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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
716/915

       参拾陸


互いに笑みを浮かべ合う。

交差は一瞬。

ギャリィンッ!!、と甲高く刃鳴りを響かせ、擦れ違う様に入れ替わる。

そのまま止まらずに、再び距離を取って駆け始める。

本気の、今の儂等の闘いに鍔迫り合いは無い。

止まる事自体が己の敗北に直結するのじゃからな。


だが、もしも。

この闘いに“鍔迫り合い”が有るとするならば。

それは目に見えぬ刃による“駆け引き”という名の、攻防の事じゃろう。

“縛り”は有るとは言え、互いに心技体の全てを傾け行われる。

読み、騙し、誘い、欺き、嵌め、穿つ──その全ては勝つ為に。



(…駄目か、これでは…)



胸中で諦める様に呟く。

元より判ってはいた事だ。

だが、自分ならば出来る、問題は無い。

そう思っていた。

しかし、実際にはどうだ。

互いに二射を終えただけ。

それなのに、これだ。

自分でも理解してしまう。

理解出来ぬ筈が無い。



(──抑え切れんわっ!)



感情の解放と共に、自然と口角は深さを増す。

冷静ではいるのだが。

感情的に為らない、という部分は困難と為った。


そう、判っていた事だ。

二度と無いだろう。

この闘いは悔いを残す様な事は有っては為らない。

“縛り”は弓士としての、拘りであり、誇り。

弓士同士だから構わない。

互いが望むが故に。

だからこそ、感情を抑える事が出来無くなる。

楽しくて仕方が無い。

愉しまなくてどうする。

二度と無い闘いだ。

存分に堪能しなくては。


戦い方にしてもそうだ。

“安定”を第一に考えれば感情的に為る事は忌避するべきであろう。

しかし、そうではない。

隙を見せずに、確実に。

そういう闘いも面白いとは思うのだが、長くなる。

現状では実現は至難。

何より、短期決着を望んで提案したのだ。

言い出した張本人が守勢に回るなど有り得ない。

攻め勝ってこそだ。

攻め貫く事に意義が有る。


──となれば、だ。

感情的に為る事は、決して悪い事ではない。

視野・思考が狭く為らない様に気を付ける必要は有るだろうが、感情は攻撃への大きな要因だ。

普段、自力では出せない、“底力(可能性)”を。

引き出してくれる。

目の前の好敵手と共に。



(生意気にも初手を取って攻めて来おったからのぅ…

今度は儂の番じゃ!)



右手で箙から矢を掴み上げ弓に番え、黄忠を狙う。

番えた矢は八矢。

それを迷わず、射放つ。


手元を離れる瞬間は一音。

しかし、自分から遠ざかる程に風切り音は増える。

瞬く間に八音が響く。


対して、黄忠は速度を上げ振り切る方法を選択。

迎撃する事は容易い。

しかし、勝負上では制限は無いとしても、矢の数には当然の様に限りが有る。

今の我等には矢を補充する術は無いのだからな。

互いに矢は潰し合っている事も有る。

故に無駄使いを避ける事は当然だろう。

策(手札)を多く残す為にも矢の節約は重要だ。




──だが、それは失策。



「────っ!?」



黄忠の顔が強張った。

それも無理は無い。

振り切れる筈の矢が黄忠を追い掛ける様に曲がる。

意志を持ち、自らの判断で動いているかの様に。


カッ!、カカンッ!、と。

八矢の内、三本が黄忠には届かずに通り過ぎた場所に有った木に命中する。

それを見て、黄忠は双眸を細めていた。

気付いたのだろう。

そう、矢に意思など無い。

矢が曲がったのは技術だ。


矢は“真っ直ぐに飛ばす”事が難しい。

距離や風向き等の条件面を全く考えないのであれば、高所から下方向に向かって射る事が最も容易い。

次に、その逆で上方向へと射る事だろう。

一番難しいのは平行射撃。

並走しながら、ではない。

平行に──真っ直ぐに矢を飛ばす、という事だ。

矢は自分から離れる程に、下へ下へと降下する。

それは、矢に限った事ではないのだがな。

それ故に、平行なままで、というのは不可能とされる軌跡だと言えよう。


しかし、不可能ではない。

矢は真っ直ぐに飛ばす事は本当に難しい。

弓を手にして十射した内、半分以上が的を射抜くのに素人は数ヶ月を要する。

勿論、個人差は有るがな。

動かない的を狙って。

百発百中になるまでには、年単位の時を要する。

狙った場所に、となれば、更に時は必要となる。

それ程に、真っ直ぐ飛ばすという事は難しいのだ。


何故なら、矢は曲がり易い要素が多いからだ。

鏃の形・重さ、箆の素材・長さ・太さ・形、矢羽の数・形・素材、矢筈の深さ。

加えて、弓の方にも。

其処に風や地形、使い手の力量等も入ってくる。

ある意味、武の中で弓術は最も“誤魔化し”が難しい物だと言えよう。


そんな矢を真っ直ぐ飛ばすというのは至難だ。

だが、突き詰めて行けば、必ず出来る様になる。

…遠距離を真っ直ぐに、はかなり難しい事じゃがな。


その反対となる矢を曲げるという技じゃがな。

実は意外と単純な発想から出来たりする。

真っ直ぐに矢を飛ばす事が出来て、一定以上の精度を持った多射が出来る者なら然程難しくはない。

何度も言うが、矢は曲がり易い要素が多い。

ならば、射た矢を意図的に曲がらせる事も不可能ではなかったりする。


多射というのは元々は武の範疇ではない。

武人崩れの旅芸人が遣った曲芸が発祥とされとる。

当然と言えば当然じゃな。

近距離でしか使えぬ技術は実用的ではないからのぅ。

態々、多射を実戦で使える域まで高めよう、と考える物好きは居らん。

大体は“如何に真っ直ぐに遠くまで飛ばせるか”。

その為に鍛練を行う。

故に多射の使い手は本当に稀少だと言えよう。

…自画自賛ではないぞ。


武人は頭が固い者が多い。

その為、曲芸という言葉を聞いただけで忌避する事も珍しくはない。

だが、大事なのは面白いと感じる柔軟性と発想力。

子供の様に。



──side out。



 黄忠side──


黄蓋の三射目。

私の進行方向に合わせての真横の直線射撃。

構えから、そう判断。

急な方向転換で躱す事は、可能でしょう。

但し、相手の射撃後という条件が付きますが。

彼女を相手に氣を使わずに方向転換すれば狙い撃ちにされるだけです。

一度位なら、奇策としては使えるでしょうけど。

既に遣りましたからね。

簡単に逃がしてくれるとは思えません。

連続で遣っても距離の有る弓士同士の闘いでは効果が期待出来ませんしね。

──となれば、加速をして振り切る、でしょう。


そう判断し、黄蓋が射った直後に実行する。

余裕で振り切る。

そう思っていた私の背後に風切り音が迫った。

有り得ない事。

そう思いながら、背後へと振り返って──驚く。



(──曲がった!?

まさかっ、誘導追尾っ!?

氣を使えるのっ!?)



自分の予測していた軌道を大きく外れていた矢を見て驚愕してしまう。

放たれる前に自分が動き、後からだったなら、軌道が予想と違っていたとしても疑問は懐かなかった筈。

けれど、そうではない。

私の方が後に動いた。

だから軌道は予測していた通りの筈。

それなのに──曲がった。

その一点だけを見ても私は十分に驚かされる。

何故なら、それは氣を使い私達が遣る事だから。

驚かない訳が無い。


──が、再び気付く。


私の通り過ぎた場所に有る木へと刺さった三矢。

それもまた、有り得ない事だったから。

氣を使った誘導追尾の矢は撃墜しない限り、逸れたり止まったりはしない。

その事を私は知っている。

黄蓋の矢は、氣を使っての誘導追尾ではない。

そう判断する事は出来た。


では、一体何なのか。

その答えは単純。



(…っ…曲射ですか…)



脳裏に思い浮かぶ技術。

それと同時に、四・五矢が音を立てて木に刺さる。

それを見て、確信する。

黄蓋が射た矢の曲がり方は曲射による物で有ると。


“曲射”という技術は文字通りに“曲がる様に射つ”射撃技術の事。

実は氣を使って操作すれば難しくはないのだけれど、純粋な技術で遣ろうとするならば結構──否、かなり難しい事だったりします。

…私は苦手な技術です。

“三弓”繋がりで言えば、桔梗も苦手にしています。

その理由として私達自身は己の戦い方が出来上がってしまっている為です。

勿論、雷華様の指導による上積みは有りますが。

得手不得手が出易いのも、弓術の特徴でしょう。

秋蘭は私達の様に特化する前に雷華様の指導を受けて成長していますからね。

所謂、万能型です。


ただ、そうだからと言って私達が秋蘭に劣る、という事では有りません。

飽く迄、得手不得手の話に過ぎませんから。




気付くのに遅れた理由も、苦手としている為です。

氣を使えば出来る事も有り曲射の鍛練は後回しにしてしまっていますからね。

…反省させられます。


しかし、それ以上に。

黄蓋の曲射の腕前。

その見事さに驚嘆です。

一時とは言え“彼女も氣を使える”と考えさせられる精度なのです。

多分、同じ事が出来るのは宅では雷華様だけかと。

秋蘭も技術的には近いとは思いますが、総合的に見た精度は全然及びません。

勿論、射墜とす事は難しい事では有りませんが。

それは別の話です。


それだけの技量を持つ事に純粋に驚かされます。



(…本当に……貴女は…)



その弓士としては世界一と言っても過言ではない程の力量を目の当たりにして、遠き日の憧憬(熱)が猛る。


全力でならば、勝てる。

それは間違い無い。

けれど、“縛り”の中では断言は出来無い。

──否、脳裏に“敗北”の二文字が浮かんでしまう。


それなのに──嬉しい。

こんなにも、喜ばしい。

とても、楽しい。

楽しくて、愉しくて。

抑えている感情が表情へと滲み出て来てしまう。

自然と上がる口角。

大きく高鳴る鼓動。

自分の歳も忘れる位に。

ただただ純粋に。

童心の様に、興奮する。



(…ふふっ、そうよね…

今を楽しまないとね!)



一瞬だけ交わった視線。

彼女が語り掛ける。

“この程度で終わりはせぬだろうな?”と。

挑発的な笑みを浮かべて。

“待ち焦がれた闘いぞ!

心行くまで存分に楽しもうではないか!”と。

無邪気な笑みを浮かべて。


それを見ても何も感じない様では、此処に居る意味は無いのですから。

この闘いに価値は無くなるのですから。

私も彼女に応えない訳にはいきません。

負けたくは有りませんし、何より──勝ちたいので。

感情を解き放ちましょう。

貴女に打付けましょう。

私の本気を。



──side out



 黄蓋side──


楽しくて仕方が無い。

その気持ちに嘘は無い。


しかし、若干の焦りが有る事は確かだったりする。

射た八矢の内、既に五矢が黄忠を逃した。

勿論、仕留められるなどと思ってはおらん。

ただ、あの状況からすれば迎撃するのが最善策。

直剣での防御は弓士として敗北を認めるのも同然。

直剣は直剣同士でのみ。

或いは、矢の絡んでいない状況下でのみ。

それが暗黙の了解。

口約束ですらないので別に“ただ勝つ事が出来れば、誇りなんて要らない”と。

そういうので有れば直剣で戦う事は構わないが。

儂等は違うので使わぬ。

弓士として、勝ちたい。

その想いが強いからのぅ。


…それは兎も角として。

迎撃もせず、逃げ脚だけで八矢全てを今直ぐにも振り切られそうな状況を見て、焦っておる。

まさか此処まで身体能力が高いとは思わなかった。

弓以外で戦っておったら、間違い無く負けておるわ。

…別に“歳を取った”等と言うつもりはない。

まだまだ若い連中に負けるつもりはないからのぅ。


しかし、成長して来られるというのは別じゃな。

此方が先を行って居っても追い掛けて来る者の方が、自分自身が歩んできた早さ以上で追い付いてくる。

恐怖・焦燥・畏怖・嫉妬、そして──歓喜。

それを今、黄忠を前にして感覚を味わっとる。



(…成る程、これなら癖に為ってしまいますな…)



“そうでしょ?”と。

文台様が笑われる。


他者を鍛えるのは自分へと返ってくるから。

自分を超え様と挑む者との闘いを楽しみにする故に。

他者を鍛え、導くのだと。

そう仰有っていたが。

その気持ちを、楽しみを、理解するに至る。

これなのだと。




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