弐拾捌
「──ぁがっ!?」
「──ぅぐっ!?」
お互いの拳が頬を撃つ。
と言うより、一切の防御を捨てて、攻撃のみ。
拳を、脚を、頭を、肘を、使える所は全部使って。
相手を叩き潰す。
ただそれだけに集中する。
戦い方なんて無い。
本当に、子供の喧嘩の様な意地の張り合い。
“先に防御をしたら負け”なんて誰も言っていないし決めてもいない。
それなのに、どうしてか。
何方等も止めない。
寧ろ、その逆で“一瞬でも防御したら負け”だって。
そんな風に思ってる。
其処に理屈なんて無くて。
でも、理由は有って。
だから、退けない。
絶対に、譲れないから。
だから、終われない。
この程度の痛みでは。
「まだっ、まだぁーっ!!」
「此方だってぇーっ!!」
叫びながら、躊躇も無く、お互いに攻撃し合う。
多分、今の私達を見たら、“…本当に朋友なの?”や“実は、殺したい程に憎み合ってたの?”と思っても不思議ではない筈。
だって、年頃の女の子達が怪我とか痣とか関係無しに殴り合っているのだから。
痛みなんて止まる理由には為らないのだから。
“…狂ってるわ”と。
そう思われても可笑しいと言えないのだから。
客観的に見たなら、私達の真意を理解する事なんて、先ず難しいと思う。
でも、闘う理由なんて。
結局はそんな物。
それは、共有出来る部分も有るのだけれど。
結局は個人の物だから。
理解を求める物ではなく、自己を貫く為に在る物。
だから、負けられない。
私が私で在る為に。
『──がはっ!?』
何十度目に為るのか。
お互いの拳が頬に沈む。
唇は勿論、口内だって既に彼方此方が切れている。
ちょっと唾を飲み込めば、血の味がする。
お互いを睨み付けていても顔は腫れ上がっている。
視界は良好とは言えない。
額や目蓋は腫れるだけには止まらず、裂けて傷と為り血を溢れさせている。
それが目には入っていないだけ増しだと思う。
この状態に入ってから一体何れ位時間が経ったのか。
それすらも定かではない。
普段、料理が好きな事から体内時計は正確。
料理は時間の把握や計算が重要になってくるから。
だけど、今は違う。
今は狂ってしまっている。
だから、30分程なのか。
1時間なのか。
或いは、まだ数分なのか。
はっきりしない。
ただ、防御せず、氣による強化や治癒もしていない。
“縛り”は守っている。
だから集中を欠いた瞬間に襲ってくるだろう痛みには良い気はしない。
私に痛みや傷付いて喜ぶ、そういう趣味は無いので。
ただ、それでも。
この闘いが終わった時には私は笑っている。
それは可能性ではなくて。
確信を持って言える。
必ず、そう為ると。
心からの感謝を込めて。
自分と朋友を讃えて。
胸を張って誇れる。
小さな蕾だった。
花開く、私達へと。
未来を重ねて。
──side out。
馬岱side──
“たられば”の話をした事なんて誰にでも経験の有る事だって思う。
それは単なる御都合主義に由る物だけではなくて。
“こうしていれば…”等の反省する意味も有るから。
だから、“たられば”話は悪い事ではない。
それを踏まえた上で。
私は、一つだけ思う。
曹魏の部隊への攻撃が開始されてから僅かに間を置き私達の“別動隊”が周囲の斜面を下って彼方に奇襲を仕掛ける。
そういう手筈だった。
それを再考し遣り直したい──という訳ではない。
それは仕方が無い事。
遣り直したって、彼方側が合わせてくれるのなら是非遣りたい所だけど。
そんな事は有り得ない。
だから、気にしたら負け。
仕方が無いと割り切る。
…そうではなくて。
“どうして最初から一緒に行かなかったのか”と。
今更に思ってしまった。
後悔してから、というのがこの手の御約束だけど。
心から、そう思う。
結構、かなり、切実に。
「ちょっ!?──ひあっ!?
まっ、待ってよっ!?
ねえ待ってっ?!
お姉様待ってってばっ!
掠ってるからっ!?
髪とか服とか彼方此方一杯切れちゃってるからっ!」
「煩い!、問答無用だっ!
この馬鹿野郎っ!
女だけど馬鹿野郎っ!
何で私の後を追って勝手に旅に出てるんだっ!
大人しく待ってろよっ!
しかも行方不明だっ?!
死に掛けたっ?!
お前は馬鹿以外に私に何て言えって言うんだっ?!
心配させんなっ、馬鹿っ!
こんの大馬鹿がぁっ!」
「何で知ってるのっ?!
後っ、色々理不尽っ!」
「探してたからだっ!」
「御尤もですっ!」
叫びながら、嘆願するけど“聞く耳を持たない!”と言わんばかりの連突き。
しかも、言い訳しようにもお姉様にしては結構珍しく言い分も正しい。
…べ、別に、お姉様の事を馬鹿にしてる訳じゃないし揶揄ってもいないから。
そんな事したら後が怖いの知ってるんだもん。
先ず遣らないってば。
…え?、感動の再会?
歓喜の涙は何処行った?
そんな物は物語の中だけに存在してるんだって。
今日、初めて知ったよ。
目の前に居るのは鬼です。
姉と書いて鬼と読む。
涙より血の方が多く流れる気がします。
私を殺そうと槍が閃く。
…あっ、よく見たら昔とはちょっと違ってる。
まあ、流石に直さずに、は無理だったんだろうな〜。
でも、見付かって良かった──って普通に思いたい。
こんなんじゃなくて。
「──脇が甘いっ!」
「──っ!!」
つい、現実逃避(考え事を)しながらも頑張って躱し、逃げていた。
其処に不意打ち気味だった掛けられた一声に。
身体は無意識に反応する。
その次の瞬間だった。
ギキィンッ!、と甲高く。
悲鳴の様に響いた音。
それを境にし、騒がしさがまるで嘘の様に静まる。
思わず息を呑んだ音が。
やけに大きく聞こえた。
ツゥ…と、首筋を汗が伝い流れてゆく。
暑さからでも、動いたからでもなくて。
悪寒と恐怖から。
自然と冷や汗が滲み出た。
左の脇腹を守る様に伸びた自分の愛槍の柄。
それに対して、十字になる形で触れている刃。
“たられば”の話だけど、もし声が掛からなかったら私はどうなっていたのか。
それが想像出来無い程に、理解出来無い程に。
私は無知ではない。
愚かでもない。
だから、恐怖から冷や汗が滲み出ている訳で。
今直ぐにも震え出しそうな身体を必死に抑える。
流石に、これ以上の醜態は見せたくはないから。
それから、もう一つ。
“脇が甘い”と言われて、何故、左だと思ったのか。
その理由は簡単。
昔から言われていたから。
私の弱点──と言う程には隙が有るつもりは無いけどお姉様達位の実力が有ると見えちゃうらしい。
特に、同門の使い手だから余計にね。
だから、反応出来た。
咄嗟の機転ではない。
長い間積み重ねた経験が、私に取るべき行動を瞬時に取らせた。
ただそれだけなんだから。
…これも“たられば”の話になるんだけど。
もし、お姉様が逆の右側を突いていたら終わってた。
それはもう、あっさりと。
呆気無い程に。
じゃあ、どうしてなのか。
どうして、お姉様は戦いを終わらせなかったのか。
今の私達は、敵対する関係──かどうかは微妙だけど此方は劉備軍と組んだ上、曹魏に仕掛けている。
それを世間的には敵対って言うんだけどね。
まあ、お姉様の優しさ、と思っていいんだよね。
…多分、だけど。
本来だったら、敵(私)には容赦する必要なんて無いし会話も必要無い。
と言うか、態々こんな風に一騎打ちの様な状況なんて作り出す必要も無いし。
だから、きっとこれは私に教える為なんだと思う。
従姉妹としてではなく。
一族としてでもなく。
同じ、戦士として。
立場の有る身として。
背負う事の覚悟を。
私はもう背負われる立場に無いんだという事を。
…まあ、訊いても教えてはくれないんだろうけどね。
お姉様、照れ屋だし。
「…はぁ〜…お前なぁ〜、判ってるか?、また余計な事考えてるだろ?
流石に、“戦ってる最中に考え事をするな”とは私も言わないけどさ…
それをしてもいい相手かは見極めてからにしろよ?
でないと──死ぬぞ」
「──っ…」
呆れながらも諭す様に言うお姉様の雰囲気が一変し、反射的に息を呑んだ。
スッ…と細められた双眸。
何方等かと言うと、円らで大きな目をしている。
綺麗な顔立ちなんだけど、男勝りで大雑把な性格等と相俟って子供っぽさが勝ち“可愛い”って印象が強いお姉様なんだけど。
こういう瞬間は、歳相応に美人に見えるから不思議。
それも、同性で、従姉妹な私が見惚れる位にね。
──ではなくて。
“でないと──死ぬぞ”と言った瞬間だった。
それが、可能性に対しての注意ではない事を。
これから始まるであろう、殺し合いに対する通告だと理解してしまった。
私の事を心配してくれてた気持ちは嬉しかった。
素直に、“ありがとう”を言えないのは血筋なのかもしれないけど。
“ごめんなさい”と謝る事が出来無い辺りもね。
昔の情景を思い出す様な、そんな遣り取りだったのも私に注意を促す為。
それは同時に、現在の私がどんな立場なのか。
それを改めて意識させて、理解させる為。
そう、全部、私の為。
私の事を考えて。
(…お姉様、不器用なのは全然直ってないんだね…)
そう思わずには居られない位に不器用なんだから。
本当に困ってしまう。
覚悟が鈍りそうで。
状況が違っていたら。
きっと、私は呆れながら、口にしたんだと思う。
“も〜、お姉様ってば〜”という様な感じで。
それは多分、他愛無くて、何気無い日常で。
きっと世の中が──違う。
そうじゃなくて。
そんなに大きくなくて。
私の居場所(周囲)が平和で穏やかだから。
戦いなんてしなくたって、平々凡々と生きていける。
そんな日常だから。
私は、そう言える。
だけど、現実は違う。
劉備軍という大きな戦禍が終息へ向かっていた大陸の情勢を狂わせる。
鎮火する筈だった戦火を。
今再び燃え上がらせる。
民の事なんて考えずに。
──それでも、だよね。
こういう状況でもなければお姉様と本気で闘うなんて有り得ないだろうから。
だから、その点に関しては劉備達に感謝しよう。
遠き日の情景の中の。
そのままでは居られない。
私達はもう、守られている子供じゃないんだから。
背負い、守る側だから。
だから、私は此処に示す。
その覚悟を、志を。
──side out
馬超side──
自分でも不器用だと思う。
こんな回りくどい真似しか出来無い事に対して。
(ったく…成長してるのか判んなくなるよなぁ…)
武人としては成長している自信は有る。
女としても…まあ、色々と成長しているとも思う。
主に雷華様の手で。
…いや、何方もだからな。
変な意味じゃなくて。
…ゴホンッ…ではなく。
人として、の話だ。
特に、“当たり前なんだ”って思ってた事に対して、それは“当然の事”なんかじゃないんだって。
考えるだけじゃなくて。
理解して、実践出来る様に為れるかって意味で。
(頭では判ってても実際に身に付けるのって武とかと違って大変だからなぁ…)
価値観や理念っていうのは身に付けるのは難しい。
知識として覚えるのとは、全然違う事だから。
本当に日々の中に取り入れ時間を掛けて馴染ませる。
それしかないんだからに。
…大分増しにはなったとは思うんだけどさ。
正体をバラしてから。
溜まってた文句等を吐き出す様にした訳だが。
実際には少し違う。
…そういう気持ちが有った事は否定しないけどな。
蒲公英に覚悟を促す意図が無かった訳ではない。
雰囲気に流されてしまって“なあなあ”で闘いたくはなかったのも有る。
けど、一番の理由は違う。
私自身の覚悟の確認。
その為の、一連の流れだ。
(…甘い、って言われると否定出来無いよなぁ…)
身内が相手だから。
そんなのは理由にならない立場に私達は居る。
背負っているんだ。
それを、私自身が誰よりも示さなくてはならない。
それは義務や仕事ではなく私達の──曹魏の在り方の根幹なのだから。




