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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
718/915

       参拾捌


距離を詰める事。

それだけでも意味が有る。

黄忠が距離を開ける動きを見せれば、自ら誘いだった事を白状するのと同じ。

選択肢を大きく減らせる。

超近距離射撃だった場合、鉄鏃を使っていれば黄忠が木鏃の場合は此方が勝り、其処で勝負有り。

何方等の意味も大きい。


それを黄忠も理解しているからこそ、退かない。

一瞬、動揺を覗かせたが、全く怯んではいない。

──否、怯む筈が無い。



(運命とは判らぬなっ!)



この様な場面で怯むなど、勿体無さ過ぎるわ。

楽しまずして、どうする。


猛る闘志(熱)は炎の如く、彼我を懐き、祝福する。

猛よ!、勇よ!、武よ!、命を燃やせ!、と。

我等の魂魄を染め上げる。

鼓動を奏曲に舞闘を刻む。

縁が繋ぎ、紡ぐ、宿闘を。

天へと示し、魅せよう。

我等の生き様を。



(行くぞ、黄忠よっ!)



互いに接近する中。

此方から仕掛ける。

射撃回数を考える必要など最初から無かったのだ。

一射必勝。

その意気で臨まねば、望む勝利は得られない。

故に、惜しみはしない。

存分に、くれてやろう。


弦を引き絞り、番えた矢を黄忠に向けて射ち放つ。

放った十矢は各々が意思を持っているかの様に、上下左右に蛇の様に揺れ動く。

これは“蛇撃”と呼ばれる想像上でしかなかった技。

其処では“生きているかの様に蛇行する”のだが。

流石に、それは難しい。

多少の蛇行は一矢でなら、可能ではあるが。

実は狙った的に当てるのが非常に難しかったりする。

偶然でも当たれば奇跡。

それ程に制御が至難。

故に、曲芸扱いの技術。

だが、近距離からであれば相手を動揺させられるし、命中率にしても関係無い。

加えて、制御不能な分だけ射った自分でも矢の軌道は予想出来無い。

其処が逆に強みになる。



「──っ!!」



それを見た黄忠は予想通り驚きを露にした。

その道の者には“蛇撃”はそれなりに有名だ。

他の武術よりも技法の幅が狭い事も一因だが。

真剣に弓術を追求する者は触れる事だったりする。

黄忠とて知らぬ事ではなく恐らくは一度は試みた事が有るだろう。

可能不可能は兎も角として“遣ってみようか…”と。

好奇心程度で。

もしかしたら、黄忠もまた出来るのかもしれんが。

それは定かではない。

まあ、出来たら出来たで、“此処で使うか!”という感じで、驚いているのかもしれないがな。


それだけではない。

儂が射た十矢の飛翔速度がバラバラだったりする。

それは弓士の常識としては有り得ない事でもある。


多射を会得する過程の上で“同時に射つ”様に修練し身に付けて行くのだが。

矢を番える弦の位置により伝わる力の強弱が出るのは仕方の無い事だ。

元々、弓も矢も多射用には造られてはいない物だし、考えられてもいない。

そう為って当然。

その当然を、修練によって真逆の当然へと変える。

それが普通だ。




故に、困惑するだろう。

技術的な事だけではない。

十矢が、別々に射った様に迫ってくるのだ。

“蛇撃”と合わせれば更に予測・回避は難しい。

しかも、鉄鏃の矢だ。

迎撃するしかない。

同じ鉄鏃の矢を使って。


自分が黄忠の立場ならば、他の選択肢は無い。

此処で直剣で弾いたなら、勝負は──闘いは終わる。

その後は単なる殺し合い、戦いに為ってしまう。

弓で弾く、という選択肢も無くはないが──その間に儂が詰めてしまう。

当然、超近距離射撃による攻防には対応出来ん。

よって、射つしかない。


そんな状況の中で、黄忠は顔を顰めながら──



「──なっ!?」



黄忠の取った行動を見て、儂は思わず声を上げた。

それは当然の反応だろう。

黄忠は儂の予想を超えた。


番えていた矢──見た限り鉄鏃だっただろう、五矢を黄忠は手離した。

射たのではない。

自ら棄てたのだ。

決め手としては有利となる鉄鏃を、五矢もだ。

驚かぬ筈が無い。


その黄忠は超近距離射撃を行うかの様に回転しながら新たに矢を掴み、番えた。

そして、射放つ。



「──っ!!」



それを見て、再び驚く。

黄忠が射ったのは十六矢。

しかも、木鏃の矢だ。

多射を得意とする自分でも十三矢が限界。

それ以上は不可能。

正面に飛ばす事も出来ず、とても使えた物ではない。

それを超える十六矢。

驚かない訳が無い。

思わず“飛ばせるのか?”と疑問に思う程だ。

身を持って知っている故に不可能だと思ってしまう。


その一方で、僅かにだが、期待も懐いている。

不可能が可能に為る瞬間を垣間見れるのか、と。


だが、其処で終わらない。

驚愕は更に続く。

黄忠の射た十六矢は、儂の考えていた通り、正面には飛ばせなかった。

弓を使った事の有る者なら一度は経験した覚えが有る事だとは思う。

弦から弾かれる様に矢が、びよんっ、と宙を舞う。

射るとは言えない。

完全な失敗、その典型。

黄忠の射た十六矢は空中に撒き散らされた様に広がり──儂の十矢の進路を塞ぐ様に遮ったのだ。


まるで、空中に蜘蛛の巣を広げるかの様に。

儂の矢を絡め取る。


確かに鉄鏃の矢を正面から射墜とすには、鉄鏃でしか対応は難しい。

五矢以下であれば黄忠なら木鏃でも相殺出来る筈。

だが、六矢以上なら黄忠も至難だろう。

そう考えていた。

そう、正面からは、だ。



(遣ってくれるわ!)



他の武器・武術とは違う。

“鍔迫り合い”は弓術には存在しない。

それは間違いではない。

だが、儂等の域に達すれば“射墜とす”事が、それに該当するのだろう。

故に無意識下で“それ”が当然だと思っていた。

そうする事が当然だと。

勝手に思い込んでいた。

だから仕方が無い。




ただ、それ以上にだ。

黄忠の遣った事は意図的な失射ではない。

失射自体を御している。

意図的に失射する事だけは儂でも可能じゃ。

しかし、相手の矢の進路を塞ぐ様に失射した矢を広げ一手で防御を──となるとかなり難しい。

偶然任せで半分に出来れば上出来とさえ言えよう。

それを全て黄忠は意図的に遣って見せたのだ。

称賛する以外に無い。


しかし、それはそれ。

闘いは終わってはいない。

止まってもいない。

超近距離射撃の射程まで、残り僅かという距離。

移動を止めた黄忠は直ぐに動き出したいだろう。

だが、その猶予は無い。

与えはしない。

既に番えた木鏃、五矢。

それを、射放つ。


これまでに見た回避方法等全てを考慮して。

上下左右と中央。

菱形の五点射撃。

左右に伏せて躱したなら、その時点で詰む。

左右に跳んで躱しても次に繋げるには体勢が崩れ過ぎ直ぐに動けない。

抑、近距離故に反応出来る猶予は殆んど無い。

箙から矢を掴み、番える。

そんな時間は無いのだ。

──勝った、と。

そう思える状況だ。


しかし、何故だろうな。

まだ、そうは思えない。

“期待などしていない”と言えば嘘に為るだろう。

絶体絶命な状況で。

更に、何かを遣ってくる。

何かを見せてくれる。

そんな気がしてならない。


視界の中、黄忠の眼差しは自分を見据えている。

敗北の予感や悔しさから、睨み付けてはいない。

その双眸が見詰めるのは、己の勝利、それだけだ。

諦めてなどいない。

この状況で尚、闘志を湧き猛らせている。


黄忠が弦を引いた。



「────っ!?」



それを見て寒気がした。

ゾワッ!、と、全身の肌が粟立った。

理性の反応ではない。

本能が感じ取った。


黄忠の引いた弦。

矢は番えられてはいない。

その右手に、矢は無い。

それなのに、だ。

あまりにも綺麗な姿勢に、思わず矢を幻視する。

存在しない筈の矢が。

今にも飛んで来る。

そう思ってしまう。

無意識に身体が反応して、回避しようとした。

それ位に、だ。


しかしだ、今の状況は何も変わってはいない。

その闘志が見せた幻矢は、自分には飛んで来ない。

それ所か、自分の射た矢は今にも黄忠を射抜かんと、迫っているのだ。


“その闘姿、見事だ”と。

心から賛辞を送ろう。


そう考えてしまう。

──普通であればな。


理性は状況は有利と判断。

だが、本能は危機を告ぐ。

何方等を信じるか。

自分もまた猶予の無い中で選択を迫られる。


しかし、迷う必要は無い。

“備え有れば憂い無し”と云うではないか。

勝利を確信し、気を緩める瞬間こそ、最も危険。

致命的な隙が生じる。

相手の死を確認するまでは気を緩めてはならない。

これは試合ではない。

闘い(死合い)なのだから。


右手に鉄鏃を一矢、掴むと番えて構える。


残念だがな、黄忠よ。

儂に油断は一切無いぞ。




しっかりと、黄忠の姿を、腰から上は全て視界に入れ狙いを定める。

必然的に重なる視線。

互いを射抜かんとする眼光は鋭いまま。

終わってはいない。


矢を番えぬ黄忠が此処から何をしてくるのか。

思考する時間は限られる。

故に想像するのは困難。


それでも、だ。

今も尚、儂は黄忠の手元に一矢を幻視(見て)しまう。


──と、その時だった。


視界の中に、影が舞った。

下から上へと。

緩やかに回転をしながら、それは姿を現した。



(──馬鹿なっ!?

何故、“矢”が有るっ?!)



宙を舞うは、一矢。

しかし、黄忠は視界の中で微動だにしていなかった。

左手は弓を、右手は弦を、双眸は自分を。

それを、見ていたのだ。

…瞬きをした間?、いや、そんな筈が無い。

動きが、符合しない。

突如として視界へと現れた矢は下から投げ上げられた様に舞っている。


気になってしまう。

視線が外れてしまう。

危険だと判っていても。

咄嗟に反応してしまう。

視線は黄忠の双眸から外れ矢が現れた下方へ。

黄忠の顔から肩、弓、腕、胸元、腰と舐める様に見て──更に下がる。

そして、行き着く。

黄忠の足元。

右足と、その少し先に有る地面に落ちている矢へ。


その瞬間に理解する。

何が起きたのか。


あの時、黄忠は単純に矢を棄てたのではなかった。

自分には破棄した様に見せ意識の外へと“置いて”、次へと伏せたのだ。

右足に対して、直角に為る格好で横たわる一矢。

その矢の真上に別の一矢が直角に近い形で有るなら。

右足の爪先で踏み込めば、矢は宙へと跳ね上がる。

それは無手で対峙しながら相手に気付かせずに足元に落ちた剣や槍等を回収し、攻撃へと一手で繋ぐ技術。

人質が居る場合等に用いる不意打ちの技だ。

だが、有用なのは確かだ。




此処で仕掛ける度胸よりも応用力に舌を巻く。

柔軟な発想力は勿論だが、各々の技術を深く理解し、活かす事が出来る。

それは口で言う程に容易い事ではない。


ただ、それはそれだ。

其処までは素晴らしい。

しかし、詰めは甘い。

視線を戻せば、再び黄忠と眼差しが打付かる。

視線を外した間に宙を舞う矢を掴み、番え、弦を引き──射放つ。

最低でも四つ。

その四動作をしなくては、黄忠は勝ちに届かない。

弦を引き、構えている分、必要な動作は増えた。

けれど、此方を欺く為には必要な事でも有った。


決して、悪くはない。

寧ろ、素晴らしい組み立てだったと言えよう。

ただ、惜しかった。

本の僅か、足りなかった。

ただそれだけだ。

それだけが勝敗を分けた。


──と、過去に為る筈だ。


それなのに、本能が警鐘を鳴らし続けている。

先程より、けたたましく。


そんな中で、だった。

黄忠の姿──幻だった矢に宙を舞う矢が重なった。


その瞬間、黄忠は射た。


右手が弦を離した。

引き絞られていた弦が解き放たれると共に弓は撓り、元に戻ろうとする弓により弦は引き寄せられる。

その弦は、宙を舞っていた矢の矢筈を狙い撃った様に寸分違わず捉えた。

強くはない、緩やかな回転であったが故に。

矢は弦に逆らわない。

番え、引き絞り、狙って、射た状態と遜色無く。

その一矢は、射放たれた。



「──くっ!」



迫り来る五矢、その中央の矢を弾き飛ばし、自分へと逆に迫って来る。

真っ直ぐではない。

自分の矢は弾いた事により軌道がズレた為、射るには修正を要した。

一瞬の事ではある。

しかし、それだけで相殺が精一杯に為った。




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