肆拾参
趙雲side──
関羽の言葉で漸く気付く。
この状況の不自然さに。
(…くっ…そういう事か…
我等が曹魏軍を策に嵌めたのではない…
策を逆手に取り、曹魏軍が我等を罠に嵌めたのか…)
此方の誘いを見越した上で部隊を編成し、当ててきたのだとすれば。
今の状況も納得出来る。
…まあ、全てではないが。
鈴々に関しては曹魏側でも想定外の可能性は有る。
ただ、今ならば、そう為る様に仕向けられていた。
そう考えてしまうのは仕方無い事だろう。
底知れぬ曹魏の陰の深さを目の当たりにすればな。
それに、自分の判断等にも問題点は多かった。
兎に角、鈴々を止める事。
それだけを考えていた。
関羽の所に向かっただろうという予想は簡単だった。
だから、余計に状況を見る事を怠ってしまった。
“朱里が居るから大丈夫”という信頼が──違うな。
丸投げにしてしまっていた己の怠慢(甘え)が招いた事だと言えよう。
(…避けられたか?)
そう自問自答してみる。
可能性は………無い、か。
“曹魏への攻撃”を我等が許容した時点で避けられぬ事は確定していた。
そう言ってもいいだろう。
大袈裟ではなく。
大前提を見違えたままで、行動に出てしまった。
その事を、今なら理解する事が出来る。
曹魏を相手に自分達の方が“正しい”等という主張を貫こうとした事。
それが大間違いだった。
我等は最初から“害悪”で“正しさ”など、一欠片も持ち合わせてはいない。
そういう状況だったのだと気付けなかった事こそが、最大の過ちだろう。
(……いや、違うな…
気付けなかったのではなく“気付きたくなかった”が正しいのだろうな…)
嫌でも理解してしまう。
我等は──私は、何処かで己の理想に必死に縋り付き目を逸らし続けた。
前を見ている振りをして、その実は現実を見ない様に逃げていただけ。
懐いていた理想の自分など疾うに存在しない事を。
認めたくなかった。
受け入れられなかった。
信じたくなかった。
ただそれだけだったと。
朱里には、偉そうに励まし“支える”という様な事を言って置きながら。
本当の自分は望まぬ現実を“他人事”の様に見て。
客観視していた。
“これは自分の事ではなく“誰か”の事だ”と。
そんな言い訳をしながら、自分を騙していた。
(…こんな物、笑い話にも出来ぬではないか…)
面白可笑しく。
有る事無い事混ぜ合わせ。
聴く者を惹き付けながらも揶揄い騙す様に。
楽しみながら話す。
そんな、いつもしている筈だった事が出来無い。
虚勢を張る事は得意だ。
上手く演技し己を隠す事も慣れた物だ。
言葉巧みに話題を変えたり話を引き出したり。
遊ぶかの様に巫山戯ながら挑発してみたり。
そういった事が大好きな。
そんな自分が、見詰める。
“所詮は道化か”と。
冷たく蔑み、嘲笑う。
「…さて、どうする?」
「──っ!?」
関羽の声に我に返る。
反応は…全くしなかった、という訳ではない。
反射的な事だった為、隠す事は出来てはいない。
其処は諦めよう。
問題は、関羽が、どの様に受け取ったかだ。
“打開策を模索している”という風に見えていたら、それは十分だろう。
雰囲気に呑まれていた事に気付かれていなければ。
この際、どう思われ様とも構わない。
………いや、出来れば変な方向の印象なのは勘弁して貰いたいのが本音だが。
「…どうするも何も無い
この状況が、我等の劣勢を証明している以上、我等の遣るべき事は一つだ」
虚勢を張る様に。
冷静且つ強気な態度を取り関羽に対して挑発する様な言い方を態とする。
現状、最優先に考えるべき事は朱里の居る本隊だ。
沙和や黄蓋達には悪いが、他の別動隊を囮にしてでも朱里だけは絶対に助け出し守り抜かねば為らない。
今の我等に──劉備軍には朱里は必要不可欠なのだ。
代わりの居る我等武将とは価値が違うのだ。
音々音は居るが…根本的に我等とは違う。
利害が一致している。
それだけの協力関係だ。
朱里が居なくなれば実権を握る事に為るだろう。
そうなれば、彼奴は自分の目的の為だけに動く。
そうさせない為にも朱里は守らなくては為らない。
(…だが、大人しく関羽が退いてくれるとは思えぬ…
一人は此処に残らねば…)
関羽を進ませぬ為に。
だが、何方等が残るか。
それが大きな問題だ。
相手が関羽でなければ私は迷わず鈴々に此処を任せて朱里の元へ向かう。
しかし、此処に鈴々を残す事は危険過ぎる。
一対一となれば、感情的に為り過ぎる鈴々は関羽には勝てないだろう。
けれど、鈴々を朱里の元へ向かわせる事も難しい。
私が命じたとしても、今の鈴々が大人しく従うとは…正直、思えない。
任せても、先程と同じ様に為る未来しか見えない。
朱里の所へ向かわせても、途中で戻って来そうだ。
鈴々らしい“無邪気さ”が今は完全に裏目に出ているとしか言えない。
腹が立つ位にだ。
尤も、それを見越した上で関羽を当ててきたとすれば恐ろしい事だがな。
真偽は定かではない。
(…となれば、最善は我等二人で少しでも早く関羽を倒すしかないか…)
他には無い。
代替案を考える暇も無い。
遣るしか無いのだ。
「…鈴々、お主の気持ちは理解出来無いでもない
だが、今は優先すべき事が有る事を忘れるな?
その上で──二人で迅速に関羽を倒すぞ」
「──っ、……判ったのだ
今は星に従うのだ」
関羽を見据えながら傍らの鈴々に話し掛ける。
逡巡しながらも承諾したが“今は”が気になる。
追及する余裕は無いが。
大人しく従うだけ増しだと考えなくてはな。
意識を切り替えた鈴々が、落ちている蛇矛を拾う為に自分の後ろに下がる。
その間、自分は関羽からは一切目を離さない。
一瞬でも隙を見せたなら、其処を見逃す相手ではない事を知っているから。
鈴々が何事も無く、蛇矛を持って私の隣に立った。
チラッ…と、一瞬だけ。
鈴々の様子を窺う。
気持ちが晴れた、とは先ず言えない横顔だ。
その眼差しは関羽を見詰め続けている。
それでも、関羽を倒す。
その事に集中し始めている状態なのも判った。
取り敢えず、それでは十分としなくてはな。
私は関羽に視線を戻す。
すると、関羽は小さく一つ溜め息を吐いた。
「…判っているとは思うが一応言っておく
お前達が“私を逃がさぬ”のではない
私が“お前達を逃がさぬ”のだという事をな」
「──っ!?」
「──くっ…」
そう言った瞬間だ。
関羽からの圧力が増した。
殺気か闘気は判らない。
両方かもしれない。
だが、そんな事は些細だと思ってしまう程に。
思わず逃げ出したくなる。
それ程に、気圧される。
同時に納得してしまう。
関羽の言う通りだと。
二対一であれば。
如何に曹魏の軍将と言えど此方に勝ち目は多い筈だ。
そう考えていた事その物が大きな間違いだったと。
(二人でなら倒せる?
それ自体が考え違いだ!
完全に嵌められたっ…)
今になり思い出してみると違和感を感じる。
今ならば理解出来る。
鈴々を助けに入った時。
関羽は落ち着いていた。
あの時は戦場であるが故に一対一の状況が続く保証は何処にも無い、と。
そういう心構えでいるからなのだろうと思った。
しかし、そうではない。
あれは、この場から私達を逃がさぬ様にする為。
私達に“勝ち目が有る”と勘違いさせる為。
その為に、態と力を抜いて誘っていたのだと。
それはつまり、此方の内部情報は概ね把握されているという事実にも繋がる。
確かに可能性の域は出ない状態ではあるが。
詳細とまではいかずとも、大きくは知られている。
そう判断してもいい。
いや、抑の話として。
今や既に旧漢王朝の領地は三勢力が分け合っている。
その中でも最大の曹魏。
領地の広さは孫策の陣営も負けてはいないが、飽く迄広さだけの話だ。
人口・経済・軍備。
様々な面で、曹魏の国力は桁違いだと言えよう。
旧漢王朝の比ではない。
そんな曹魏を相手にして、戦いを挑もうとする我等が取る選択肢は一つ。
孫策と組むしかない。
孫策が承諾するか否かは、定かではないが。
それは関係無い。
我等が動いたとすれば。
それは“勝ち目”を見付け出したという証でもある。
力の差が有り過ぎるが故に見失ってしまっていたが、曹魏からすれば単純な話。
予期する事は容易い。
その事が見えなかった。
その時点で既に我等の策は潰える事が決まっていた。
その様に思えてしまう。
だが、それでも、だ。
この策が失敗だとしても。
退く訳にはいかない。
まあ、逃がしてくれるとも思わないがな。
「…鈴々、二人で、だ
絶対に一人で戦うな」
「…っ……判ったのだ」
逡巡しながらも承諾。
鈴々に合わせる事だけなら問題は無いのだが。
そんな真似をしながらでは勝てないのだ。
この関羽にはな。
(…元々、実力は高い
力押しで、駆け引きが雑な鈴々よりも強かった
それは私も同じだが…
関羽の才器は別格だ)
紛れもない、稀代の英傑。
今の世でなくとも、確実に名を歴史に刻んだだろう。
そう言える存在だ。
綺羅星の如く現れる多数の猛者達とは違う。
本物の中の本物。
武人の中の武人。
それ程の才器の持ち主。
だが、それが花開くのかは全く別の話だと言える。
だからこそ、関羽相手にも勝機は有ると考えた。
武人として名を上げる事は武勇の証であり、より多く経験を積んでいる証。
“名を聞かぬ”という事は埋もれてしまっている。
そう考えてしまうのは別に可笑しな事ではない。
そう、よく有る事だ。
ただ、関羽に限れば。
曹魏の方が上手だったと。
そう言わざるを得ない。
関羽の実力を隠し通しての今回の一手だからな。
(…もし、関羽が少しでも表舞台に立って武功を上げ名を知られいたとしたら…
私は鈴々を助けたら直ぐに離脱していただろうな…)
それは当然だと思う。
鈴々の暴走を止められるかどうかは別にしても。
此処までの悪い状況には、為らなかった筈だ。
…いや、それも難しいか。
(…考えても無駄だな
今は目の前の事に集中し、状況を打開しなくては…)
関羽を倒さなくては我等に先は無いのだからな。
考えるべきは関羽に勝つ、その為に遣るべき事。
ただそれだけだ。
「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃあぁっっ!!!!!!」
鈴々が威力を殺してでも、無理矢理に手数を増やした突きを繰り出す。
普通の──官軍の軍将なら全身を突きまくられている様な苛烈な攻撃だ。
だが、関羽は涼し気な顔で捌き・躱し・往なす。
まるで、止まっている物を見ているかの様に。
軽々と、容易くだ。
(鈴々は決して弱くない
技術的には荒いが…
型に嵌まらないだけに中々見極め辛いのだが…
それを完全に見切るか…)
二人の様子を見ながらも、鈴々と入れ替わる様にして関羽へと仕掛ける。
鈴々の放った乱れ突きへと重ねるかの様に。
連続突きをしながら。
攻撃手が変わった事により対応は難しくなる。
蛇矛と槍という違いだけで遣り難くなるのだが。
普通ならば。
関羽は、まるで同じ相手に対するかの様に。
一切動揺する事も無く私の攻撃に対処する。
…本当に同じ人間なのか。
そう思ってしまった自分は可笑しくはないだろう。
少し位は驚いてもくれてもいいではないか。
「──昔よりも、無愛想に為ったのではないか?」
挑発、ではないが。
少し違う方向で仕掛ける。
だが、表情は変わらない。
「敵に対し愛想を振り撒く必要が有るか?」
「ふむ…必要は無いな
だが、お主も女なのだ
愛想の一つ位振り撒いても悪くはないと思うぞ?
その様子では色恋沙汰には縁が無さそうだな」
「縁が無くても構わん
私は既に嫁いだ身だ
故に、他の男に愛想を振り撒く必要も無い」
「──なっ!?、っくっ!?」
挑発したり動揺させるのが狙いだったのだが。
思わぬ反撃を受け冷や汗が流れた。




