弐
暗闇の中、僅かに射し込む月光に雨粒が光る。
──ギギィンッ!
鈍い金属音が響く。
「…随分と野蛮な方ですね
無言で、いきなり背後から斬り付けるとは…」
右手で逆手に掴み振るった紫色の剣が、相手の直剣を受け止めている。
睨み付ける視界の中で刃が雨粒を弾く。
「確かにな…だが、生憎と“普通”じゃねぇだろ?
俺も…手前ぇもなあっ!」
叫ぶと同時に相手は腕力で剣を押し込み、此方の体勢を崩そうとしてくる。
先程の声から男と判断。
しかし、此方が少なくとも“一般人”ではない事には気付いている様子。
性別に関しては判らないが油断は少ない。
倒す事だけなら簡単だ。
だが、今は拮抗を演じる。
その理由は一つ。
──ガギンッ!
何度目かの打ち合いで再び剣が押し合う。
解を導く様に射し込む光が男の顔を照らす。
橙色の左目、右目を奪った原因と思しき大きな刀傷。
甘寧が言っていた“凌操”に化けていた男だろう。
(甘寧に討たせてやりたい所ではあるが…
取り敢えず探ってみるか)
鍔競り合いのまま男を睨み付け“怒気”を見せる。
「訳も解らず殺される気は有りませんよ?」
「いいねぇ…殺る前に先ず愉しませて貰うか」
下卑た笑みを浮かべ此方の身体を舐め回す様な視線。
どうやら、女だと思われているらしい。
「全力で、御断りします
他を当たって下さい」
女を演じながらの挑発。
この手のタイプなら自分が優位だと思い込ませれば、勝手に喋ってくれる筈。
「連れねぇ事言うなよ
手前ぇみてぇな女は滅多に居やしねぇんだ…
まぁ、昨日の甘寧は惜しい事したが…仕事じゃなぁ」
眉をピクりと動かし甘寧の名前に態とらしく反応して見せる。
「…甘寧?…“あの”?」
「錦帆賊・頭領の甘寧だ
聞いた事有んだろ?」
「この辺りに居て知らない方が可笑しいですが…
貴男が討ち取ったと?」
敢えて性別には触れない。
此処で“彼女”等と言えば繋がりを疑われ情報を引き出す事が出来なくなる。
「ああ、昨夜な」
その言葉に対し“警戒”を強めて見せ、焦りを演出。
「俄には信じられませんが何かしらの証拠でも?」
強がっている風を装いつつ疑いの眼差しん向ける。
すると、男は口角を上げて静かに左手を上げた。
男は左手で此方を指差す。
「その鈴だ」
男に言われて左手に握った銀色の鈴を見せる。
「景升の旦那──依頼主が小心者でなぁ…
証に甘寧の屍か、常に身に付けてるって話の銀の鈴を持って来いだと…
甘寧は毒矢で殺った上に、崖から落ちたから死んでるのは間違いねぇだろうが…
屍も鈴は見付からねぇし、困ってたんだが…なぁ?」
そう言ってニヤリと嗤う。
成る程、合点が行った。
恐らくだが、甘寧は運良く木の枝にでも当たり落下の衝撃が和らいだのだろう。
それなら川に落ちても即死する可能性も低い。
その後、無意識か、或いは最後の気力で岸に上がった所で気を失った。
そういう事だろう。
「…つまり、貴男の目的はこの鈴であると?」
見逃す気など有りはしないだろうが、一応演技を続け反応を窺う。
「鈴も、だがな」
そう答えて舌舐めずりし、直剣に力を込める男。
その欲深さに呆れながら、右手に持つ紫色の剣で力を往なし、男の体勢を一瞬で崩すと倒れ込んだ背中へと右足を落とし踏み付けつつ首筋に刃を当てる。
「相手の力量程度は初見で見抜けないと──“俺”の相手には役不足だ」
地面に這い蹲ったまま顔を動かし此方を見上げる男は驚愕し、理解すると奥歯を噛み締め睨む。
「て、手前ぇ…何者だ?」
男が聞いてくるが無視し、右足に体重を掛ける。
「三つ聞く」
「巫山戯ん──っぐっ!?
わ、解った、は、話すっ!
話すから待ってくれっ!」
無言で踏み付け、刃で首の皮を少しだけ切った。
そうして、この場の互いの立場を教える。
誰が強者で、誰が弱者か。自分は何方らなのかを。
「一つ、甘寧を討ったとは言っているが相手は一党を率いる程だ…
そう易々と討てる相手とは思えないが?」
「…ああ、奴だけじゃなく連中も用心深かった
だが、一つだけ…一人だけ穴が有った
“凌操”という男だ」
男が口にした名前。
それを聞いた瞬間に手口を確信する。
「凌操──奴は顔に火傷を負っていて常に素顔を隠す為に覆面をしていた…
だから俺は奴に近付いた
“義賊”と呼ばれた連中だ
傷付いた旅人に化ければ、呆気無い程簡単に殺れた
殺した後成り代わって潜り込んで内側から数を減らし甘寧を仕留めたのさ」
得意気に話す男に対して、殺意を抱くが抑えた。
まだ、聞く事が有るから。
感情を抑え、無表情を作り質問を続ける。
「二つ、依頼主は錦帆賊の壊滅を何故望んだ?
その存在は少なからず他の江賊や賊徒に対する抑止力だった筈だ」
「さぁな…目障りだって事かもしれ──ま、待てっ!
本当に旦那が何を考えてるかは知らねぇんだ!」
調子に乗っていた男を再び刃で首を斬り付けて脅す。
同時に“次は無い”と眼で言外に示す。
「た、ただ…連中が旦那の“商売”を邪魔したらしいってのを耳にした位だ…
手前ぇも判んだろ!?
俺も消されたくはねぇから深くは探らねぇよ!」
明らかに怯えている男。
演技の様子は見えない。
嘘は言っていないだろう。
だが、“全て”ではないと感じ静かに睨む。
「………時々、旦那の所に出入りしてる“張允”って男が居るらしい
素性は知らねぇが旦那から重用されてるみてぇだ
これ以上は何もねぇよ…」
諦めた様に男は喋る。
「旦那と呼ぶ位だ
付き合いは長そうだが?」
「俺に来る仕事は邪魔者の排除が殆んどだ
たまに旦那の遠出に護衛を裏でした事は有るが…
付き合い自体は二年程だ
旦那は用心深ぇ…
仕事の報酬は良い
だから欲を掻いて死ぬより安全かつ楽に稼げる仕事で十分なんだよ」
私情を交えた発言。
忠誠心が有る訳ではなく、ただのビジネス。
自分の命の方が大事だから情報を売るのも開き直れば些細な事だろう。
「三つ、これが最後だ
凌操の屍はどうした?」
「んな事何で…み、南だ!
永安の南の山中で殺って、そのままだ…
だが、埋めた訳でもねぇし残ってる保証はねぇよ!」
“屍が無ければ殺される”と強迫観念に駆られたのか男は逆ギレ気味に叫ぶ。
「手前ぇが聞きてぇ事には答えたんだ!
これで最後なんだろ!?」
早く“解放”されたい。
その一心からの訴え。
「ああ、これで最後だ──お前の人生もな」
そう答え静かに紫色の剣を振り抜いた。
「は?──」
断末魔、にしては間抜けな声を残して男の頭が地面を転がった。
僅かに遅れて、首から血が吹き出し地を赤く染める。
「“助けてやる”と言った覚えはない」
そう呟くと、肯定する様に左手の鈴が小さく鳴った。
静寂が戻ると、雨音だけが辺りに響く。
僅かだが、雨足が強まって来ている。
目的は果たせたし、手早く死体を処理して小屋へ帰る事にした。
other side──
風が頬を撫でる。
僅かに鼻腔を擽る花の香。
「ほら、起きて!
綺麗だよ!」
身体を揺らすと共に耳奥に響く懐かしい声。
直ぐに誰か判る。
「…元気だな“燕”は…」
「“思春”が、のんびりし過ぎなのよ」
ゆっくりと目蓋を開ければ呆れ顔の少女。
赤紫色の結い上げた髪と、碧色の瞳の円らな眼。
彼女の姓名は凌統。
真名は燕。
私の幼馴染みで妹分で──そして、大事な親友。
「ほら、見て真っ白!
李の花が満開だよ!」
「…今年の夏は豊作だな」
「もぉー…思春てば直ぐに食べる方へ考えるんだから
少しは風情を楽しもうよ」
これが、のんびり屋の私としっかり者の彼女の日常。
他愛のない遣り取り。
けれど、二度と戻らないとこの時の私は知らない。
バチバチッ!と音を立てて炎が逆巻く。
「何故だっ!、何故、私を助けたんだ凌操っ!」
私は顔に火傷を負い包帯を巻いた凌操の胸ぐらを掴み睨み付けて叫ぶ。
だが、彼は何も言わない。
「……し…しゅ……」
今にも消えてしまいそうな弱々しい声に振り向く。
「燕っ!」
私は彼女の傍らに屈んで、その顔を覗き込む。
「…兄…ん…責め…いで…わた…が…のん…の…」
顔は少し煤が付いた程度。
しかし、身体は焼け爛れて惨たらしい。
「判った!、判ったから!
だから、逝くな!
逝かないでくれ、燕っ!」
「…泣…ない、で…」
燕は困った様な笑顔をして震える右手を伸ばして私の頬を撫でる。
その手を両手で握り締め、私は零れ落ちる涙を必死に堪え様とする。
「…思…しゅ…に…さん…みん…な…おね…い…」
「──っ!
ああ、約束する!
だから、だから──」
「…し…しゅん…」
燕は私を呼び──微笑む。
…ありがとう…
「──っ!」
声にせずとも伝わる。
彼女の想いが。
そして、理解してしまう。
彼女の“死”を。
尽きる事無く溢れ出す涙。
狂いそうな悲哀と憤怒。
だが、それを全て呑み込み自分を抑え込む。
「……凌操、弔いの準備と皆に参集の手配を」
「…御意」
凌操は静かに答えると立ち去っていった。
「…燕、私は頭として皆を守り生きていく…
だから、見ていてくれ」
燕の亡骸を抱き締めながら私は誓った。
──side out
一夜が明けた。
しかし、生憎と雨天。
移動も出来ず小屋の中。
「体調は?」
「多少気怠いが…痛み等は全く無い」
「そうか……昨夜、お前が言っていた男に会った」
「っ!」
「お前に討たせてやりたい所だったが、刃を向けられ黙って見逃す気は無い」
「…そうか」
問い詰め様と立ち掛けたが俺の言葉を聞き座り直す。
「これからどうする?」
俺の問いに、甘寧は俯いたまま無言でいる。
“迷い”ではない。
生きる“意味”を見失っているからだろう。
「奴に三つ聞いた
一つ、奴の手口
これは言う迄もないな
二つ、奴に錦帆賊の壊滅を命じた黒幕の存在
三つ…」
一瞬、甘寧の身体がピクッと反応するが続ける。
「凌操の亡骸の所在だ」
「っ!」
勢い良く顔を上げ、驚愕の眼差しを向ける。
だが、直ぐに冷静になったらしく此方を見据える。
「…何が目的だ?」
「正常な判断は出来るか
なら、男と女が一緒に居てする事も判るな?」
敢えて、甘寧の身体を舐め回す様に下卑た視線を向け挑発的に嗤って見せる。
「…判った、好きにしろ」
甘寧は少しだけ考えて答え抵抗の意思は無いと身体の力を抜いた。
「…俺が嘘を吐くとは?」
「否定は出来ない…だが、お前は嘘は言わない
何故か、私にはそれ以外に考えられない」
甘寧は自分の中の不確かな確信を信じている様だ。
確証等無い一方的な信頼。
だが、悪くは無い。
俺は立ち上がり甘寧の横に屈むと右手で頬を撫でて、指先で顎を掴み顔を自分へ向かせる。
「経験は?」
「………無い…」
顔は固定されていて無理と判っているが、羞恥心から視線を逸らす甘寧。
頬を紅潮させている姿は、初々しく可愛らしい。
思わず嗜虐心を刺激されるが悟られない様に抑える。
ゆっくりと顔を近付けると甘寧は目蓋を閉じる。
俺は彼女の右手へと左手を重ね──“それ”を渡す。
「──っ!、っ!?」
“それ”に気付いて目蓋を開けるが、互いの息が触れ合う距離で視線が合う。
取り乱す彼女を見て満足し距離を開ける。
「先ず凌操の亡骸を弔ってから、今後の身の振り方を考えればいい」
そう言って甘寧の頭を撫で窓へと視線を向ける。
雨は上がり掛けていた。