肆拾壱
夏侯淵side──
刃が搗ち合う度に鳴り響く短くも甲高い音。
その邂逅を飾り彩るが如く舞い散る火花。
誰一人、他の者は踏み居る事が出来ぬ武踏。
二人だけの舞台。
表情には出さない様にと、気を付けてはいるが。
ついつい口元が緩み勝ちに為ってしまう。
別に姉者と──こうして、姉妹で競い闘う事は初めてという訳ではないのだが。
感情が抑え切れない。
色々と考える事は有るが、兎に角──楽しい。
その一言に尽きる。
個人な事を言えば。
私は蓮華の様に姉に対して劣等感の様な物は無い。
勿論、妹として姉者の事は好きだし、尊敬もする。
ただ、姉者と比べようとは昔から考えていない。
考えた事すらない。
…まあ、負けず嫌いという意味でなら、対抗意識等は有ったかもしれないが。
私は私、姉者は姉者。
その意識は強かった。
しかし、その一方で。
姉妹という事自体に対して無意識に依存していた。
…いや、囚われていた、と言うべきかもしれない。
“大事にし過ぎていた”と言い換えれなくもないが、それは少し違うと思う。
私も、姉者も、多分。
怖かったのだろうな。
繋がりが失われてしまう。
断絶してしまう事が。
母が亡くなった時。
私達は成人はしていたし、武人としての矜持も有って泣く様な事は無かった。
…だが、本当は心の中では泣いていたのだろう。
それは自分でさえも気付く事が無かった様に。
決して誰にも見せなかったというだけで。
幼い子供の様に。
大好きな母との死別を前に泣き喚く事しか出来ずに。
悲涙に景色を染めて。
そうだからこそ。
私達は取り残された様な。
置き去りにされた様な。
そういう恐怖心(気持ち)をずっと心の奥底に懐いて、怯えていたのだろう。
お互いに“姉妹だから”と常々口にしていたのも。
その裏返しなのだろうな。
…強がり、とも言えるか。
自分自身に言い聞かせて、信じ込ませようと。
安心しようとする。
その表れだったのだと。
今に為って解る。
私を、私達を縛り付ける。
姉妹という鎖(絆)。
双子という枷(繋がり)。
それらは尊く、大事だ。
しかし、それに囚われては為らなかった。
それは事実ではある。
だが、それだけなのだ。
私達は最も遠き存在。
親子・兄弟姉妹とは決して人生を共にはしない。
親を看取る事ではない。
兄弟姉妹で互いに助け合う事でもない。
人生を共にするという事。
それは伴侶と成る事。
命を紡ぎ、繋ぐ事。
だから、違うのだ。
各々に、各々の道が有る。
もしかしたら、同じ道へと至るかもしれない。
けれど、それは結果的に。
偶々そうなるだけ。
可能性でしかないのだ。
その過程は、自らが拓き、決めて歩まなくてならない事なのだと。
それを教えられないから。
自ら気付かせる為に。
あの時、母は私達を別々に歩ませたのだと。
漸く、真に理解出来る。
「“高み”を目指す過程で乗り越えなくてはならない“壁”という物が在る
だが、それは人各々だ
気付く気付かないは勿論、自分一人では成せない事も珍しくはない
そして何より挑める機会が限られている事だ
鍛練で身に付ける技術とは根本的に違う
だから、自分が“壁”だと思う物が目の前に現れたら決して逃がすな
その機会は一度きり…
二度も与えられる様な事は無いと覚悟しておけ」
それは雷華様の言葉。
私達に“高み”に至る上で重要となる事だと。
教えて下さった時の物。
あまりにも漠然としていて具体性に欠けている。
だから、仕方が無い事だが何方等かと言えば、私達は自分にとっての“壁”が、何であるか。
それを教えて頂きたい。
そう思いもした。
“早く追い付きたい”と。
焦る気持ちが有った為に。
まあ、雷華様ですから。
その辺りは絶対に教えては下さらなかったですが。
それは当然だと言えます。
“自分で”気付かなくては意味が無い事だから。
そういう物だから。
それは今だから言える事。
理解出来たからこそだ。
此処に至るまでには本当に色々と有った。
焦燥・葛藤・困惑・懊悩。
様々な感情が入り混じって大変だったと言える。
…まあ、それを乗り越えて来られたのも雷華様が居て下さるからなのだが。
雷華様は意地悪だ。
決して“答え”は教えてはくれないのだが。
時に、敢えて、物凄く近い事を仰有る。
私の場合にもそうだ。
私と姉者の関係。
それは、かなり早い段階で指摘され、明確にされた。
当然、“答え”を教えないという指導方法なのだから私は自然と外してしまう。
思考や可能性から。
だが、それが巧妙な罠。
雷華様の意図した通りに、“遠回り”させられた。
しかし、意味は有る。
ある意味で、私は効率的な思考を最優先し勝ちだ。
勿論、それが悪いと言う訳ではないのだが。
何事も効率ばかり優先して考えているとも言える。
“無駄”を省く為に。
“遠回りした”という事は“無駄な事をしていた”と言い換える事も出来る。
その結果を客観的に見た、その過程を上辺だけで見た場合には、だが。
しかし、実際に至ってみて初めて解るのだ。
その“無駄な事”が如何に意味が有るのかが。
心が関係している場合には計算の様な“明確な正解”という物は無い。
つまり、効率的に解く事は困難だと言える。
それを誰かに教えられても意味が薄れるだけ。
意見を聞く事は大事だが、鵜呑みにしてはならない。
理解してこそ、だ。
それは“壁”も同じ。
私にとって、それは簡単に思い至れる事だった。
それだけに、危うい。
簡単過ぎるが故に“壁”の価値を失わせ易い。
自分で可能性を潰す。
それも有り得る事。
そうさせない為の遠回り。
高み(先)に至る為に。
何が足りないのか。
それを考えていた。
漠然とは、感じていた。
けれど、見えなかった。
ある意味、当然だ。
私にとっての“壁”とは、姉者でしかない。
しかし、気付けないのは、遠回りしたからではない。
私達の意識の問題だ。
私が姉者に勝つ。
それは、“結果としては”正しい事だと言える。
間違いではない。
けれど、ただ姉者に勝てば良いという訳ではない。
内容が重要だ。
ただ姉者に勝つだけならば今の私には容易い事だ。
氣を使わずとも、それ位は可能だと断言出来る。
姉者の事を理解しているし相性も有るしな。
多少、驚かされる可能性は有るかもしれないが。
勝ちは揺るがない。
それだけの自信が有る。
しかし、それでは駄目だ。
それでは意味が無い。
私達の二人共が、乗り越え初めて意味を生む。
私は自分の意識だからな。
気付きさえすれば良い。
だが、問題は姉者だ。
一見こういった事に対して私よりも早く、あっさりと気付いていそうだが。
意外と姉者は鈍い。
寧ろ、姉者は寂しがり屋で甘えん坊な面が強い。
普段は出ていないだけで、本質的には私よりも乙女で初だったりする。
だから、姉者に気付かせるという事が難しい。
無意識に話題を避けている気もするしな。
口では“如何に妹でも…”等と言ってはいても。
心の奥底では真逆。
“私達は姉妹だから…”と囚われてしまっている。
…まあ、私自身も偉そうに姉者の事ばかり言えないが気付いた分、増しだろう。
取り敢えず、揶揄い半分に挑発を仕掛けてみた。
主に、姉者の弱い色恋沙汰関連の話を振って。
効果覿面だった。
…姉者を挑発する意味ではなんだがな。
知った気になってはいたが少し離れた間に姉者の方も変わったみたいだ。
ふと、思い出す。
「血が繋がっているから、家族ではない
それは血族というだけだ
家族と血族は別物だと俺は思っている
何より、一番判り易いのが伴侶だからな
伴侶は基本的に他人だ
血が繋がっていても従兄弟従姉妹の関係まで…
兄弟姉妹で、といった事が無かった訳ではないが…
それは稀な事だ
他人同士が人生を共にし、命を紡ぎ、繋いでゆく…
それが“家族”の本質だと俺は考えている」
雷華様の持論。
それは尤もなのだけれど、実は意外と難しい。
人は“慣れる”生き物だ。
慣れしまうと家族としての本質が見えなくなる。
見失ってしまう。
夫婦二人だけの時は出来る事だったとしても。
子供が出来て、親に為ると出来無くなってしまう。
それは珍しくない。
ある意味で、家族の要素が増えた時、効率化を考えてしまうのだろう。
そして、薄れ、失われる。
家庭・仕事・育児…家族の要素は多様だ。
決して、一つではない。
絶対の正解は無い。
故に、常に考え続ける事が大切だと言える。
それは兎も角として。
“姉者に気付かせる”のは中々に大変だった。
…姉者だからな。
──が、どうにかなった。
(…やれやれ…漸くか…)
“最初から、そう言えば”等と思わなくもない。
だが、過程が重要なのだ。
姉者が途中で気付くのならそれが最良なのだから。
…結果は私が誘導した様な物ではあるが。
其処は気にしない。
私の言葉が切っ掛けでも、姉者自身が導き出したなら“姉者の答え”だ。
だが、まだ本番は始まったばかりでしかない。
此処からが重要だ。
激しく刃を交える状態から間を置く様に離れる。
但し、止まりはしない。
移動する事で届かない様に距離を取る。
(…解ってはいた事だが…
我ながら難儀な物だな…)
己が“壁”を前に愚痴る。
それも仕方が無い事だ。
漸く姉者を闘い(舞台)へと上げる事は出来た。
しかし、私は至る為には、高い“壁”だったりする。
勝つだけなら簡単だ。
だが、そうではない。
私は姉者に、真っ向勝負で勝たなくてはならない。
(…まあ、そうでなくては“壁”ではないか…)
不可能ではない。
だが、ギリギリだろう。
冷静に考えれば。
私と姉者の膂力自体の差は思う程ではない。
双子だから、という要因も無くはないが。
別れてからの鍛練の内容が姉者との差を埋めたのだ。
多少は劣るにしても十分に対抗が出来る範囲だ。
ただ、長く剛剣だけを磨き続けてきた姉者に対して、得意な領分で挑むとなれば積み重ねてきた年月の差は確実に影響するだろう。
私自身、剛剣の技量自体は姉者程ではないからな。
しかし、宅にも使い手なら居ない訳ではない。
対峙し、積み重ねた経験は差を埋める事が出来る物。
臆する事は無い。
怯む事は無い。
憂える事は無い。
己の積み重ねてきた全てを純粋に信じ抜く。
それだけで十分だ。
一つ、息を吐く。
あまりにも猛り昂り過ぎて焦燥を生み煽りそうになる気持ちを落ち着かせる。
良い意味での緊張感と。
純粋な闘志は残して。
余計な思考は排除する。
此処からは長引く様な事は無いだろうから。
小さく息を吸い込む。
それと同時に姉者に向けて距離を詰める。
姉者は驚きも焦りも、全く見せる事は無い。
まるで判っていたかの様に姉者も距離を詰めてくる。
(全く、姉者の才は改めて見ても厄介だな!)
恐らくは、戦闘に関しては今の世の中──旧漢王朝の領域に限っての話だが──でも五指に入るだろう。
“その上は?”と訊かれて直ぐに思い付くのが宅なら愛紗と恋、後は孫策位だ。
当然だが、雷華様は論外。
華琳様と蓮華も除く。
三人は別枠だからな。
“たられば”にはなるが、純粋な興味として。
もし姉者が雷華様に指導を受けていたとしたら。
どうなっていたのか。
見てみたいとは思う。
…まあ、その所為で自分が雷華様との縁を失うのなら可能性自体が不要だ。
……姉者も一緒に雷華様の妻となるというのは有りと言えば有りだがな。
いかん、集中せねば。
そう思った、次の瞬間。
「雄雄雄ぉおおぉぉっ!!」
「──くっ!」
打付かり合った刃。
その一撃の重さに、思わず苦悶の声が漏れた。
“この馬鹿力がっ!”と、叫びたくなる。
痺れるまでは行かないが、衝撃は軽くはない。
思考は逸れ掛けてはいたが影響は無い。
それが原因ではない。
差の理由は単純だ。
姉者は思考して戦うよりも本能で動く質だ。
より獣に近いのだ。
それ故に、鼻が利く。
嗅ぎ分けるのだ。
戦闘の流れを。




