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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
728/915

       肆拾捌


 黄蓋side──


──ツン、ツツンッ…。

不意に生じた刺激。

鼻先に感じた違和感。

それに引っ張られる様に、深い闇の中から自我が現へ呼び戻される。



「……っ………ぅっ……」



肺の中に溜まっていた様に口から漏れ出す吐息。

入れ替わる様に吸い込んだ空気が身体を内から冷やす様に感じられる。

二度目の吐息は先程よりは熱を失っている。

ただ、それでも十分に熱を帯びていた。


ゆっくりと、閉じた重たい目蓋を開いてゆく。

暗闇が上下二つに割れて、光が滲む様に射し込む。

その眩しさに、一旦目蓋を閉じてしまう。

それは仕方が無い反応。

誰だって遣る事だろう。

眩しい物は眩しいのだ。

再び目蓋を開けてゆけば、ぼやけている景色が見え、それが次第に鮮明に為って──地面だと判る。

それにより、自分が俯いた状態なのだと気付く。


曖昧だった意識が覚醒し、四肢に感覚が広がる。

背中に感じるのは硬さ。

手を動かせば指先に当たる土と小石の感触。

恐らく、岩か木に背を預け座っている。


では、何故、そんな状態に自分は為っているのか。



(………っ、ああ…うむ…そう、じゃったな…

今は曹魏との戦いの最中…

黄忠と闘っておったな…)



ぼんやりとした思考の中、記憶を辿ろうとしていたら一気に流れ出す様に全てを思い出した。

自分が敗北した事もだ。


小さく息を吐き、ゆっくり顔を上げてみる。



「…………ん?」



──が、誰も居ない。

周囲を見回してみても全く人影が見当たらない。

それ所か、人気が無い。

おまけに、今の自分は全然縛られてもいない。

自由その物だった。


監視をされている可能性は捨て切れない。

だが、もしかしたら何かの薬や毒を盛られた可能性も──いや、無いか。

そんな事を遣るのであれば自分は既に物言わぬ屍へと成り果てているだろう。

こうして生きている事が、そういう意図が無かったと証明している。


だが、無罪放免というのは理解し難い。

何か有る可能性は残る。

試しに腕を動かしてみる。



「──くっ!?」



ズキンッ!、と響く鈍さと鋭さを併せ持つ痛みに対し思わず声が漏れる。

痛んだ所を反射的に右手を伸ばして押さえた。

其処は黄忠の矢を受けた、左肩だった。

傷を負ったのだから痛んで当然ではあるが。

その右の掌に感じた感触に驚かずには居られない。

顔を向ければ、はっきりと視界に映っている。

“手当てされた”所が。



(…何のつもりじゃ?…)



殺さなかった、という点は理解出来無くはない。

手当てしてある事もだ。

だが、その前提条件として捕虜や人質として利用する考えが有っての事だ。

そうでなければ、そうする意味は無いに等しい。


これは試合ではない。

死合い──戦争だ。

情けを掛けて放置するなど前代未聞でしかない。

だからこそ、判らない。

そうする意図が。




立ち上がり、身の回り等を確認してみるが、可笑しな点は見られない。

…まあ、それ自体が実際は可笑しな事なのだが。

自分の愛弓を始め武具等は全て残されている。

そんな事は普通であれば、先ず無いのだからな。


改めて見回した景色。

黄忠と戦っていた場所だと気付くのに時間は掛からず──奇妙に思った。

確かに両軍の衝突している場所からは離れてはいたが自分達の闘いの痕跡である矢が一本も見当たらない。

回収して行った。

その事は可笑しな事だとは思いはしない。

再利用する為に回収する。

よく有る事だ。


だからこそ、奇妙だ。

其処までするのであれば、何故、自分の武具は残され手付かずのままなのか。

その意図が解らない。



「……此処で考えていても仕方が無いか…

取り敢えず、皆が無事かを確かめんとのぅ…」



そう呟きながら、主戦場と為った場所へと向かう。

戻ると言った方が正しいのかもしれんがな。

気分的には、自分の戦場は此処じゃったからのぅ。

そういう感覚に為るのは、仕方無いじゃろう。



(宅の連中は兎も角として劉備の所はどうかのぅ…)



自分の状況から考えれば、宅の面子は無事な可能性は高いと思える。

勿論、飽く迄も可能性。

実際は確認してみなければ判らない事ではある。

黄忠の気紛れで自分だけが生き残った。

そういう事も有り得る。


ただ、それは飽く迄も宅に限られた話で。

劉備の所の面子にまで及ぶ事かは判らない。

自分が無事で有る以上は、宅の面子が無事な可能性は考えられる事だが、それは我等が孫家の家臣だという共通点が有るが故の事。

また、互いに縁の深い者が多い事も一因と言えよう。


対して、劉備の所の面子と曹魏の者との間に有る縁は我等には判らない。

唯一、真桜が幼馴染みだと言っておった者達が両軍に属している、というだけ。

それだけでは見逃す保証は無いのだからな。

無事かどうかは判らぬ。


暫く歩いていると木陰から伸びている物を見付ける。

草木ではない。

それは人間の脚だった。

しかも、見覚えの有る槍が傍らに転がっていた。

その瞬間に自然と走り出し駆け寄っていた。

地面を蹴る度に。

身体を捻り、揺らす度に。

左肩に痛みが走るが、今は気にしては居られない。

そんな事よりも重要な事な目の前に有るのだから。



「蒲公英っ!」



自分と似た様な格好で木に寄り掛かっている蒲公英を正面から見下ろす。

その瞬間、目を見開いた。


半歩、思わず下がった。

堪らず、蹌踉けた。

絶望を前に、心が揺れた。



「………た、蒲、公英?……そんな………くっ……」



その胸元には赤黒い染みが大きく広がっていた。

ダラリと伸び切った右手は同じ様に赤黒く濡れていて地面に色を付けている。

何が起きたのか。

理解出来ぬ筈が無い。

見慣れた光景なのだ。

嫌でも判る。

判ってしまう。




“可能性としては…”等と冷静な考え方をしていたが現実を目の当たりにすれば如何に自分が甘かったのか理解せずには居られない。

それはあまりに都合の良い可能性を信じた考えで。

冷静だとは言えない。

…いや、そうではないな。

本当はただ、心の何処かで自分を安心させたかったのかもしれない。

自分だけが生き残った。

そんな最悪の現実の実現を否定したくて。

都合の良い事を考えていただけなのだろう。

…何とも情けない話だ。



(…すまぬ、蒲公英っ…)



膝を付き、蒲公英の身体を抱き締めようと屈み込んだ──所で、動きを止める。

今まで気付かなかったが、甘酸っぱい匂いがする。

それはまるで熟した果実を想像させる様な。

酒精の混じった様な。

そういう感じの匂いが。


一旦、蒲公英から離れて、改めて様子を見てみる。

よく見れば蒲公英の胸元はゆっくりと上下している。

つまり、死んではおらず、生きているという事。

自分の早とちりだった事に気付くと恥ずかしくなるが誰も見ていない事が唯一の救いだろうな。

本人も気を失ったままだし自分が喋らなければ世には出る事は無い。

墓まで持っていくぞ。


──と、位置を動いた事で蒲公英の右手の陰に転がる物に気付いた。

右手を伸ばして動かせば、何なのか判る。

“紅熟桃”という果物だ。

しかも、くっきり齧られた跡が残っている。


この“紅熟桃”は名前通り熟さなくては食べられず、まだ若い内は硬い・渋い・苦いという不味さ。

軈て、熟すと実は柔らかく非常に果汁の多い状態へと変わっている。

そのままでも美味しいが、あまりの汁気に身体や服が濡れてしまうので、大体は器に切り分けるか、潰して食べるのが普通。

まるで血塗れになったかの様に見えてしまう程に濃い赤い果汁をしているので、子供達が食べながら遊びに使う事も有る。


因みに、この“紅熟桃”は涼州の一部でしか育たない事でも有名で──馬一族が代々領地としていた場所が産地だったりする。

馬一族が滅亡──はしてはいないが、壊滅的な状態に為った事で、流通が途絶え見なくなってしまった。

曹魏が領地としてからは、再び流通が始まったという話は聞いているが此方には入って来ていない。


そんな、此処には無い筈の“紅熟桃”が有る。

しかも、蒲公英の傍に有る革袋に目が行った。

左手で掴み上げて中を覗き──全てを納得した。

中に五つ以上“紅熟桃”が入っているのだ。

そして、黄忠との会話から推測していた通りであれば蒲公英の相手は馬超。

故郷の果物を手土産として置いて行った。

その可能性は有る。

と言うか、そうでなければ説明が付かないのでな。




それら全てを理解した上で成り立つ状況とは。



(…つまり、あれじゃな…

此奴は儂と同様に負けて、此処に寝かされて…

馬超が傍らに置いて行った“紅熟桃”を寝惚けながら食べてしまった、と…)



それが真に事実だとすれば何とも情けない話じゃが、蒲公英ならば有り得る話。

そう思ってしまう。


取り敢えず、目の前に居る蒲公英を起こしてみれば、はっきりする事じゃろう。

…思わず溜め息が出るのは仕方が無い事じゃな。



「蒲公英、蒲公英っ…

これ、起きんかっ」


「…………っ……ぅ……」



呆れながらも声を掛けて、右手で左肩を揺らす。

小さく揺すった事によって頭が動き、小さくだが息が漏れ出た。

改めて生きている事が判り安心する一方、それは故意ではないのだが揶揄われた様に思えて腹が立つ。

ただ、誰の意図も無いので怒るに怒れないが。



「……ん〜……お姉様ぁ………蒲公英ぉ……もぉ……食べられないってばぁ…」


「…………………噴っ!」


「────ぅ痛ぁあっ!?

何々っ!?──って、あれ?

祭さん?、何で?」



蒲公英の寝言に思わず頭を殴ってしまったが、一応は起きたので良しとしよう。

そして、“何かした?”と疑いの眼差しを向けてくる蒲公英を誤魔化さねば。



「やれやれ…先ずは自分の手と服を見てみんか…」


「手と服?…って、えっ!?

ちょっ、何これぇっ!?」



自分の状態を確認した途端慌て出す蒲公英に向けて、持っている革袋を突き出し手渡すと中を確認する様に頷いて促す。

それに素直に従い蒲公英は革袋の中を覗く。



「あっ、“紅熟桃”だ♪」



一目見ただけで、今までの態度が嘘の様に嬉しそうに笑顔を見せる。

その反応から考えるに。

単に“故郷の果物”という事ではなく、好物なのだと理解出来た。

だからこそ、馬超は此処に置いて行ったのだとも。



(…やれやれ、何処の姉も妹に甘いのは共通か…)



喜んでいる蒲公英を見て、そう胸中で苦笑する。





「…ん?、あれ?、でも、何で蒲公英がこんな格好に為ってるの?」



喜びが一段落したらしく、蒲公英が問題となった話に戻ってくる。

きちんと革袋の口を閉めて大事に傍に置きながら。



「儂が見付けた時には既にその格好じゃったぞ

大方、匂いに釣られ寝惚けながら食ったんじゃろうな

ほれ、それを見てみい」



そう言って顎先で示すと、蒲公英は顔を向ける。

其処には齧られた跡が残る“紅熟桃”が有る。

それを見てから、右手を、胸元を見て──頷く。



「──てへっ♪」


「…まあ、無事なだけで、今は良しとするかのぅ」



誤魔化す様に笑う蒲公英に赦す様な態度を見せる。

これで先程儂が殴った事も流されるからのぅ。



「一応、訊いておくが…

相手は誰じゃった?」


「あ〜…それは……」


「心配は要らん、詳しくは劉備の所の連中には話さん

帰るまでは儂も他の者には話さんと約束しよう」



蒲公英が躊躇っているのは別に立場的に不味いとか、そういう理由ではない。

話によっては自分の存在が火種に為るからだ。

それは宅も、馬超(姉)にも影響する可能性が有る。

そう考えての事だ。

だから、儂も飽く迄も確認としての質問に止める。



「……うん、判った

お姉様──馬超が蒲公英の戦ってた相手だよ…」


「…やはり馬超か…」


「気付いてたの?」


「儂の相手は黄忠でな…

途中、その存在を仄めかす様な事を言っておったわ」


「黄忠って…あの?

うわ〜…そんな人残しとく曹魏って底が見えない…」


「ああ、全くじゃ…」





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