6 他愛無い日常
孔融達を連れて戻った日の翌日の朝。
日課と成った鍛練の為に、裏庭へと向かう。
「…三日で四人──いえ、そのまま残っている者達を入れれば七人ね
全く、大した物だわ
この“人誑し”」
そう言いながら左腕を取り隣を歩くのは華琳。
その台詞と行動の共通点は“嫉妬”だろうか。
「お早う御座います」
同じ様に向かっていたのは文挙と子義。
此方に気付くと態々姿勢を正しての挨拶。
もう少し気軽で良いのに、真面目な事だ。
「眼の方はどうだ?」
「御陰様で以前よりも良く見えます
それに何より…色鮮やかに彩られた世界をもう一度、この眼で見られる事が…
本当に嬉しいです」
「そうか」
眩しそうに周囲を見回し、柔らかく微笑む文挙。
幼子の様な屈託の無い姿に此方も自然と笑む。
昨日、此方に戻って直ぐに文挙の眼は治療した。
まだ失明していなかった為然程難しくなかった。
公瑾の時に比べれば俺自身上達してるしな。
特に異常も無くて何より。
「昨日の御挨拶の時はまだ見えませんでしたが…
本当に懐かしいですね」
「ええ、そうね
大体二年振りになるわ」
「…御二人は面識が?」
ふと、思い出した様にして文挙と華琳が笑い合う。
それを見て気になり子義が訊ねている。
子義とは面識は無いのか。
「当時はまだ母君も居られ出入りは時々でしたから、貴女が知らなくても無理は有りません」
「ちょっとした仕事でね
一度だけ会う機会が有っただけの事よ」
「ああ…“だから”か」
二人の会話で納得。
そういう経緯だった訳か。
「…何の事ですか?」
しかし、子義は俺の言葉が今一理解出来無い様子で、小首を傾げながら訊ねる。
「真名と字の使い方だ
曹家内では浸透した考え方ではあるが…
“外”では珍しいからな
御前達の──文挙の方針は華琳の影響だった訳だ」
「仰有る通りです
以前、御会いした際に話を御聞きして見習う様に」
「そして、それを私に示し教えたのは貴男…
つまり貴方達の縁も必然と呼べるわね」
「…成る程」
華琳の言葉に頷き納得する子義だが…良いのか。
結構、ツッコミ所が満載な気がするぞ、俺は。
文挙も似た様な意見らしく小さく苦笑している。
華琳は揶揄い半分な様で、実に“良い”笑顔だ。
(まあ、その内に判るか)
“弄れる”のも今の内なら俺も楽しむとしよう。
紀霊side──
子和様に救われ、曹家へと臣従して二日。
色々と驚く事が多い。
中でも意外──いや、逆に必然とさえ言えるだろう。
彼女との再会は。
「漢升とは客将時代に?」
「そうなりますね
当時──と言っても三年は経って居ませんが…
益州の東から荊州の西──つまり州の境を往き来する賊の一団が居まして…」
そう言い私を見る黄忠──紫苑の視線が続きを促す。
「私が州牧の命で討伐しに出向いた際に…
こういう形で再び会うとは思っても見ませんでした」
子和様に説明し、紫苑へと顔を向けるとお互いに顔を見合せ苦笑。
まさか、二人共命を救われ臣従する事になるとは。
“心”惹かれるとは。
縁とは判らない物だ。
「賊討伐、ねぇ…」
そんな事を考えていると、子和様が静かに呟きながら俯き何かを考え始める。
何事かと紫苑と目を合せて再び子和様を見る。
「何か気になる事が?」
紫苑が訊ねると少し躊躇う様にしながら子和様は顔を上げ私達を見る。
「んー…まあ、ちょっとな
少し訊くが、皆には内容は話さない様に頼む」
「構いませんが…」
私は華琳様の事が頭に有り紫苑にも意見を訊ねる様に視線を送る。
「はぁ…“いつも”の事と思って宜しいのですか?」
「いや、そっちじゃない
今はまだ単なる“憶測”の域を出ない事だ」
子和様の言葉に考え込む。
“今は”と言う事は後々に問題になる可能性が有ると言う事だろう。
それなのに秘密にするのは後手に成りそうだけど。
子和様にも“何か”考えが有っての事なら私は素直に従うだけ。
──と、不意に頭を撫でる感触に我に返る。
微笑みを浮かべた子和様と目が合う。
「心配するな
後手を踏むつもりは無い
万が一にも、そうなったら“後の先”を取るだけだ」
言い切る子和様の言葉には虚勢や慢心は無い。
単純に、当然の様に最善を尽くすだけ。
そういう事なのだろう。
「…判りました
私に答えられる事でしたらどの様な事でも御遠慮無く御訊き下さい」
「私も同じです
何でしたら──閨の中でも構いませんよ?」
「訊きたいのは──」
紫苑の誘惑?を気にもせず話を続けられる子和様。
紫苑も紫苑で全く気にする様子も見せない。
これも“いつも”通りかと思うと苦笑してしまう。
けれど、この雰囲気は私を“温かく”包み込む。
──side out
満寵side──
曹家に仕える事になって、私の生活は変わった。
当然と言えば当然だけど。
子和様の話だと将来的には私は“軍将”を担う立場になるそうです。
…私で大丈夫なのかな。
少なからず不安は有る。
でも、それ以上に此処での日々は楽しい。
まだ四日目だけれど今迄の生活と違って自身を磨き、上を目指す事が嬉しい。
勿論、荀家での生活が不満だった事は無い。
明花様の御手伝いや補佐をしながら色々と学ぶ機会が多くて為になった。
ただ、それを活かす機会は少なかった。
不満と言うよりは私自身を試す場が無い事が当たり前だったから“何も”感じる事が無かった様です。
だから──
「脇が甘ぁーいっ♪」
「ひゃあっ!?」
ちょっと考え込んで出来た隙を突かれ背後から脇腹を子和様の両手が擽る。
「んんっ…くぅっ…しっ…子和、様ぁ…だ、駄目…
…優…しく、し…てぇ…」
擽ったいが、逃げ出す為に恥ずかしさに耐えながら、“演技”を行う。
“こう”すれば多少の隙が出来ると教わった。
「……華琳の入れ知恵か」
「…ふ…ぅん、ぁんっ…
…ちょっ…ちょっ、とぉ…し、子和様ぁ、んんっ…」
ボソッ…と耳元で情報源の華琳様を言い当てた途端に両手の動きが変わる。
それまでの単純且つ乱雑な擽りから、何処か優し気な静かな擽り方に。
(隙が出来る筈では…)
華琳様は“体験談”だと、仰有っていたのに。
「…伯寧、覚えておけ
人は“穢れ”ながら学び、成長していくものだ…」
「ど、どうんっ…ゆうぅ…意味っ、です…かぁ?…」
何とか脱出しようとしても力では無理。
ならばと“手立て”を考え様とはするのだが、思考が正面に出来無い。
大笑いする感じの“感覚”ではなくて、焦らされつつ羞恥心を掻き立てられて、少しだけ“気持ち良い”と感じてしまう。
「失敗や敗北から学ぶ事で次へ、先へと繋げる…
つまり──“過去”の手が通じる程、俺は甘くないと言う事だ
そーれっ、それそれー♪」
「ひゃあっ!?、ちょっ──だ、駄目っ、んんっ!?
し、子和っ、様っ、まっ、参り、ましんっ、たぁっ」
「んー?、聞こえないなー
“誰か”の手段を鵜呑みにしてる様じゃ終わんないと思うぞー♪」
「ぅんっ、す、みぁんっ、すみ、ませぇんん〜〜っ」
──教訓。
人真似は所詮は真似事。
自分で考えましょう。
──side out
荀或side──
子和様が御母様に会われて引き入れた事は不思議では無かった。
寧ろ、当然だと思う。
今でこそ、官職には就いていないが御母様は優秀。
これまでにも多くの仕官の話は来ていた。
けれど、その全てを断り、商家としての仕事に専念をしていた。
だから、今回も“助力”は得られても臣従する事など有り得ないと思っていた。
でも、結果は違った。
御母様が臣従した。
その事は御母様の側仕えをしていた鈴萌からも確認を取ったし本当だろう。
…子和様が、そんな嘘など吐くとも思えないし。
だから、驚いた事は確か。
でも、自分も魅せられたのだから似た者同士。
御母様も子和様を見初めて決めたのだと思う。
「…桂花、貴女の番よ?」
「──っ!?
も、申し訳有りません」
華琳様に声を掛けられて、思考に没頭していた自分に漸く気付いた。
「私より相手に対して礼を欠いてるわ
考え事をするなとは流石に言わないけれど…
“雑念”は禁物よ」
「…はい
結様、申し訳有りません」
「私なら大丈夫です
御気になさらずに」
「有難う御座います」
対面に座る結様に一礼して卓上の盤面を見る。
“将棋”と言う物だそうで子和様曰く“遊戯”に使う“玩具”との事。
しかし、実際に打って見て判る事も有る。
中々に奥が深い。
因みに、隣の卓では冥琳と泉里が“象棋”と言う似た物を打っている。
其方らも奥が深い。
駒や盤面・条件が違うので何方らが、とは言えないが優れた戦術学習道具だ。
とても“遊戯”や“玩具”とは言えない。
それは多分、私だけでなく曹家の軍師一同の意見。
それ故に、子和様に対して“一体、何者なのか?”と畏怖を抱いてしまった私は可笑しく無い筈だ。
ただ同時に他の皆と同様に“子和様だから”と思って納得している自分も居る。
華琳様にも子和様の事は、“深く考えたら負けよ”と言われたし。
本当に…謎の多い方だ。
「──あら?、鈴萌ったら捕まったみたいね」
華琳様の声に私──私達は思考を一時中断して武術の鍛練をしている皆の方へと顔を向ける。
其処には子和様に捕まり、擽られている鈴萌。
流石に声までは此方に届く事は無い。
ただ、理解は出来る。
(…解るわよ、鈴萌
地味に辛いのよね…)
同じ感想を抱いた面々が、静かに同情して頷いた。
──side out
鍛練を終えて、皆が各々の仕事に向かうと“暇人”と化してしまう俺。
「仕事なら“幾ら”でも、作ってあげるわよ?」
「御免なさい
間に合ってます」
速攻で華琳に謝る。
面倒なのも少なからず有る訳だが今はまだ“矢面”に立つには早い。
“裏方”が出来無くなる。
「貴男のたっての希望で、自由にさせているのよ
本当なら今直ぐにでも私と政務を担って貰う──」
「──華琳」
「──何、んっ…」
“説教”が始まりそうだと感じて華琳の唇を奪う。
そのまま軽く抱き寄せる。
唇を離すと至近距離に有る青の双眸が睨み付ける。
怒りは拗ね程度に下がった様で一安心。
「…ずるいわよ…」
「“確信犯”だからな」
そう言って、もう一度唇を重ね合う。
今度は華琳の方から。
それで“御相子様”だ。
「指導や献策・提案なら、幾らでもする…
だが、表立っては──」
「──時期尚早ね?」
一を聞いて十を知る…より打てば響く、がしっくりと来るだろうな。
「そういう事、それに…」
「…これは“私”が始めた“戦い”、でしょ?
貴男に“受け渡す”には、まだ早いものね」
「“引き継ぐ”にしても、まだ先の事だからな」
孰れは──妊娠・出産する頃が目安だろう。
“産休”を機に…ってOLみたいだな。
「まあ、街の造り方とかは渡した“あれ”で十分だと思うんだが…」
「ええ、そうね…
実際に住んでも居ないのに良く彼処まで見抜けるわ
的確過ぎて怖い位よ?」
態とらしく怖がって見せ、揶揄ってくる。
“仕返し”のつもりか。
…畜生、可愛いな。
「想定した中から該当する物を選んだだけだ
大した事じゃ──あ…」
つい、誤魔化す事に意識が行って口を滑らせた。
気付いた時には“獲物”を見付けた“猛獣”が双眸を輝かせている。
「雷華」
「…どうした?」
判っていて、しらを切って誤魔化そうと試みる。
「出しなさい」
──だが、一刀両断。
直球で三振──いや、寧ろ打たされたか。
「…はぁ…判ったよ」
諦めて“影”から、方策を記した巻物を取り出して、華琳に手渡す。
受け取り、嬉しそうに笑う華琳を見て熟思う。
惚れた弱みだな、と。