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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
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       参拾玖


至近距離で打付かり有った二矢は弾き合う事は無く、その場で砕け散る。

其処に突っ込む形となる為僅かに顔を逸らしながら、左肩に埋める様にして伏せ当たらない様に回避する。

この瞬間、黄忠から視線を切ってしまう事になるが、致し方の無い事。

万が一、破片が目に入れば視界を奪われるのだ。

弓士にとって視力は要。

故に守る事を優先するのは可笑しな事ではない。


それは一瞬の事。

直ぐ様顔を上げ、黄忠へと視線を戻す。

回避は困難だった状況。

その結末を確認するまでは終わりではないのだから。



「──っ!!」



視界に映った黄忠の姿に、何度目になるのか判らない驚きを与えられる。


逃げ場が無かった状況。

しかし、弾いた中央の矢が消えた事で隙間が出来た。

とは言え、それは小さい。

子供なら兎も角、大人では潜り抜けるのは至難。

…季衣や明命・蒲公英なら出来るだろうがな。

一般的な基準の体格をした大人には不可能だ。

その中で黄忠は女としては長身に入る。

加えて、あの豊満な身体。

難易度は更に上がる。


だが、それを可能にした。

自ら後ろに跳び退く。

仰向けになる様に仰け反り身体を倒しながら。

そうする事で、矢の間隔が開く距離を稼ぎ出す。

至近距離では間隔は狭く、回避は難しくても。

少し距離を置くだけで矢の間隔は拡がる。

其処までを計算に入れて、狙い射つのが多射だ。

故に、間隔が開いてしまう事は避けられない。

──そうは言ってもだ。

簡単な事ではない。

読み間違えれば致命的。

いや、終わるのだからな。

それを遣れる度胸だけでも称賛に値するだろう。

しっかりと地に足を着いた状態だからこそ出来た事。

先を見ていた証。


その上に、だ。

黄忠は身体を捻っている。

単に身体を反らすだけでは僅かに拡がった隙間を潜り抜ける事は出来無い。

より具体的に言うとじゃ、邪魔なんじゃよ。

女としての武器が、のぅ。

其処を補う為の捻り。

身体を捻る事で小さくとも潜り抜けられる様にする。

それに加えて、視界的にも地面が見える。

これは着地するだけでなく回避すると同時に着地から次へと繋げる為にも有効。

諦めてはいない証。


全て、無駄が無い。

ギリギリの所では有るが、しっかりと考えられている黄忠の一連の動作。

“咄嗟の対応”と言うには見事過ぎる流動。

余程、一対一や近接戦闘に慣れていなくて無理だ。

底の深さを窺わせる。


残った四矢が黄忠の身体を掠めて飛び去って行く。

僅かに触れ、衣服を裂くが身体には届かない。

それが精一杯の成果。

その皮膚に掠り傷を付ける事ですら儘ならない。


──それ故に、面白い。


限界を超えて尚。

その先を見せてくれる。

その先に導いてくれる。

一人では届かぬ高みへ。

互いを引き上げる。

正しく、相乗効果。


風が火を煽り、猛る様に。

互いに互いを猛らせる。




着地した黄忠は直ぐに地を蹴って走り出す。

此方も止まる事無く追う。


矢は、互いに番えない。

──否、番えられない。



(…仕切り直しか…)



今の攻防で有利だったのが同条件に為ってしまった。

互いに残りは二射。

ただ、こうなってしまうと駆け引きは無駄。

無意味ではないが、勝敗に直結する程ではない。

この先は純粋に“強さ”が全てとなる領域。

小細工をしても自ら無駄を増やすだけ。

そういう闘いになる。



(…通常であれば、此処は後手を狙う場面じゃな…)



次の一射が勝敗を分ける。

その上で後手が有利なのは確かだと言える。

相手の一射を躱すか凌げば自分は二射を残す。

連射で勝負をすれば容易く決められるのだ。

勿論、出来無ければ自分は一射分を無駄に費やすか、一気に劣勢になるがのぅ。


此処まで来れば、大博打に出ても構わない。

そういう状況でもある。

故に判断に悩む所だ。


──が、その必要は無い。

単純に初志貫徹。

攻め貫いて、勝つ。

それだけなのだからな。



(…くくっ、惜しいのぅ…

これ程終わってしまう事が惜しい闘いは無かったわ…

叶うならば、まだまだ闘り続けたい所じゃ…)



戦い、闘い、試合、死合い──あらゆる勝負は。

勝ってこそ、歓喜を得る。

成長、その為の糧、という意味では負けから得る物も少なくはない。

だが、その殆んどは勝敗が決する事が大前提。


それに対し、今はどうか。

これ程までに終わらぬ事を望む闘いが有ろうか。

いつまでも。

いつまででも。

全く、飽きる事無く、闘り続けられる自信が有る。


それは童心に返る様に。

時が経つ事すらも忘れて、遊ぶ事に没頭していた頃の楽しさの様に。

無我夢中で。

ただ目の前に在る事だけを追い掛ける様に。

続けていたいと思う。


けれど、終わりは来る。

終わらせなくてならない。

もう、子供ではないのだ。

背負う存在(もの)が有る。

それが、大人に成る事だ。



(これが儂の奥の手じゃ…

黄忠よ、受けてみよっ!)



今までより前傾姿勢と為り走る速度を上げる。

黄忠を追い越す様に。

だが、接近するのではなく距離は一定を保つ。

黄忠よりも僅かに前に出る格好ではあるが。

並走状態にする。

儂から見て右側に黄忠。

初手とは逆の位置取り。

まあ、黄忠の時の様に縦に近い形に並ぶ事は無いとは思うがのぅ。


互いに一挙手一投足。

僅かな変化も見逃さぬ様に目を凝らしているのだ。

縦には並べない。

前に出れば背後が死角に。

後ろに付けば相手の身体が邪魔で死角に為る。

死角を利用するのであれば何方等も有効ではある。

だが、今は死角を作っても活かし切る射撃数(時間)が残ってはいない。

そういった理由も有るが。

狙いは違う。




黄忠を見ながら視界の端に進路上の景色を捉える。

足場・障害物・遮蔽物。

そういった部分に問題無い事を確認し──動く。


右足を着地した瞬間。

意図的に膝を使い、身体を深く沈み込ませる。

勿論、速度に影響が出ては意味が無い。

“咄嗟の機転”ではない。

繰り返し、身に付けた。

純然たる技術。

一か八かの賭けではない。

自信に裏打ちされた計算。


それ故に、読み切れない。



「──っ!」



黄忠の表情が強張る。

傍目には体勢を崩した様に見える事だろう。

だが、“この大事な場面で此処まで攻め合った相手が簡単に体勢を崩すか?”と疑問を懐くだろう。

それは一瞬かもしれない。

その思考を即座に放棄し、切り替えてくる事だろう。

それで構わない。

それで十分だ。

考えてくれるだけで。


此方は望む時間を手にする事が出来たのだから。



「────っ!?」



黄忠が気付いた。

しかし、既に遅い。


右足は深く沈んだ後、前に低く身体を跳ばす。

同時に身体を黄忠に向けて右に素早く捻る。

この時、身体を深く沈めた事により、箙に入っている矢が宙に浮き上がった。

偶然ではない。

これは意図した結果だ。

浮いた分、箙から抜き取る際に要する時間は縮む。

加えて、右に身体を捻った状態では、矢は番えるのに最短の場所に来る。

そういう風に研鑽を重ねて磨き上げたのだ。

此処で失敗などしない。


掴み、番えた数は十五矢。

多射では一矢増えるだけで制御を失ってしまう。

一回きりの偶然(奇跡)を。

期待などしない。

繰り返し、繰り返し。

地道に積み重ねて、漸く。

技へと昇華する。

それが弓術なのだ。

都合の良い“底力”とか、“覚醒”の展開は無い。


だが、昇華は有る。

今までは不可能でも。

今、この瞬間に。

“今までの自分(限界)”を超えて、至れるなら。

それは正しく昇華だ。


極限まで集中する。

指先だけではない。

全身、余す所無く。

髪の先までもが触覚を持ち感じ取る様に。

弓も、弦も、矢も。

全てが己が身体の一部だと感じる程に。

この一射に注ぎ込む。


黄忠が気付いた時。

既に全てが整っている。

最短最速の多射。

自らが得意とする技を。

更に更にと磨き上げて。

己の限界を超えて。

今、此処に成そう。



「──破あぁああぁっ!!」



右手が矢を離す。

弓が撓り弦を抱き寄せる。

弦が矢を射ち放つ。


空いた右手は休まない。

即座に箙へと伸びる。

最後の一矢を掴む為に。


黄忠に向かう矢の群れ。

速さと精度。

それだけを重視した一射。

射ち墜とされても良い。

回避されても良い。


鉄鏃の矢は残り四矢。

一矢は最後の為に残した。

木鏃の矢が十一矢。

二つの箙の中に矢は無い。

文字通り、最後だ。

この一射に全てを費やし、攻め貫いて──勝つ。

射抜いて魅せよう。

勝利という未来を。




右足の裏を使い地面を滑る様にして黄忠は減速。

無理矢理に停止をしたり、方向転換はしない。

体勢を崩すからだ。

勿論、足場の状態が違えば滑らせる事も出来無いが。


減速した事で出来る時間。

それを使って黄忠は箙から矢を掴み取り、番える。

迎撃するだけの時間は十分得られる距離だった。

それだけに、僅かな反応の遅れは致命的になる。

加えて、矢の総数だ。

普通であれば、己の敗北を悟っている所だろう。


だが、相手は黄忠だ。

諦めはしない。


左足で着地しながら体勢を崩さぬ様にし、掴み取った最後の鉄鏃の一矢を番え、黄忠へと狙いを定める。


視界の中、黄忠は手にした矢を射ち放った。

鉄鏃の矢が、十一矢。

それが黄忠の最大数か。

素直に大した物だと思う。

多射を身に付け、磨くのに費やし歳月は自分に比べて少ないのは確かだ。

それでも、此処まで黄忠は上って来たのだ。

後、一年──いや、半年。

それだけ有れば間違い無く多射で自分を追い抜く事が出来るだろう。

勿論、儂が現状維持のままという場合の話じゃが。

それだけの才器を持った、稀代の弓士なのは確かだ。


それ故に、名残惜しい。

同条件──矢の種類も数も同じ状態で始められれば、もっと面白くなっていたと儂は断言出来るぞ。

内容は当然の事ではあるが勝敗も違ったかもしれん。


黄忠の射た十一矢。

矢自体の強度や威力の差で儂の射た十四矢は黄忠には届かずに墜とされる。

ただ、相殺が精一杯。

黄忠の矢は儂を掠める事も出来ずに終わる。


残すは互いに一射ずつ。

既に構え終えている此方を見据えながら、黄忠もまた己の磨き上げた得意とする技で魅せよる。

神速と称しても良い。

一矢に限れば、その速さは儂には真似出来ん。

“早射ち”勝負であれば、黄忠の勝ちじゃろう。


だが、残念ながら。

この勝負は儂の勝ちじゃ。




互いの視線の重なる中。

その視線上に、突如として矢が姿を現す。



「──っ!?」



黄忠が目を見開く。

木々の葉の間から差し込む陽光が、その姿を照らす。

全てが黒く塗り潰された、先程までの使った矢よりも五分の一程短い鉄鏃の矢。

それが迫っていた。


“陰矢”と呼ばれる物で、大体は暗殺や夜間の奇襲に用いられる。

それを短くする事によって他の矢の影に紛れ込ませ、潜ませる様にして使うのが儂の奥の手じゃ。

…好ましくはないがのぅ。

全てを出さねばならん以上拘ってはおれん。

岩場では使えなかったのは見え易いからじゃ。

抑、“陰矢”自体一矢しか持っとらんかったしのぅ。



黄忠は番えていた矢を射ち“陰矢”は軌道を外されて黄忠の足下に刺さる。


黄忠は此方を見詰めたまま弓を静かに下げた。

これは、十射勝負。

黄忠は射ち終えたのだ。

少々姑息な手段だったが、駆け引きは儂の勝ち。

これで──決着じゃ。


佇む黄忠を狙い番えていた矢を射放つ。


──正に、その瞬間。

左肩を痛みが襲った。


右手から離れた矢は黄忠に掠りもせず飛び去る。


何が起きたのか。

顔を向ければ左肩には矢が刺さってた。

それはまるで、粗真上から射抜かれた様に。



(……っ、そういう事か…

…くっ…ははっ…黄忠め…

遣ってくれおったのぅ…)



番えるは、一射目。

射るは、十射目。

視界からも、意識からも、巧妙に隠し通されていた。

“天弓の十一射目”という訳じゃな。


首に走る優しい衝撃。

薄れゆく意識の中。

心から讃えよう。

汝、“天弓”也。



──side out。



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