拾陸
楽進side──
真桜が居るからこそ
私は此処を任されている事を嬉しく思う。
…まあ、于禁(邪魔な者)も一緒に居るのだが。
気にしては為らない。
それは些末な事なのだ。
正直、この場所の担当者に志願したい気持ちも有った事は否めない。
だが、自分の私情を理由に我が儘を言う事は出来無いのだから仕方が無い事だと思っていた。
これは私闘ではない。
飽く迄も、戦争である。
──そう言ったのは私達の各々の配置と担当を決めた際に言われた言葉だ。
“素直ではないな…”とは呟きが漏れていた位だ。
“確かに…”と思った以上睨み付けるられてしまうと思わず視線を逸らした。
悪戯や隠し事を咎められる子供の様な気分だった。
…思えば、私自身も随分と曹魏に来て変わった。
昔の私なら、気不味いから視線を逸らす事ですらも、しなかっただろう。
無駄に真面目過ぎて。
それが、今では余計な肩の力も抜けている。
心身が成長し、充実すれば人は自然と落ち着ける事を実感出来ている。
…ああいえ、それはまあ、その…中には、変わらない人も居る訳ですが。
それはもう“個性”だと。
そう思うしか有りません。
雷華様ですら、“教育?、世界征服の方が容易い”と仰有った位なのだから。
誰だとは言いませんが。
それは兎も角として。
そんな私には一つの指示が出されていました。
姿を晒すのは相手が此方の正体に気付くか、様子見で手合わせした後となるのは当然の流れだとして。
その際に、敢えて敵の中に“潜入者”が居るかの様に振る舞って見せる事、と。
それを聞いた時の私の顔は可笑しかった事でしょう。
“…………え?”と一言を発するまでの時間が異様に長く思えましたからね。
ですが、そうなってしまう事も仕方が無いでしょう。
自分で言うのも何ですが、そういった演技には自信が有りませんから。
勿論、以前に比べれば顔や態度には出難くなっている事だとは思いますが。
それは飽く迄も私の中での基準に因る評価です。
普通に見た場合の評価では“多少の改善”と言うのが適切かもしれません。
…ええ、本当に苦手です。
単純に、堪える事なら結構得意なのですが。
とまあ、そんな訳で。
真桜──達に姿を晒した後演じてみた訳です。
とは言え、舞台上で演じる役者の様に振る舞う事など私には出来ません。
其処で、出来る限り発言を少なくする事で、聞き手に対し与える情報を意図的に少なくして、勝手に想像し納得させる。
雷華様の話術・意識操作を真似てみました。
結果的には成功の一歩手前という感じでしょうか。
真桜に見破られました。
…その理由が“私に対する信頼によるもの”なのは、少々照れ臭いですね。
ですが、解りました。
あの指示の真意が。
過去(繋がり)の深さこそ、不断の友情(信頼)を生む。
故に、我々は長く多く季を刻み積み重ねるのだと。
真桜との懐かしさを感じる掛け合いを終え、これから闘い(本番)へ。
──と、為った所で改めて于禁(邪魔者)の存在に対し苛立ちを覚えてしまう。
于禁というのは昔からだ。
昔から言動が軽い。
一言で言えば、お調子者。
恐らく、真桜も自分と同じ認識をしているだろう。
言葉にして話した事などは一度も無いのだが。
私達三人は幼馴染みとしてそれなりに長い時間を共に過ごしてきている。
だからこそ、判るのだ。
今、于禁が考えているのは二対一という現状を見るに自分達に勝機が有るという様な事だろう。
確かに過去の対戦(手合い)では、二対一の時の戦績は私の方が負け越している。
それは間違い無い。
その事を否定はしない。
事実なのだからな。
しかし、于禁は忘れているのだろうな。
私の鍛練に自分が付き合い二対一で戦っていたのは、随分と昔の事なのだと。
そして、気付いていない。
年頃に成っていくにつれて于禁自身は鍛練より流行やお洒落にばかり気が向いて碌に私の実力を知らないで対峙している事に。
私に付き合ってくれていた真桜とは違う。
“昔のままの私”の姿しか頭に浮かばない于禁には、決して今の私の実力は推し量れないだろう。
それに、ただでさえ過去に縋り付いているのだ。
現在が見えてはいない。
そんな者が、雷華様により鍛え上げられた私の力量を察する事が出来る筈も無いのだからな。
人は過去から学ぶ事により成長してきたのだ。
文明や技術、社会性ですら過去から積み重ねた結果、現在へと至ったのだ。
決して、最初から現在へと一足跳びに変化したという訳ではないのだ。
確かに、成長──変化には切っ掛けは不可欠だ。
しかし、日々の地道な積み重ねが無ければ、人は成長──変化する事は出来無いという事を。
于禁は理解していない。
理解しているのであれば、あの泗水関での敗戦。
あれだけの事を経験すれば人は成長するものだ。
勿論、潰れてしまう場合の方が圧倒的に数が多い事は否めないのだが。
そうでなければ、乗り越え成長するものだ。
普通ならば、の話だが。
しかし、于禁には成長した様子が全く見られない。
…いや、違う部分でならば成長しているのかもな。
ただ、今この時、この場で求められるのは武人として成長しているか否か。
それだけでしかない。
細かく言えば、その立場等色々と有るのだが。
それは省いて置こう。
一対多という状況で。
華雄一人に圧倒されたまま完敗をしたのだ。
普通ならば、数の優劣など真の武人の前では無意味に等しいのだと。
そう理解出来るのだから。
求められるのは質。
個でも、軍でも、国でも。
人の質の優劣が大きい事を理解していない。
古来より兵法で“正道”とされていた事。
それは間違いではない。
しかし、それは同格以下の相手に大して、の話。
それを理解していない。
そんな于禁なのだ。
相手をするだけ無駄だ。
だから、真っ先に此処から退場して貰う事にした。
見え透いた“誘い”だが、于禁ならば引っ掛かる。
傍観する格好の真桜からは全てが見えるのだろうが…それは問題ではない。
寧ろ、真桜ならば気合いを入れる要因として受け止め糧としてくれる筈だ。
呆気無く一撃で地に伏した于禁を一瞥する事も無く、私は真桜だけを見る。
“私の闘う相手は唯一人、真桜、お前だけだ”と。
重なる視線に込める。
すると、真桜は少し考えて苦笑を浮かべた。
「…其処までウチに対して期待してくれるんは、正直嬉しいんやけどな
取り敢えず、于禁、退かして来てもええか?
お互いに邪魔やろ?」
于禁が有っても私は別に構わないのだが。
戦闘の巻き添えになって、運悪く死んでしまう事など戦場(此処)では普通に有る事なのだからな。
今更気にする事ではない。
弱ければ死有るのみ。
それが嫌ならば武器を持ち戦場(此処)に居ない事だ。
もし、その覚悟も無いのに立っていたのならば全ては自業自得だろう。
そんな当たり前の事ですら理解が出来無い。
自身が愚かなのだから。
「いやな、ウチも言いたい気持ちは判るんよ?
けど、一応は今のウチ等は“そういう事”なんよ
どうせなら、殺してくれた方が楽やねんけどな…
その気は無いんやろ?」
「…価値も無いしな」
真桜の言いたい事を理解し小さく溜め息を吐くと私は後ろに倒れている于禁から離れる様に移動する。
「おおきにな」
そう礼を言ってから真桜は于禁を担ぎ上げると戦闘の及ばないだろう端の方へと運んで行った。
…真桜が逃げる可能性?
正体を明かす前だったなら有り得たかもしれないな。
だが、今は無い。
何故なら、真桜からも私と闘いたいという強い闘志を感じているからだ。
…まあ、雷華様が相手なら闘志すらも使って欺かれてしまうかもしれないが。
本当に非常識と言いますか桁外れと言いますか。
凄い御方ですからね。
そんな御方に妻として認め愛されている身です。
醜態は晒せません。
(…にしても、真桜の方も随分と成長しているな…)
武に関しては、まだ今から確かめるのだが。
他の面での成長は窺えた。
観察力の向上を始めとして冷静に状況を判断出来る程様々な経験を積み重ねたと思ってもいいのだろう。
それを活かす為にも必要な精神力や胆力も養われて、揺らぎも少なく見えた。
隙が無い訳ではないのだが普通に考えれば十分な成長だと言える事だ。
…宅では足りないがな。
人としても、武人としても真桜は成長している。
私も負けてはいられない。
そう、遣る気を貰う。
そんな風に考えていると、不意に思い浮かぶ。
──もし、あの時、私達がバラバラに為る事は無く、共に有り続けたなら。
私達はどう成ったのか。
そう考えてしまう。
(…異なる可能性、か…)
そういった未来も。
もしかしたら、有り得た事なのかもしれない。
それは可能性として十分に考えられる事だから。
決して、可笑しな事だとは思いはしない。
では、そう為っていたら。
私達はどうだったのか。
先ず、二人が一緒に曹魏に居た場合には。
真桜は現在の私と同じ様に為っている事だろう。
しかし、于禁はどうか。
少なくとも雷華様の基準に到達は出来無いだろう。
曹魏は実力主義だから。
となると、良くて隊長格。
決して、軍将にまで就ける才器では──否、人物ではないだろう。
その結果、私達との格差を気にすれば軍属からは去り辞めてしまうかもな。
ある意味、彼女にとってはそう為っていた方が実際は幸せだったかもしれない。
向いてはいないのだから。
次に、孫家に居た場合。
あまり詳しくは知らないが真桜を見ている限り決して悪い事には為らない筈だ。
雷華様の様な指導は無い為基本的には持ち味を伸ばす方向に運ぶだろう。
だとすれば、だ。
個人よりも、三人揃っての活躍の場を与えられる。
そういう方向だろうか。
将来的には各々軍将という立場に任じられる可能性は有るのかもしれないが。
其処に居る私達はお互いに補い合う関係だろう。
だから、現在の高みに至る事は考えられない。
…悪くはないがな。
最後に、劉備の元に私達が居たとしたら。
…明るい未来は見えない。
と言うか、私は付いていく自分が想像出来無いな。
仮に、一時的には恩の為に仕えたとしても。
最後には訣別するだろう。
どんなに厚遇されてもな。
その際、于禁は劉備の元に残る気がする。
楽な環境であるが故に。
“たられば”を言い出せば切りが無いだろう。
ただ、私個人に限ったなら私達の別離は正しかったとはっきりと言える。
朧気で曖昧な友情ごっこは気楽で居心地は好い。
だが、向上には繋がらない事は間違い無い。
その馴れ合いの関係に浸り続けてしまうのだから。
私は勿論だが、真桜も多分同じ様に感じているのだと私は思っている。
それは私達“二人だけ”が真に朋友だから。
其処に振りをして混ざった于禁(紛い者)を取り除いて取り戻す事が出来たから。
私達は、より深い絆を持つ事が出来たのだと。
成長だけではない。
あの日の別離が私達に対し齎したのは。
本当に大切な存在は何かを理解する機会。
それこそが別離が無ければ解り得なかった事だ。
(…三人で変わらずに笑い合って過ごす日々…
それは悪くない未来だ…
だが、“素晴らしいか?”と訊かれたなら…
私達は──私は、即答する自信は無いな…)
勿論、それは今の私だから感じる事なのだが。
“もしも…”の私も多分、何処かで気付くだろう。
その理由は唯一つ。
雷華様が存在するから。
雷華様に御逢いしたなら、私は己を見詰め直す。
例え、どんな立場に居ても雷華様に惹かれない自分を想像出来無いからだ。
…それこそ、私が“女色”でもない限りは、な。
まあ、私が私である限りは有り得ない事だが。
私にそんな趣味は無い。
(嘗ては女に生まれた事を悔やんだりもした…
だが、今は違う
女に生まれて私は幸せだ)
それもこれも全て雷華様と在って初めて叶う事。
だからこそ、私の行き着く未来は変わらない。
どんなに回り道をしても。
私は現在へと至る。




