拾壱
視線が重なっていたのは、本当に一瞬の事。
私達の視線は第三者により遮られ、断たれる。
「敵将だっ!」
「手前ぇ等!、此奴ぁ雑魚じゃねえんだ!
あの曹魏の将だぞっ!
気ぃ付けやがれっ!」
「はっ!、ビビってんじゃねぇよっ!
囲んじまえば相手が何処の誰だろうが関係無ぇっ!」
「そう言うこったっ!
オラッ!、囲み込めっ!」
「囲め囲め囲めえーっ!!」
煩く汚い声を上げながら、私を取り囲む様に敵兵達が武器を構え、睨み付ける。
そのギラついた眼差しが、下卑た表情が。
苛立ちと不快感を齎す。
我欲を満たす為に。
ただそれだけの為に。
私の首(手柄)を求める。
腹を空かせた獣の様に──いや、それは違うか。
それでは獣に失礼だな。
奴等は獣にも劣る。
存在する必要すら無い。
そういう連中なのだから。
(…ああ、だが、雷華様の言葉を借りるとするなら、こんな輩でも“死ぬ事で”価値を持つのだな…)
他者の糧と為る事で。
初めて、この世に生を受け存在していた。
その価値を持てる。
そういう存在は少なからず今の時代には存在する。
ある意味では時代や社会の被害者なのかもしれない。
だが、其処まで堕ちたのは自身の責任でしかない。
それを眼を逸らし責任から逃れる為に自分以外の──他の何かの所為にする。
そんな者に、価値は無い。
責任を負えぬ者に。
時代や社会、人の在り方を非難する資格は無い。
──だから、死んで逝け。
死んで初めて価値を持てる存在なのだから。
その為に、命を終やせ。
「──覚悟は出来たか?」
「あぁん?」
「貴様等が奪い弄んできた命に対しての責任を負う、その覚悟だ」
「はぁ?、何言ってんだ?
弱ぇ奴は強ぇ奴の逆らうな
それが弱肉強食だろ?」
「おいおい、何なんだ…
正義の味方気取りか?
はっ、笑わせるねぇ〜」
「もしかしてアレか?
“悔いる気持ちが有るなら潔く自害しろ”〜ってか?
馬っ鹿じゃねぇの?」
「いやいや、アレだって
此奴、ビビってんだよ
だからさ、そんな事言って俺等を動揺させようとか、思ったりしてるんだよ」
「あらら〜、必死だね〜
何だったら、其処で全裸に為ってみろよ?
俺等を満足させられたら、助かるかも──」
──と、声が途切れる。
同時に、直前に喋っていた下衆の命も共に。
「──もういい
一切何も喋る必要は無い
大人しく、死んで逝け」
ブヅッ!…と、頭の中から何かがキレる音がした。
その瞬間に、握る偃月刀を振るって届く間合いに居た全ての命を奪い去った。
考えるよりも速く。
途絶えた下品な声の波。
騒々しい筈の戦場なのだが私の周囲だけ、音が消えて静寂が訪れた。
一瞬の空白。
絶え間無い時の流れさえも忘れたかの様に。
閃いた銀の輝きが。
時すらも奪い去った。
静寂が解けて、時が流れる事を思い出したのは。
視界に赫い花弁が舞い散る様に咲いた瞬間だった。
焔の様に噴き上る赫。
辺りに漂うのは、生々しい嗅ぎ慣れていた臭い。
噎せそうな程に濃く。
まだ臭い自体が生暖かさを纏っている。
狂い咲く、鮮血の花。
断末魔さえ上げる事も無く頭を無くし、地に倒れ伏す仲間の姿を確認する様に。
生きている敵兵達の視線が地面へと落ちた。
その行為は悪手だ。
私から視線も意識も外す。
それは自殺行為に等しい。
彼等が再び顔を上げる事は未来永劫叶わない。
血に染まる地を見たまま、自らの血で更に深く染めて命を終わらせて逝く。
苦痛も恐怖も無い。
何も理解出来無いままに。
ただただ死んで逝く。
恐怖を味わうのは、未だに残ってしまっている者達。
距離を置いていたが為に、少しだけ生き長らえた。
だが、一番楽な死に方ではなくなってしまった。
何方等が良いのか。
それは私には判らない。
地獄(あの世)で先に逝った者達にでも訊いてくれ。
直ぐに会えるのだからな。
「────ひぃっ!?」
そんな中で、誰よりも先に我に返った者が居た。
その一人が状況を理解し、上げた小さな悲鳴。
それは静かな水面に落ちた一滴が如く。
たった一つから生まれ出た波紋が広がるかの様に。
怯懾に染まった声は周囲に瞬く間に波及してゆく。
次から次へと。
彼等の心を呑み込んで。
その“死(命の終わり)”が現実であると実感させる。
「た、助けてくれーっ!」
「ば、化け物だーっ!」
「くく、来るなっ!
来ないでくれえぇーっ!」
そして、戦意を奪い去って容易く敵部隊は瓦解する。
蜘蛛の仔を散らす様に。
敵兵達は此処から我先にと逃げ出そうとする。
其処には先程までの威勢は欠片も残ってはいない。
──数の暴力?
そんな物は一定以下の者に対してのみ通用する事。
我々の立つ高みに於いては余程近い域に居る者を多数揃えねば無意味。
文字通り、格が違うのだ。
こうなる事は当然だろう。
しかし、彼等が遣って来た場所は斜面の上である。
奇襲だけを考えた策。
当然ながら、退路の事など全く考えられてはいない。
抑、彼等は捨て駒だ。
生かすつもりなど最初から存在してはいない。
殺し殺され、死んで逝く。
ただそれだけの為に。
彼等は戦場へと送り込まれたのだから。
故に、許されないのだ。
彼等は死ぬまで戦う以外の選択肢を持ってはいない。
状況的にも難しい事だ。
互いが邪魔で動き難いし、此方の部隊が進路を塞ぎ、斜面が逃げ場を奪う。
そして何よりも私が彼等を逃がさない。
一人残らず、葬り去る。
──と、言いたい所だが、それでは折角の機会なのに新兵達に経験を積ませる事が出来無くなってしまう。
だから、“均し”程度に。
きちんと抑えなくては。
「見付けたのだあーっ!!」
大声を上げながら人混みの中から飛び出して来たのは懐かしい姿だった。
敵兵達を切り捨てながら、味方を巻き込まない位置に移動をしていた私の前に、張飛が漸く姿を現した。
本人だけなら小柄な体躯を活かして簡単に兵達の間を潜り抜ける事が出来た筈。
しかし、張飛の得物である蛇矛が邪魔をする。
武器を捨てれば問題無いが流石に今から私(敵)と対峙しようというのに無手とはいかないだろう。
だから、本人の逸る気持ちとは裏腹に時間を要した。
それでも、早い方だろう。
己の手で邪魔になる味方を倒し(退かし)てまで遣って来たのだからな。
その所為で、敵の互いへの信頼や協力意識は無くなり自分勝手に為っている。
…まあ、それも当然か。
自分達を纏め、率いる筈の軍将が己の個人的な理由で自分達を邪魔だと切り捨て勝手な事をしているのだ。
最早、従う理由など無い。
それは当初の策に対しても同じ事が言える訳だ。
その分、此方は戦い易くて助かっているがな。
尚、味方の兵を足場にして跳び渡りながら、とか。
蛇矛を地面へと突き立てて跳び上がって、とか。
遣ろうと思えば出来るとは思うが、実際には難しい。
目標である私が移動する為狙いが定め難いからな。
また、不安定な状態になる以上は宅の新兵達の腕でも張飛を討てる可能性が出て来るだろうからな。
それを考慮して──いたかどうかは微妙な所だが。
張飛が遣らなかった理由はそんな所だろう。
それは兎も角として。
今は此方を睨み付けている張飛に集中しないとな。
「久し振りだな、張飛よ
息災だったか?」
「見ての通りなのだ!」
「…そうか」
相変わらずな彼女の反応に思わず口元が緩み掛ける。
勿論、そうは為らない様に意識はしているがな。
仕方無いのかもしれない。
恐らく、劉備の陣営の中で張飛だけが唯一だろう。
大義や理想、己の欲望等で動いてはいないのは。
ある意味、最も単純であり有り触れた理由。
“生きる為に”戦う。
それが根幹なのだから。
「…鈴々は関羽に訊きたい事が有るのだっ!
答えて欲しいのだ!」
武器の構えを解き、張飛は“戦う気は無い”と言外に示してくる。
劉備達に毒された可能性は否定は出来無い。
だが、その覚悟も劉備達に倣っているのだろうな。
中途半端でしかない。
構えを解くだけでは不十分なのだと気付いていない。
せめて、自分の間合いから外れた場所に武器を手離し両手を此方に見える状態で頭より高く上げる。
その位はしなくては。
そうでなければ話し合いに応じようとは思わない。
此処は死の蔓延る戦場。
武器を持つ者を信用出来る訳が無いのだからな。
「ならば、私は言葉よりも刃を以て語り、示そう」
そう言いながら、偃月刀を構えて、切っ先を張飛へと向けて姿を見据える。
“さあ、掛かって来い”と態度で示す。
「…っ…判ったのだ!
張翼徳!、行くのだ!」
「関雲長、参る」
片や気合いを漲らせ。
片や冷静に落ち着いて。
互いの在り方を示すが為。
心を刃に忍ばせ、交える。
ガギィンッ!!、鳴り響いた一合目を皮切りに。
張飛は彼女らしい戦い方で攻勢に出て来る。
“これが、先程までは話し合いをしようとしていた者なのだろうか…”と思わず言いたくなってしまう程に全力で戦う張飛。
まあ、そういう打算よりも自分に素直に為れる部分は個人的に嫌いではない。
元々、張飛は口先ではなく行動で示す質だ。
此方等の、今の戦っている張飛の方が本来の姿。
「どうしてなのだっ!?」
──と、張飛が叫ぶ。
確かに刃で語り、示すとは言ったが、絶対に喋っては為らない訳ではない。
飽く迄も、意気込みとして言ったに過ぎない。
だからと言って私は張飛と話そうとは思わない。
それは違うのだと。
理解しているのだから。
「──っ!?」
私は言葉の代わりに張飛の心臓を狙って、突く。
それを驚きながらも防いだ張飛は一旦距離を取ろうと後ろへと跳んだ。
だが、私は逃がさない。
義姉としての最後の務め。
真に“命を背負う”意味と覚悟を伝える為に。
本気で向き合う。
空中に浮いている張飛へと一気に肉薄し左手で蛇矛を掴むと張飛の小さな身体に膝蹴りを放つ。
的確に鳩尾を捉えた一撃で息が詰まり、手が緩む。
蛇矛を手離した張飛は軽く浮き上がる様にして地面に落下した。
奪い取った蛇矛は、張飛の後方へと投げ捨てる。
踞り苦しむ張飛を見下ろしながら偃月刀を振り上げ、狙いを付ける。
そして、戦いを終わらせる為に、振り下ろす。
──つもりだった。
だが、背後からの攻撃へと迎撃した為、出来無いまま不意打ちをしてきた相手は張飛を抱えて飛び退いた。
「…趙雲か」
今気付いたかの様に言うが実際には此方に来ていると判っていた。
その上での、張飛への攻撃だったのだからな。
我ながら演技も多少上手く為ったと思う。
「久しいな、関羽よ
悪いが、此奴を倒させる訳にはいかぬのでな
邪魔をさせて貰った
二対一というのは個人的に不本意ではあるが…
これは戦、“卑虚だ”等と言いはせぬよな?」
「ああ、当然だ
これは戦だ、勝負ではない
生き残った者だけが勝者だ
死んでは意味が無い」
そう言うと、趙雲の後ろで張飛が俯くのが見えた。
両手を握り、歯を食い縛り──堪え、飲み込む。
都合の良い現実(答え)だけ求める“どうして?”を。
つい、そう言いそうになる自分の弱さを。
「その通りだな
では、お主に此処では退場して貰おうか」
「二人で足りると?」
敢えて挑発する様に趙雲に見下した態度を取る。
但し、嘲笑う感じではなく呆れている様な感じで。
それを受けて趙雲は小さく苦笑を浮かべた。
──が、自信を感じさせる笑みを見せる。
「我等とて後が無い身…
そんな中で何の策も講じていないとでも思って──」
「──などいない
だからこそ、言っておう
策士、策に溺れる、とな」
「──何を…」
「気付いていないか…
可笑しいとは思わないか?
私がお前達二人を引き付け相手にしているのに、未だ戦局が拮抗している事が」
「──っ!?」
自信満々だった趙雲の顔が一転、驚愕に変わった。
余裕の生む死角。
それは本当に恐ろしい。
──side out。




