弐拾肆
そんなこんなで。
季衣の攻撃に対処しながら改めて思う事が有る。
“怪力”──そう称された私達の特異な膂力。
氣という概念の無い中では“怪物”等の様に扱われる事も珍しくはなかった。
そんな事は気にもしないで笑っていられた季衣。
その性格は羨ましかったし救いでもあった。
“季衣が一緒だから”と。
心を支えてくれたから。
しかし、いざ闘いで自分が向き合ってみると厄介。
改めて、そう思う。
…まあ、元々力押し重視の戦い方をしているのが季衣だったりするのだけど。
そうではなくて。
(…氣って凄いですね…)
其方等の意味で、です。
その性質は強化系。
私は氣の資質を調べたりは出来ませんから季衣の氣の正確な所は判りませんが、それだけは確かな事。
操作系の可能性も無いとは言い切れませんが、単純に膂力を引き上げられるのが強化系だからです。
そして、最も適性値が高い資質が反映され易い。
そう雷華様は仰有った。
つまり、“怪力”といった判り易い形になっていると粗間違い無く強化系。
それも強化特化型、或いはそれに近い数値の可能性が高いと言えます。
(…其処も同じなんだ…)
…ちょっとだけ、複雑。
だけど、季衣の総資質値が私達と同じ様に最大の10だとは限らない。
合計は5で、強化4、他の二つは1と0。
或いは強化の5のみ。
そんな場合も有り得る。
その辺りは私には判らない事なんですけど。
それは兎も角として。
資質値は飽く迄も“任意に使用が可能”な事が前提で示されている数値。
それが出来無い者に関して言うのは無意味です。
では、何故、季衣の資質がそうだと判るのか。
それが一番面倒な部分。
同時に氣の神秘性と言うか奥深さと言うのか…まあ、そういう感じなんですが。
実際には少数しか例の無い事だそうですが、先天的に氣の恩恵を受けている事は有るんだそうです。
私や季衣は、その典型。
最も多いとされる強化系。
武──特に膂力に優れた者というのは氣を意識的には使用出来無くても無意識に氣の恩恵で強化されている可能性が高いのだとか。
因みに、操作系も無い事は無いそうですが、放出系は先ず有り得ないのだとか。
まあ、その性質を考えれば当然かもしれませんね。
そういう意味でも強化系の性質は出易いのだとか。
そういった理由から季衣の氣の資質は判る訳です。
そして、厄介だと言うのが無意識下での強化。
それが私や季衣の場合には氣の任意使用者に匹敵する域に届くから厄介です。
愛紗さんや恋さんも、宅に加入する以前は無意識下で恩恵を受けていた訳です。
勿論、そういう人は実際は稀少な訳なんですけど。
時代の流れ、ですね。
そういう人が台頭し易く、最後まで残る訳です。
故に、今の世で高い地位の将師は大抵が、無意識下の恩恵を得ています。
孫策軍・劉備軍共に。
無意識下の恩恵と言っても“所詮は無意識下なんだし高が知れているのでは?”という感じに考えてしまう事は可笑しく有りません。
実際、私達も雷華様による解説の際には大半が同様の事を考えていました。
意識下と無意識下。
その際の氣の質・量は共に前者の方が上である。
それは間違い無い事だと、雷華様は仰有いました。
ただ、“しかし…”です。
私や季衣の様に世の中には突出した発現例が有る以上必ずしも無意識下の恩恵が下回る訳では有りません。
特に、氣を使えない者からしてみれば何方等だろうと関係の無い事です。
常人の出し得る膂力の域を遥かに上回る訳ですから。
そんな説明をされたって、どうでもいいんです。
結果は変わらない訳ですし勝機が見えてくるといった事も有りませんから。
氣の効果というのは任意の方が優れている事は間違い有りません。
しかし、無意識下の恩恵は扱う資質や氣の総量という必要な条件を無視しているという側面が有ります。
それは人の身体が無意識に心臓を動かし血を身体中に巡らせているのと同様。
意識する必要は全く無く、“当然の事の様に”恩恵は齎される為です。
全てが全て、突出している訳では有りませんが、実は誰にでも起きている事で、特別ではないんです。
その程度の差が違い過ぎるというだけで。
可笑しくは無いんです。
さて、では何故、氣を使う事が出来る私が、この様な事を考えるのか。
その理由が“縛り”です。
此方は氣の使用が基本的に完全に禁止されている為、純粋な身体能力と技で戦う事になっています。
ええ、私達は任意によって完全に自制可能な訳です。
ですから、当然の様に嘗て無意識下で受けていた筈の恩恵は無くなっています。
勿論、呼吸をするかの様に一々考えなくても、自然に効果を発揮させる事自体は可能な訳ですが。
それを含め、氣の使用への制限が掛かっているのが、今の私達だったりします。
対して、目の前の季衣達は違います。
意識的には使えなくても、無意識に身体が機能させる氣の強化の効果。
その恩恵は受けています。
意識的には使用出来無い為汎用性・応用力等は無いに等しい訳ですが。
恩恵は有効なままです。
特に、単純な強化の恩恵は活かされ易いんですよ。
私や季衣の様に、です。
勿論、全てが全て、という訳では有りませんが。
特に、両軍の将師には多く見られる事だそうです。
つまり、彼我の間に有った戦力差というのは現状では大きくは有りません。
実力差とは違います。
戦力の差、ですから。
(…恐らく、他の皆さんも苦労してるんだとは思うんですけど…
正直に言って、季衣が相手なのは大変です…)
そんな愚痴や泣き言を胸中とは言え、思わず言いたく為ってしまう。
その程度には大変です。
今回参加している相手側の面々の中では、一番膂力が強いと思いますからね。
──とは言うものの。
その条件下でも、勝てないという訳ではない。
要は、それも戦い方次第。
それは、これでもかと日々痛感している事です。
だから、悪い方にばっかり考える事は有りません。
…面倒な事に関してだけは否定出来ませんけど。
それは仕方無い事です。
「だっ!、しゃあぁーっ!!──と見せ掛けて!
やっぱ、だっりゃあっ!!」
「──っ!!」
単調だった季衣の攻撃。
それが、たった一つの拙い崩しだったとしても。
可能性自体は捨て去らずに考えていたとしても。
急に遣られてしまったら、どうしても驚きを禁じ得ず一瞬の遅れを生じさせる。
一定の早さに目が慣れた、その時に緩急を付ける。
揺さ振りとしては基本的で基礎的だと言える事。
だけど、それは実際に結構効果が高かったりする。
どんなに技量が上がっても駆け引きの──読み合い・騙し合いの経験を積んでも一瞬の変化というのは。
それでも、慣れてはいない“その場凌ぎ”の小細工。
詰めの甘さは否めない。
普段から遣ってはいない事なのだから当然だけれど。
だからこそ、此処一番での決定的な一手で有りながら為り得ない。
故に、対処は容易い。
季衣の鉄球に対し、下部に水平よりも僅かに斜め下に向かって球鎚を当てる。
下から上に弾き上げるより下に潜らせる様にした方が実は此方への衝撃が少なく体勢を崩し難い。
特に私達の様に、重量級の得物を扱う者の場合には、その僅かな差が大きな事を経験から知っている。
…皆さん、容赦無いので。
だから、私にしてみれば、季衣の攻撃は防ぎ易い。
ただ、重い事以外は。
「っ、らしくない事すると隙が出来るんだから!」
「──わわっ!?」
季衣の攻撃を反らした後、出来た隙を付いて反撃。
しかし、季衣は躱す。
それも、“危なーっ!?”と叫びつつ身軽に、だ。
私の球鎚とは違い、延びた鎖の先に有る鉄球。
それに引っ張られてしまう事は仕方が無いが、季衣の身体に直接掛かる重量には今は影響しない。
振り回す時には力も要り、動きも鈍くはなるが。
一度、勢いに乗った鉄球は宙に有る為、季衣の動きを鈍らせる事は無い。
…まあ、引っ張られるので完全に影響が出ないという訳ではないのだけど。
どうして判るのか?
私の球鎚も“伸ばせば”、同じ事が出来ますから。
氣の使用が禁止されている時点で出来ませんけど。
実際、私の反撃を躱した後飛んでいった鉄球に無理に逆らわずに鎖を掴んだまま引っ張られて私から素早く距離を取っている。
得物の使い方は、上手い。
それは素直に褒められる。
ただ、その攻撃の単調さに文句を言いたくなる。
“その程度で、私に勝てるだなんて思わないでよ!”といった感じで。
…言いませんけどね。
──side out
許緒side──
正直、意外だって思う。
だってほら、流琉が仕える曹魏には強い軍将が何人も居るんだもん。
もっと、強くなってるのを想像しちゃってた。
だから、今、ボクの攻撃が通用してるってだけでも、十分な驚きなんだよね。
何しろ、雪蓮様達の曹魏に対する評価とかって本当に高いんだもん。
ボクも、あの高順って人と呂布の戦いは見てたから、それは判るんだけど。
基本的に、曹魏に居る筈の将師の活躍や武勇伝とかは全然聞こえて来ない。
往き来している商人の人達でさえ知らないんだもん。
でもね、彼方の動きを何も掴めてない訳じゃない。
ただ、その際に上がるのは曹操・曹家・曹魏。
この三つの名前だけ。
流琉の名前だって、軍将を遣ってる筈なのに今までに聞いた事は無いもん。
将師の名前は本当に公には上がってない。
…内偵はしないのか?
出したら、帰って来ないの判ってるんだもん。
余計な犠牲者を増やすのは誰も遣りたくないよ。
と言うか、そんな事をする雪蓮様達じゃないしね。
だからと言って、明命とか送り込めないもん。
もし、見付かって捕まって──も多分、殺される事は無いと思うんだけど。
抜けちゃう穴は大きい。
人質に取って交渉に使う、なんて事も有りそうだけど曹魏相手だと考えられない事なんだよね〜。
そんな真似を遣ってるなら疾うに反発する内通者とか出てると思うし。
あんなにまで、出回ってる情報を制御出来無いよ。
雪蓮様が言ってたっけ。
“曹操の──いえ、曹魏を曹魏たらしめている一番の要因は統制力と組織力よ
そして、その根幹が全体の絶対的な信頼よ”って。
それを聞いて納得したのは記憶に新しい。
国王や主君、家臣、兵士、それだけじゃなくて。
国民にまで及ぶ、信頼。
それが、曹魏たる所以と。
そんな訳だから、意外。
勿論、指揮とか机仕事とか苦手なボクとは違ってて、流琉は其方の方で評価され高い立場に居るって事も、考えられなくはない。
けど、もしそうだとしたら流琉は今此処には居ない。
そう言い切れる。
何しろ、あれだけの情報の統制が出来る曹魏だもん。
その中でも特に権力の有る将師という立場でないなら私闘に近い様な真似なんて絶対に遣らないと思う。
現場の判断は重要だけど、今の状況は意図的に造った物だって事は、考えるのが苦手なボクにも判る。
勿論、流琉は“上”の出す命令に従ってるだけだって可能性は有るけど。
多分、それは無いと思う。
だって、流琉の言ってた、“そういう立場”って多分将師の事だと思うから。
だから、それは間違い無い事だって言える。
流琉を信じてるから。
そういった事を積み重ねて考えてみると。
やっぱり、可笑しい。
こんな私闘みたいな真似が許されている以上、流琉の実力は絶対に高い筈。
実際に闘ってみてて防御は上手いって思うけど。
流琉からの仕掛けは少ない気がしてる。
ボクの攻めが押してるって可能性も有るけど。
…違和感を感じてる。
流琉は本気だと思う。
でも、全力じゃない。
そんな感じがする。
つまり今は、“手加減”をされている訳だと。
そう思った訳だ。
(むー…生意気だよ!
其方がそんなつもりなら、絶対に全力を出させる!
でもって、その上でボクが流琉に勝ってみせる!)
そう考えただけで。
自然と闘る気は膨らむ。
折角なんだもん。
全力で楽しまないと。
だから、絶対に出させる。
流琉にも全力を。
勿論、最後にはボクの方が勝つけどね。
──side out。




