拾肆
李典side──
奇襲に備え、待機していた中で感じていた事。
何かが“違う”と思った。
それでも、戦いが始まれば彼是言ってる暇は無い。
今はただ、自分の遣るべき事に集中するだけ。
そう思って、身を投じた。
その違和感の正体。
それは直ぐに判った。
今現在、ウチ等の周囲には戦いを邪魔する者は一人も居なかったりする。
ウチ等が戦う為には十分な広さを曹魏の兵士達が作り上げているからだ。
そして、ウチ等の目の前に立ち塞がっている相手は、たった一人だけ。
たった一人の兵がウチ等の相手をしているのだ。
全長一尺程の二つの短剣を巧みに操りながら。
「──きゃあっ!?」
ガキィンッ!、と高い音を打付かり合った二本の剣が響かせた。
押し負けると、数歩後ろに下がって尻餅を搗いたのは自分と一緒に此処の部隊を率いている于禁だった。
転けた于禁には目を向けず自分はただ目の前の相手に視線も意識も集中させる。
声が出ている位だし、特に怪我もしていないだろう。
見ていた限りでも致命傷を貰った様子も無かったし。
気にするだけ無駄。
何よりも今、この相手から視線や意識を逸らす方が、致命的だと言える。
それ位の相手だ。
(多分、此奴は隊長格なんやろうけど…
それでも強いわ…
具体的に言うと雪蓮様とか春蘭様と同等の剣技やで…
こんな腕前の奴が曹魏やと只の隊長格なんか…)
そう考えただけで嫌になる位に彼我の差が大きい。
一体、劉備は何を考えて、曹魏と戦争したいのか。
…いや、狂うとるっちゅう話は聞いてるんやげな。
それでも、愚痴りたいんが人の性っちゅうもんやろ。
声に出しとる訳でもないし文句とか言われる筋合いも有らへんしな。
彼方も于禁の事も視界内に一応は置いとる様やけど、ウチの事もきっちり警戒し油断は全く見せへん。
其処だけを見ても判る。
かなりの実力者やな。
(…ん?、ちょい待ちぃ…
此奴、ホンマに“隊長格”なんか?
…いや、まさかなぁ…)
ふと、思い浮かんだ考えに嫌な汗が頬を伝った。
もし、自分の考えた通りが事実だったとしたら。
それは、最悪だ。
色んな意味で最悪になる。
出来れば、それを今此処で確認したいとは思わん。
せやけど、そないな訳にもいかんしな。
于禁は…全然気付いとらんみたいやからなぁ…。
于禁に訊かすっちゅう事は出来そうに有らへん。
遣るしかないんやろな。
…気は進まへんけど。
「…自分、何者や?
少なくとも隊長格っちゅう訳や有らへんやろ?」
相手を見据えたまま静かに訊ねると、其奴はゆっくり構えを解いて両手に握った双短剣を腰の後ろの鞘へと静かに収めた。
その行動は不可解だった。
この状況で武器を収める。
先ず、有り得ない事だ。
それだけに無意識に身体に力が入ってしまう。
否応無しに緊張が高まる。
静かに息を飲む。
戦況は彼方が優位や。
此処で投降する理由なんて見当たらへん。
ちゅうか、無いわ。
そんな目出度い考えは。
仮に、仕えている主が別の所で戦い、敗れたっちゅう一報が入り、無益な殺生・無意味な戦いはしない。
せやから、戦いを止めて、投降するっちゅうんなら、判るんやけどな。
現状では有り得へん事や。
誰が、曹操を倒すねん。
──なんて、考えとる間も目の前の奴は静かに動く。
得物を収めた後、顔の方に右手を持っていって指先で口元を覆う黒布を外した。
「──なっ!?」
「──嘘ーっ!?」
「久し振りだな、二人共」
その顔を見たら、ウチ等に驚くなっちゅう方が無理な話やろうな。
今までウチ等が戦っとった相手は楽進──凪やった。
驚いたのは当然の事やけど同時に周辺を確認する様に見回してしまう。
いやな、しゃあないって。
誰でも、こないな風な形で再会しようもんなら、先ず“悪戯”の可能性を考えて近くに仕込んだ奴が此方を見る為に潜んどるか、確認したなるっちゅうねん。
…で、居ったんかて?
居る訳無いやろ。
さっき、自分で“周囲には誰も居ない”事は確認して判っとるんやからな。
ホンマにウチ等だけ。
三人だけしか居らん。
…まあ、離れとる位置やと曹魏の兵が居るけど。
そんなんを気にし出したら切りが有らへんからな。
──と、考えながら。
ふと、疑問が浮かんだ。
今、凪は何て言うた?
“久し振りだな、二人共”──“二人”、と。
そう、確かに言ぅた。
(于禁は兎も角として…
此方は、部隊の兵に紛れる為に“そういう格好”して此処に居るんやで?
しかも、于禁もウチの名は口にはしとらん…
せやのに…何でや?
何で判ったんや…)
その疑問を冷静に考えると嫌な汗が流れ落ちる。
飽く迄も、自分の想像。
それを証明する証拠なんて何処にも有らへん。
無闇矢鱈に警戒し過ぎて、疑り深ぅ為っとるだけ。
ただそれだけの事や。
──そう思いたい。
けど、“それはアカン”て冷静な自分が言うとる。
心が警鐘を鳴らす。
「…何で気付いたんや?」
そう訊くのと同時に自分の顔を隠す為にと被っとった頭巾を外して見せる。
立場上、互いに警戒を解く様な真似はせぇへん。
けどな、今は“話をする”っちゅう空気や。
お互いに“暗黙の了解”を破る訳も無い。
「其処で“何時から”とは訊かないのだな…」
一瞬、驚いた表情を見せて直ぐに“見慣れた”表情に戻ってしまう凪。
相変わらず真面目やな。
そう思ってしまう。
せやけど、一瞬だけ見せた感心した様に笑った表情は見逃さへんかった。
それを見て──その意味を理解した瞬間やった。
胸が高鳴って、心の奥から何や熱いもんが込み上げて来るんを感じた。
──凪に認められた。
その事実が嬉しいんやと。
密かに納得した。
まあ、それはそれとして。
今は大事な話の途中や。
流石に此処で脱線するんは遣ったらアカンよな。
……いや、アカンって。
我慢しいや、自分。
そりゃあ、気持ちとしては遣りたいんは重々判っとるつもりやけどな。
時と場合、やからな。
此処は自重の一択やで。
一つ、ゆっくりと深呼吸をしてから口を開く。
「状況的に考えてみぃ…
どう考えても、偶然やとは考えられへんわ
仮に、今回の件で居るんは偶然やったとしても…
“ウチ等の眼前(此処)”に居るんは偶然やない…
ウチ等と判っとってや」
そう、冷静に置かれている状況を鑑みてみれば判る。
明らかに、作為的に状況を作り出しとるんや。
これが故意や無いっちゅう方が難しいやろ。
偶然の一言で片付けるんは簡単やけどな。
一番手っ取り早いし。
悪いっちゅう訳でもない。
考え過ぎて変な方に行って可笑しな事に為るよりかは考えん方が増しやっちゅう考え方も出来るしな。
まあ、その場合やと相手の掌の上で踊らされとる事に文句は言えんけどな。
…いや、抑、そうと気付く事も有らへんかもな。
今の于禁みたいに。
尤も、凪が親切に手の内を教えてくれるとは最初から期待はしてへんよ。
なら、何で訊いたんか?
そんなん訊くだけやったら“無料”やからや。
寧ろ、此処で訊かん理由の方が知りたいわ。
「…成る程、確かにな」
「せやろ?」
ウチの見解に納得する凪。
それを見て、自然と笑みを浮かべている自分。
何や擽ったいんやけど。
別に悪ぅはない。
以前のウチ等の関係やと、こういった正論を言ぅんは凪の役目やったからな。
せやから、懐かしい感じはするんやけど、その一方でちょっと新鮮でも有る。
“新しい関係”でもあり、互いの成長を確認し合う。
そんな感じがする。
……まあ、ちっとばかし、恥ずかしいんやけどな。
絶対口には出せんわ。
「尤も、だからと言って、態々説明はしないがな」
「…まあ、そうやろうな」
そんなん、ウチが凪の立場やったら同じ事を言ぅとる所やろうしな。
せやから、何とも思わん。
寧ろ、これが当然やしな。
「──だが、そうだな…
一つだけ、教えて置こう」
「……何や?」
あの凪には珍しい、上から目線っぽい言い方に自然と違和感を覚える。
それもまた互いの知らない新しい一面なんやろうな。
「必ずしも将が特別な姿で戦場に居るとは限らない
特に、私達の様に下積みの経験が有る者にとっては、意外と紛れ易いからな
違和感無く、潜り込む事は然程難しくはない」
「──っ!?」
その言葉に目を見開く。
同時に、“最悪の状況”が脳裏に浮かんでしまった。
それに関してはウチ等自身遣っとる事やからな。
否定はせぇへん。
実際、遣ろうと思えば凪の言ぅた通りやと思う。
ある程度、下積みの経験が無いと簡単に襤褸が出て、見破られてしまうやろな。
せやから、今回の偵察戦は“そういう”面子を中心に選抜されとる。
後はまあ、準備の手伝いを遣らせるより、此方に来て戦わせ(仕事をさせ)とった方が良さそうなのをな。
…誰とは言わんけど。
いや、言わへんからな?
なんぼ大金を積まれたかて命を捨てる気は有らへん。
ウチもまだまだ死にとぅは無いからな。
それは兎も角や。
もし、此方の兵の中に紛れ込んでいたとしたら。
全てが筒抜けになっていた可能性も有り得る。
その場合やと、今ウチ等が相手にしとる曹魏の部隊は偵察役やのぅて。
実際には“先鋒”で。
陽動と時間稼ぎが目的。
そう、その背後に待機する大本隊が動くまでの。
その時を迎えるまでの。
全ては、“大義(火種)”を得て侵略する為に。
一気に全てを終わらせる。
その為に撒かれた罠(種)。
凪の背中の向こうに。
翻る“曹”と“魏”の旗を幻視してしまう。
その元に整然と整列し進む大軍の姿までも。
「────────っ!!」
──呑まれ掛けた。
その強大過ぎる巨影に。
見も心も屈し掛けた。
だが、既の所で踏み止まる事が出来た。
本当に、ギリギリだった。
そうでなければ、今此処で確実に自分は敗北していた筈だったと思う。
それ程に、曹魏に対しての恐怖心は巨大で、深い。
(…ホンマ…皮肉やな…)
だが、実際には違う。
そうは為らなかった。
その要因は──唯一つ。
自分の中の朋友(凪)に対し感じる違和感。
“変わってしまったな”と簡単に受け入れてしまえば気付かない。
“成長したな”と受け止め認めた上で、理解しようと考えるからこそ。
巨影には騙されない。
「…何や、らしくないなぁ
けど、そういう“演技”も出来る様に為ったんやな」
深呼吸したい。
それはもう、思いっ切り、物凄いのを。
盛大に遣りたい。
けど、其処は堪える。
少しでも自分の中の変化を見せない為に。
気取らせない為に。
敢えて、感心したみたいな口調で平然と言う。
そうする事で、自分の事を隠すだけではなくて、凪に対して仕掛けてみた。
単に反応が見たいっちゅう訳や無いからな?
これも駆け引きやで。
当の凪はというと。
平然とした様子のまま──あっ、ちゃうな。
今、自分から視線を外して小さく溜め息吐いたで。
ウチは見たで。
しっかりと、ウチの可愛いぱっちりお目々でな。
「…目に塵が入ったか?」
「ちゃうわっ!
ほれっ、このウチの可愛い目を見てみぃっ!」
「可愛い目よりも、矢鱈と自慢気な若気顔の方が妙に目立っているが?」
「しもうたっ!
けど、若気とっても可愛い顔しとるやろ?」
「好みは人各々だろう」
「痛い!、心が痛いで!」
──なんて、大袈裟にして他愛無い会話をする。
時と場合が何処遠い場所に旅に出てったみたいに。
二人して馬鹿馬鹿しくて、どうでもいい会話を。
けど、心地好んや。
この感じ、この雰囲気。
それだけで理解し合える。
それだけで伝わる。
二人(ウチ等)は別々の道を進んどっても変わらんて。
ずっと、死ぬ時まで。
死んでも、尚。
朋友なんやってな。
…于禁?、知らへんよ。
此処には居るけどな。
まだ、座り込んどるみたいやからな。
地面が気持ち良ぇんやろ。
折角のお楽しみなんやから邪魔したらアカンて。
ウチ等は優しいからな。
楽しんでや。




