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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
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       参拾漆


黄忠は右手を後ろへ回し、箙から矢を抜き取る。

弓に番えるのと同時に。

進行方向に向かって飛ぶ。

勢いを殺さぬ様に低く。

踏み切ると共に身体を左に向かって捻り、追ってくる三矢へと矢を放つ。


三射目は迎撃、か。

まあ、仕方が無いかのぅ。

寧ろ、回避し切られなんだ事に対して安堵するわ。

まだ勝ち目が有る。

そう感じられるからのぅ。


──と、思っていた。

だが、現実は異なる。



「──っ!?」



思わず“何じゃとっ!?”と声が出そうになる。

寸前の所で、意地が、声を呑み込ませたがな。

それ位に意外だった。


黄忠の射た矢の内、一矢が一番近い矢を逸らした。

其処までは、普通。

続けて、二矢目に当たって砕けると、その矢の残骸が三矢目の進路を塞ぐ様にし一矢で三矢を墜とした。


直線上に並んでいるのなら難しくはないだろう。

或いは、動いていなくて、ある程度の大きさが有れば可能な事ではある。

自分も一矢で射墜とす事は出来るだろう。

詳細は違ってもだ。


だが、そうではない。

三矢の間隔は一定ではなく高さも一直線にはならない様に射っている。

普通に射っても、射墜とす事は出来無い。

故に、今の様に、一矢目を逸らすと同時に矢の軌道を変えなくてはならない。

それは非常に難しい。

飛来する矢を射墜とす事は決して難しくはない。

しかし、一矢で連続して、となると難易度は想像より格段に跳ね上がる。

それを、三矢、だ。

確かに黄忠は射撃精度では儂等“三弓”の中では一番だと言われておった。

事実、儂から見ても評価は正しいと思える程じゃ。

二矢までなら、出来る。

直線上なら、三矢も可能。

しかし、今の状況下では、儂には真似出来ん。


そういった事も有るから、驚くのは当然じゃろう。

この様な形で儂の射た矢が射墜とされるとは思っても見なかったしのぅ。

黄忠め、魅せてくれるわ。


しかも、それだけではないのだからな。

儂の矢を射墜としたのは、三射目の内の一矢。

残る矢は今も健在。

儂に向かって来ておる。

──が、回避は容易い。

数は六矢だが、固まる形で纏まって飛んで来る。

なので回避しようと思えば簡単に出来る。

ただ、少々気になる。

只の固め射ち、とは儂には思えんからのぅ。



(…何を狙っておる?…)



今までの攻防から考えても無駄射ちは無い。

其処には何かしらの狙いが存在している筈。

もし、これが普通ならば、儂の三矢を射墜とす為、と考えられるのだが。

其方等は既に終わった事。

つまり、それとは無関係な狙いが有る筈なのだ。


それを確かめる為に敢えて矢に突っ込む様に転進し、動きを観察する。



(…曲射には曲射、か?

いや、それはないか…)



矢の軌道を見れば判る。

曲射ではない。

黄忠が出来る出来無いかは定かではないのだが。

これは曲射ではない。

それだけは確かだろう。




そう考える間にも、矢との距離は詰まる。

回避の為、動こうとする。

まさに、その瞬間。

六矢の軌道が群れの中央へ寄っていくのを見た。

そのままの軌道で行けば、互いに打付かり合った結果墜ちる事に為るだろう。

矢が残る可能性は有るには有るだろうが。

…腑に落ちなかった。



(…射ち損じたか?

いや、如何に人の子だとは言え、あの黄忠じゃ…

この場面で、焦って手元が狂うとは思えん…)



それは本の僅かな思考。

隙と呼ぶには短い時間。

けれど、その僅かな時間が命取りになる。


シュカッ!、と風を切り、一矢が自分の顔を掠めた。



「──っ!!??」



その直後だった。

固まっていた六矢が弾ける様に拡がっていた。

蕾が開いたかの様に。

二対、六枚。

矢の花弁が咲く。



(これが狙いかっ!)



思考は後回しにして、弓に番えた矢を射放つ。

放ったのは木鏃の五矢。

迫る三矢を射墜とす。

──が、終わりではない。

更に続く、矢の群れ。

菊の花の様に。

奥に次の花弁が咲く。

しかも、鉄鏃で、十矢。

それが、真っ直ぐに自分を狙って迫り来る。



(チィッ!…これでは逆に儂の方が一射分を迎撃へと回さねばならんか…)



無駄射ちは避けたい。

だが、回避は難しい。

勝負の条件的にものぅ。

出来れば、鉄鏃は使わずに残して置きたい所じゃが、木鏃では押し負ける。

…仕方が無いのぅ。

多射の弱点は一矢の威力。

そして、近距離での散開が難しいという点だ。

其処を黄忠は突いてきた。

それは、多射という技術を深く理解していれるが故に見えてくる弱点。

それに対しては儂も素直に称賛を送ろう。


右手で鉄鏃を掴み取る。

番える数は──七矢。

それを射ち──その直後に矢を追って走る。



「──っ!?」



それを見た黄忠が驚く。

多射は近距離での散開には本当に弱い。

だが、対処方法は有る。

もし、先の固め射ちを数十という規模で遣られたなら対処は困難。

だが、一対一の上では先ず有り得ない事だ。

精々、連射による数十。

ならば、方法は有る。


黄忠が先程、使って見せた技とは逆の使い方。

矢は、近過ぎれば打付かり合って墜ちてしまう。

黄忠は木鏃を一点に向かう様に射ち、その中央を後で射る鉄鏃を使って射抜いて木鏃の六矢を散開させた。

自分を引き付けて、だ。

巧いとしか言えんわ。


矢を弾き、方向を変える。

“跳撃”という技法。

元々は矢を射墜とす技術が逸らす域にまで昇華され、其処から生じた高等技術の一つである。

一部では“弓術の奥義”と称される事も有る。

これを攻撃に用いたのが、先程の黄忠の攻め。

そして、防御に用いたのが今の儂の一射じゃ。

全てを躱すのは厳しいが、一矢二矢は容易い。


ならば、そうすれば良い。

全てを墜とす必要は無い。

数を減らせば、のぅ。




互いの矢が打付かる中を、儂は潜り抜ける。

途中、二矢を躱す。


そして黄忠との距離を詰め一気に肉薄する。



『────っ!!』



瞬間、擦れ違う二人の間で弾け飛んだのは矢の残骸。

それを視界の端に捉えるが互いに驚きはしない。

浮かぶのは──笑みだ。


超近距離射撃。

遠距離から行うのが普通の射撃ではあるが、肉薄した至近距離からの射撃が無い訳ではない。

ただ、“弓は膂力ではなく姿勢で射る”と言う様に、身体全体を使う。

その為、弓を構えて、矢を番えて、弦を引く。

この動作は一繋ぎだ。

故に、至近距離での、特に速射は不可能とされる。

事前に矢を番え構えたまま接近すれば、と考える者も居るのだろうが。

そんな相手に接近しないし接近させないのが普通だ。

何より、一気に肉薄をして速射に持ち込めなくては、そうする意味が無い。

だから普通は遣らないし、出来る者も居ない。

それだけ、超近距離射撃は至難だと言える。


それを可能とするのは──実は弓の技術ではない。

体術、そして槍──長物を扱う技術だったりする。

弓術が姿勢を重視するのは今更ではあるが、超近距離射撃に必要なのは真逆。

勿論、最低限の姿勢は武の基本として必要だが。

重要なのは回転を使う事。

下半身と上半身。

右半身と左半身。

肩・肘・手首。

股関節・膝・足首。

腰・胸・首。

本来、姿勢によって生じる弓を引く為の力。

それを回転で生み出す。

その場で停止した状態から遣っても至難な技だ。

疾駆しながら、となれば、難易度は跳ね上がる。


その上──多射だ。

互いに使ったのは、木鏃を四矢だったが。

それは早さを重視した為。

相手が違えば、鉄鏃を使う余裕も有ったがな。

今回は無理だった。


左足で地面を穿ち、身体を捻り勢いを殺さずに回転に乗せて右脚を振り抜く。

互いに放つ後ろ回し蹴りが剣の様に搗ち合う。

肉と骨の軋む鈍い音。

脚から響く衝撃。

本来であれば、不快な筈のそれらですらも。

心地好く感じてしまう。


身体越しに重なる視線。

その眼差しが語り合う。

“本当に愉しくて楽しくて仕方が無いっ!”と。


此処まで自分と互角に──否、自分の意識下の全力を越えて、更に先を引き出し合える相手は居ない。

生涯で一人。

出逢えれば、奇跡だ。

そんな相手が目の前に居て闘っている。

しかも、二人で踊る様に。

まるで、示し合わせていたかの様に。

対峙しながらも重なり合う攻防が端々に有るのだ。

心地好くない筈が無い。


それは愚考を誘う。

“もし、共に居たなら”。

互いに背を預けて、戦場に立っていたなら。

そんな事を思わせる。

思わない方が可笑しい。


だが、そうではない。

対峙するからこそ。

叶う事なのだと。

交わる互いの志が叫ぶ。

相対するが故に。

我等は理解し合えると。




互いの右脚を弾く様にして飛び退くと、足を止めずに再び走り出す。

同時に矢を番える。



(やれやれ…策を立てても役に立たなんだな…)



予想を越えるのだ。

仕方が無いだろう。

相手も、自分も。

己の限界を超える高みへと踏み込んでゆく。

この闘いの中で。

互いに成長している。

予想が及ばないのも当然の事だと言えよう。


ただ、時も着実に流れる。

黄忠の一射目からは然程は時間は経っていないが。

全体的には、結構な時間を費やしている。

恐らく、彼方の戦いは既に終わっているか、その寸前辺りだろうな。

…今更焦りはしないが。



(…現状では黄忠は六射、儂が五射、か…

まあ、矢の残数は然程には気にしないが、一射分多い事は大きいか…

油断は出来んがな…)



黄忠の残りは四射。

一射ずつ交互にしていけば最後に勝つのは儂じゃ。

確率的には五割以上。

勿論、そう簡単に行くとは思ってはおらんがな。


“凌げば勝ち”という声が脳裏を掠める。

彼方──皆の事を気にしたからなんじゃろう。

“勝つ事”を最優先にする意識が働いたのは。

決して、悪い事ではない。

──が、望んではおらん。

その様な決着をする位なら最初から一対一の闘いなぞ遣っておらぬからな。

軍対軍の戦いに終始しとるじゃろう。

…まあ、此方等は“軍”と言うよりは“群”じゃが。

……いや、それ以下か。


まあ、兎に角だ。

“凌ぐ”という言葉的には同じではあるが、攻め貫き勝つのが儂の意思。

決して、守勢に回って亀が甲羅に閉じ籠もるかの様な籠城的な勝ち方は望まぬし遣ろうとは思わん。

互いに全てを出し尽くし、その上で勝つ。


それは黄忠にしても同じ。

その証拠に、ほれ。

射撃回数では不利な黄忠が先に仕掛けて来よった。




矢を番えたままで、黄忠は距離を詰めてくる。

再び、超近距離射撃を狙うつもりなのか。

そう思ってしまう。

だが、そんな単純な真似を黄忠が遣る筈が無い。



(…そう見せ掛けておいて此方の射撃を誘い、回数を減らすつもりか?

それとも、此方に警戒させ牽制するのが狙いか?)



可能性としは多くない。

状況が違えば、今よりかは選択肢は増えるが。

それは今は関係無い。


重要なのは、此方の対応。

受けるか、待つか。

先手か、後手か。



(…一射の違いは大きい

──が、それを大事にして縮こまっては無意味…

此処は仕掛けねばな!)



左側の地面を見る。

僅かにだが、傾斜が有る。

そして、乾燥した地表には細かい砂や塵が積もる。

条件としては十分。

向かってくる黄忠に対して左側に跳んで転進すると、両足を地面の上で滑らせる様にしながら弓を構える。



「──っ!」



それを見て、黄忠の表情が僅かにだが揺らいだ。

停止はしていない。

滑っているからだ。

ただ、滑るとは言っても、長い距離ではない。

走れば直ぐの短い距離。

だが、移動はする。

滑るだけだから単調だが、両足を着いている状態では次の動作へは移り易い。

黄忠からすれば狙い射ちはし難い訳だ。


そして、身体は静止する。

走行中と停止。

何方等が弓術には良いか。

それは言うまでもない。

停止している状態の方が、断然良いに決まっている。

精度・威力・速度。

何れも、しっかりと構えて射てる方が良い。


番えるは鉄鏃を十矢。

ある意味、博打だろう。

鉄鏃の残りは僅かに五。

だが、構わない。

この一射には、それだけの価値が有るのだから。




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