずも甚だしい。
必ずしも一国による統治が正しいとは限らぬ。
秦の始皇帝は大陸の統一を成したが、国としては然程長くは続かなんだ。
また漢王朝は前漢・後漢を合わせれば長く続いたが、結局は滅亡しておる。
統一を成し、千年、二千年──幾星霜を経ても。
平和と繁栄を続けられる。
そんな国であれば、儂等は喜んで歓迎しよう。
だが、現実には不可能。
曹魏とて初代は素晴らしく優れていようとも、次代もそうであるとは限らぬ。
…まあ、あの曹操であれば我が子への教育も厳しくは有るのじゃろうが。
保証など何一つ無い。
だからこそ、曹魏は大陸の統一を望まない。
大陸統一という理想の形を敢えて残した事によって、隣り合う勢力同士が互いに牽制し合う状況を作り出し“国”を長く維持する事を第一としておるから。
その為に、曹魏は問う。
“国とは何か?”、とな。
(…その答えは人各々で、王や主君により異なる…
策殿であれば、その答えは儂と同じであろう…
そして、宅の皆もな…)
しかし、正直な事を言えば劉備の所は判らん。
諸葛亮や趙雲は儂等に近い考えを持ってはおろう。
嘗ての劉備であったならば──同じ答えを迷わず出す事が予想出来た。
だが、それは今の劉備では無理じゃろうな。
止まるとは思えん。
「諸葛亮よ、我等は現状で同盟を組んでおる
しかし、此処から先の事は儂等の一存では決められん
それは互いに主君の決める事じゃからのぅ」
「…っ…そう、ですね…」
己の主君──劉備の答えが如何なる物であるか。
判り切っている。
だからこそ、苦しいのだ。
それが間違い無く大悪行と理解しているが故に。
しかし、儂等には此奴等に差し伸べて遣れる手は無いというのも事実。
劉備は御せるぬ。
「先ずは、各々に主の元に戻る事が最優先じゃな…
予定通りに戦うのであれば儂等は覚悟せねばならん
世の平和を乱す悪と為って曹魏を攻撃する事をな…」
「……はい」
「状況から見て曹魏からの追っ手等は無かろう
殺るつもりなら儂等は既に生きておらんからのぅ
作戦は失敗したが、互いに遣るべき事は有る
幸いにも余計な荷物も無く戻る事も出来る…
後は、各々の問題じゃ」
「…っ……判りました
大丈夫だとは思いますが、道中、お気を付けて」
「うむ、お主達ものぅ
…武運を祈っておるぞ」
諸葛亮達に一言掛けると、背を向けて別れる。
歩いて、と悠長な状況では無い事も有り、直ぐに皆と駆け出してゆく。
全速力で──とは行かぬがそれは仕方が無い。
脚力に差が有るからのぅ。
今の面子では一番足の遅い真桜の全力の一歩手前程の速度で走っていく。
蒲公英は体力面では不安が有るが身の熟しは軽いので心配してはおらん。
残る春蘭と季衣に関しては言わずもがな。
走りながら思う事は一つ。
此処で別れる事への安堵。
幸いだったと言えるのは、孫・劉両軍は決戦予定地に現地集合である事。
その為、この作戦の終了後儂等は策殿達の待つ地まで向かう事に為っていた。
不都合な情報が劉備軍へと漏れ伝わる可能性が減る為気持ちも多少は楽になる。
ある程度離れた所で速度を落として周囲を確認して、此方等を窺う目や耳が無い事に一息吐く。
脚を止めはしないがな。
「…良かったのか?」
並走しながら、訊いてきた春蘭に顔を向ける。
問いは複数の意味を含む。
曹魏の軍将に関する情報を秘匿している事。
推測とは言え、確信に近い自分の考えを話した事。
決定的ではないにしても、同盟・協力の条約の破棄の可能性を示唆した事。
後は──諸葛亮達を見捨て劉備の元に返した事。
そういった諸々を含む。
他の三人も気になるらしく黙って追走しながら此方に耳を傾けている。
「…悔いが無いとは言わぬ
じゃがな、今は間違いでも未来では判らぬ…
此処で我等が矛を引いた為後の世の腐敗や大乱を招く事に為る可能性も無いとは言えんからな…
勿論、逆に戦わなんだ方が良かったと言える可能性も有るじゃろうからな…
明確には答えられぬわ」
そう言うと春蘭達は静かに俯いてしまう。
気落ちした訳ではない。
ただ、儂の意見を聞く事で己の懐いた考えや気持ちを整理しようとしている。
その為の反応。
其処に深い意味は無い。
儂は皆とは逆に、進む先の空を見上げる様に。
僅かに視線を上げる。
青く澄んだ空には彼方へと流れ行く白い雲が有る。
今はまだ白い雲。
しかし、もしかしたら軈て黒く染まるかもしれない。
或いは、薄れ、散り、軈て消えてしまうのかも。
そう思うと、雲に自分達を重ねてしまう。
「…儂等も答えは出せぬ
全ては、策殿次第じゃ…
じゃがな、己自身の答えは己にしか出せぬ…
例えそれが、策殿の決断と違ったとしても…
出しておかねばならん
答えを出せぬまま臨む事は命取りに為り兼ねんぞ」
そう静かに口にする。
皆に対し、己に対し。
今一度、問い掛ける様に。
儂は声に出していた。
世の行く末は、今や三人の王の器に委ねられた。
その結末は判らぬが。
此処が最重要な分岐点には間違い無いじゃろう。
──side out
関羽side──
「──ったく、どうして、殴り合いなんかするのよ!
彼方も此方も腫れちゃって酷い顔じゃないの!
せめて、顔は避ける程度はしなさいよねっ!」
「痛っ!?、痛いですっ!
や、優しく痛たたっ!?」
顔を赤黒く腫らして戻った流琉は、何でも許緒と殴り合いをしたらしい。
如何に氣の使用は出来無い条件だったとは言え、何も殴り合う必要は無い。
勿論、無傷で、とは私達も考えてはいなかったが。
それにしても極端過ぎる。
──と言うか、私達の知る流琉からは想像し難い。
負けず嫌いなのは…まあ、流琉に限った話ではない。
私だってそうだからな。
だが、殴り合いをする様な質ではない。
そう思っているだけに。
それは意外な事だった。
まあ、氣の使用は戦闘中に限られている事なので今は自己治癒に加え、桂花にも治癒をして貰っている。
説教の序でに負傷した所を突っ突かれながら。
なので直ぐに治るだろう。
「──で、どうだった?
因縁の深い相手だったんだ
全く何も思わなかったって事は無いんだろ?」
そんな様子を苦笑しながら見ていた翠が此方を向いて話を振ってくる。
“それを言うなら、全員に言える事だろう?”等とは私も言わない。
…言いたい気持ちが無い訳ではないがな。
言ったら言ったで、色々と面倒に為るからだ。
特に、一人消化不良気味の桂花の機嫌が悪くなるのは目に見えているからな。
その辺りには気を遣う。
「…そうだな
僅かにだが、ずっと心奥に刺さり続け鈍く痛んでいた罪悪感(棘)が抜けた…
そういう感じだな」
その言葉に嘘偽りは無い。
今は本当に心が晴れていて気持ちが良い。
唯一の心残りも無くなり、これで心置き無く臨める。
最後の大戦にな。
──side out
荀或side──
流琉の怪我の具合以外は、概ね予定をしていた通りに成功したと言える。
そう、予定通りに、だ。
(確かに“敵を欺くには、先ずは味方から”と言うのだけれど…ねぇ…
“味方を欺く”為には先ず敵からな訳よ…)
皆、既に理解しているとは思うのだけれど。
この一戦は最初から此処に居る愛紗達の為の物。
故に、皆が選出されたのは偶然などではない。
明確な意図が有っての事。
それを気付かせず、偶然を装い続けるのが私の仕事で胆だったのだけれど。
正直、気が気ではなかったというのが本音だ。
特に、紫苑という勘の良い存在が居るからね。
まだ愛紗や秋蘭には私でも気付かせない自信は有るが紫苑に関して言えば経験の質も量も違う。
些細な事を切っ掛けにして気付かれてしまえば折角の機会を台無しにしてしまう事になる訳で。
その責任感と緊張感による重圧は凄まじかった。
代わってくれるなら本気で代わって貰いたい位にね。
でも、結果としては自分が此処に居られて良かったと心から思える。
私個人は消化不良な感じも無い訳ではないけど。
それを上回る歓喜の瞬間を目の当たりに出来た。
その事は、素直に嬉しい。
出来れば私も愛紗達の様に戦りたかったけど。
其処は仕方が無い。
それも含めて、軍師(私)の役目なのだから。
「さあ、さっさと帰るわよ
本番はこれから…
まだまだ気を抜くには全然早いんだからね!」
「ああ、判っているとも」
「ふふっ、そうね」
切り替える様に私が言うと愛紗と紫苑が代表する様に答え、私達は頷き合う。
油断も、慢心も、過信も。
一切無く、真剣に、真摯に私達は尽力して臨む。
──side out。




