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恋姫三國史  作者: 桜惡夢
688/915

       捌


だが、現実は非情だ。

美談のままでは終わらず、その物語は書き手の意図が介入してしまったかの様に悲劇へと向かってしまう。


冬にしては暖かく、降雪も少なかった、ある冬。

幽州と比べれば暖かい方に入るだろう私の故郷ですら珍しいと思った冬だ。

はっきりと覚えている。

暖かいが故に油断をして、一気に訪れた寒さと降雪に苦しめられた事を。

忘れる筈が無い。

ただ、そうは言っても私の故郷は増しな方だった。

厳しい越冬にはなったが、死者は出なかったのだ。

当時、聞いた話ではあるが北方──幽州や并州北部、涼州では多くの村邑で食糧不足に陥り、飢え死にする人が続出したのだとか。

それに比べれば、だ。


張飛の育った村も、そんな食糧不足に陥ってしまった一つだった。

そして、人間の傲慢さから来る我欲によって、張飛は“育ての親(母)”を奪われ独りに為ってしまった。


人間と獣。

何方等の命が価値が有るか訊かれたなら、以前の私は迷わず“人間だ”と答えた事だろう。

勿論、今は雷華様の教えも含めて変わっているが。

当時、劉備と出会った後に張飛の居た村を訪れた際に聞かされた話に、私は何も言えなかった。

張飛の気持ちは、理解する事が出来る。

しかし、だからと言って、村人達を責めるという事も出来無かった。


もっと早くに村人達自身が張飛に手を差し伸べたなら起こらなかった悲劇。

生まれなかった溝。

搗ち合わなかった価値観。

幼子を見捨て、迫害した。

その結果なのだから。

だから、村人達は何も言う事が出来無かったのだ。

村を襲う張飛(化け物)を、“鬼児”を退治して欲しい等という事は。

全て、自分達の言動が招き引き起こした事だから。


けれど、実際には村人達は単に怖かったのだろう。

討伐を依頼し、失敗すれば張飛からも、依頼した者の関係者からも責められる。

攻撃されてしまう。

その結末が“死”以外には思い浮かばないのならば、現状維持の方が増し。

張飛は食べ物を奪うだけで邪魔さえしなければ、無闇矢鱈に人を殺しはしない。

“共存”出来るのだから。

だから、それが無難だと。

そう考えたのだろうな。

我が身が可愛いから。


あの冬の出来事は今も尚、多くの民の記憶に残る。

ただ、その頃は“怖い”と感じる事は有っても心では“自分でなくて良かった”等という安堵を懐いていた事は否めない。

子供だったとしても。

しかし、今に成って思えばその事ですら多くの人々が“他人事”だったのだと。

そう理解する事が出来る。

より正確には、他人の事を心配している余裕は無い。

そういう時代・社会・環境だったという事だが。


故に、張飛だけが特別だと思いはしない。

恋や螢にしても過酷な中で生きてきたのだからな。

だから、張飛の境遇に対し憐憫を懐いたとしても。

それは日常的に有り触れた悲劇に過ぎないのだから。




そんな張飛にとって初めて出来た人間の家族。

姉という存在。

それが、当時の劉備と──私だった。


ある意味では“弱肉強食”通りに生きていた張飛。

その考え方を否定はせず、彼女の価値観に沿った形で彼女自身と向き合った。

そして──真っ向から力で叩き伏せたのだ。

その結果、弱い者(張飛)は強い者(私)に従った。


また、倒れた張飛に対して手を差し伸べた劉備。

その掌(優しさ)は、張飛が長い間心で求め続けていた繋がり(温もり)だった。

差し出された掌を見詰め、戸惑いながら首を傾げ。

劉備の裏の無い微笑みへと誘われる様にして、張飛は恐る恐る掌に触れた。

重なった掌を劉備は優しくしっかりと掴んだ。

そして──張飛に告げた。



「今日からは私達が貴女の家族で、お姉ちゃんだよ♪

だから、もう独りで生きる必要は無いからね」



それは単純な言葉だ。

深い思慮など無い。

ただ自分が、そうしたいと思ったというだけ。

打算が無いからこそ。

それが無責任に近い言葉で有ったとしても。

聞き手の心には響く。

純粋な事は確かだから。


曾ての自分が、そうだったのだからな。

それは張飛にしても同じ。

その一言に心を奪われた。


あの時だけだろう。

悔し涙さえ見せない張飛が劉備の腕に抱き締められて周りの事も気にする事無く声を上げて泣いたのは。

それは、迷子になっていた幼子が漸く家族に会えて、安心したかの様に。

本当に、長い長い孤独から張飛が解放された瞬間。

張飛が、人間として存在を認められた瞬間だった。



(…あの頃のままならば、私は今も彼女達と敵対する事は無かっただろうな…)



ふと、そう思った。

最終的に、私は曹魏に身を置く事にはなるだろう。

それは間違い無い。

雷華様との縁は彼女達との出逢いよりも前から有り、ずっと前から私は雷華様と繋がっていたのだから。

他の未来は私には思い描く事は難しい。

其処は、自信を持って言う事が出来る。


ただ、彼女達との関係には違う可能性は有った。

もしも、の話だが。

劉備が己の身の丈に合った彼女の優しさを活かす形で民の力と為る道を選んで、進んでいたとすれば。

地位や権力に無関係のまま生きていたとすれば。

私は、あの二人と義姉妹の関係を続けていただろう。

理由が無いのだ。

当然だろう。


“そう為っていたら…”と考えてしまう。

だからと言って、戦う事に迷いも躊躇いも無い。

それは飽く迄も、有り得た可能性(もしも)の話。


とても都合の良い。

優しく甘い、毒(夢)の様な幻影(理想)の中の情景。

覚めた私が見る現の幻。


けれど、今も目覚めぬまま彷徨い続けている張飛。

だから、せめて。

彼女の義姉として。

最後に一つだけ。


私達は夢の中に生きる事は出来無いのだと。

それを示そう。

我が刃に想いを込めて。



──side out。



 趙雲side──


朱里達と分かれ、曹魏軍を迎え撃つ為に待ち構える。

死角になる場所で身を屈め息を潜めて、その瞬間を。



(……っ…口が渇くな…)



無意識に飲み込んだ唾。

喉が鳴る音で気付く。

自分が緊張している、と。

その事実に対して、自分を笑いたくなる。

戦慣れしている筈なのだが妙に緊張してしまうのは…仕方が無いのだろうな。

この一戦の重要性は勿論、関羽達の重臣である将師の存在が判明した為の物。

一気に難易度が増した事で策を成功させられる確率が下がった事の重圧。

それは“気にしない”とは冗談にも言えない程だ。

だから、自分の緊張具合も可笑しくはないだろう。


鈴々は定かではないのだが朱里は自分以上の緊張感、重圧と責任を感じている事だろうな。

それこそ、気持ちが負けて卒倒してしまえるのなら、今直ぐにでもそうしたいと思っているかもしれない。

まあ、朱里の性格からして全てを投げ出して自分だけ逃げる様な真似は出来無いだろうがな。

損な性格だと思う。

私だったら簡単に──



(……いや、判らぬな…)



自分は軍師ではない。

だから、どう考えるのかは明確には判らない。

飽く迄も、今の自分ならばどうするのか。

それだけでしかない。



(あれから朱里による策の変更や調整の類いの指示は来てはいない…

恐らく、朱里にしてみても此方が先に下手に動く事の方が怖いのだろうな…)



策の直前での変更や調整は余程統制されていなければ混乱やズレ等、策に支障を齎す事に繋がる。

この部隊は急造の、しかも有象無象の排除対象者達を使い捨てるつもりで組んだ文字通りの“捨て駒”だ。

そんな連中が、朱里の出す急な変更等の指示を受けて悪影響が出ない筈が無い。

寧ろ、指示に従うか否かで対立・内部分裂が起きても不思議ではないだろう。

だから、出来無い。

予定通りの遣り方のままで開始してしまう方が成功の可能性は高い筈。

そう、朱里も考えての沈黙なのだろうからな。



(…儘ならない物だな…)



朱里の立案した策自体は、決して悪い物ではない。

だが、その想定する相手は飽く迄も曹魏軍内では中位程度の実力だった。

まさか関羽達の様な大物が出て来るだろうとは。

予想外でしかない。


今、彼方が進んでいる道は基本的には一歩道だ。

だが、“降りるだけ”なら道としては使われていない斜面で有っても構わない。

曾て、関羽自身が参加した奇襲作戦と同様の物だ。

それを自分が遣られるとは普通は思わないだろうが…何しろ、件の相手は曹魏の重臣なのだ。

安易な楽観視は危険。

油断してはならない。


朱里としても現場(此方)に判断は委ねるのだろう。

ならば、取る方法は一つ。

他には無いと言える。




整然と並んで行進している曹魏の部隊の姿。

それだけで、目の前に居る兵達が精鋭であると判る。



(…僻地(此処)に関羽達や精鋭部隊を置く、か…

流石は曹操と言うべきか、或いは、曹操らしいと感心するべきなのだろうか…)



如何に他勢力との境界だと言っても、普通は関羽達や精鋭部隊は置かない。

流石に、無警戒というのは有り得ない事だが。

質は格段に落ちる筈だ。


もしもこれが、既に完全に敵対している勢力とならば理解出来無くはない。

寧ろ、当然だと言える。

敵を“誘い込む”為に態と手薄にするというのなら、策としても有り得るが。

その逆は考え難い。

しかも、今はまだ、我々は曹魏に対して宣戦布告した訳でもないし、袁紹の様に曹操と仲が悪いという様な関係が有る訳でもない。

桃香様の一方的な対抗心と劣等感による敵愾心。

両者が戦う事に為る理由はそれだけなのだから。


仮に、曹操が桃香様の懐く感情に気付いていたとして今まで放置しておく理由が見当たらない。

以前、朱里が言った様に、曹魏ならば大陸を統一する事は可能だろうから。

南下はしない。

その理由は未だ不明だが、“関心が無い”と受け取るべきなのだろう。

だとすれば、尚更に此処に関羽達が居る事に対しての説明が付かなくなる。



(…いや、考え過ぎか…)



曹魏の内部情報は掴む事が非常に困難だ。

しかし、その治安の良さや優れた街道の整備技術等の話は普通に知っている。

ならば、単純に考えた場合“誘い”に対して不審だと感じた警備兵からの報告が届けられ、万が一を想定し関羽達を向かわせた。

曹操ならば可笑しくはない決断だろう。

ただ、全ての過程の行動が尋常ではなく迅速だった、というだけで。

街道が整えられているから出来る事だと。

そう考えると納得出来た。




静かに、深く、ゆっくりと呼吸をしながら、視界には通り過ぎて行く曹魏の列を映している。

先頭が通過してから暫くが経ったが、未だに関羽達の姿は見えてはいない。

しかし、もう動かなくては朱里の居る本隊への接近を許してしまう事になる。



(開戦の合図は私の部隊の仕掛けと決まっている以上長引かせる事は出来無い…

何より、この一戦の成功は短期決戦に掛かっている

関羽達“頭”を討ち取る

それしか道は無い)



だからこそ、前衛に関羽が居てくれる事を願った。

理想的な事を言えば先頭かその付近に、だ。

そうすれば、乱戦に為らず私と鈴々とで確実に関羽を相手に出来た。

残った荀或と兵達は沙和や黄蓋達と兵に任せて置けば何とかなるだろう。

最悪、関羽を足止めする事さえ出来れば十分だ。

二対一で勝てずとも時間を稼いでおけば、援軍として沙和達も参戦出来る。

勝ち目は、有る。


──そう考えていた時だ。

視界に映っている曹魏軍の兵達に動きが見えた。

足を止め、周囲に向かって警戒──否、迎撃体勢へと素早く移行した。

あまりの事に思考が停止。

しかし、直ぐに耳を擘いた叫声に我に返る。



「──くっ、一体何が──いや、突撃いいぃーっ!」


『オオォオォオオッ!!!!』



もう隠す必要も無くなった為に叫ぶ様に出した命令に兵達は“待ってました!”とでも言う様に士気も高く武器を手に吼え、曹魏軍に向かって駆け出す。


槍を握る手に力が入る。

兵達に遅れぬ様に駆け出し意識を戦いに向ける。

考えている暇は無い。

状況を把握している暇も。

今は動くしかない。

兎に角此処で動かなくては全てが手遅れに──無駄に為ってしまう。

それだけは避けなければ。




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